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件名: 二十一世紀企業研究会 ; 国家と戦争
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戦争記念の季節
この時期には戦争を振り返る番組が多数放送されます。SkyPerfecTVでもHistory channelが連日シリーズで「映像の世紀」を放送しています。今日はNHK specialで金融面から見た日本の戦争を放送していました。戦争は平和時に見えにくい国家構造の断面を明確に暴露していると思います。
戦争は権力構造としての国家の本質的な行動
だと思います。これは歴史を振り返れば自明の事です。国内で激しい闘争の結果獲得された国家権力が国際社会で覇権を争うのは自然なことです。
国家権力とは組織の力
現在シリアが混乱していますが支配者のアサド氏が属するアラウィ派はシリアの中では少数派であり、それが多数派のスンニ派を支配している構図になっています。国家権力とは少数派による多数派の支配であると言っても良いかもしれません。中国は何回も辺境の遊牧民族に支配されましたが支配者は数の上では常に圧倒的に少数でした。わが国で階級社会が最も顕著に発達したのは江戸時代だと思いますが支配者の武士は被支配者の農民に対して1:10の比率で少数派でした。それでも各地で生じた農民一揆は常に残虐に弾圧されました。
国家権力の基盤は民衆の弱体化
以上のことから極論すれば国家権力の源泉は民衆の非力であるというと言えるでしょう。私は国家の発生は遊牧民から出たと考えています。遊牧民は家畜にすべての生活がかかっています。それを国家にあてはめると支配される大衆が家畜のように従順である事は支配する側の理想であると思います。実際支配者は大衆の力を弱めるのに全力を尽くしました。徳川幕府の方針は
大衆の弱体化政策 百姓は生かさぬよう、殺さぬよう
大衆の愚民化政策 知らしむべからず、依らしむべし
大衆の組織化禁止 徒党を組む者は死罪
江戸時代は最も純粋な階級社会であったので支配の方式が最も純粋に出ています。
明治以降に何故戦争が起こったか
一言で言えば帝国主義の時代であったからです。国家の本質がモロにぶつかった時代ですね。国内では反対勢力を弾圧、粛清してはじめて国外では戦争が可能になります。反対勢力の弾圧にも増して有効なのは一元的な国家の指導による軍国教育でした。ナチスドイツとわが国の国体思想による人種差別的軍国教育は人間が教育によって如何に変えられるものであるかを示しています。他の国もおそらく同様だったのでしょう。第二次世界大戦の直後に出版された「試練に立つ文明」の中でA.J.Toynbeeは「国家の枠でものを考えてはならない」と述べています。
国家の枠を越えて
半世紀後の今日ではToynbeeの教えを私たちはどこまで実現できているでしょうか。映像の世紀を見てつくづく感ずるのは国家における国民の愚鈍と国際間の直接民間交流の欠如です。そこから国家の枠を越えるには次のことが必要だと思います。
[1] 国民のレベルアップ
人が全国どこでも学べる普遍学問
人が生涯現役で働ける産業社会
直接民主政治
[2] 直接民間国際交流
国民主体の国家
私は国家の無責任(戦争、財政破綻、戦争孤児の見殺し)などには深い憤りを禁じ得ませんが決して無政府主義者ではありません。わが国の戦国時代を振り返れば無政府状態が如何に悲惨なものであるかはよく理解しています。悪い政府でも無いよりは益しなのです。国民健康保険、国民年金等の社会福祉、教育と学問、防衛と外交、立法と司法の分野における国家の重要性は明らかです。ただ行政の大半は市町村等の基礎自治体が行う事、国政においても国民の直接参加による直接民主制が21世紀の道だと考えています。直接民主制が普遍的になれば領土問題に端的に現れる国際紛争も問題そのものが解消されるでありましょう。
市吉 修
平成23年(2011)8月15日