差出人: O-ichi [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]

送信日時: 平成 20323日日曜日 2:39

宛先:

件名: 二十一世紀企業研究会

 

配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信または全員へ返信により意見交換をお願いします。

二十一世紀企業研究会とは「人が全国どこでも学び、生涯現役で働ける企業」を提案し研究する会です。研究しながら二十一世紀企業を始めましょう。

 

人間社会のあるべき姿

前回の通信に引き続き人間社会のあるべき姿を考えてみたいと思います。私の考えは次の漢詩にまとめています。

 

学問立国 人間交流 国民共立 産業興隆

独創共学 学問畢生 生涯現役 独立共成

人生多難 命運転変 一生問学 自立開運

学問立世 汎人間網 到所人生 安心立命

 

解説

学問立国

社会の歴史段階を決定するのは生産力である事は昔マルクスの本で学びました。私は更に生産力を決定するのは科学技術の水準と産業の方法であり、つまる所学問であると考えています。

学問と言えば学校や学歴、学位などが連想されますが学問と教育は似て非なるものだと思います。学問は読んで字の如く学びて問う、問うて学ぶ、問うことを学ぶことであり、あくまでも学ぶ当人が主体となります。これに対して教育は教える方が主体となっている言葉です。Educationの訳語としての教育は福沢諭吉が大嫌いな言葉でしたが、いつのまにか定着してしまいました。私は学校教育の重要性を否定するものではありませんが身体的、気質的、経済的その他の理由で学校に行けない人は世界中には数多く存在します。

学問は当人が主体ですから何処に居ても実行できないはずはありません。余りにも有名な発明王トマス・A.エジソン、大統領として南北戦争をも辞さず奴隷解放を実現したアブラハム・リンカーン、蒸気機関車を実用化し息子のロバートと共に鉄道事業の発展に尽くしたジョージ・スティブンソンなどは小学校にすら行けませんでしたが、彼らの人格と業績は人類史の上で燦然と輝いています。

我が国にも明治以前には公的教育は支配階級に限られていましたので民の子は寺子屋、町の私塾や道場などの民間の学門に入るか独学するかしかありませんでした。典型的な例は二宮尊徳です。戦前の小学校には薪を背負って本を読む二宮金次郎の銅像がよく建っていたものですが、働きながら学ぶ、生活の中で学ぶことは学問の本質です。いつかNHKで見た番組で30歳のホームレスの男が進学できなかったので夢を捨てたと語っていましたが、学校教育と学問の混同が引き起こす深刻な悲劇を見た思いがしました。

私は諸般の理由で学校に行けない人が働きながら学問を続けて、お金と知識を貯めて大学に進学したり、資格を取ったり、事業を興す手伝いをしたいと思います。既に自分の専門分野の学問資料は自主問学会のページに公開していますが、他の分野

の専門の方々とリンクを張ってインターネットの上にあらゆる分野の問学の園を提供したいと思います。皆様のご協力をお願いします。

 

人間交流

学問は対話と人間交流の中で発展しますが、仕事や産業についても全く同様です。今日のインターネット、直接衛星放送、交通物流網を駆使すれば人間交流を実践する事は極めて容易になっています。これこそ二十一世紀の特長であると考えています。

 

国民共立

資本主義社会の一大発明である株式会社は人がお金を出し合って大きな資本を形成し企業を起こすのに実に強力な仕組みでした。資本主義社会においては金が元手であり、生産手段を支配する者が物神(お金)を通じて「民主的に」政治を支配し、劣悪な環境の下で労働力以外には売るものを持たない無産者を酷使する弊害が目立っていました。社会の格差が広がり階級意識が先鋭化して共産主義思想が生まれました。共産主義思想は生産手段の社会的共有が資本主義の矛盾を解決すると考え、封建社会の打破には進歩的役割を果たした有産階級が政治の支配権を握ると社会の発展を阻害する社会の桎梏と化した資本主義の破壊、即ち革命を目指して活動しました。これは資本家から見たら私有財産の強奪に他ならず、世界の各地で血みどろの闘争を引き起こしました。ソ連においては1918年のロシア革命以来80年の長きにわたって共産主義社会が持続しましたが二十世紀の末に結局は崩壊しました。

