樺戸博物館を訪ねて

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To: 2021/11/14 22:42

 

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ょう。

 

樺戸郡月形町にある樺戸博物館を訪ねました。

月形町の町名はここに1881(明治14)にできた樺戸集治監の初代典獄月形潔の名字より採られたもので

す。正にこの町は監獄の設置により始まりました。ここに収容されたのは明治10年の西南の役に到る各

地の士族の反乱者や一般の重犯罪人に加えて後に自由民権運動で反逆の罪を着せられた国事犯も多く収

容されました。完全な人権無視の下に囚人は虐待され、森林伐採等の重労働に酷使され多くが不当に殺

害されました。月形典獄に乞われて看守の剣術指南を四年間務めた元新撰組の長倉新八改め杉村義衛も

その不法に憤った事が津本陽の作品「北の狼」に描かれています。

 

集治監の囚人は北海道の道路開鑿、農地開墾等の外役にも酷使されました。初期の北海道の基盤整備は

囚人労働によって行われたと言っても過言ではありません。

 

樺戸博物館は集治監の本部の建物を利用しています。今回ここに行こうとJRの時刻表を見て計画を立て

ていました。念の為博物館に電話したら最寄りの駅の路線は廃線になった事を知りました。今電車は途

中の北海道医療大学までしか来ないという。路線名も札沼線から学園都市線に変わっていました。鉄道

廃線に代わって石狩当別から路線バスが出ているので今回はそれを利用しました。バスと言っても普通

のバスより一回り小さなバスです。行きも帰りも客は私達の他は一人でした。

 

世の変化というものは大きなものです。樺戸博物館では江戸時代の刑罰、獄門、火あぶり、市中引き回

しなどの絵がありました。近代以前の刑罰は残酷でしたね。歴史時代に戦に負けた者が腹を切って死ん

だのも分かります。明治の諺「勝てば官軍」の通りです。現代社会においてもまだその思想は根強いの

ではないでしょうか。世に言う勝ち組、負け組とか受験競争、出世競争とかはその名残りでしょう。

 

これに対して基本的人権とは無条件に人間が有する固有の権利です。生来の境遇や事業の成功、失敗も

関係ありません。これは原始時代には自明の理でしたが農牧業の始まりと共に生じた社会の階級分裂に

より「勝てば官軍」機構が何千年も続きました。その思想的残骸は今も根強く残り様々な不幸を生じて

います。

 

 

自然法学

人の人たる権利を奪ういかなる権利も人にはあらず

己が事を自ら決める自由とは万人に等しくあり

権利と義務は一つのものの裏と表なり

人権を守るは人の義務なり

 

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+ 市吉 修 

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