差出人: OsI [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]

送信日時: 2015629日月曜日 0:01

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故郷振興HP更新

今年4月に所用で西都市に行った時序に茶臼原の石井十次記念館を訪問しました。その時取った写真を故郷振興のHPに載せましたのでご興味があればご覧下さい。

http://heartland.geocities.jp/osamu_ichiyoshi/

三千人の父と言われる石井十次の思想と業績には教えられる事が多々ありました。

  特にその方針は

[1] 子供は10歳までは茶臼原の自然の中で十分遊ばせる。

[2] 10-15歳の間は岡山の小学校で勉学させる。

[3] 15-20は職業教育をして20歳で世間に出て自立できるよう支援をする。

また能ある子供は大学にも進学させました。

  石井十次の業績については下記URLをご覧下さい。

http://service.kijo.jp/~yuuaisya/jyuuji.html

 

鐘の鳴る丘

上のHPに載せた写真http://heartland.geocities.jp/osamu_ichiyoshi/BellToweronTheHill.jpg

はおそらく戦後のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」のモデルとなったものではないかと思います。前期URLに「昭和208月、第二次世界大戦終戦後、石井十次の孫、児嶋?一郎は家や家族を亡くした子どもたちの為に、同年10月、児童養護施設をつくる事を決心し「石井記念友愛社」を設立した。」とあります。

  私はそのラジオドラマの主題歌を微かに覚えています。

緑の丘の白い雲

とんがり帽子の時計台

鐘が鳴りますキンコンカン

メエメエ子ヤギも啼いています

父さん、母さん、いないけど

----(その先は覚えていません)

 

お知らせ

[1]院内集会

 日時 7/14() 11:30-15:00

  場所 衆議院第一議員会館(1F)多目的会議室

 参加費 無料

 講演 小林 節さん(慶応大学名誉教授) 「戦争被害と憲法」

 国会議員発言

 

[2]集会

 日時 8/14() 18:00-

  場所 台東区民会館9

 参加費 500

 講演 小林 節さん(慶応大学名誉教授) 「今をどう見るか」

    大前 治 (大阪空襲訴訟弁護団) 「国策によって拡大した空襲被害

                     防空法と情報統制」

問い合わせは 全国空襲被害者連絡協議会 Tel; 03-5631-3922

 

無責任社会の被害者は我々自身

大日本帝国は国民を国民と言わず臣民と言っていました。国民の権利は厳しく制限され他方義務は納税及び兵役が重く国民に課され、国策によって大半の国民が小作人に転落し、国内の矛盾を海外侵略で解決しようとしてアジア諸国ばかりか当の日本国民をも破滅させました。国策として推進された戦争の最大の被害者は戦争孤児ですが、民主となったはずの日本国も戦争孤児の救済は全く行いませんでした。前述の友愛社などの民間の篤志家による戦争孤児の救済は大半の孤児には届かず、多くが餓死、野たれ死、親戚に引き取られた場合も食糧難の環境では厄介者扱いされ、酷使、虐待されて何とか成人できた場合でも子共時代を奪われたに等しい人生でした。戦前の国民学校(!)、即ち小学校において「子供は天皇の赤子(せきし!)」と教えていた日本という国家の無責任体質は日本国民として忘れてはならないと思います。

戦争孤児ほどではないにしても無責任社会のつけは現在も我々自身にふりかかっていると思います。頻繁に電車を止める「人身事故」、毎年3万人近い自殺者、今や国際語になった「過労死」など国内に不幸が満ち満ちている気がします。

戦争孤児の不幸にも劣らぬ現在の不幸は老人の不遇とその極致というべき「孤独死」でしょう。過疎化を食い止めた事で名高い宮崎の綾町も移住者が今や高齢化して孤独死が頻発しているようです。孤独死ほどではないにしても老人ホームは現代版の「姥捨て山」になっているのではないでしょうか。

 

両親の介護から学ぶ事

現在99歳の父と92歳の母は可能なかぎり最後まで自宅で暮らしてもらいたいと考えています。両親は宮崎に私は神奈川に住んでいるので日常生活の支えは老人向けマンションの職員と宮崎在住の妹に頼らざるを得ませんが私もできるだけしばしば宮崎に帰って両親と暮らすと共にインターネットや自然エネルギーの活用を通じた故郷振興に寄与したいと考えています。健康については不治の病と恐れられてきた癌は大病院の標準治療が尽きて見放された後でも今や代替治療によって自宅で元気に暮らす事ができる事が分かっただけでも既に大きな成果を得ています。また大便もれに対しては紙オムツを褌に貼り付ける方式を開発しました。汚れた紙おむつはゴミ箱に捨て、新たな褌はズボンを脱がずに立ったままで着けられるのが利点です。

人間は誰でもいつか身体障害者になりますので、身体障害者が活躍できる社会こそ皆が安心して暮らせる社会です。私はこの意味でオリンピック以上にパラリンピックを楽しみにしているものです。

老人の仕事は最後まで健康で楽しく暮らす事です。そうすれば社会が明るくなります。今日の若者も例外なく明日は老人になるのですから。

 

   幸福な社会

子供が幸せな社会は幸せだ

誰でも始めは子供なのだから

青年が夢を持てる社会は幸せだ

夢は現実の始まりだから

中年が楽に働ける社会は幸せだ

社会を支える柱だから

老人が幸せな社会は幸せだ

誰でもやがて老人になるのだから

 

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi

* 二十一世紀を楽しく生きよう会

* Human Network for Better 21 Century

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