それは何故でしょうか。私が思うには社会を発展させる原動力はそそり立つ本社ビルや広大な大工場、多数の労働者などの目立つ生産手段などではなく、実は目には見えない学問の力だからです。PCを今日の日用品にまで普及させた一つの画期的な出来事はMSDOSによる圧倒的なOSの独占ですが、まだ童顔のBill Gates等が巨人IBMのPCに独占的にOSを提供する契約を結んだことは当時の世間には全く目立たない事件でした。実際画期的であればあるほど発明は目立たず、事業化は困難で発明者が不遇な一生を送る事は多々あることです。

資本に劣らず産業の本をなすのは知識であると思います。インターネットによる人間交流が容易になった現在ではいわば資本主義から知本主義への発展が起こっているのではないでしょうか。

知本主義時代に適した形式の企業は仕事人連合であると考えています。其れが法人格を持つと企業組合となります。企業組合の成員は個人ですが個人の資格で会社等の法人も加入できます。私は遂行団方式分散型企業組合が現代に最もよく適合した企業形態ではないかと考えています。

詳細については二十一世紀企業研究会のページをご覧下さい。

 

産業興隆

二十一世紀の現在以下のような産業社会が実現しうると考えています。

 

地理的分散と網的結合

遂行団方式の仕事のやり方は各地の地域密着の営業主幹と全国の専門家を結ぶ実行主幹が遂行団を結成してお客に事業を提供する方式です。そのための通信手段としてはインターネット、設計手段としてはPC、製造手段としては内外の製造専門企業を使用します。この方式の事業は人が全国何処にでも住みながら全国を舞台に仕事をすることを可能にするものです。昔から芸術家はどこにでも住む事ができ、芸は身を助くという諺がありますが今や他の職業人も好きな所に住みながら、必要な所でかつ生涯現役で働く物理的条件は整っています。

 

地産地消費と地域の自立

人口が地理的に分散すると東京一極集中と地方の過疎高齢化問題が同時に解決できます。高齢化した農家は農地を、農機の所有者は機械を、都会のフリータやホームレス等の無産者は労力を提供して農林業を活性化する事ができます。農家は共同で駅前シャッター通りの空き店舗を借りて、その朝畑から収穫した農産物を出品し、交代で店番をすれば消費者も安心して食材を買うことができます。同様の方式を林業にも適用すれば地産地消費が進み、地域の独立性が高まると思います。日本各地が自立して食糧、木材、燃料を自給することは日本が自立することであり、世界の食料の逼迫状況を緩和できることです。

明治維新までは4,000万近くの日本人が厳しい鎖国の中で生存して来たのですから当時の何百倍にも向上した今日の生産力を用いれば一次産品にも余剰を生じ、輸出や援助が出来るようにならないはずがないという気がします。

前述の遂行団方式分散型仕事人連合方式の企業が定着すれば半農半X,即ち人が田舎に住んで半分は農業をしながら半分は他の仕事をすることも普通になると思います。これは食料、木材、燃料の自給と同時に農業以外の分野でも海外企業との競争に負けない強い産業の発展を同時に実現できる道であると考えています。

 

強い社会と直接民主制

地産地消費、人口分散、自立した地域はスイスに似た強い社会になると思います。強いというのは外国を侵略することではありません。スイスは歴史を通じて外部に対する帝国主義とは無縁でしたが、内部においてはカントンや都市の関係は弱肉強食であったのは他の世界と変わりありません。しかし外国に攻め込まれると大同団結して必ず撃退しました。険しい山々は侵略軍が決して征服することの出来ない地理的条件となり、いわばロシアの冬将軍に対比して言えば山将軍が常にスイスを守ってくれました。スイスのもう一つの特長はLands Gemeindeと呼ばれる地域の直接民主制です。地域の独立性が高いからこそ言語も異なる多数の民族がスイスという一つの連邦国家を維持していけるわけです。私たちは去年スイスを旅行しましたが首都ベルンの国会議事堂の周りは市民広場になっています。日本の国会議事堂の周りの革命でも起きたのかしらと疑うばかりの物々しい警戒ぶりとは際立った違いです。

