秋の夕暮

夕暮になると

私の心も和む

日が落ちると

私は闇に包まれて

心の中に燃ゆる火の

明かりが暖かく

感じられるから

去ってしまった

時と人とを思い

きりりと痛む胸を

その火がわずかに

静めてくれるから

(1972.10.3)

 

この前買ってきた金盞花が

しばらく頭を垂れていたのに

いつの間にか背を真っ直ぐ伸ばした

一足先に我が部屋に春をもたらした

この草花の何と強いことよ。

(1973.2.14)

 

春雨

静かな夜に

雨だれの音と

窓の下を通る

通行人の足音と

遠い夜行列車の

汽笛がそっと

聞こえて来る

それに聞き入りつつ

ペンを走らせていると

過ぎし日の楽しみや

果たされなかった夢や

なつかしい人々のことが

しきりに思われて

切ない気持ちになる

思い起こせば七年前

希望に胸ふくらませて

大学の門をくぐった時の

あの沸き立つような精神の

あの高揚は今はいったい

どこへ消えたのであろうか。

 

卒業

家を離れて早七歳

今年大学院を卒業す

大学にて何を学びしかと問わば

我はただ赤面するの他無し

 

雨だれの

音に聞き入り

徒然に

昔のことぞ

思わるる

 

若き日に

学び、苦しみ、悩め

青春の怠惰は

一生の悔やみとなれば

 

一輪の花

そのやわらかき

光が部屋を明るくし

そのやさしき色が

人の心を慰むる

ありたきものなり

我もまた

この一輪の花のごと

(1973.2.18)

 

早春

きさらぎに

日は明るく

風もぬるく

早春の香りを運ぶ

道行く人も生き生きとして

世界が再び若返る

(1973.2.20)

 

人生は

一夜の夢のごと

知らぬ間に見、

いつの間にか過ぎ去る

たえまなき

時の流れより速く

誰がよく学び

心ゆくまで楽しむ

ああ我もまた

出来の悪い寸劇のように

自分の言葉も語らぬうちに

舞台より去るのであろうか

(1973.2.28)

 

卒業は

新しき学校への

入学なり

所は変わり

形も変われども

学びの道に

終わりは無し

(1973.3.6)

 

山根さんは大学入試にすべった

だが学問への情熱はますます

力強く燃えているようだ

失敗にもめげず

粘り強く勉強している

日々の勉強が彼には喜びを

次々ともたらしてくれるからこそ

あんなに粘り強くあれるのだ

ああ世の若者よ

熱情と才能を持ちながら

ただ機会に恵まれぬが故に

悶々の日を送る若者よ

その勉学の意志を

いつまでも棄つる勿れ

青春の熱き志を

日常の些事の中で

冷やしてしまう事勿れ

たとい境遇は恵まれなくとも

工夫をこらして時と手段と機会を作り出し

毎日少しずつでも前進することを

怠ること勿れ

寸暇を惜しんで学んだ

先人の多くは勉学のためには

正しく寸暇しか許されていなかったのだ

それこそ人間の頭脳の

偉大な点なのだ

短い一生の間に

永遠の生命を有する

学問や芸術を作り出す

人間の力なのだ

寸暇を惜しんで長年の努力を惜しまず

学ぶ事をあきらめてしまうこと勿れ

(1973.3.16)

 

人から傷つけられた苦痛より

人を傷つけた思い出の方が

はるかに鋭い苦痛である

なぜなら他から受けた心の傷は

時の流れによって次第に薄められるが

私が人の魂につけた傷は

決して償い尽くす事はできないからだ。

 

赤子のしまつに困ってゴミ箱に捨てた女子大生

いったいどんな困難からそうしたのであろうか

誰か相談する相手もいなかったのであろうか

そうだとすれば何という恐ろしい秘密に悩み

何という孤独に悩んだ事であろう

現代のいわゆる性の解放は性交の自由のみ主張し

人間の魂には目隠しをしようとしている

何より恐ろしい事は我々の魂が次第にすり減らされ

自らの心の荒廃を感ずる事もできなくなりそうな事だ

 

何物も無から生じぬように

美しい心もまた教えられるものだ

だがそれを教える事のできる人は

ただ美しい心の人だけなのだ

なぜなら一切のものはベールを剥がれ

究極的には心が外へしみ出すからだ

(1973.4.6)

 

舞台の上の踊り子のように

赤いシクラメンの花が咲いている

咲き誇る花弁のすぐ下には

やっと色をつけはじめたばかりの蕾が

しぶしぶ頭を垂れて

思いきり花開く時を

今や遅しと待ち構えている

(1973.12.25)

 

出会は偶然

別離は必然

     (1973.12.28)

 

 

