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送信日時: 平成 2128日日曜日 20:57

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件名: 二十一世紀企業研究会

 

配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信または全員へ返信により意見交換をお願いします。二十一世紀企業研究会とは「人が全国どこでも学び、生涯現役で働ける企業」を提案し研究する会です。研究しながら二十一世紀企業を始めましょう。

 

二十一世紀世界の将来像

今回の大不況の克服するためにどんな世界を目指して行けば良いのでしょうか。

私が思うにはその指針となるのは次の4つではないかと思います。

(1) 福祉社会

(2) 社会産業

(3) 民主政治

(4) 学問立世

 

福祉社会

人間の社会は人間の福祉のためにある。これは自明の原理ではないでしょうか。人間の幸福に役立たず、人間を不幸にするような社会は有害無益で存在意義は無いでしょう。他人の不幸を見て心を痛める人間であれば人間の社会の目的が人間の福祉の実現にある事は自明の原理だと思います。

 

社会産業

近代産業は交換を通じた徹頭徹尾社会的なものです。今日では自給自足でやって行ける人間は皆無です。交換の場がすなわち市場です。私は市場における交換経済こそ人間の最大の特長であると考えています。経済はすべて市場に任せよというのが経済的な自由主義ですが市場は決して万能ではありません。人身売買や麻薬や武器の密輸は犯罪であり、犯人は厳しく罰せられます。それは前述の人間の福祉という社会の目的そのものに反するからです。

それでは非正規雇用はどうでしょうか。景気の波に応じて自由に雇用したり解雇できる労働力は企業の経営者にとっては実に重宝なものですが、それの何処が良くないのでしょうか。それは被雇用者の立場に立てば人間の福祉という社会の目的から自ずと答えが出て来ます。

日本の場合は派遣事業が特に歪になっています。戦後派遣労働が全面禁止になっていたのは戦前のタコ部屋のような人権侵害と中間搾取の害を除くためでした。その後通訳などの特殊技能についてのみ解禁されましたが、小泉内閣の時に製造業も含めて原則自由とされました。正規雇用者に比べて派遣労働者の賃金が低く、企業として原価低減になるとは言語道断です。派遣労働は派遣会社という仲介者が入っている以上本来直接雇用よりも高くつく筈です。実際今日のNHK日曜討論で自民党のホリさんが言っていましたが昔パリ勤務時代に夏のバカンス時期に派遣者を一時雇用した所直接雇用者よりも賃金が高かったそうです。それこそ派遣労働の正常な姿であり派遣先企業が仕事が無い時期に派遣労働者を雇い止めできる根拠です。派遣元企業は社員に対して正当な賃金に加えて失業保険、健康保険、年金保険の相当分を負担し、社員が派遣先で仕事を切られれば新たな派遣先を探す営業活動を行うと共に必要な技術訓練を行うのが本来あるべき姿だと思います。今日派遣社員となっている人々はいわゆる就職氷河期に社会に出て正規社員として就職ができなかったから仕方なく派遣社員となった人が大半です。それなのに政府の所謂有識者懇談会や諮問会議などでは経営者の「世界的大競争に勝つために賃金の引き下げが必要」という主張に加えて「働き方が変わって来ている」という御用学者の意見と市場グローバリズムと新自由主義という学問的粉飾を加えて派遣を安易に全面自由化したことは明らかに間違いだったと思います。非正規雇用の賃金が正規雇用より安く、派遣先で解雇されると即派遣元でも首を切られてその日から住む所も無くなるというのは昔のタコ部屋以下の事業ではないでしょうか。小泉内閣時代に新自由主義の経済学者として総務大臣まで務めた竹中平蔵氏等の経済学は実に浅はかなものであったと思います。

 

民主政治

数千年前に生じた国家は社会の階級分裂の結果でした。農業と牧畜の始まりと共に略奪が本格化して社会の秩序を保つために必然的に公的権力構造の統治機構が生じたのだと思います。国家成立以前の文明が原始民主制であった事は古代ギリシア、ローマ、我が国の高天原伝説、そして地理上の発見時代に西洋人が観察した北米原住民社会などの確たる証拠がありますが、文明と国家の歴史が既に数千年続き現代の我々もまだその中に住んでいるため人間の社会といえば国家を抜きにしては考えることも困難です。

国家の指導権争いが昔も今も政治の中核を占めています。本来人民を支配する為の権力機構である国家が外に向かえばいわゆる帝国主義的競争になるのも自然な勢いです。その帰結として二度の世界大戦も経験し、国家の限界を認識した私たちが目指すべきは真の民主主義の確立だと思います。一つのモデルとしてスイス連邦の直接民主主義を提案します。実際には世界の国々においては直接民主主義は物理的に実施不可能であり、間接民主主義が現実的であるのは事実ですが二十一世紀を特長づけるMass immediaすなわちインターネットや完全直接衛星放送を駆使すれば実現可能であると思います。今後は国の内においても外においても人民の直接対話を推進し真の民主主義を確立する事が平和と繁栄の二十一世紀を開く道であると思います。

 

学問立世

社会の発展段階を根源的に決定するのは生産力です。その生産力を決定するのは科学技術の水準、生産方法、政治などの社会制度などですがその本源は学問であると思います。これは近代社会においては義務教育制度や国公立の教育、研究機関として実現されていますが、ここで私が強調したいのは学校を終えて社会に出てからの普遍学問です。本来学問は普遍的なものですが普遍学問とは何時でも何処でも誰でも学べる学問を意味しています。前述の首切りにあった非正規雇用の失業者は資格や専門知識が無いために人手不足の分野に就職が困難な状況です。工場勤務を解雇された人が人手不足に悩む介護、医療、農林業分野に就職するためには相当期間の勉学が必要です。職探しに費やす何ヶ月もの時間を新たな分野の学習や実習にかけられる公的制度が必要不可欠です。既に北欧諸国がそうなっているそうです。昨日のNHKテレビで見るとデンマークなどは失業しても5年間生活が保障され、次の就職のための学問や職業訓練が可能なので、労働者も経営者も心を安んじて柔軟な労働力の運用が可能になっているようでした。

既に神学者とバッハ演奏者としての名声が確立していたA.シュバイツァーがアフリカの劣悪な衛生状態の話を聞いて30歳すぎてから医学部に入りなおして医者になりアフリカのランバレーネに診療所を開いて現地人の治療に人生を捧げたのは有名な話ですが、これは西洋の学問精神を示していると思います。

従来日本の教育制度は余りにも縦割りで本来の学問に合いません。輝かしい歴史を有する理研でも物理と化学の勢力争いがあったそうです。偉大な回路網理論学者のCauerは数学者からは君の論文は物理学過ぎると言われ、物理学者からは数学的過ぎると言われて大笑いしたそうですが、本来学問に分野の別はありません。ましてや名門校などというのは学問的には大した意味はありません。普遍学問こそ平和と繁栄の二十一世紀を開く原動力だと思います。

 

以上は拙著「ガクモンのススメ」を別な角度から解説したものです。全体をまとめると次の漢詩に表現されます。

 

学問立国、人間交流、国民共立、産業興隆

独創共学、学問畢生、生涯現役、独立共成

人生多難、命運転変、一生問学、自立開運

学問立世、汎人間網、到所人生、安心立命

 

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*  市吉 修   

*  二十一世紀を楽しく生きよう会

* URL; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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