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送信日時: 2011724日曜日 0:03

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件名: 二十一世紀企業研究会 ;NHKヒューマンドキュメンタリー「18歳の選択」に思う

 

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昨日のNHK human documentary

重病を背負った18歳の女の子が更に腎臓炎を患い週二回人口透析のため病院に行くのを嫌って在宅で家族と共に暮らす事を選択し、全身にむくみが来た上に衰弱して亡くなりました。つい最近の事です。この番組を見た方も多いと思いますが詳細は下記URLをご覧下さい。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2011-07-22&ch=21&eid=415

 

皆様はこの番組を見てどう思われましたか。私は以下の点で違和感を覚えました。

 

[1]Informed Consentのはき違え

確かに医師は腎不全の状況について本人と家族に説明しました。週2回の人工透析を受けないと病状が悪化して死ぬ事があると。その説明を聞いた上で女の子は延命処置を取らない事を選択しました。両親の説得にも関わらず病状が悪化しても女の子の決意が揺らぐ事は無かったようです。

しかし私はここで女の子に選択肢を与えた事が間違いだったという気がします。人工透析を受けさせて可能な限り長く生きさせるべきであったと思います。尊厳死の選択権は本人にある事は納得できない事も無いのですが彼女は日常生活はちゃんとできていたので尊厳死にはあたらないと思います。医学の基本は命の尊重でありできる限り長生きさせる事だと思います。

 

[2]自己責任の社会的無責任

自己責任の絶対化は自殺の賛美につながります。このドキュメンタリーが美化されるとどんな社会になるでしょうか。高齢化社会では年金生活者が急増し三十年前は20人で一人の老人を支えていたのが今や二人で一人を支える状況になった。やがて一人で二人を支える頃には老人の自殺が賛美される事につながりかねません。自己責任とは社会的無責任に他なりません。今から思えばぞっとするような戦争末期の神風特攻隊も形の上では志願でしたが実質は強制でした。そして特攻隊員は「軍神」などと大げさに賛美されました。

 

[3]極限の社会的無責任

如何に貧しかったとは言え日本の各地に残る姥捨ての伝説や江戸時代に実際にあった間引きは本人の権利を踏みにじった社会的無責任の極限の形でしょう。ナチスドイツでは身体障害者は軍国のお荷物だとして人為的に抹殺されました。ユダヤ人根絶やし政策の前にナチスは自国民を抹殺していたわけです。自己責任の社会的無責任から極限の社会的無責任までは大した違いはありません。形は違いますが実態は同様だと思います。

 

[5]個人を最後まで活かす社会

こそ万人が安心できる社会ではないでしょうか。身体障害者や老人が如何に税金を使おうとも最後まで楽しく生きられる社会の実現が万人の理想だと思います。なぜなら人は誰でも何時かは老人になりますし、病気や事故でいつ身体障害者にならないとも限らないからです。

 

以上の思想を下記の詩に表現しました。

 

   世にある限り

死後の世界を人は知りえず

世にある限りこの世を知るべし

死が無かりせば、生は無限に

苦しからむ、終わりが無ければ

生がありて死があるごとく

死がありて生があるなり

人の世にある、如何に短き

世にある限りこの世を生きるべし

 

市吉 修