失恋の痛手を知らぬことには

他人の思いやりの喜びも

知らずに終わるであろう

(1973手帳)

 

Humanismとは人類愛でも道徳善でもない

それは何より正しい人間理解である

苦しみは問題の所在を知らせる正直な信号である

だから苦労を恐れる事は真実を恐れる事に等しい

幸福は不幸の欠如ではなく不幸の克服である

故に幸福感は努力が報いられる時に得られる

夢、それはあらゆる奇跡の始まりである

努力を惜しむ事は才能の浪費に他ならない

  (1973手帳)

 

友よ

意気消沈すること勿れ

君の悲しみは

そのまま僕の悲しみだ

冬の日本晴れの様に

厳しい風の中にも

さんさんと惜しみなく光を降らす

太陽のような君の笑顔が見たい

年や境遇を口実として

自らを甘やかし

才能を浪費してしまうこと勿れ

我々の前に広がる道は

ただ一つ、それは未来だ

前進せよ

恐れること無くつき進め

 

記憶力

肉体のあらゆる能力と同じく

それも鍛え得るものだ

記憶力を鍛える道は

何でも覚えようと努める事だ

外国語を勉強する事は

記憶力を鍛える最良の道だ

よしんば年と共に記憶力が衰えるものであれ

そんなに悲観することはない

紙と鉛筆があれば

頭にしまい込めぬものを

いくらでも記録することができる

 

夕暮

太陽が山辺に没し

残光が西空を染める時

鳥は巣に帰り

人は家に帰る

冬の夕暮れ

急に寒さが身に沁みる

  (1974.1.14)

 

When the sun sets in the west

Burning the sky beyond earthly crests

Alone or in flocks, do birds fly

To their nests for nightly rests.

   (1976)

 

故郷を偲ぶ

遠く故郷を去り

異郷にて職に就きぬ

夜毎の眠りに故郷を夢み

懐かしき人々を思う

 

便りを求めて

郵便受けを探りぬ

日曜日と知りつつ

  (1974.1.20)

 

  技術者

技術者は社会の要求を

実現する職業である

あたかも馬が鋤を引いて

田を耕すように

それは社会のために

貢献する仕事である

だが技術者よ

視野を遮られた家畜と化すこと勿れ

専門に安住しあるいはこだわり

自ら視野を狭めること勿れ

深く学び広く見渡し

社会の構造と動きに注目せよ

なぜなら如何なる技術の問題も

常に社会の動きにかかわり

そこから生ずるものであるからだ

  (1974.1.26)

 

   中国人の妻(横浜中華街にて)

幾十年も

海と国境に隔てられし

君は数か月後に我が元に戻らんとす

それを思うだに我が心は躍る

長き別離はやがて終わりを告げんとす

今は君の笑顔をひたすら待ちわぶるのみ。

  (1974.1.26)

 

  

故郷の地にしかと立つ我家

老いたる父母が陽光を浴びて暮らし

夏に宮崎の妹の家族が避暑に来て

正月には我々が皆帰省し

一堂に顔を合わせ

生活を共にする

小さいながらも頑丈で

清潔で健康的な我家

それが僕のささいな夢だ

 

  故郷

それは過去の思い出だ

だが遥かなる異郷に暮らす時

それは最も美しい夢となる

望郷、この不思議なほどに強い感情

仮令身はいかなる境遇にあろうとも

夜毎の夢に魂は故郷を彷徨い

懐かしき母の影にわずかなる慰めを求む

  (1974.2.1)

 

終日曇りがちであった

食事の他は外出せず

ずっと家で読書に耽った

ペイン著、毛沢東

とてもおもしろかった

毛沢東はマルクスの学説を

独自のやり方で中国革命に応用した

それは彼が中国古来の古典に通じ

歴史に、特に農民反乱の歴史に精通し

中華民族を誰よりもよく知っていたからだ。

  (1974.2.23)

 

 

通りで美しい女を見た

ふろの帰りか手に小さな洗面器を持ち

片方の手には傘をさして

折から降り始めた雪を避けて

夕暮の中を足早に歩いていた

肩に羽織った毛のショールが

夜目にも白く美しく見えた

彼女は僕の少し先を歩いていた

真っ直ぐどこまでも歩いていた

僕は角のタバコ屋の所を

左に曲がって家に帰って来た

  

   迎春

きのうの雨はあたたかく

気温も上がり空気もやわらかく

すでに春かなと思わせたのに

今日は朝から冷え冷えとして

空は陰気に曇っていた

各地の花の便りも聞こえるだけに

本格的な春の到来が

実に待ち遠しい

春が近づくと

心が湧き立ち

喜びが心に溢れ

じっとしていられなくなる

今はまだ寒風をさけて

終日部屋にとじこもっているが

思いは既に

野山を駆け巡っている

  (1974.2.24)

