差出人: Osamu Ichiyoshi [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]

送信日時: 2011116日曜日 0:28

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件名: 二十一世紀企業研究会 ; 善導寺と吉野ヶ里訪問

 

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善導寺訪問

今週は夫婦で福岡に来ています。一昨日は九大百周年記念事業と電気系同窓会に参加し、昨日は久留米の善導寺を訪問しました。山間にある門前町です。お寺も大きなもので沢山のお堂と付随の墓地があります。樹齢900年の巨大な楠三本が真ん中に大きな位置を占めています。ここには一般人の先祖の遺骨を受けて供養を行う事業を行っています。子孫が先祖の位牌を受け継いでいく事は現代社会では困難になりつつあり、引き取り手の無い先祖の遺骨を引き受けて供養をするのは時代の要求に応える事業であると思います。風光明媚なこの地で供養されるのは幸いだろうと思います。それでも7年目には遺骨は散骨されてしまうそうです。

 

吉野ヶ里歴史公園訪問

今日は吉野ヶ里遺跡を訪問しました。約2,000年前の遺跡です。邪馬台国の記述にそっくりです。おそらくここが魏志倭人伝にある邪馬台国だと思いました。古事記に記される東征の記事を思えば九州か近畿かという矛盾はないのではないでしょうか。先遣隊が近畿に攻め入って本拠地を後から大和に移したと考えれば邪馬台国の矛盾は解消するのではないかと思います。

 

今回の訪問で思うこと

吉野ヶ里遺跡を見て既に2000年前にこの地の社会は階級社会に分裂していた事に驚きました。また展示物から分かるのは現在使われているスコップ、フォーク、鍬、斧、包丁、皿、高杯などの土器、葦葺きの家、ねずみ返しのついた高床式倉庫など生活の道具や建築物は既に使われていたことです。稲作に合わせて粟、稗、黍、里芋、南瓜などの野菜も既に栽培されていました。つまり今日でも文明の根幹を成している技術は吉野ヶ里の時代には既に広く使われていました。さらに遡れば既に石器時代に大半の道具の原型は定まっていました。農業の始まりは人類史の一大飛躍ですが、それを開始した人々の名は全く残ってはいません。石器時代の祖先の偉業に比ぶればに今日まで名の残った如何なる個人の業績も微々たるものです。

おそらく吉野ヶ里の支配者達の名はこの地では知らない者は無かったことだと思いますがその名は今日では全く不明です。しかしその時代の人々の業績はおそらく今日の私たちの時代に生きていると思います。人は死後数世代の後にはその存在や名さえも忘れ去られます。しかし各人が成したることは何らかの形で継承されています。このように考えると人の生のはかなさと共に生の尊さ、その業績が継承される人間社会の発展の可能性、遠い祖先と子孫に馳せる思いに圧倒されます。

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      市吉 修                         Osamu Ichiyoshi

二十一世紀を楽しく生きよう会  Human Network for Better 21 Century  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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