若者への提言
市吉 修 2008/06/12
先日秋葉原で7人を殺し、10人に傷を負わせるという通り魔事件がありました。二十歳代の若者による凶悪事件が増えています。私は今年60歳になったばかりですが20歳代のことは昨日のことの様に覚えています。心に浮かぶままに駄弁しますので何かの参考になるものがあれば幸いです。
若い時は不安が大きい。
経験も知識も不十分で仕事や生活の基盤が固まっていないのですから将来に対する不安が大きく、ちょっとした失敗でも心が激しく動揺します。私は若いころ家にいる時は何とも無いのに外出すると思わぬ時に便意を催して困ることがよくありました。
下積み生活がつらい。
職場でもクラブ活動その他の社会活動においても若者は初心者、初参者、下っ端として年長者の指導の下に働きます。仕事のミスで叱られることもよくあります。
人間関係が苦痛
中学の頃から親とは殆ど話もせず、学校でも親しい友もできない。職場では人間関係が煩わしく、お客にぺこぺこするのが苦痛である。一人でいる方が気楽であるが、同時にとても寂しい。
世の中が間違っている
と感ずる。学歴やコネが幅を利かして要領のよい者ばかりが出世する。自分は実力も才能もあるのに世の中が正当に評価してくれない。
提言その1 若い時は苦しい事が多いのは当たり前です。
以上のような不平、不満は若者にはよくあることであり、むしろ正常なことであると思います。若い時から社会の指導的地位に着き、楽々と世渡りをして幸せな一生を送ることはありえません。
苦悩は生きている事の証です。仮に苦悩が全く無いならば、歓喜もまた無いでしょう。楽聖ベートーベンは苦悩を通じて歓喜へと言いましたが、誰にでもそれ以外の道はありえないと思います。若い時の苦労は買ってでもしろという諺があります。ゼロから出発して間もないのだから知識、経験と能力の不足、貧乏は当たり前です。下積みとは修業であり仕事の基礎を作る時代です。ここが確りしないと将来大成する事はできません。下積みの無い人には上積みはきかないのです。従って提言その1は自分だけが苦しいのではない、みんな苦労しているのだ、仮に苦労していない若者がいるとしたら将来苦労するであろうと考えて過度にくよくよしないことです。
提言その2 自分の頭で考え自分の足で立とう。
若者の挫折のきっかけの多くは進学の挫折にあるようです。教育の重要性は言うまでもありませんが、現在の学校教育は受験偏重のために歪んでいると思います。しかしよく考えると学校教育のできることはせいぜい人を学問の入り口に案内するだけで人間に本質的なのは学問です。学問は各人が自分の頭で考え自分の足で歩く事以外にはありえません。本を手に薪を背負って歩く二宮金次郎の姿こそ学問を象徴しています。学校教育の場は学校に限られますが、学問の場は世界であり、卒業もありません。即ち学問とは人生です。人類史の上で燦然と輝いている発明
提言その3 将来への夢を持とう
若者の特権は将来への夢を持ち、それを実現するための時間が十分あることです。人間は如何なる夢でも実現できます。仮に元の夢が実現できないとしても、そのために払った努力は決して無駄にはなりません。真剣に努力したものは必ず身についています。そして身に着いたものだけは必ず役に立ちます。夢を持ちましょう。無ければ探しましょう。夢の実現に到る計画を立てて努力すれば毎日の生活は充実して楽しくなると思います。
人生大道
人は違いを受け入れて、己が道を歩むべし
如何なる道を歩むとも、進まば世界が広がらむ
各々異なる地にありて、あまねく道を求むれば
道はつながりて大道となり、人は行き交いて共に生きむ
若者への提言(続6/22) 自己との対話
今回の秋葉原の通り魔事件やその他の若者による凶悪事件の報道を読むと進学や就職の失敗、孤立、負け組み意識、勝ち組への羨望、社会に対する憎悪という一連の流れが共通しているようです。報道によると秋葉原で7人を殺し10人を傷つけた犯人は「誰かにかまって欲しかった」と言っているそうです。
一連の記事を読んで私が感ずるのは他人との対話の前に自己との対話が欠けていたのではないかと思います。無差別殺傷事件の若者に共通する一つの特長は中学、高校までは学校の成績は良かった事と両親が教育熱心であった事です。子供の成績は親の努力次第という人がいますが、本当は本人の努力次第であることは自明の理で親や教師にできる事はせいぜいその環境を整えてやる事くらいのものです。そこを誤解してまるで動物の調教のような考えで親が子供を友達とも自由に遊ばせないとか学校が受験一辺倒の所謂英才教育に狂奔し、本来必須科目の世界史すら教えないなどということでは子供の成長がゆがんでしまいます。子供は小さいときは親に従って勉強すれば学校の成績は上がるかも知れませんが自己との対話の訓練が疎かになり、高学年になると成績が落ちたり、逆境に合うと思考が飛んでも無い間違った方向に短絡的に向いてしまうのではないかと思います。失敗なくして成功はありません。子供に失敗させたくないという親心が返って仇になり子供の成長を阻害していると思います。
