選択的夫婦別姓の一案
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2025/06/29 23:02
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少子化の流れが止まりません。去年の日本の出生数は約68万人で予測より15年速く少子化が進行して
いるそうです。原因は主に結婚人口の減少です。何故人は結婚しなくなったのか。その一つの原因は結
婚と共に姓を変える事に対する抵抗があるのではないでしょうか。
幼時より使って来た名前はその人の一部のようなものでしょう。結婚と共に姓を変えるのは自分の一部
を亡くしたような感覚があるのも無理はありません。そこで次の選択的夫婦別姓と子供の命名法につい
て提案します。
(1) 結婚しても夫婦はそれぞれそれまでの姓を使い続ける。
(2) 子供の姓名についてはは夫婦が相談して姓と名を決める。
例えば田中さんと鈴木さんが結婚して子供ができたら姓は田中・鈴木もしくはそれぞれの一文字を
取って
鈴中、木田、中木、田鈴などの姓をつける。
自民党は家族の一体性を理由に選択的夫婦別姓に反対しています。
私はその家族の一体性こそ種々の家族の歪みの原因だと思います。現制度では結婚したら大抵女が男の
姓を名のりますが、ここでまず一つの喪失感が生じます。その反動で家族の一体義務感が過度になると
親が子どもを自分の持ち物でもあるかのように勘違いして干渉の度が過ぎて様々な家族関係の病状が出
てきます。
自民党はその憲法改正案で「社会の基礎は家族である」という規定を入れて家族制度を復活強化しよう
としていますが、私は反対です。そのような家族制度こそ諸悪の根源だと私は考えます。
大日本帝国と日本国は国が起こした戦争の最大の被害者である戦争孤児を全く見捨てました。まともな
調査すらしていません。国会で追及されると政府の答弁は「親類に引き取られた」あるいは「一般的な
社会福祉により救済する」。誠に小役人とは口はうまいがその実は残酷なものです。戦争で破壊され尽く
した当時の日本の第一の問題は食糧難でした。戦争孤児を押し付けられた親戚の家で孤児たちは厄介者
扱いされ、親戚の間をたらい回しされ、引き取られたとされる家でも下男下女扱いされて酷使され、学
校にも行かせてもらえなかった孤児も沢山いました。たまりかねて脱走すれば浮浪児となり、東京上野
駅は多勢の戦争孤児が夜を過ごすうちに餓死、凍死した孤児もたくさん居ました。野坂昭如の「火垂る
の墓」を思うだに私は煮えたぎるものを感じます。
戦前の家族主義は天皇家が日本の中心であり、子供は天皇の赤子であると教えました。天皇家には姓は
ありません。皇室を離れる時に姓を与えて一般人にするわけです。この日本版国家家族主義が真っ赤な
嘘であった事は上述の戦争孤児の扱いに歴史的な汚点として永遠に残っています。
家族主義のもう一つの弊害は家族に障碍を持った子が生まれたり、家族が重い病気にかかった時に直に
現れます。障碍を持った子の世話で親は、病気になった親の世話で子供は人生の可能性を奪われる事態
も起こります。
障碍を持った子の親は自分の死後この子の面倒を誰が見てくれるのか不安でたまりません。反対に病気
の親の介護をする子供が教育に支障を来しているのは大きな社会的損失です。
私の考えは「社会の基礎は個人である」とする個人主義です。これは日本国憲法の基本理念であると思
います。教育基本法では「子供は個人として尊重される」と宣言されています。
日本の歴史を振り返ると家族主義は支配階級の、個人主義は被支配階級の思想であったと思います。大
和朝廷は天皇家を担ぐ諸豪族の連合政権でした。そこでは「家」が各人の属する社会であり、正に家族
主義です。曽我、物部、大伴、葛城等の古代の豪族から、源氏、平家、織田、豊臣、徳川まで日本の
支配者とは特定の家族でした。当然結婚は個人よりも家と家の結合であり、誠にややこしいものでした。
江戸時代の江戸の庶民は個人本位で姓も無いので結婚は気楽なものでした。同時に離婚もまたよくある
事でした。今のようにバツイチなどというけち臭い考えもありません。男と女が好きあうと一緒になり、
嫌いになるとそれぞれの持ち物を持って別れることが当たり前でした。貧しい代わりに自由でした。
また支配階級にあっても結婚と離婚は今より自由な考え方をしていたと思います。徳川秀忠の正室、お
江の方は豊臣秀吉の政略で三度も結婚させられましたが、どうやらこの夫婦はかかあ天下の傾向があっ
たようです。あるいはとても夫婦中が良かった。当時の大名では当たり前であった側室を秀忠は持ちま
せんでした。
家が大事なので養子を取るのも真剣でしたね。上杉鷹山も養子です。現代でも湯川秀樹、貝塚茂樹、佐
藤栄作、岸、安倍など学者や政治家の家では優秀な子を養子にしている例があります。
大石蔵之助は討ち入り決行の前に妻と下の子を離縁しています。上の子、力だけを計画に参画させまし
た。ここで離縁とは討ち入りの罪が家族に及ばないようにするための手段でした。これこそ個人の尊重
ですね。
個人主義こそ本当の家族主義だと思います。原始時代には平均寿命が短かったので孤児になる事が多か
ったと思いますが、孤児は皆で育てました。その名残は日本の家族の呼び方、ちち、はは、ぢぢ、ばば、
をぢ、をばにあらわれています。今でも我々は知らない他所の人でも「おじさん」、「おばさん」と呼ん
で居ます。これは日本の原始時代以来の汎個人主義の現れだと私は思います。
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+ 市吉 修
+ 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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