気学との出会い

 七年間音信不通だった親友との出会いが気学を始めるきっかけとなりました。非常に不思議な出逢いであり、近くのガソリンスタンドでばったり出会ったときにはお互い顔を見合わせ言葉もでませんでした。

 そのとき私は人生のどん底にあって、何をどうして良いのか途方にくれていたときでした。”ひらがな”しか書けない“おふくろ”から「移転や事業など自分勝手に行動してはいけない云々」とよく言われましたが、所帯を持つ時の引越しや脱サラの新事業も、親の猛反対を押し切って自分の都合と考えだけで実行した結果、見事大失敗となリました。時を同じくして“おふくろ”が他界し、そこで初めて今までの自分は何だったのかと我に返り“おふくろ”にいわれた、あの一言一句が脳裏から離れず毎晩うなされ続けていたとき、彼と遭ったのです。彼は青山の自宅が火災に遭い、ガンに犯され「気学での大吉方を用いて」私の家から数キロの場所へ二度目の転居をしてきたところでした。“おふくろ”が気学を私にわからせるため経験者に遭わせてくれたのだ。との想いが体中から自然に湧いてきました。その時私は四十歳、もう後がない、これしかない、自分のため、“おふくろ”の教えを解明するため、必死に気学の勉強を始めると同時に即実践しました。それは実家の敷地の隅に六畳のワンルームを建て、乾 (西北) の大吉方で、一時的に転居することでした。当時金も信用もなく父親に平身低頭やっとのことで建物代が借りられたときは、これで俺もどん底から這い上がれるぞ、という勇気と自信、そしてこれが最後の運と強く感じました。


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