桐渕家眼科医系図

これらの資料は銀海(人・とき・ところ 宇山安夫著)を参考に作成しHPに載せていました。

銀海15号銀海53号はこちらから。

最近、群馬県藤岡市龍源寺のご住職から資料提供があり

眼科医系図の不足を補足することができました。ご住職に感謝申し上げます。

また、高名な歴史学者の塙保己一氏の主治医としても知られているとのご指導をいただきました。


嘉永4年(1851年)に桐渕眼科が群馬県藤岡市に建てた医院が昨年に解体されました。

その鬼瓦を記念に頂きました。2年後にはペリー来航(嘉永6年1953年)の歴史的事実が有りました。

その後の持ち主が、藤岡市に寄贈しましたが建物が古く危険なため、

保存するための経費が問題となり解体することになったとのことです。

 1851年の上棟式はもう少し後の三代目の頃に行われたとのことです。

今になって、歴史の大切なことを感じています。


初代
桐渕利兵衛
江戸の眼科医業の他、俳諧を好み号を貞山と称した。
松尾芭蕉より29歳年少であるが俳人として名をあげ
享保6年に家業を幸助に譲り
江戸を中心に門下3000人に達した。


群馬県藤岡市龍源寺

二代
桐渕幸助
上野国藤岡に移転し、眼科医業を行った。
歴史学者の塙保己一(はなわ ほきいち)の
主治医であったことは良く知られている。
俳諧を好み号を貞賀と称した。
宝暦9年7月18日没

三代
桐渕安兵衛
信州諏訪藩御典医初代竹内新八(眼科)に師事
安永5年3月2日没

四代
桐渕成章
信州諏訪藩御典医2代目竹内新八(眼科)に師事
文化13年8月22日没

五代
桐渕貞寿
眼科医
天保7年6月6日没

六代
桐渕真利
信州諏訪藩御典医3代目竹内新八(眼科)に師事
群馬県藤岡市
作州津山藩御典医
文久元年5月16日没

北辰一刀流千葉重太郎と6代真利との交流がみられた。



七代
桐渕道齋
(1834~1920)
信州諏訪藩御典医3代目竹内新八(眼科)に師事
旧津山藩御典医(眼科)
京橋北槇町1丁目
桐渕眼科院


桐渕光齋
(1836~1895)
下谷練塀町
桐渕眼科病院
桐渕正玄
横浜青木町
桐渕眼科
桐渕武十郎
岡崎・形原・豊川
桐渕眼科
八代
桐渕森樹
埼玉県川口市
桐渕眼科医院
写真には中央に息子槇一が。
桐渕アイクリニック院内に当時の看板がある。

桐渕鏡次
東大河本教授に師事
下谷練塀町
桐渕眼科病院
桐渕正
桐渕鏡次に師事
西尾市
桐渕眼科
桐渕義忠
桐渕鏡次に師事
岡崎市唐沢町
桐渕眼科医院
九代 桐渕槇一
元三菱東京病院院長
元三菱大倉山病院副院長
大田区田園調布
桐渕眼科医院


桐渕光一
眼科医ではない
桐渕惟義
岡崎市唐沢町
桐渕眼科医院
十代
桐渕利次
元帝京大学助教授
桐渕アイクリニック


桐渕光智
元国立癌センター部長
神奈川県元住吉
桐渕眼科医院

桐渕眼科院入院規定および院内規約

七代目桐渕道齋

八代目桐渕森樹の筆による看板

ホームページヘ