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宛先:件名: RE: 鶴山公、鷹山公の偉業に学ぶ
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上杉鷹山の事業の成功の原因
到底簡単には言い尽くせませんが
[1] 藩政の構造改革
- 世襲代官の廃止、役人定員の削減
- 能力に応じた人材登用
- 大倹令を発し自ら実践。例;江戸藩邸の女中を50人から9人に削減。
- 衣食、行事、行列の簡素化
[2] 新産業の創造
- 荒地の開墾
- 農業用水の開拓
- 100万本の 漆 ,こうぞの植林
- 織物産業の育成
[3] 人間の尊重
- 間引きの厳禁、児童手当の給付
- 養老年金の給付
- 公娼の廃止
- 博打の禁止
[4] 学問振興
- 興譲館を開設し武士だけでなく一般の民にも開放。
- 細井平州を教授に迎え学問振興。
以上の施策はすべて関連し合っています。
無駄を削る
経済の原理は「出るを制して入るを計る。」に尽きると思います。大倹令は単に支出を削る事ではなく無駄な事業を止めることです。
交換経済では消費が生産量を決定します。ある人の支出は他の人の収入なので社会経済を成長させるには消費を刺激すれば良いという考えも成り立ちます。麻生内閣の時は消費刺激のため全世帯に現金を配りましたが効果があったでしょうか。不景気の原因は需要の不足であり戦前の大恐慌を収束させたのは結局戦争による政府需要の急増であったと言う人がいますが、本当でしょうか。ヒトラーがドイツ国民に支持されたのは軍備拡張により需要を拡大させ失業を一掃したことによる事は事実だと思います。現在の日本の目もくらむような膨大な財政赤字も過去半世紀の政府需要による経済成長政策の集積結果だと思います。需要創造により瞬間的な経済成長が起こるのは交換経済では当たり前の事ですが問題はその需要の内容です。無理に作った需要による経済成長は結局は行き詰まり、現在のギリシャのような財政破綻か第二次世界大戦のような破滅的な人災に終わるほかありません。
新産業の創造
無駄を削るのは新産業の創造のためです。新産業の芽は実は至るところにあります。すなわち解決すべき問題とは新産業の芽に他なりません。苦しみは徒に逃げてはなりません。それこそ新規産業の芽なのですから。孤独死、待機児童、年間3万人を越す自殺者、若者の失業、貿易赤字、社会保障制度の持続可能性、等等大ピンチではありますがチャンスでもある筈です。
上杉鷹山が取り組んだ米沢藩では十万の生産人口にたいして三万の非生産人口がのっかかり、15万石の収入の内14万石は家臣に対する人件費でした。これでは農民に対する重税の他はなく農民は極端に貧しく耕作の意欲も無くして藩内には耕作放棄地や荒地が満ちていました。大倹約と新規産業の創造の必要性は火を見るよりも明らかでしたが、難しいのはその実行でありそれは他所から入った鷹山公にして初めて可能でした。鷹山公の改革に対して旧弊な身分観に囚われた7家老の反乱も起こりましたが、公は養父の重定公の支持の下、事実の究明の上で断固排除することができました。
新産業とは即ち新たな世界観の創造です。荒地の開墾は武家の二、三男が入植し、織物工業は農民ばかりでなく武士の奥方や娘も行いました。それまでの非生産人口が生産人口に変わり、新たな特産物になった米沢織は藩外に輸出されて貴重な現金を稼ぎました。
新たな世界観の創造
明治維新では武士が失業して各地に士族の反乱が起きましたが、米沢藩ではそれに先駆けて武士の新産業への転業が進んでいたわけです。これは一つの社会革命ですがそれが大した流血もなく実施されたのは何故でしょうか。その原動力は学問の振興にあったと思います。儒学も仏教も根本にあるのは人間の研究です。学問において人間は皆平等です。鷹山公が武士だけで無く農民にも門戸を開いて推進した学問こそ米沢藩再生の根本的な原動力であったと思います。
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市吉 修
Osamu
Ichiyoshi
二十一世紀を楽しく生きよう会 Human Network for
Better 21 Century
http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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