読書と日記のススメ
私が思うに今の生徒は読書と日記が欠けているのではないでしょうか。私は小学校の頃「二度とマンがは読まない」などとノートに書いた記憶がありますが、それくらい良くマンガを読んでいたということですね。実はそこから学んだことも結構あったと思います。それは読書の習慣を身につけたことです。インターネットやケー帯端末に代表される現代の情報化時代においても基本的な情報、人類の知識と経験の体系は書物の中にある事は以前と全く変わっていません。大事な契約はいまでも紙の上に文字で記して関係者が署名捺印をして発効します。銀行での預金の出し入れを通帳と印鑑で行っていた時代にはオレオレ詐欺などはありませんでした。外国語を学ぶには辞書を引き引き原書を読み、数学を学習するには教科書を読み問題を解く、学問をやるにはその分野の書を読み、演習を行う以外には道が無いことは昔も今も変わりはありません。
私は高校以来一日も欠かさず日記をつけていますが、日記は自己との対話の有効な手段です。また35年前Eckermanの「ゲーテとの対話」を読んで学校を去って会社に就職する気持ちが固まりました。数年前オランダに旅した時、アンネ・フランクの家を訪ねましたがアンネがキティと名づけた日記はアンネ自身の自己との対話の記録であり、それを読んでいたからこそあの隠れ家の訪問は一入忘れがたい経験になりました。夜寝る前に日記をつけるとその日のことは全部吐き出して心が軽くなり、ぐっすり眠ることができます。他者との対話の本は自己との対話です。自分探しの旅の始まりも終わりも常に自分との対話にあると思います。
言葉と人間
人は人との対話によりて、己が外なる世界を知れり
人は自己との対話によりて、己が内なる心を知れり
言葉は単なる符号にはあらず、言葉は人間が作りたる世界なり
言葉は人の心を表す、人は言葉で人間となれり。
若者への提言(続12/30)
逆境でもより良く生きむ
人生には何時何が起きるか分かりません。貧困、戦乱、被差別境遇に生まれる人もあれば、裕福な家庭に生まれた人も途中で家が破産して貧困に突き落とされる場合もありえます。不慮の事故で身体に障害を負ったり、病気にかかって仕事を続けられなくなる等あらゆる不幸に見舞われる可能性も常に存在します。誠に一寸先は闇です。非正規雇用者が不況で解雇されて住居も追い出され、次の仕事が見つからないなど現在大変な逆境にある人も多数あります。このように人生において逆境に陥る可能性は常に存在します。逆境を生きる上での一つの合言葉として「より良く生きむ」という言葉を推奨します。今日より明日がより良くなると思えば人は気分が明るくなります。何もしないで良くなる可能性は低いですね。逆境において何より苦しい事はそこから脱出する道が分からない事です。そのためには現実を見つめて逆境の原因を探る事、次に自分が願うあるべき理想の姿を思い描く事、そして今の現実からその理想に至る道を探索する事です。頭の中で考えても中々まとまらないので紙に書き出して見る事をお勧めします。そして例え小さな一歩でも実行にかかる事が大切です。歩まば世界が広がらむ。世の中には色々な人がいて人生大道の中で思わぬ邂逅から道が開ける事もあります。人生は一度しかありません。人は生まれてから死ぬまですべてが初めての経験ですので常に考え、試行し、学ぶ事が大事です。何より大切な事は人生を楽しむ事です。笑いは百薬の長
とは医学的にも証明されています。笑う門には福来る。逆境をも笑う、これがユーモア(humor)の本来の意味です。大いに苦しみ、学び、楽しむ事は生きる事そのものでしょう。
より良く生きむ
人生はあらゆる事が起こりうる、何が起こるともより良く生きむ
より良き事に努力を尽くさば、何が起こるとも悔ゆる事無し
過去を悔いて今を悔やまず、未来に向けて今を生くべし
人生はあらゆる事が起こりうる、より良き未来を求めて生きむ。
思い楽しまむ
くよくよと思い煩うことなかれ、くよくよするだけ損なれば
如何なる問題にも解がある、よくよく問うて問題を立てよ
問題の解を求めて楽しまむ
不幸開道
身の不幸、嘆くだけでは進めない
如何なる不幸も受け入れるべし
目的を求めて足を踏み出せば
不幸の中にも道は開けむ。(2009/4/19 up)
若者への提言(5/4/2009) 人間関係
