在宅介護の体験記

 

 最近知ったことですが治療指定病院の場合入院患者平均17日以上は国からの補助がないとか?重病者でも退院せざるを得ない状況、昨今私の介護認定更新期で調査があり今年4月からより厳しくなった。(7月18日朝のみのもんたさん のテレビで、認定を格下げしてるのは介護保険料を使用させないため?といっていました。)、そして家庭介護者の不眠不休の介護の実情に対しての思いやりなど全くないことの報道もされるようになり現在の医療と介護制度の実情をご購読の皆さんはどのようにお考えでしょうか?。


イラストは西澤先生に頂きました。ありがとうございます。

 介護体験をして医療関係の実情を知り、私よりもっともっと長期にわたり大変なご苦労をされてる方は多くおられることも肌で感じ、頭の下がる思いです。 

病人は、25年前より多血症があり、3年前に足が異常にむくんだり痛さを強く感じるようになり、炊事作業などの家事は、私がすることとなった。更に2年前、悪化し入院しましたが危篤状態が3回あったものの乗り越え3ヶ月で奇跡的に退院することができましたが、トイレへは私の補助が必要となり毎晩3回のトイレ補助は睡眠不足となり、体力消耗して本格的な介護が始まりました。

 そんな、本格的な自宅での介護を半年ぐらい続けていましたが、突如意識不明となり緊急入院しました。入院後は幸い意識も戻りましたが、2ヶ月を過ぎた頃これ以上の回復は望めないので悪いなりに安定してるからと退院の要請がありました。又転院の話しもあったが不安不十分な治療の小さい病院では心配も大きく、介護認定5の病人を私独りでの介護不安は未経験であるだけに想像もできず只只頑張るしかないと決心し、近くにご立派な巡回医師がおられたこともあり自宅療養を決断し退院しました。(自宅療養の決断しかなかったのが実情でした)。

 

 帰宅の翌日から本人安心したのか排泄が頻繁に始まりヘルパーさんと看護師さんは日に2回〜3回お願いしたが、介護用パンツの交換が夜多くあり3日間眠る暇なく、食事の支度と病人へ食べさせそして薬10数種を5回の投与など覚悟はしていたが夢中の3日が過ぎたら、今度は発熱で痰もからみ始め吸引吸入器の仕方も教わり夜3回はおこない又酸素吸入と小水の管も入れておりそして点滴(終了時の抜針は私がせざるをえなかった)は週3日となり、介護5の重病者の面倒を毎日21時間(ヘルパーさんと看護師さん3時間)何の知識もない心臓と痔の持病持ちの80歳を過ぎた私一人で連日よたよたしながら、昨年来夜トイレへの3回昼6回の介護から始まり丁度1ヵ年よくぞ倒れずに頑張れたものと我ながら不思議に思っております。

 

最後はある朝急変し緊急入院したが翌朝静かに息を引き取りました。只救いは私の手製であるママレードを常時作りおき最高に美味しいと毎朝食べてくれたこと、死因が総ての臓器を使い果たして余すところ寸分もなかったとのこと、これだけの重病でありながら痛い苦しいが少なかったことが不思議であり考えられなかったと医師の説明もあり総ての臓器を燃焼し尽くしての終焉であったことがせめてもの慰みと救われた想いで一杯です。

 

私はいまだに介護疲れで体重は7キロ減り全く増えず体力の回復は望めなく、心臓の力も低下し毎週看護師さんに巡回し診察して頂いてる状況です。

 

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