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送信日時: 平成 21412日日曜日 2:48

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件名: 二十一世紀企業研究会

 

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二十一世紀企業研究会とは「人が全国どこでも学び、生涯現役で働ける企業」を提案し研究する会です。研究しながら二十一世紀企業を始めましょう。

 

新宿界隈

4/1から通勤している職場は新宿駅南口の甲州街道の直ぐ近くにあります。先週の昼休みに地区の図書館に行って見ました。甲州街道からちょっと入ると住宅地区に狭い道がくねくねと続いておりそこだけ切り出せば地方の町と大して変わりません。田舎町ではよく大通りから見ると鉄筋の大建築物に見えるが裏から見ると木造の家だという店がありますが大都会というものはそれを何倍にも拡大しただけで本質的には似たようなものです。つまり見てくれは良くても中身は大した事はない様です。私の勤務している事務所は33階のビルの18階にあり、出入りはカードでドアのロックが自動的に開閉されますが地震の時の揺れや停電時のロックの動作などが気になります。新型インフルエンザが流行すれば混雑した新宿では忽ち蔓延して手がつけられなくなると思います。

 

無理に元気になる必要は無い。

これは先日の千葉県知事選挙を見て作家の村上龍氏が言った事ですが私も同感です。元テレビドラマ俳優の森田健作氏が千葉県を日本一の県にすると叫んで知事に選出されました。日本一になるとはどういう事か私には分かりません。映画俳優や流行作家それに流行学者などが政治家に選出される例が増えて来ました。今や政治もまた人気商売になってしまっているようです。百年に一度の大不況とある米人経済学者が言うとそれを免罪符にして麻生内閣は59兆円の効果があると称する財政支出15兆円の補正予算を組み、赤字国債10兆円を発行するそうです。経済のプロを自認する麻生総理の得意げな写真が新聞の紙面を賑わせていますが、財政再建については全く考慮されていないようです。年間GDPを2%押し上げる効果があるそうですが過去の経験からも財政支出以上に累積赤字が積み上がる結果に終わると思います。

 

現在は本当に不況か。

失業や身体障害、病気で働けない人、母子家庭、父子家庭、老老介護で苦労している人には生活の支援をし、貧困家庭の子供には奨学金を出して十分な教育を受けさせ、日本国憲法の保障する「健康で文化的な生活」を得る環境を国民に提供する事が政治の第一の仕事であると思います。そこがないがしろにされている事が現在の社会問題の根であると思います。そこさえ手厚くすれば現在は不況というほどの不況でもないと思います。つい去年まで日本では戦後最長と言われた好景気、米国ではNew economyと言われ20年間も続いた経済成長、金融工学と称する手法で推進された金融バブルこそ異常だったのではないでしょうか。過労死や燃え尽き現象と言われるほどの度外れの長時間労働、経済成長を確保するためと称してバカの一つ覚えで繰り返した財政政策の結果積み上がった800兆円もの累積財政赤字、食料自給率が四割以下に落ちると同時に進行して来たひとつの県の面積にも匹敵する耕作放棄地の累積、毎年3万人を越える自殺者の存在こそ異常ではないでしょうか。不況で一時帰休やWork sharingが行われ収入は減っても自由時間が増える今こそ正常だと私は思います。今日のNHK日曜討論で聞くと不況で平均年収が120万円減ったそうですが、それでも絶対額は700万円以上はあると思います。数ヶ月前に地方公務員の平均年収が800万円という事を聞いた事がありますので。それで生活が苦しいならばそれは生活様式がどこか間違っているのではないでしょうか。会社員は職場を5時に退社し、農民は夕方には仕事を終えて夜8時頃には家で家族揃って夕食を食べるのが正常だと思います。「茶の間」や「ちゃぶ台」、「家庭団欒」は今や死語になりましたがそれは取りも直さず我々日本人が失ったものを示していると思います。つい40年前の生活を考えると不況と言われる現在は正常な生活に戻る一つの機会ではないかと思います。