今日のインターネットと直接衛星放送を結合した直接衛星LANは全国国民会議も可能な通信網であり、先ず現在の間接民主制に対する国民の監視の強化を経て参加型の政治に進歩し、やがては直接民主制に進化すると考えています。現在道州制の議論が盛んですが、直接衛星LANを駆使した直接民主制が可能な時代に決定機関までの手続き距離が現在の何倍にも伸びる道州制は時代に逆行していると思います。住民の生活に密着した市町村とそのゆるい結合体としての県とその更にゆるい結合体としての国で十分だと思います。直接民主制の主体は民であり、畢竟個人です。昔は全国に号令するのは天皇か将軍しか出来ませんでしたが、直接衛星LANを用いれば個人でも全国に放送ができます。この技術の進歩が新たな歴史段階の直接民主制を可能にするものです。

実は直接衛星LANを緊急に普及させたい地域はアフガニスタン、イラク、スリランカその他の紛争地域です。紛争の原因は国家権力の奪い合いであり、文明の発生以来の古い争いです。その特徴は生きるか死ぬかの争いであり日本の戦国時代と似たようなものです。敵同士では話もしないから敵がますます恐ろしくなり、軍備競争に果てしがありません。もしも直接衛星LANで何処からでも全国に放送や議論ができたら相互の恐怖が減り、敵さんの言うことにも一理はあることが分かれば自ずと殺し合いは無くなり、この間住民の政治参加が強まれば直接民主制がいつの間にか確立することもありえます。直接民主制が確立すれば戦争はまずありません。国家が国民を支配する間接民主制段階では国が発した召集令状を受けると拒絶する事は極めて困難です。直接民主制が確立すれば窮屈な階級社会の中で自由を拘束され、上官の命令に服従して、自分の命を危険に曝し、しかも敵とは言え自分には何の恨みも無い人間を殺す戦争に誰が行くでしょうか。世界各国に直接民主制が確立すれば史上初めて戦争が不可能になり軍隊が不要となる新たな歴史の段階に進化すると考えます。

自立した地方からなる国は自然災害に対しても強いと思います。新型インフルエンザが一旦発生すれば現在の東京、大阪、名古屋を始めとする大都市圏は隔離が不可能ですのでその被害は甚大なものになりますが人口が地理的に分散し、自立性の高い地方から成る国はそのような疫病に対して抵抗力があるのは明らかです。

 

学問立世 汎人間網 到所人生 安心立命

上の社会の実現の原動力は学問です。学問とは誰でも参加できる人間網に他なりません。

    学問とは

学問は人と人との対話に成る

人は自己との対話で思考す

一人の経験は学問を通じて

万人の知識となる

思考で深まり、対話で広がる

学問は人の自立の基なり

 

松尾芭蕉は自分の足でてくてく歩いて北は奥州から北陸を経て畿内まで大旅行をしましたが、それができたのは各地に俳諧の門人がいて行く先々で大歓迎してくれたからです。不幸にして旅の途中で芭蕉は病に倒れ、門人達に見守られて亡くなりました。その辞世の句は

旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる

 

私たちは芭蕉のころとは比較にならない高度に発達した科学技術と情報通信網及び

交通網をもっています。それに人間網を加えれば学問、仕事、政治の上で数段進んだ段階の歴史社会の実現が可能であると思います。

松尾芭蕉の辞世の句を借りて今後の発展の可能性を表現すると次のようになります。

 

旅に生きて夢は世界をかけめぐる

 

 

**********************************************

*  市吉 修   

*  二十一世紀を楽しく生きよう会

*  e-mail;   osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp

* URL;    http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

*  TEL/Fax;    042-761-7318

**********************************************