戻る  1997年3月卒業生
雄一朗

5年生、6年生と2年間主将を務めた。新生東部の中興の祖である選手だ。後輩たちは雄一朗を見て育った。東部一の努力家だ。東部では6年時6年生は2人。結果が残せなかった。中学で悔し涙を流したこともあるが、3年時に見事に県大会出場を果たした。高校では純粋に硬式野球に没頭した。良き指導者そして仲間に恵まれた。彼は野球を通して一生の財産になる、かけがえのないものを手に入れた。
藤井

明るい性格の持ち主で
雄一朗の良き相棒だ。2人して東部の中興の祖である。雄一朗とバッテリーを組んで、カッカする雄一朗を和やかにリードした。いまも練習中、藤井君の家にファウルボールが飛び込む。当時と変らぬ穏やかな君を見ることができる。






6年生2人は
それぞれの道へ
進んでいる

 


    少年時代

兄弟一緒。(いいねぇ、この姿)

QP杯閉会式で挨拶。右は千葉市川市長。

卒業間際。思い出の少年広場マウンド。

 監督コーチたちと雄一朗と藤井。
 (北方少年広場で)

 仲良しバッテリーの2人(雄一朗と藤井)だが、中学で2人はそれぞれの道を歩き出して行く。


    中学時代

 千葉県大会第2回戦
 (天台の県野球場)

 ファーストベースマンの雄一朗。中学野球部員あこがれのグランドに。仲間と一緒に力を合わせて、自分たちの力で勝ち取った栄冠は一生の思い出。お金では買えない大切なものがあることを心に刻んだことだろう。

 

千葉県大会第2回戦
(天台の県野球場)

 打席で集中する雄一朗
(俺が打つと云う気持が伝わる。緊張感やプレッシャーを集中力や闘争心に変える心の技術も磨いた。)

北方東部リクレーションナイター
野球(松戸市民球場)

 中学野球に一区切りがついた中学3年秋。監督・コーチのリクレーションナイター野球で大人に混じって楽しむ雄一朗。こういう楽しむ野球もいいだろう。
(小さくサードベースマンは父だょ)
 


    
高校時代

 松戸秋山高校との練習試合での雄一朗のピッチング(2年秋)

 東海大浦安高と練習試合で。
打席で集中。
 (3年春)
 (2002.05.06)

 立派な指導者と良き仲間に恵まれた
(3年春)
 (2002.05.06)

 全国高校野球選手権大会千葉県予選(夏)

高校野球最後の夏の千葉県予選。
(3年夏)

 

2002.7.18天台の県野球場で雄一朗の高校野球最後の試合を見た。中学時代市川市代表として出場した想い出のグランド。最終回、2アウトで2塁走者は雄一朗。打者は内野ゴロで一塁アウト、ゲームセット。雄一朗は三塁を廻ったところで一塁アウトがわかり膝を着き崩れ落ちた。その姿を三塁側スタンドから見た。ゲームセット後、三塁側スタンドに一礼する彼らを応援団は温かく迎えた。野球が好きで好きで好きで、練習に練習に練習を重ねた。高校生活は野球に明け野球に暮れた。高校野球を通して彼が得た良き仲間、真摯な心、たゆまぬ練習など全てのものは、かけがえのない宝であり彼の一生涯の財産となる。
 父は仕事の合間をぬって雄一朗のユニホーム姿を目に焼き付けた。母は最後までスタンドの片隅で息子を応援した。母は心の中で「感動をありがとう」と言ったことだろう。息子は父母に感謝の気持を表わしたことだろう。口に出さずとも。父母にとっても高校野球を軸に生活した3年間。過ぎてしまえばあっと言う間であった。しかし、野球に打ち込んだ息子のため、父母の人生にとっても忙しく、充実した3年間であった。
 少年野球の味は、小さい時キャッチボールも届かなかった子供が、野球を通して逞しく立派に成長して行く。そんな姿を見られることで、はまってしまうのだろう。僕も雄一朗に感動を頂いた。 


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