自衛隊は国民を守らないのか

                                                                                                                市吉 修

                                                                                                                2007/08/25

 

去る815日、NHKの「日本これから、憲法9条をどうするか」で自衛隊の任務について来栖元防衛庁長官が著書の中で次の考えを示しているとの話が出た。

 

(1)   自衛隊が守るのは国家主権であり、領土である。

(2)   国民を守るのは警察や消防、海上保安庁の仕事であって自衛隊の任務ではない。

 

上の国家主権を国体と呼べばそれはそのまま戦前の軍国主義の考えになる。明治憲法には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇、コレヲ統治ス」とあり、主権は天皇にありと宣言している。軍は天皇を大元帥とする皇軍とされ、政府の統制が効かず、昭和に入って中国における軍の暴走を許す原因になった。国民には選挙権も与えられず、国民は法律においては天皇の「臣民」とされた。歴史は時代に制約されるものとは言え、今から振り返ると国民の権利があまりにも制限されていた。

 

この人権の軽視が大日本帝国の破滅の原因であったと思う。戦争末期に満州から軍人はいち早く軍属を避難させておきながら、軍事機密の理由で国策により満州に移住させた開拓民や一般人には状況を知らせず、ソ連の参戦と終戦の混乱の中に邦人を放置してそのために多くの日本人が山野を逃げ惑い、故国に見捨てられた状況の中で20万人もの邦人が死亡し、多数の同胞の子供が孤児となり、幸運にも中国人に育てられた子供も東洋鬼の子として迫害された。国交回復に到るまでの戦後30年間、日本人の子供に対する救出の努力を日本国は何等行わなかった。

また日本国内においても沖縄は全土が戦場となり、これまた数十万人もの国民が戦争に巻き込まれて死亡した。1945310日の東京大空襲においては二時間で10万人以上が死亡したと言われる。そのため多数の戦争孤児が生じたが、国策として遂行した戦争の結果生じた最もか弱い戦争孤児に対して日本政府は国家としての救済は殆ど何も行わなかった。

自国民に対してすらこのような人権無視の無責任な国や軍隊が外国人に対して人権を尊重する筈が無い。首都南京を占領しても降伏せず奥地に拠点を移して抵抗を続ける中国に対して皇軍は重慶や成都を延べ200回にわたって爆撃を行い、ナチスドイツのゲルニカ攻撃と共に都市の無差別爆撃という歴史のパンドラの箱を開けたのである。日本軍がアジア諸国に与えた被害に対して真摯に謝罪し、できるだけの償いをすること無しには日本全国の大空襲や広島、長崎の原子爆弾の被害について外国を非難する資格は無いと思う。

人命軽視は軍事的にも皇軍の根本的欠陥であった。有名なゼロ戦闘機も装甲を薄くし、機体を軽くすることにより、後続距離と操作性能を上げたのであり、一発弾丸を浴びると簡単に炎上する欠点があった。また撃墜された飛行機は数が報告されただけで乗務員の救出作戦は行われなかった。これに対して米軍の飛行機は装甲が厚く被弾してもなかなか落ちない。また落ちても必ず救出作戦が行われ、パイロットも不時着してから生還する為の装備を身につけていた。私の父の話によると軍隊では「お前たちの価値は一銭五厘である」と言われたそうである。つまり召集令状、通称赤紙のハガキ代で無尽蔵に兵隊が取れるとの単純きわまる発想で国民が動員され、「玉砕」などという貴重な戦力の浪費を重ねて皇軍は弱体化し、中でも熟練飛行士が決定的に不足し、最後は素人同然の速成飛行士を「特攻隊」として多くの若者を無駄死にさせる結果になった。

 

日本国憲法は大日本帝国の失敗の反省の上に成ったものである。これを米国の押し付け憲法と言う人は日本国憲法に署名している吉田茂を始めとする政治家やその作成に努力した我等が先人を愚弄するものである。確かに米国の助言を受け、共同作業により起草したのであるが、最後の帝国議会で審議を重ねた上で採決され、発布された日本国憲法はまさしく、我が国の歴史の上に建設されたものである。それは当時民間で起草された数々の新憲法草案を見れば明らかである。日本国憲法が如何に時代の要求に応え、国の発展に重要な役割を果たしたかは戦後の我が国の奇跡的な復興と発展を振り返れば明らかであろう。

 

ここで再び自衛隊の目的と役割に戻るとその目的と役割は次の通りだと思う。

 

(1)    国家主権とは主権者たる国民の全体であり、自衛隊の目的と役割は国家の主権者たる国民の生命と安全を守ることである。

(2)    警察、消防、海上保安庁の任務は日常生活において国民を守ることであるが、自衛隊の任務は上述の組織では手に負えない大規模な災害に対して国家の組織として国民を守ることである。

 

仮に外国から軍隊が攻めてきたら国を守るのが自衛隊の任務であるのは当然であるが、それだけではない。大地震や台風、旅客機の墜落事故などの非常時に国民の生命と財産を守るのが自衛隊の重要な本来任務である。また海外の平和と復興協力も決して現地で戦争をする事ではない。自衛隊が海外に派遣されるのは現地の紛争当事者間で一応成立した和平の保持と復興を助けることである。和平協定も無い所に自衛隊を派遣してはならず、和平が崩壊するか、あるいは当初の目的が成れば速やかに撤退すべきである。従って自衛隊の備えるべき能力はまず土木技術と補給能力である。本来軍事は土木と補給に尽きる。皇軍の根本的な欠陥は補給能力の欠如であった。日本は米軍の物量に負けたという人がいるが、正にその通りである。鉄砲や大砲を撃つのは誰がやっても大差ない。ビルマやニューギニア、フィリピンにおける戦死者の大半は飢餓や病気で死んだのである。補給Logistics)こそ軍事のすべてであり、敢闘精神ばかり唱えて補給を軽んじた皇軍は軍事のイロハを忘却したのである。

