戻る  1999年3月卒業生
陽介

小学1年生から、わき目も振らず野球に集中した。俊敏性・持久力・瞬発力すべてに秀でていた。野球のためならどんな努力もする。負けず嫌い。負けて帰ってクラブを投げつけて悔し泣きをする陽介少年は熱い気持を内に秘めていた。その気持を基に中学軟式野球の名門で精神を磨き、高校野球の古豪で甲子園を目指している。


小学1年生から東部に入り、小さい体で頑張った。最初の頃はどうしても正面で捕れず、身体が逃げながらの捕球であった。その後の練習と努力で、正面で確実な捕球をして、基本の大切さと努力の尊さを実践した。6年生のライオンズ杯では確実な守備でベスト8に素晴らしい貢献をした。高校ではバドミントン部で活躍する。
健二

小学3年で入部。最初の頃は練習中、野球よりテレビゲームの話に夢中になったりした。身体が大きく打球の速さは努力の結果であった。打撃は何年も年間180日も夏見台に通って鍛えた。雨の日、風の日、冬の寒い日も台風の日にも出かけた。高校でも野球部に。野球の面白さが徐徐に分ったきた。ロイ・ジョーンズJのファンであるが、フランク・トーマスを目指して欲しい。
武一

兄は中央、弟は東部に入部。父母は応援が大変だったことだろう。俊と武一はいい相棒だった。子供らしい純粋な笑顔が実に素晴らしい少年だった。6年時はキャッチャーを任された。叱られながら捕手として成長した。元気な声でチームを盛り上げた。打撃も力強くなった。中学ではバスケットで活躍した。
恭平

小学3年の夏、交通事故で腕に大怪我をした。トラックの車輪に巻き込まれたためだ。そのため、1年遅れの4年生で入部した。サッカーと野球を両立させた。センターの守備は確実であり、試合で見せる集中力は子供たちの見本であった。送球はサイドから出るのが気になるが、球が速く投手をやらせて見たかった。


もともとはバスケットをやっていた子が5年生から野球をやりだした。運動能力が高く、すぐに野球に適応した。レフトを守り、ボール勘のいい守備と俊足そして強肩でファインプレーをやった。特に送球は地肩が強い上、身体にバネがあるので素晴らしい返球がすっ飛んで来る。東部一の鉄砲肩であった。中学・高校ではバスケットの道を歩んでいる。
翔伍

素直で真面目な性格、堅実に努力する姿勢など伸びる要素を持った少年だった。守備の要のショートを守った。サッカーと野球を両立させた。中学では野球に熱中し、高校でも硬式野球部に入り一歩一歩努力している。健二とは少年野球、中学野球そして高校野球でチームメイトだ。カッコイイ好青年だ。美男子だから女の子にもてるだろうな。


身体を動かせればそれでいいと入部して来たが、一生懸命に卒業まで努力した。試合ではベンチが多かったが、くさらずに諦めずに自分の責任を果たす姿勢は素晴らしかった。今後の人生でも堅実に努力し輝く未来をつかみ取って欲しい。






 

 夏季大会は市川ライオンズと対戦して敗れた。
(行徳橋グランド)

 

秋のライオンズ杯でベスト8進出を決めた。
元気のいい笑顔・笑顔・笑顔・・・
(東国分少年広場)

 

 ライオンズ杯の応援。父母の力強い応援が選手の執念を呼び覚ました。(下貝塚・宮久保少年広場)

 この試合に勝ってベスト8となった。
逆転勝ちに選手も乗って来た。
(平川・東国分少年広場)

 父母たちも逆転に沸いた。親たちも勝つ味を覚えた。逆転勝ちが続き負ける気がしない。(東国分少年広場)

 

東部はこの子たちの代で初めてライオンズ杯でベスト8まで進出した。やれば出来るんだと云う気持が子供たちの心に芽生えた事だろう。勝った時の子供たちの笑顔を見て、勝負事は勝たねばならないと強く思った。自分が活躍しようがチームが負ければ落胆して声がない。一方、三振3個でもチームが勝てば心底溢れんばかりの笑顔ではしゃぐ子供たち。真剣に勝とうと考えている純粋さに反省させられた。以前は勝負より、練習の成果を発揮し納得のいく試合をすれば、それでいいじゃないかと思っていた。しかし試合は勝たねばいけない。カッコ良く負けるのでなく、這いつくばってでも勝つために執着する強い意志を指導者自身が持たねばならない。指導者がカッコ良さを選んではいけない。指導者がもうだめだと諦めてはいけない。野球は一時は負けていても試合が終了した時に相手より多くの点を取っていればいいゲームだ。子供たちの勝とうという気持を信じて途中は耐えればいい。写真はベスト8進出時の自信に満ちた誇らしげな元気溢れる顔・顔・顔だ。子供たちのこの顔を見たいために指導者をやっているんだろうと思う。オヤジたちはこの後、反省会と称してこの上なく美味しい酒を子供たちに感謝しながら飲んだ。


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