差出人: OsI [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2016年8月14日日曜日 21:59
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件名: 8.13集会報告と国家の責任について
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8.13集会報告
日本国に見捨てられた戦争孤児が国の責任を問うて起こした裁判は「戦争孤児と国の間には雇用関係が無かった」
との理由で国に補償の義務は無いとして原告の敗訴に終わりました。国民の大半に選挙権も無かった大日本帝国
が起こした戦争の結果両親を失った戦争孤児を養育する義務はその後継者たる日本国にあるのは明らかです。まし
てや戦争中は「子供は天皇の赤子」と宣伝していたのですから日本国の無作為は如何なる詐欺氏にも勝る犯罪
行為ではないでしょうか。法とは何も紙に書かれたものばかりではなくその基礎には自然の人道、社会の道徳が
あるべきですが日本の司法は単に「関連法が無いから何とも言えない」という事のようです。
そこで関連法、戦争被害者援護法(仮称)を制定しようというのが今回の集会の趣旨です。全国各地から約300人の
人々が集まりました。国会では政党を超えた議員団が結成され活動しています。
「へりマネー」よぎる悪夢
日銀に国債大量売却、、預金紙切れに」「禁じ手、再び待望論」という題で8/11東京新聞がへりマネーについて
報道していました。ヘリコプターマネーとは消費刺激の方法として米国のM.Freedmanが1969年に提案したものだ
そうです。現在1000兆円、即ちGDPの二倍を越える累積財政赤字を抱える日本において景気刺激策として主張
するグループがあるそうですが既にアベノミクスはまさにそれをやっています。「異次元の(?)金融緩和」で日本銀行
は市中銀行から国債を大量に買い付けて資金供給量を増やした積りがその金の大半は各銀行の日本銀行口座に
積みあがっているだけで市中には出ていません。そこで日本銀行はマイナス金利なるものを導入しましたがそれは
市中銀行の経営を圧迫るだけの結果に終わっています。どうも論者が主張するへりマネーなるものは政府が国債を
発行して日本銀行が直接それを引き受け政府がその金で事業をやるというもののようです。そうなれば日本銀行の
独立性は完全に失われ単にお札を刷るだけの行政の一部と化す事になります。円に対する信用は無くなり、お金
は紙切れに化し、すさまじいインフレが起こって銀行預金の財産価値は無に帰してしまいます。これは現実に70年
前に日本で起こったことです。預金封鎖と新円切り替えによって日本国は戦争孤児にたいする責任を放棄したばか
りでなく一般国民に対する債務もあっさり放棄しました。
定年退職者の大半はおそらく銀行預金として財産を持つていると思います。国民の預金を取り上げれば一挙に累
積財政赤字は解消できるでしょうがそんな無法な事はできないのでへりマネーという姑息な手段を取ろうという狙い
があるのかも知れません。何れにしろ国民の財産を奪って累積財政赤字を解消しようというのは国家による最悪の
犯罪ではないでしょうか。
日本銀行の責任は円の価値を守る事
であるべきです。2%のインフレ目標なるものはそもそも無意味だと思います。物の価格は不断の製造技術の改善に
より下がるのが当然です。物価は下がりながらGDPは増大するのが真の経済成長でしょう。既に成熟した日本経済
においてGDPの増大を目指す事自体が間違いかも知れません。GDPは増えなくても生産、流通、販売における
コスト削減によって国民の所得は増大し得ます。所得分配の公平化によって最も消費が増大し経済が伸びるのは明ら
かです。アベノミクスと首相側近の経済学は根本的に誤りではないでしょうか。
戦争放棄は日本政府の提案
「9条は幣原首相が提案」、「マッカーサー書簡に明記」という題で8/12東京新聞に出ました。1958年12月10日
に高柳賢三憲法調査会長がマッカーサーに問い合わせた手紙に対してマッカーサー元GHQ最高司令官が返し
た12月15日の書簡で「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は幣原首相が行ったのです。提案に
驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、首相は明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました。」とある
そうです。
自民党は日本国憲法をGHQによる押し付けであるとして「憲法を取り戻す」などと称して高校生の作文のような
憲法改正案を公表していますが今回の発見で明らかになった事実はそれが自民党案の数ある誤りの中でも最たる
ものである事を示しています。
現在の政府の無責任は国民の責任
先の戦争と戦後の日本政府の行動には無知と無責任なものが多いですね。戦前は国民に選挙権が無かったので
政府の過ちに対して国民の負うべき道義的責任は小さかったと思いますが民主化された戦後はそうとは言えません。
先日NHK Specialで見た1992年国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警察官派遣に関する特集
では危険な地域に日本から派遣した警察官は丸腰であったと知り、驚きました。国内でも警察官は武装しているのに
一応停戦合意が有るとは言え、非常に危険な地域に丸腰で警官を送るのは無責任ではないでしょうか。これが憲法
9条のせいだと言う人は更に無責任というものです。憲法9条が禁じているのは国が行う戦争であって国民の自衛
行動ではありません。武器だけでなく国境地帯に配置された部隊には通信手段すら与えられなかったそうです。
当時は既に小型の携帯可能な衛星通信機もありましたのでそれすら持たせないとは何たる無知、無責任でしょうか。
不幸にして武装グループの襲撃により高田晴行さんが殉職されました。これは政府の無責任政策の結果でありその
政府を選んだ国民の責任でもあると思います。
国民の責任
自民党の「一億総活躍社会」や「社会の基礎は家族であり、家族は互いに助け淡ければならない」等の思想は過去
の「満蒙は国の生命線」、「5族協和、王道楽土」、「一億総力戦」、「子供は天皇の赤子」、戦後は手の平を返した
ように「一億総ざんげ」、バブルがはじけて若者の就職が困難になると「自己責任」を標語に非正規労働の完全解禁
を行い今日の貧困問題が深刻な格差社会を生じた政策に通ずるものだと思います。国民は自由、民主社会の
主権者として名ばかりではなく実の政府をしっかり制御する事が必要ではないでしょうか。
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* 市吉 修 Osamu Ichiyoshi
* 二十一世紀を楽しく生きよう会
* Human Network for Better 21 Century
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