 

米国と英国はアフガニスタンとイラクをほんの数ヶ月で屈服させた。あれから4年がたった今、イラクもアフガニスタンも一旦実現したかに見えた平和は跡形も無く消え、今や内戦状態とも言われる出口の見えない泥沼状態に陥ってしまっている。遠くからミサイルを撃ち込み、高空から爆弾を落とすのは誰でもできるが、実際に現地に進駐して平和を保つ事こそ本来の目的であり、遥かに複雑で困難な事業である。昨日の新聞に依ればアフガニスタンで米軍の爆撃により、英軍兵士三名が即死したそうであるが、現地の一般市民の巻き添え被害は遥かに大きい。空爆による一般人の巻き添え被害は米軍に対する憎しみと敵対者を日々再生産している。イラクにおいて米軍兵士が数千人死ぬと米国議会が大騒ぎしているが、この数年間のイラク市民の死者は数万人に上り、しかも周辺諸国に何百万人もの難民を生じている。イラクでは内戦状態のため人々は仕事もできず、生活が破壊されている。

 

一説によるとイスラエルはアラブ諸国が全部かかっても負けない軍事大国であるそうであるが、たった二人の捕われた兵士の救出を口実に侵攻したレバノンでは多くの人命や財産が破壊され、社会基盤に甚大な災害を与えた上に、形式上一民間団体に過ぎないヒズボラに実質上負けて撤退を余儀なくされた。イスラエル軍は飛行機でレバノンの市街地や発電所を爆撃したり、クラスター爆弾をばら撒まくことはできても地上に侵攻させた自慢の高性能戦車はヒズボラのロケット砲で破壊された。

 

自衛力の整備に当たっては上のことをよく吟味すべきである。即ち十九世紀の帝国主義の歴史的条件(先進国と植民地の絶対的な国力の差、先進国の普通選挙の欠如、国際関係の無秩序、未発達な通信情報網)はとっくに消滅し、今や世界は軍事力では何も解決できない時代になっているのである。平和主義は一つの選択肢では無く、世界の将来はこれしか道が無いのである。これこそ日本国憲法の平和主義であり、憲法9条はこの思想を端的に表現している。

 

日本は外国との戦争を放棄したのであるからその装備は日本国と日本国民の生命と安全を守る必要最小限なものに限定すべきである。財政が殆ど破綻している現状では見かけだけ壮大な戦前の軍隊的発想は一掃しなくてはならない。大、中、小尉に対して一、二,三尉などと戦前の軍隊を引き写したような組織ではなく、全体を士、長、司令の三階層に簡略化し、状況に応じて臨機応変に対応できる柔軟な組織にしなくてはならない。日本国内で戦車戦が展開されることはあり得ない。前記レバノンの例を参考にして一台数億円もかかる戦車を作るよりも対戦車ロケット砲を装備するほうが遥かに安上がりでかつ効果的であろう。衛星通信によって全国何処からでも通信ができ、超音速飛行機で全土を迅速に移動し、宇宙から日本の周辺を常時観察できる今日では専守防衛に徹して安価で効果的な防衛技術を研究開発すべきであろう。平和主義を徹底すれば米国との同盟だけに頼らず、どこから発射されたものであろうと日本の上空を飛ぶミサイルは打ち落とす自衛力を強化するべきであろう。

また現に自衛隊は戦力であるから憲法9条を変えるという本末転倒した論理ではなくて、憲法9条の精神を生かした自衛隊を作るべきであろう。自衛隊を軍と呼べば、軍とは戦争のための組織であるから当然9条に違反する。下士官、将校、左官、将官などという呼び名も軍隊そのものである。そういう呼称と組織を一掃して、真に日本国憲法の国民主権、基本的人権、平和主義の精神に即した自衛隊を造るべきである。私が土木と補給能力を強調するのはそこにある。日本国憲法が「国の交戦権はこれを認めない」と規定しているのは戦前のように外国を侵略して戦争をすることを指しているのである。国権の発動たる戦争は永久にこれを放棄する。国権の発動たる戦争とは日中戦争のように国民に真相を知らせず国家が勝手に始める戦争を指しているのであって、主権者たる国民の自衛権を否定しているのではない。十分な根拠も無しに大量破壊兵器を口実にしてイラク攻撃を始めて今や引くに引けない泥沼に陥ったブッシュ政権のような戦争を日本国憲法は禁じているのである。

日本国憲法の平和主義は貴重な歴史的経験の上に築かれた日本の宝である。この思想を世界に広めることこそ我々日本人のなすべきことだと思う。自衛隊の目的と役割は主権者たる国民を守ることであり、国民から乖離した国家を守ることではない。主権者たる国民は国是たる平和主義についてもっと考え、大いに議論して自衛隊のあり方に関与すべきであると思う。

 

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