 

  立春

真っ青な空

さんさんと降る日光

ひとり河畔を歩めば

既に新芽の出るを見る

かまびすしき野鳥の声は

早くも春を告げている

昨日まで凍っていた田の水も

今日は何となく暖かい

畑に植わっている青菜も

急に大きくなりだした

大地に手をついてみれば

生き物が動き始めている

  (1974.3.20)

 

日はさんさんと照れども

春風なおも寒を含む

されどひたすら野外へ飛ぶ

押さえ難き心の衝動

早くも春の巡り来るを知り

そぞろに思わるる懐かしき人々

長らく忘却の淵に沈んでいた

小さな昔の出来事の数々

苦き思い出に今またほぞを噛み

古き悲しみに今また涙を流す

ああ、されど懐かしき人々の優しき思い出に

心の慰めらるるを感ずる

思えば故郷を離れてよりの年月の中に

便りも途絶えた友の多くは

今どうしている事であろう

それぞれ選んだ職業について

活躍している事であろう

あるいは父となり母となり

喜び苦労し生きている事であろう

望む皆々つつがなく働き

幸せな暮らしを楽しんでいる事を

   (1974.3.20)

 

詩は自分の顔を鏡で見るようなものである

だがそれは鏡のように外から映すのではなく

自己の内から映すものである

 

哲学を学ぶ事の最大の意義は

健全な批判力を養う事にある

(1974.2.7)

 

人生の意義

それは価値ある事に

没頭する事だ

あらゆる困難を克服して

最後の勝利をつかむことだ

真に価値ある発見に到る道は険しく

その道を辿るには苦労が多い

だから多くの人はその道を避けて

もっと楽な道を求めるのだ

それは口実という道だ

それを見つけるのは実に易しい

それは平坦でとても短い

直ぐに自己満足に到る道だ

 

詩の本命は

その自由

真実をとらえる

その力にあるのだ

だから詩は何よりも

簡明でなくてはならない

リズムは心の動きを伝え

言葉は思想を表す

詩とは人の心をとらえた

天地の声である

  (1974.3.22)

 

私の知る最大の詩人

それはイエス・キリストだ

自ら考えた事ではなく

すべて父から聞いた事を説くのだという

彼の言明を思えば

古今東西の詩人の中で

イエスほど神的霊感に恵まれた人を

私は知らない

単に彼の口から出たものばかりでなく

彼の行ったすべての事は

あまりにも詩的である

それは汲めども尽きぬ魂の泉である

  (1974.3.23)

 

一行に一つの意味を語らせ

必要なだけ行を重ねれば

それで詩の形はできあがる

  (1974.3.24)

 

春の嵐よ、もっと吹け

我が心よ、もっと荒れよ

その牢獄を打ち砕け

小さくなった古き上着は

脱ぎ捨てよ

裸のままで強風に抗って進め

遥かなる地平の彼方までも

  (1974.4.4)

 

 

山野へ出かけよう

そこで歩きに歩こう

新鮮な空気を呼吸し

大地を足で踏みしめて

失われた自己を取り戻そう

ああ都会生活の何と孤独な事よ

同じような毎日の何と退屈な事よ

煩わしいすべてを投げ捨てて

山野へ出かけよう

そこでただ歩きに歩こう

  (1974.9.21)

 

悩める者よ

夜更かしする事なかれ

夜のふけると共に

悩みもまた深まれば

翌朝に上る真っ赤な太陽

それを信じて

いざ眠りにつけよ

  (1974.9.24)

 

教育の最大の成果

その最終の目的は

自己を教育する

能力を養う事である

  (1974.10.13)

 

   形式と内容

内容(実質)は常に時の制約の下にあるが形式は時間に束縛されない。例 未来の計画を立てる事

未来の事は現在はまだ無いのであるから計画を立てる事は形式的なものである。それが実行された時に

内容が満たされる。内容のない形式は空しいものであるが形式化により時や場所の具体的な束縛を逃れて

広い世界で思考が働き得るのである。形式と内容はリンゴとそれを入れる籠の関係に例えられる。籠がなければ

リンゴを入れる事ができない。またリンゴが無ければ籠は必要でない。

   (1975手帳)

 

夢とは未来に埋もれている現実の事だ

それを探り、掘り出し手に入れる事は

知性ある人間のみに与えられた能力だ

夢はあらゆる奇跡の始まりだ

青春とは正に夢見る事なのである。

  (1975.2.25)

 

  駅の夕暮

そぼ降る小雨の中に

私は電車を待っていた

家路につく勤め人たちの

色とりどりの傘の列が揺れていた

こんな夕暮にはどことなく

虚無的な感じが漂っている

私はそれを感じ味わっていたのだ

人は時にはこんな時もあるものだ

空しい感じを楽しむような時が

  (1975.3.4)

