幼児虐待防止の鍵は地域社会の活性化
osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp
To: 2021/09/24 23:01
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今週は胸糞が悪くて
寝つきが良くありませんでした。言うまでも無く大阪摂津市での幼児虐待死事件です。熱湯をかけて全
身やけどをさせて殺すという非人間的な行いにぞっとしました。しかもいつものパターンです。幼児の
ある若い一人母が若い(23歳)の男と同居し、その男が幼児を日常的に虐待して遂に殺すパターンです。
その男が無職というのもいつものパターンですね。この事件に関する解説記事が下記URLにありました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamawakiyukiko/20210924-00259828
この解説記事の要点(引用)
摂津市のマンションで交際相手の女性の長男、新村桜利斗(にいむらおりと)ちゃん(3)に熱湯をかけ
て火傷をおわせ殺害した疑いで、22日当時、同居していた無職の松原 拓海容疑者(23)が殺害容疑
で逮捕されました。---------
児童相談所の対応は?
まず一部報道によると、摂津市には、母親と桜利斗ちゃんが転居した時に、リスクのある家庭として
前の居住地からの引継ぎを受けていたとの事です。----------
そして6月には「このままでは(桜利斗ちゃんが)殺されてしまう」と複数の母親の知人が摂津市に相
談していたとのことです。そして一部報道によれば、母親は知人に松原容疑者の桜利斗ちゃんへの暴力
を知人に話しており、日常的だった、という話を知人は聞いていたそうです。------------
繰り返されてきた失敗をなぜ生かせないのか
(市は)傷・あざがないから緊急性はないと判断した。
市は児童相談所に報告はしたけれど、保護は求めなかったそうです。市は、早急な保護を依頼すべき
でした。そして何より問題なのは、桜利斗ちゃんから直接話を聞くべきだった、ということです。
児童相談所が抱える課題を解決するには
何度も繰り返されている児童虐待による子どもの死。今までも書いてきましたが、やはり児童相談所
の職員が地方自治体の職員の単なる移動先の一つでしかなく、児童虐待に関わりたいとは思っていない
職員、知識も経験もない職員に任せているから間違った判断が繰り返されてしまうのだと思います。児
童相談所で働きたい、児童虐待に関わりたい、という人間を採用する、そして1年以上をかけて児童虐
待の専門家を育成する、ということが私は必要だと思っています。本来ならば、私は自治体に任せるの
ではなく、国がやるべきだと思っています。---------------
子どもを救うために私たちができること
児童虐待が繰り返されない為に、私たちは虐待されているかも、という子どもを見かけたら、身近に
そういう子がいたら、市や児童相談所への相談、189への通告をする、という事はやるべきことですが、
それ以外にも110番するというのも子どもを救う手段です。
(引用終わり)
私が感じる嫌悪感はこれらの犯罪者の非人間性です。野生のライオンはメスを中心とする集団(pride)で
生きています。集団は一頭のオスが君臨しそれが集団のすべての子の父親です。問題は集団のオスが放
浪している他のオスに集団を乗っ取られた時です。この時前のオスの子は新たなボスに殺されてしまい
ます。
同じ事が野生の熊についても言えます。子熊を連れた母熊に遭遇したオス熊はメス熊と交尾をするため
に子熊を殺すのです。それでも子を守るために母熊はオス熊に対して戦いますが、オス熊による子殺し
は野生の熊の死亡原因の大半だそうです。
幼児を虐待し遂に死に到らしめる犯罪者の獣性がたまらなく嫌ですね。私達は双子の孫育て支援にもう4
年近く大半の時間を札幌で暮らし一歳の時からの子供と共に成長して子育ての喜びを知っているだけに
虐待される幼児が哀れでなりません。
幼児虐待をする者は人間ではない。
ここで私の定義する人間とは知性と人間性を備えた人です。知性と人間性についての私の定義は
知性とは
あらゆる事に目を向けて
万物の理を究むる力なり
人間性とは
他人の位置に身を置きて
我が事の如く思う事なり
即ち思いやりこそ人間の知性と人間性であり、犯罪者にはそれが欠けていると思います。彼らの心は無
知に閉ざされその貧弱な心にあるのは自己の快楽の追求のみです。
地域社会の活性化
児童相談所があまり当てにできないとしたら地域社会の活性化が解決の道だと思います。明治維新以前
の日本の農村は庄屋や肝煎り、村役人等に指導される共同体でした。年貢も個々の農民ではなく村単位
で課されました。季節の祭りや農作業など年の共同行事も多かったですね。領主の搾取がひどすぎると
一揆を起こす力もありました。村には若者宿や娘宿があり子供は合宿しながら年長者から色々な事を教
わりました。村の問題を話し合い貧しい中でも相互扶助を行う仕組みがありました。
都会では落語に出てくる大家さんを中心とする長屋や町役人に指導される町共同体ですね。
明治維新によって村落共同体は解体されました。地租改正によってによって年貢は共同体ではなく個人
が納めるものに変わりました。また学制により教育は学校の専有物に変わりました。
それでも私が子供のころ(70年前)はまだ農村には結いという制度が残っており、村祭りや農作業、家の
普請などで相互に助け合ったものです。それらの行事は子供にはとても楽しみなものでした。
今日では地域共同体は崩壊して人はバラバラです。困った時に助けてくれるものはいません。幼児虐待
を行う者はとりわけ近所付き合いを避けて孤立しています。以上の理由から私は幼児虐待問題の解決の
鍵は地域社会の活性化であると考えています。米国に比べて日本は里親が少な過ぎるのはおそらく昔の
家族主義の弊害の反映だと思いますが、真の民主社会の本質は個人の尊重であり寄る辺のない幼児を育
てる里親がもっと育って欲しいと思います。
学校の縮小と地域社会の拡大
学校の先生が忙しすぎるとよく聞きます。その原因は子供の教育以外に生活やクラブ活動の指導がある
と思います。私はクラブ活動等は学校から切り離して地域活動として行うのが良いと考えます。学校制
度は上述の地域共同体の崩壊の大きな要因でした。大半の人は小学校止まりで金持ちの子だけが中学校
に進学できました。その社会的分断は今日ではより深刻ではないでしょうか。学校はクラブ活動や有名
大学への合格者数を競い、本来の教育が歪められています。毎年甲子園に出て来るのは聞きなれた学校
ばかりであり、それらは全国から有望な子を集めて特別に練習させる言わばプロ集団と言っても過言で
はありません。有名大学への合格者数などは学問的には何の意味もありません。教育は過熱する一方で
学会会員の減少に見られるように学問は衰退しています。私は日本の弱点は教育の過剰と学問の貧困に
あると主張しています。これを逆にすべきです。
地域社会が活性化すれば人の孤立が解消され幼児虐待も減少すると思います。各地の子供食堂、託幼老
所をもっと増やしたいですね。地域のクラブチームで運動や音楽、美術、農業、探検、旅行、研究活動
等を盛んにしたいものです。甲子園野球は学校よりも地域のクラブteamの大会にするのはどうでしょう
か。そのために私達年金生活者は大きな役割を果たせると思います。何しろ生存者の中で最長の経験と
知識を持っているのですからそれを活かさない手はありません。職場の束縛も無いのですから最も自由
な立場で活動できると思います。
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+ 市吉 修
+ 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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