若い時は学校、職場、サークルなどの団体生活において人間関係に悩むものです。定年退職後振り返ってみると当時は深刻であった人間関係の問題も大抵はそんなに大した問題でもなかった様な気がしています。よく先入観で人や物事を見てはいけないと言いますが、人間は先入観無しにはものを観察する事はできません。心ここに有らざれば見れども見えず、聞けども聞こえず。一般に人間は見たいものが見え、聞きたい事が聞こえるものです。その事をよく自覚すべきだと思います。人は生まれるときは両親の間に生まれますが、死ぬ時は一人です。年を重ねると親族、同僚、同年代の仲間も少なくなってきます。自由になる分寂しくなります。人は畢竟人間であり世間に生きる動物だと思います。
人の心
人を憎めば心が重く、許せば心が軽くなる
人に苦をせば心苦しく、人によくせばこころよし
我が他人になしたる事は、回りて我に帰って来るなり
ひとり学べば心楽しく、ともに学べばなお楽し。
二十一世紀型有縁社会へ(4月4日、2010)
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無縁社会の問題
先ほどNHKテレビで無縁社会を取り上げていました。私は所用で見れませんでしたが大体内容は想像がつきます。というのは孤独死、電車での人身事故、ホームレスと今の世の中は無縁社会の問題がどこにでもありふれているからです。若者の就職難、結婚の減少、離婚の増加、少子高齢化も広い意味では無縁社会の問題だと思います。
義理縁社会の問題
江戸、明治時代の文学の大きなテーマは義理と人情の葛藤でした。人間は生まれてきた家によって世の中の地位と人間関係に縛られてあたかも蜘蛛の巣にかかった昆虫のようにもがいていたのではないでしょうか。戦争中と戦争後には親類という義理が如何に重荷になるか思い出したくもない嫌な思い出が多くの人に刻まれました。
学校が火事になってご真影という天皇皇后陛下の写真が燃えたため責任を感じて校長が自殺する事件もありましたがこれも大半の理由は職場や近所の義理縁社会の問題であろうと思います。
新たな有縁社会の建設
現在の無縁社会は私達が義理縁社会の束縛を逃れようと努力した結果の一面だと思います。義理縁社会の問題は義理という人間関係が個人の意図に無関係に出自、門地、学校歴、企業の序列など外的要因によって強制された事だと思います。
従って目指すべき有縁社会の縁は個人の自主性に基づくものでなくてはなりません。
就職難問題
就職は求職者と求人者の条件が合致して成立します。現在求人倍率は全国平均が40%程度のようです。中でも若者の失業は当人にも社会にも大変大きな損失です。若者は何十社に申し込んでも就職に到らないと絶望にかられると思いますが、まず人間は労働する動物であり必ず働く場はあるという事を確信していただきたいと思います。私の助言は
[1] 学校での専攻にこだわらず間口を広げて求職すること
[2] 求人の多い分野に必要な知識、技術、資格を身につける事
[3] どうしても勤め先が見つからなければ起業を検討すること。
起業とは世の中の問題を解決する手段を提供することです。必ずしも自分の特技やキャリヤを活かすことではありません。本当に好きなことは趣味にとっておいて職業はあくまでも世の中に必要な事をやれば必ず働く場はできると思います。
結婚
結婚は両性の合意に基づき成立する。家柄とか勤務先とか収入などは本質的ではありません。また両性もお互いの自主性を尊重することが重要です。家庭が夫や妻を縛るものになると極めて窮屈なものになります。家が嫌なところになれば人間は何処にもくつろぐ所がありません。不幸にして破綻した結婚は円満に離婚することが重要だと思います。×一などという言葉は日本の伝統に合いません。徳川家光を生んだお江の方は三度目の結婚で家康の息子の秀忠に嫁ぎました。江戸時代までの女の人は何度も結婚するのが極く普通のことでした。
学問
現在親の収入に応じて子供の教育が二極化しつつある。塾にやる費用がないので所得の低い家庭の子が取り残されるという議論をよく聞きます。これは私には的外れの議論だと思います。本当の問題は現在子供の読書が疎かになっていることだと思います。学問の基本はまず読書です。各地の図書館を利用すれば家庭の所得に無関係に誰でも学問への道は開かれています。発明王エジソンは十代の始めにデトロイト図書館の本は全部読んだと言っています。エジソンは単なる天才ではありません。偉大な努力家です。読書に最も必要なのは時間です。時間は万人に平等に与えられています。その中から時間を作って書に親しむことは学問の始めから終わりまで必要不可欠です。時間を作るには習い事など出来ない貧乏な家庭の子のほうが返って有利ではないでしょうか。
現在は有縁社会
の本格展開が可能な時代です。それは言うまでもなくインターネットを始めとする情報通信網、特に受信だけでなく発信機能に勝れたMass Immediate Networkが高度に発展してきたからです。縁とは人と人を結ぶ人間網に他なりません。個人の自主性に基づく人間網、同じ問題や関心を有する人人による当事者連携事業、万人が関与できる直接民主政治などは新たな21世紀型の有縁社会の基だと考えています。