 

高くそびゆる山々の

その尾根の上を歩きたい

残雪も深き尾根の上を

ただ歩きに歩きたい

上を見上ぐれば真っ青な空

下を見下ろせば果てしなき大地

天と地の中なる世界を

ただ歩きに歩きたい

   (1975.3.18)

 

  故郷の我が家

幾年も住む人も無い

我が家を訪れた

庭には草がぼうぼう

生い茂り

家の周りの草木は

大きくなって今や

森となっている

一歩屋内に入れば

部屋は荒れ放題

住む人の無い悲しみを

訴えるかの様だ

戸棚から学生時代の

ノートを取って

バラバラめくっていると

十年前とちっとも

変わらぬ思いがした

庭に一人出て

過ぎにし時を思う時

自ずと思いは未来へ飛ぶ

今や自分に残された道は

ただ一つしか無い

それはただ前進する事だ

自ら飛び出した広い世界で

努力して成功を勝ち取る事だ。

  (1975.8.8)

 

休む事なき時の流れは

何人も止める事はできない

生きとし生けるものは皆老いて

いつかは滅びて姿を消す

無常なる時よ

はかなき青春よ

されど悲しむ勿れ

徒に時の流れに逆らわず

とうとうと流れるこの大河に乗って

私は生きよう

絶え間なき時の流れは

あらゆるものを滅ぼすばかりでなく

あらゆるものを産み出してもいるのだ

時が到ればすべては実現し

あらゆる事は成し遂げられる

  (1975.10.13)

 

   愁夜

いつになくもの寂しき秋の夜

床につけども寝付かれず

また灯をつけては

溜息をつく

  (1975.10.22)

 

  Spring storm

Blow, blow, Spring storm!

Strike my heart cold frozen

Till the ice completely broken

Take off your tiny shirt

Go naked against the gale

Not caring the flying dirt

Over the farthest horizon.

  (1975.10.28)

   A secret

When I see the girl I like

I can’t say anything nice

For my words are too poor

For her that is to me so dear

Then I’ll keep my silence more

Till everything to us all clear.

  (1975.11.18)

 

  詩とは

ドストエフスキーの言うよう

詩とはたわごとなのだ

だがたわごとの中にも

人の感情が入っていれば

また人の心を打つものだ

  (1976.1.14)

 

  丹沢にて

あはれ小さきボケの華

その美しき花ゆえに

生まれ育ちし所より

荒々しくも引き抜かれ

小さき鉢に植えらるる

 

小さき花よ、ひと時の

苦しみをば耐えたまへ

その余りにいじらしき

汝れをば家に持ち帰らむ

我家の小さな鉢の上で

春が来たらば又花をつけ

思い出させよこの山を

  (1976手帳)

 

衰える社会では時と共にすべてが古くなる

興隆する社会では時と共にすべてが新しくなる。

  (1976手帳)

 

   失恋

密かに激しく慕ひつつ

打ち明けられぬ胸の内

あふるる思ひの苦しくて

ただ歌のみぞ歌ひける

聞く人も無きその歌は

果てなき闇に消え入りぬ

されど我が思ひはまた

遥かな人に漂ひぬ

夜空に浮かぶ幻の

その姿こそ苦しけれ

夜空にかかる虹は無く

この身を運ぶ羽も無し

夜のしじまに聞こゆるは

空しく響く歌ばかり。

   (1976.1.30)

 

    夜汽車

夜の八時の夜行に乗れば

十時頃にはもうえびの高原だ

行きっ戻りつよじ登る

汽車の窓の外をながめても

故郷は遥か見える筈もなく

ただ麓の町の灯が二つ三つ見えるのみ

あきらめて窓を閉めてまた外を見れば

さびしそうな自分の顔が映っていた

時折汽車の放つ汽笛の音が

夜のしじまに苦しげに響く

曇った日にそれは遠くまで伝わり

小さな家を守る母と末の妹に

複雑な思いをもたらした事であろう

このようにして私は福岡の学校へ行き

父は大阪方面に出稼ぎに行った

このようにして多くの人が故郷を離れ

様々な悲しみを味わった事であろう

そんな事は知らぬげに

汽車は幾つもトンネルを抜け

都城盆地を去って行く

 

