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送信日時: 2011730土曜日 23:18

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件名: 二十一世紀企業研究会 ; 戦争孤児と震災孤児

 

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戦争孤児と震災孤児

民間の戦争被害者の補償を求める裁判を起こしている人々の一人の金田茉莉さんからお葉書を頂きました。金田さんは「大東亜戦争と戦争孤児(影書房/2002)」の著者です。第二次世界大戦の大空襲で孤児になられた方々は今回の大震災で孤児になった子供たちが65年前の自分たちと重なり深く同情されています。戦争孤児に対しては日本国は何ら救済を行いませんでしたので、前車の轍を踏まぬよう国に震災孤児の救済を訴える運動を起こしておられます。「親類に引き取られた」戦争孤児は奴隷のような境遇に落とされ、空腹を抱えてこき使われ、学校にもろくに行かせてもらえなかった人々が大半でした。裁判での証言は涙無しには聞けないものが多いです。今回の震災孤児にも同じ事が起こらないとは限りません。

 

民間による救済

私は金田さんに返事を出しましたが震災孤児の救済は国を待つより民間で行う方が早道ではないかと書きました。戦争孤児の救済も民間によるものが効果をあげました。エリザベス・サンダース・ホームなどが有名ですが、何人かの民間人が協力して戦争孤児に大学教育まで受けさせた例もありました。私が高校生のころ「私は上野駅の浮浪児だった」という記事を読んだ記憶があります。その人は地域の人々の支援で早稲田大学を出て社会福祉関係の仕事につかれたと記憶しています。

NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」のテーマソング

緑の丘の赤い屋根
  とんがり帽子の時計台
  鐘が鳴ります キンコンカン
  メーメー小山羊
(こやぎ)も啼(な)いてます
  風がそよそよ丘の上
  黄色いお窓はおいらの家よ

を小さい頃聞いた記憶がありますが当時はその背景は知りませんでした。この歌やドラマに戦後の日本人にどれだけ元気づけられた事でしょうか。何度も映画化された事でも明らかです。詳細は下記URLをご覧下さい。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/06/post_c16a.html

 

政府を待つより民間で実行

するほうが早い事が多数あります。勿論個人では大した事はできませんが何人かが力を合わせればかなりの事ができます。今日ではインターネットを通じた情報交換により民間で直接やれることが沢山あると思います。今回の震災孤児のための寮はあしなが育英会が作っていると思います。そのために私も少し寄付をしました。パレスチナこどもキャンペーンも震災にあった子供たちのために活動しています。

より詳細については下記URLをご覧下さい。

戦争孤児(日本)  http://www16.plala.or.jp/senso-koji/

パレスチナこどもキャンペーン http://ccp-ngo.jp/

あしなが育英会  http://www.ashinaga.org/

 

 

市吉 修