差出人: OsI [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2013年9月30日月曜日 0:31
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件名: 思考の転換
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宮崎へ帰って来ました。
9/17-25妹が旅行にでかけたのでその間年老いた両親と過ごすために宮崎に帰りました。9/20には綾町の山中にある高さ142mのつり橋まで自転車で行きました。9/22には山田町の案山子祭りに行き、ついでに恩師の墓に参り、山田町を山二つ越えて縦断しました。宮崎駅から両親宅までの往復を入れるとおそらく30kmくらいの道程を足車で駆け抜きました。存分に故郷の秋を楽しみました。
思考の転換が必要
宮崎から帰って来た翌日にアジア人のための学習教室に行き子共達の勉強を見ました。
中学生が英文を見て考え込んでいます。私は「英語を見て考え込んでも分かるわけ無いだろう、辞書を引きなさい」と助言します。生徒が面倒くさがりながらも辞書を引くと直ちに英文和訳ができました。
別の子は理科の問題を見て考え込んでいますので、私が電圧をV,電流をIと書いて問題から成り立つ方程式を黒板に書いて解かせると答えが出ました。「人間は頭よりも手で考えるんだよ」と助言しました。
学問も運動も同様ですね。運動は体で覚えますが実は学問も体で覚える部分が大きいと思います。考える前に手が動いて数学の問題を解くのはピアニストが考える事なく指がピアノの鍵盤をたたいて演奏するのと同様だと思います。
答よりも先に問をもとめよ
私達は問いより先に答えを考えている事が多いようです。これは上述の生徒と大して変わらない思考法だと思います。因果律が成り立つ範囲で結果を生じるのは原因です。原因の探求を疎かにして結果ばかり求めるのは本末転倒の思考法です。たいてい取らぬ狸の皮算用に終わります。社会経済で生じるバブルはまさにこの例ではないでしょうか。中央銀行は株や国債を買い入れて社会にお金を供給します。債権の価値とは即ちその発行人がつける値打ちですからお金の価値とは結局人の信頼ですね。信頼を欠くお金が増えればお金の価値が下落してインフレやバブルが生じるのは当然です。世界中を駆け巡っている膨大なお金は株や住宅を買って値上がりを待って売る事により利益を得ています。これは交換及び事業の手段としてのお金の本質からはかけ離れている気がします。
自分の事に関して当人が結果がすべてと言うのは良いのですが、他人に対して結果ばかり求めるのは過ちのもとです。それは対話拒否に近く、それでは人間関係が損なわれます。跡を絶たない体罰問題や子共の非行の原因ばかりでなく世の中全体の過ちも結果ばかり求めて問題を避けたり、先送りしたりする所から出ていると思います。人の苦しみや悲しみは問題の存在を知らせる正直な信号です。目をふさぎたくなる様な事もありますが問題を避けていては問題が解決するわけがありません。問題を捉える手段は他人とのそして自己との対話です。
結局次の詩の繰り返しになりました。
くよくよと
思い煩うことなかれ
くよくよするだけ
損なれば
いかなる問題にも
解がある
よくよく問うて
問題を立てよ
問題の解を求めて
楽しまむ。
人は人との対話によりて
己が外なる世界を知れり
人は自己との対話によりて
己が内なる心を知れり
言葉は単なる符号にはあらず
言葉は人間が作りたる世界なり
言葉は人の心を表す
人は言葉で人間となれり。
学問は人と人との対話に成る
人は自己との対話で思考す
一人の経験は学問を通じて
万人の知識となる
思考で深まり、対話で広がる
学問は人の自立の基なり
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* 市吉 修 Osamu Ichiyoshi
* 二十一世紀を楽しく生きよう会
* Human Network for Better 21 Century
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