博多で夜行のえびの号に乗れば

翌朝にはもうえびの高原だ

ゆっくりと流れる車窓には

時折見ゆる民家の他には

果てしなく原野が広がっている

突如視界が開けて

眼下に見おろす都城盆地は

谷を埋める濃い朝霧の下

下りに入って急に速くなった

列車が吉松駅に着く頃には

早くも霧は上がっていた

見上げれば空の一角を占めて

霧島連峰が聳えている

列車の運行と共に

山は少しずつ形を変え

やがて左右対称形になる頃には

列車は山田町に入り、万ヶ塚

そして谷頭駅に着く

ここから眺めるおたこ、高千穂の峰は

美しくもまた雄大なり

  (1976.1.30)

 

  水凪鳥の大量死

思え水凪鳥の険しき旅を

果てしなき大海原を

ひたすら飛び続けるその旅を

気も遠くなるようなその距離を

 

雨と風とにたたかれて

山成す波は荒れ狂う

吹きすさぶ大風の前に

身はひとひらの羽毛に過ぎず

 

灼熱の太陽に照りつけられ

飢えと渇きに苦しみつつ

羽を休める所も見えぬ

果てしなき大海原よ

 

長く苦しき旅路の果てに

目指す陸地を目前にして

浪間に落ちて息絶える

鳥もまた少なからず

 

げに水凪鳥の旅こそは

遙けくもまた険しきものかな

  (1976.6.3)

 

   Friend

You’ve brought me the light

That’s made my life bright

Like the torch in the hand of a goddess

It broke the darkness of the night

 

You live far away from me

But I feel rather close to thee

When your portrait do I see

My heart swells in glee.

  (1976.8.14)

 

不幸が起る前に悩むのは愚である

不幸が起った後に悩むのも愚である

故に賢者は完全なる楽天家である。

  (1979手帳)

 

Computerdataimmediateaddressがあり、Programmain routinesubroutineがあるように

自然言語には単純概念と複合概念がある。複合概念も全体としては一つの概念となり適当な名称により指示

される。言葉を音素にまで分解すれば意味は失われる。このように言語や文字は全体として初めて意味を生じる。

概念の関係と複合化により有限な数の語で無限の事物を表現できる。

    (1979手帳)

 

ある現象を時間関数y=f(t)と式で表せる時、我々はその現象を時を越えて観察する事になる。時事刻々と

変化するものの底にあってしかも変化しないものを把握していることになる。同様なことは確率事象の研究にも

見られる。事象の生起確率を与える法則が得られれば個々の事象は偶発的でもその現象全体は必然的である。

     (1979手帳)

 

大地のごとき心

大河のごとき思考

天翔ける空想

噴火のごとき着想

   (1980.5.29)

 

人間の知識体系

が形式と内容の連鎖から成るものであれば事物を本当に理解するためには抽象と具象の両方向に限りなく探究しなくてはならない。

     (1981手帳)

 

生は美し限りなく

何故なら生き物にとって死は避ける事が不可能だから。   仮に死が無いとしたらおそらく人は限りない不安、あるいは耐え難い倦怠に

悩む事であろう。死無きが故にそこから決して逃れる事ができないなら人は如何ばかり絶望する事であろう。

    (1981手帳)

 

過ちの因

は人が自分の知らない事については彼がそれを知らない事すら知らない事である。無知の認識こそ知識への第一歩である。己の無知を]

認識せしめるものは実践以外には無い。

    (1982手帳)

 

知能指数

は人間の学習能力の測定結果である。他方人間の創造力は殆ど測定不可能である。なぜなら測定するためには予め(答えが分かっている

)問題が必要であるが創造力は未知の問題に対する能力だからである。如何に答えるかよりも如何に問うかが創造力の基本をなす。

これが如何に測定できよう。

(1982手帳)

 

人生の有限

なる事を悲しむべきではない。なぜならあらゆる存在物は空間的ばかりでなく時間的にも制限されているからである。この有限性こそ世界を

かくも多様性に満ちた豊かなものにしているのである。人生において大切なのは限りある生を如何に豊かに善くいきるかという事である。    

(1982手帳)

 

形式は人間を束縛するためではなく

人間を自由にするためにある

   (1982.12.27)

 

動物も思考はする

必要な時に記憶を呼び出し蓄積された知識を利用する事は単細胞動物でも行っている。人の記憶内容や知識体系は人それぞれに異なる。

人間の思考に特有な事は言語、即ち概念の駆使にある。言語の本質はその再生、増殖能力にある。言語はもともと人間相互の意志の疎通の

ために生じたものである。人間の記憶の特徴は各記憶が単独ではなく相互に連絡し合っている事である。言語は知識の表現であるとすると

各語は他のあらゆる語と関係し合い全体の中で各々占める位置が即ちその語の定義である。概念を言語で表現し、逆に言語により概念に到る。

言語は実際に使用されて初めて意味が定まる。人に名をつけるが如し。

   (1983手帳)

 

大地のごとき心

大河のごとき思い

心不動にして

活動は自由なり

  (1983.7.4)