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* 市吉 修
* 二十一世紀を楽しく生きよう会
* URL; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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大学の行き方
昨日大学の同窓会があり大学に残った同級生から大学の現状報告がありました。財政破綻した国庫からの資金供給は先細りする中で産学協同などにより資金を調達するのが教授の責任になっているようです。もう一つの資金調達の方法は一般社会との交流だと思います。例えば大学図書館を地域社会に開放する事です。私は三年間
の退職中は近くの職業能力開発大学校の図書館を使わせてもらい非常に助かりました。こちらは本の貸し出しはありませんが閲覧は無料で利用できます。正式にカードを作って本の貸し出しまでできるなら年一万円程度の会費は喜んで払います。図書館の他にも実験室など有料で開放するのも一つの方法でしょう。そのほか一般社会向けの講演会や社会人教育なども有効です。資金を集めるのに寄付だけては限界があります。お金は価値の交換で動くのですから大学が有する価値を社会に提供してはじめて資金も集まると思います。
人間の生き方
還暦に近づくと同窓会や同郷人会が多くなります。各人各様の人生は聞いて面白いし大いに参考になります。結局人生の価値は各人の価値観によると思います。高校生の頃は人より身長が1cm低くなっても悔しくサラリーマンの時は会社の事業方針や人事考課あるいは職場の人間関係が面白くないと感じたりしましたが定年退職してから4年も過ぎるとそれらの事は実は大した事でもなかったと感じられます。ある調査によると日本の若者は韓国や米国に比べて立身出世欲が乏しいそうです。これを気力が無いと見る見方もありますが価値観の多様化もあるのではないでしょうか。深い教えに満ちたイソップ物語の作者のイソップは奴隷の身分であったそうです。異なる職業と本業の人生もあり得ます。人生にはあらゆる事が起こりえます。人生不可解なりと辞世の句を立ち木に書き付けて華厳の滝に飛び込んだ人がいますが逆に決まりきった人生があるとすればそれを生きるのはそれこそ死ぬほど退屈ではないでしょうか。
人と社会
社会は分業と交換に成り
人は社会の分を成す。
社会は人間の共同体なり
分を尽くして人は生くべし。
人生
人生はあらゆることが起こり得る
いかなる不幸も受け入れるべし
現実に即して不安を去り
理想を求めて楽しみつ生きむ
人生はあらゆる事が起こり得るなり
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無縁社会の問題;年間自殺者三万人
東京では数週間に一回程度は人身事故による列車運行の乱れが生じます。ここまで日常化すると慣れてしまって返ってその悲惨さが分からなくなってしまいます。
死を知る事が生を知ること
現代人は核家族を経て孤立した個人、言わば孤人になってしまいました。その結果人の死に向き合う機会が少なくなり、また墓参りの習慣も少なくなりました。孤独死と自殺は意思の有無では反対ですが誰にも見取られずに死ぬ点では似ています。私はロンドン、横浜、現在は新宿の職場の近くに墓があり、時々付近を散歩します。ロンドン人の死亡年齢は50-60年代が多いのに驚きました。墓参りをすると生きている今の貴重さが良く分かります。死を知らないと人は永遠に生きる、従って生きる苦しみが永遠に続く、死んでも生きているのではないかという感じがしてあたら命をそまつにして
いるのではないかと思います。
死の起源
新宿図書館から「死の起源」という本を借りて読みました。
詳細は下記書評を御覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/5161/BookReviewH181223.htm
その内容をまとめますと次の駄文になります。
死の起源
単細胞生物は細胞分裂によりて増殖す
古き生物の消滅は新たな生物の発生なり
多細胞生物は体細胞と生殖細胞に成り
生殖細胞によりて増殖す。
雌の卵と雄の精が合体して新個体の発生が始まる。
有性生殖によりて親と子が生じ
親は子の発生と成長を扶けて生きる
有性生殖によりて固体の死が生じたり
個体の死が無かりせば無限の増殖の末に生物は
有限な地球を食らいつくし、絶滅に到りせむ
個体の死によりて生命は存続し、進化するなり。
死生
死は生の終わりにはあらず
死は生の始まりにあり
死せざるものは生まれざるなり