 

学問を復活しよう

幕末に財政破綻した村を幾つも再生させた二宮尊徳、史上初めて機械による実用的な動力を実現したJ.Watt, それを応用した鉄道を開発して世界を変えたG.Stevenson父子、電磁誘導の発見により電磁気学を創始したM.Faraday, 数々の発明と事業化によって電気産業を創出したT..A.Edison, 米国の鉄鋼業を興隆せしめたA.Canegie, 自動車産業を興したH.Ford, 日本の戦後の経済成長を実現した松下幸之助、豊田佐吉、本田宗一郎、偉人伝の代表格のA.Lincoln等々、身分制社会や貧困のため殆ど学校教育も受けられなかった上述の偉人たちこそ本当の学問を体得していたように思います。学校教育の重要性は論を待ちませんが同時に人間を型にはめて小さくする一面がある事は否めません。世界でも教育先進国を自認する我が国は特に教育による人間の矮小化が甚だしいという感じがします。例えば理系か文系かなどという言葉は日本語にしか無いのではないでしょうか。英語でscience manとかliterary manとか言えば日本語のような限定的な感じは無くて専門知識の深い人というほめ言葉になると思います。日本では文系と言えば数学が苦手、理系と言えば教養が無いという否定的な感じを伴いますがそれは高校の大学受験教育から来た日本独特の語感であると共に人間を矮小化している一面を示していると思います。米国の大学では主専攻と副専攻を取れるのは幅の広い人間を養成する事を目的とする教育思想から来ていると思います。また年二、三、四学期制にすれば入学の機会が増えて受験勉強の弊害は是正されると思いますが日本の大学は何でも米国の真似をする割には自己の身分に係わる恐れのある制度の改革は全くしませんね。活動を拘束すると同時に身分を保障してくれる文部省の方ばかり見ています。欧米のように自然発生した大学と異なり、明治になって欧米に追いつけとの国策から国家が創設した日本の大学は何時まで経っても官僚機構の性格を脱する事は出来ないと感じています。

そこで大学よりも学会を拠点とした学問勃興を提案します。学会は学歴と誤記された学校歴は無関係で直に実力がぶつかると共に、研究会を通じて同学の士としての友情も育ち、身分に関わらず働きながら生涯活動を続けることができます。いわゆる学歴が役に立つのは就職活動の時だけで働き出したら肩書きは何の役にも立たず、直に実力が試されます。野球ではテスト生として南海電鉄球団に入団して偉大なバッターにして捕手として大成し、今は楽天イーグルズの監督として目下首位を驀進している野村克也氏のような人もいればドラフト一位、契約金一億円で期待されて入団したのに結局ものにならなかった選手も沢山います。大相撲は誰にでも土俵に上がるチャンスがあるもっと徹底した実力の世界ですが中学を出て直ぐに入門し一番下からたたき上げて横綱にまで上り詰めた人も何人もいます。学問の世界では相撲の土俵に当たるのは学会の研究会や研究論文であり相撲協会に当たるのは同じく社団法人である学会です。大学の博士号に当たるのは相撲では横綱ですが、博士号と異なり綱を張るには実力の裏づけが必要であり、その実力が無くなれば横綱には引退しかありません。安倍内閣の所謂教育改革で学校教師の免許は10年の有効期限がつけられましたが、博士号についてはそんな制約はありません。要は単なる称号に過ぎないものに過ぎないものになっていると思います。大学教授を博士に限定する結果大学のレベルそのものが低下するのは避けられないと思います。大学が閉鎖的なものに止まるのであれば大学ではなくて学会を拠点に学問を勃興しましょう。適当な学会が無ければ自分で作る事も出来ます。現在ではインターネットという万人に開かれた情報交換の手段があり、その中に設置するHome Pageがその道の学問の拠点になり得ます。二十一世紀には二十一世紀の学問の道が開けています。

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*  市吉 修   

*  二十一世紀を楽しく生きよう会

* URL; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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