選良たるより善良たるべし

  (1983.7.14)

 

研究に成功の保障は無く

己れの他に頼れるものも無い

文明が如何に進もうとも

研究は不断の辺境である

  (1983.9.19)

 

人間は自分の頭で

考えて自由になる

さもなければ

観念の奴隷となる。

  (1983手帳)

 

   仕事

広く学び深く考え

確かな計画を立て

必ず実行する。

   (1984.7.23)

 

 

人間は考える事はたいてい似通っている。従ってある事を誰が先に考え出したかという事はたいして問題ではない。

発明発見の先取権争いはたいていつまらぬものである。肝心な事は誰がどれ位深くその問題を考えたかという事である。

研究者にとって頭の良し悪しは関係ない。本質的なのはどこまで考え抜くかという事である。

   (1984手帳)

 

技術者に必要なのは想像力である。およそ想像しうるものは実現可能である。

技術者に必要なのは論理力である。およそ論証できるものは実現できる。

   (1984手帳)

 

人は速くむ読む事はできるかもしれないが速く理解する事はできない。なぜならそれは創造的過程であるからである。

   (1984手帳)

 

思い患ったとしても

問題は解決しない

努力によってのみ

問題は解決し

思い患いは消える

  (1985.7.3)

 

機械によって

人間は空を飛び

陸を海を

疾風のごとく移動できる

されど考える事だけは

機械で置き換えられない

自ら考える事の他には

どんな道も無いのだ

(1985.8.16)

 

出世には限りがあれども

仕事には限りが無し

仕事とは客を通じて

世の為に尽くす事なり

  (1985.9.24)

 

仕事の九割は雑用である

雑用をこなすにも人は

独創的でなくてはならない

  (1985.9.27)

 

ものを考えるには時間がかかり

同時に二つを考える事はできない

故にあせれば思考が停止する

仕事には十分時間をかけるべし

  (1986.1.11)

 

必要なけんかが

できない人は

不必要な

けんかばかりする

  (1986手帳)

 

抽象的という事は

具体的内容を持たないという事ではなく

幾つかのより具体的な概念を包含する事である。

   (1986手帳)

 

大地は続き

河は流る

果てしなく

海は広がり

空は高し

  (1986/4/4)

 

創造の

苦しみを知る

もののみが

創造の真の

喜びを知る

  (1986/6/7)

 

誤謬には二つの源がある。

一つは経験を無視する事と

一つは経験を越えない事だ

  (1986手帳)

 

人を畏怖せしめる人物は大した事はない。

人を自由にさせる人物こそ偉大なのだ。

  (1986手帳)

 

人間は

楽をしようと

苦労をする

苦労が無くば

楽もまた無し

苦労の果ての

楽はなお楽し

  (1986手帳)

 

自己の確立とは

自分を主張できるばかりでなく

他人の主張を理解できる事なり

   (1987手帳)

 

己よりも他にぞよらば

遠からず

道に迷いて己れを失う

 

金を頼めば守銭奴となり

力を頼めば乱暴者となる

人に頼れば自由を失い

物に頼れば心を失う

言葉に頼れば言葉に迷い

力に頼れば力に負ける

他人を憎めば自分が苦しく

他人を羨めば自分が惨めだ

 

憎しみや妬みをさらと

捨て去らば

心も軽く一人楽しむ

 

我一人如何に小さく

弱くとも

己が外には寄る辺は無し

 

人々に幸多かれと

祈りつつ

我も励みて福を築かむ

   (1987.4.16)

 

思考における言語の用は

ある概念を一度定義したら後はその名によってその概念を指示する事ができ、使用の度ごとにその概念を

いちいち説明する事を無用にする事である。原理的には記憶の用なり。

   (1987手帳)

 

困難を逃れてばかり

いるならば

成功もまた逃してしまう。

成功は

掴むものにはあらずして

自らの手で造るものなり

  (1987.4.22)

 

現実を研究して

理想を追求し

理想を研究して

現実に実現すべし

  (1987.5.24)

 

会社は仕事のために

仕事は人のためにあり

人が伸びれば仕事も伸び

仕事が伸びれば会社も伸びる。

  (1987.6.25)

 

急がむと

すれば心が

縛られる

限りある時を

限りなく使え

  (1987.8.24)

 

世の中に

楽しみの道

多々あれど

学ぶに勝る

楽しみは無し

 (1987.11.26)

 

研究とは

思考錯誤を

無用とする

思考錯誤なり

  (1988.2.19)

 

愚か者は

偉大にならむと

尊大になる

意図に反して

卑小になるなり

実あれば

そにふさわしき

名は生ず

有名となるより

有実となれ

  (1988.11.4)

 