死を悲しみて生を喜ぶべし
死は生の彼方にはあらず
死は生の傍らにあり
いのちを伝えて生命は
数億年も続きたり
世代から世代へと人間は
道を伝えて生きるなり
生きるとは
無限の可能性の一つの実現なり
無限の過去が集まりて
無限の未来に分かれ行く
今を良く生きるべし
あらゆるものを現して生きむ。
限りある
命の重みは限りなし
命の限り
良く生きるべし
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人の生き方
最近日本の若者が消極的になっている例ですが海外留学生の数が減っているそうです。しかも奨学資金があるのに志望者が定員に満たないそうです。そのTVで見ましたが留学すると就職活動に遅れを取るので留学したくないと言う学生がいました。私は21歳の時大学4年から一年間米国の大学に留学したため確かに同級生よりも就職は遅れましたがあの一年間は決して無駄ではなかったと断言できます。国内の大学の4年に匹敵するほど自分の世界が広がり、その後の大学、企業、そして現在も仕事と生活にどれほど役に立っているか測り知れません。若者には特に未知の世界に挑戦してもらいたいものです。
人生はあらゆることが起こり得る。人が短い人生で知りえた事よりも未知の世界の方が遥かに広大です。過去よりも遥かに未来は大きいと思います。生きる事とは未来に向かうことではないでしょうか。
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人の成長段階
人間は赤子の時は生存のすべてを親に頼る他ありません。幼児時代にも親に全面的に依存して成長します。中学、高校生くらいの年代になると自我の確立と両親からの独立への欲求がいわゆる反抗期となって現れます。このころ恋愛もするわけですが子供時代の親への全面依存に対して恋愛においては相互依存だと思います。相手の事を勝手に想像して美化します。同時に自分のことは更に理想化して実に虫の良い想像に浸るのが初恋ではないでしょうか。そのような根拠の薄い理想は直ぐに現実の中で壊れて自然に消滅するか喧嘩別れに終わり失恋に到るのが常です。失恋は他者への依存から自我の確立への一つの段階だと思います。自立した人間の条件は他者の人格の尊重だと思います。それは夫婦の間でも親子の間でも同じです。親が子供を自分の持ち物のように考えて干渉するのは度が過ぎると親子の関係を破壊してしまいます。夫婦の関係も同様です。人は畢竟一人の存在ではないでしょうか。そうであればこそ家族や友人、職場の有ることがありがたい事だと感じられます。
社会の成長段階
にも上の個人の成長に似たものがあります。古代の国家の成立においては主権が王にあり人民は絶対服従を強いられました。人が人を支配するという非道を隠すために王権は神や天から与えられたものだと言う宗教が作られました。政治とは正に祭り事そのものでした。時代の推移と共に身分制社会は克服され民主制が確立されました。今日の大半の国では間接民主制です。今参議院選挙の真最中ですが政治屋のいう
ことはすべて自分に都合の良いところばかりを並べ不都合な事には口をつぐみます。政敵の言うことは全面否定して自分の主張ばかりをがなり立てます。日本は特に財政赤字問題が深刻ですがその原因は政治家に対する支持者の圧力にあります。政治家は支持者が無ければ自分の身分が保てないので陳情に応えるべく予算の獲得に狂奔します。支持者と選良の相互依存関係に基づく間接民主制を前述の人間の
成長段階にあてはめれば恋愛段階にあると思います。まだ中途半端な成長段階ではないでしょうか。
間接民主制の一段上の社会はどんな社会でしょうか。一言で言えば当事者連携社会だと思います。政治では人民の政治参加、ひいては直接民主制です。国政は立法と司法、外交を主たる任務とし、行政は市町村が主として行います。市町村レベルでは直接民主制が十分機能します。産業では大企業よりも中小個人企業とその連携体、教育や研究では大学や企業の連携組織、生活面では地域住民の連携がより大きな役割を果たして行くと考えています。そこには意見の違いはあっても敵はありません。他者を支配しようとするから敵が生ずるのであって人、企業、地域、国家が連携によって自立する社会では仲間こそあれ敵はありません。川中島や関が原の戦のように国家間の戦争はやがて昔話になると思います。当事者連携社会は情報および交通網が極めて高度に発達した今日に到って初めて本格展開する条件が整ってきたと考えています。
直接民主制は間接民主制にとって代わるものではなく人民の政治参加を通じてそこから進化するものです。各人の一票を大切に参院選挙に参加しましょう。
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