The Blue Mountains

果てしなきAustraliaの地を深く

刻める谷のthe blue mountains

岩山と木性シダの繁茂する

森林に成るthe blue mountains

南国の森の木々を飛び歩き

さえずる鳥の色あざやかなり

   (1988/12/27)

 

   有名有実

愚か者は偉大にならむと

尊大になる

とかく名前を売りたがるなり

実あればそにふさわしき

名は生ず

有名となるより有実となれ

   (1988手帳)

 

    思考

思考とは前提から結論を

導く事なり

前提を誤れば全体を誤る

前提とはあり得るひとつの

仮定なり

あらゆる仮説を試みるべし

   (1988手帳)

 

情報理論とは

情報とは何かを問うよりも

情報量とは何かを問うなり

   (1988手帳)

 

  思考と知識

思考に用いられるのは概念であり言葉ではない。

言葉は概念と思考の表現に用いられる。

知識は創造により発生し

再創造によって伝達される。

   (1989手帳)

 

万物は時の流れに存在す

時の流れに止む時は無し

時を惜しむは時の無駄なり

生きるとは新たな時の創造なり

  (1987.5.7)

 

   分担と統合

大きな事業の遂行には仕事の分担が必要となる。

そのための仕組みが組織である。

そもそも分担の目的は協力と統合なのである。

   (1990手帳)

 

限りある

いのちの限り

生きるべし

良き生き方に

限りはなし

  (1990手帳)

 

雨あがり

又かまびすし

蝉の声

  (1990手帳)

 

山道に

はや日は落ちぬ

うす暗き

内にヤマブキの

色映ゆるなり

  (1990.4.10)

 

現在に過去も未来も存在す

時の流れに止む時は無し

始めあるものにはすべて終わりあり

終わりて初めて全体が定まる

終わり無きものにはそもそも始め無し

嘆くべからず生の短きを

限りある命の限り生きるべし

良き生き方に限りは無し

  (1990.8.22)

 

 

 

旅にある

身に何よりも

嬉しきは

心こもれる

言葉なりけり

  (1992手帳)

 

   心

文字は目で読み

言葉は耳で聞く

その意を解するは

心なり

文字は手で書き

言葉は口に出づ

その意を発するは

心なり

心とは

ひとつの働きなり

何処にもあらず

何処にもある

心とは

一体の働きなり

人はひとつの

心なり

  (1992)

 

心とは

内なる全体の

働きが

一つにぞなる

働きなり

  (1992)

 

人の才には

天が与うる天分と

自ら獲得する自分があり

天分は足らずとも

自分は足るべし

  (1992)

 

   蛍の墓

かの丘に

眠る妹

幼きに

痩せ衰えて

飢えに逝にけり

目印も

無き小さな

墓なりき

闇に蛍が

乱れ舞ひにけり

空襲に

母も妹も

失ひて

残されし兄も

野たれ死にけり

ああ戦争の

何と悲惨なる

忘れまじ

我等は二度と

戦争許すまじ

   (1992)

 

死後の事は

一切分からざれば

人生は

死なざる事に

等しからずや

   (1992)

 

死によりて

生を損なう

ことなかれ

命のかぎり

死ぬ事は無し

死によりて

いつかは消ゆる

命なり

いのちの限り

よく生きるべし

死によりて

消えても消えぬ

いのちなり

人の行いは

消ゆること無し

生きるとは

ひとつの世界の

創造なり

より良き世界を

造りて行くべし

   (1992)

 

我はしも

生まれながらの

身ひとつなり

親がつけたる

名ひとつで足る

我はしも

才も財も

いと乏し

限りあるものを

限り無く使え

   (1992)

 

人はしも

損得ばかり

考えて

迷はば末に

損をするなり

損はするとも

善きことを

為さば即ち

得をするなり

   (1994.1.18)

 

人には人の

心がありて

物事が分かり

想いが生ず

心は内なる

天地のごとし

天地を照らす

太陽が

心にあれば

愛となる

愛の心で

人は輝く

愛の心は

豊かなり

天地も凍る

冬の夜にも

心は春の

花盛りなり

  (1994.1.20)

 

子の言う事は

よく聞いてやり

子はあるがまま

いつくしむべし

自分の事は

子に決めさせよ

自由を学びて

人は育つなり

人を育てる事は

ただ人のみができる

人として

親も成長すべし

   (1994.2.18)

 

学問は

人と人との

対話に成る

学問に基づく

教育をすべし

対話とは

対等なる人の

間に成る

対話に基づく

教育をすべし

   (1995.9.7)

 

話すとは

放す事なり

心に発するものが

言葉に出るなり

耳に着く

言葉を捉えて

放しつつ

言はるる事は

心で聞くべし

   (1995.11.19)

 

我が事を

自分で決める

自由とは

他が自由を尊ぶ

平等にあるなり

   (1995.11.17)

 

会社にて

自分のものと

言えるのは

己がなしたる

仕事の他なし

会社には

不満はあれど

仕事には

最善を尽くさば

得るものは多し

   (1995.11.21)

 

人生は

大海に漕ぎ出す

小舟のごとし

波の間に

固き道無し

人生は

大海に漕ぎ出す

小舟のごとし

波間の道は

四方に通ず

  (1996.9.4)

 

学問は人と人との対話に成る

人は自己との対話で思考す

一人の経験は対話を通じて

万人の知識となる

思考で深まり対話で広がる

学問は人の自立の基なり

   (1996.10.15)

 

親が子に与ゆるものは暖かな

灯の燃ゆる我家にぞあらむ

   (1996.12.3)

 

    対話法

あらゆるものを受け入れる

心で人の話を聞くべし

話を聞きてよく考え

採るべきは採り

捨つべきは捨つべし

あらゆるものを思想する

心で人と話をすべし

   (1997.1.7)

 

身の上を

思い患う

ことなかれ

いのちの限り

死ぬことは無し

死によりて

消えても消えぬ

いのちなり

人の行いは

消ゆること無し

生きるとは

ひとつの世界の

創造なり

よりよき世界を

築きて行かむ

限りある

いのちの重みは

限りなし

いのちの限り

よく生きるべし

   (1997.4.16)

 

現在に過去も未来も存在す

時の流れに止む時は無し

過去を悔いて今を悔やまず

未来に向けて今を生くべし

  

世の中は人と人との間にあり

人は人間として世に生きるなり

世の中で小さな役を果たしつつ

人は大きな世を生きるべし

 

   Winter mountains

The winter mountains are under heavy snow

And so coldly does the wind blow

Oh, how I long for the spring’s early return!

When warmly and brightly does the sun burn

And the melted snow down the mountainside flows   

Where every creature comes out and grows.

 

一日に日は一つのみ

されど寸時はあまた有るなり

一時には一事に集中し

寸時を重ねて万事を成すべし。

(1998.1)

 

学びて問う

問うて学ぶ

学問の門は

万人に開かれり

 

心の中に生ずるものを

表すために言葉が作らる

言葉によりて表さるるものは

言葉が分かりて現るるなり

現在に過去も未来も存在す

時の流れに止む時は無し

時を惜しむは時の無駄なり

生きるとは新たな時の創造なり

過去を悔いて今を悔やまず

未来に向けて今を生くべし

   (1998.4.18)

 

時の流れに過ぎて行く

己が命を行き尽くすべし

往きてかえらぬひと度の

己が命をまっとうすべし

    (1998.5)

 

生まれる前は何処にやある

何処にもあらず何処にもある

命を受けてぞ一個体となる

死して後は何処にや行く

何処にも行かず何処にも行く

命を返して無辺に還るなり

  (1998.5.27)

 

Where was one before birth?

Nowhere but everywhere

At the start of life

One turns to a body

 

Where goes one after death?

Nowhere but everywhere

One leaves the body

And returns home for ever

 

 

一度命を受けたれば

己がいのちを全うすべし。

  (1998.5.13) 

 

 

    学問

学問は人と人との対話に成る

人は自己との対話で思考す

一人の経験は学問を通じて

万人の知識となる

思考で深まり対話で広がる

学問は人の自立の基なり

   (1998.7.25) 

 

学問の成果は本になる

本物を知るには本を読むべし

学びて問う、問うて学ぶ

学問の門は万人に開かれㇼ

   (1998.7.25)

 

思いが集まりて意となり

意が現れて文となる

文は句、句は語に分かれ

語は言葉になりて出づるなり

 

受けた言葉は入りて語となり

語は集まりて句、句は集まりて文

文が成りて意味が定まる

 

人の心に出でたるものは

人の心に入りてぞ伝わる

   (1998.7.25)

 

人は人との対話によりて

己が外なる世界を知れり

人は人との対話によりて

己が内なる自己を知れり

人は自己との対話で考う

言葉は単なる符号にあらず

言葉は人が作りたる世界なり

言葉は人の心を表す

人は言葉で人間となれり

  (1999.2.24)

     学問

学びて問う、問うて学ぶ

学問の本質は何れにやある

学ぶ事は機械にもできる

問う事は人のみができる

我は問うゆえに我あり

デカルトは教えり人の由来を

自己によりてぞ問は生ずる

学問の本質は自由にぞある

  (1999.5.5)

 

親の仕事

子の言う事は よく聞いてやり

子はあるがまま いつくしむべし

家に帰れば くつろぎて

心が休まる 家にする事

  (2000/9/20)