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送信日時: 20141110月曜日 0:14

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件名: 専門家の誤謬

 

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今朝のNHK日曜討論;経済状況と消費税引き上げ問題

4人招かれた経済学者の中で二人は株関係の人でした。曰く日銀の金融緩和追加処置は良かった。物価上昇率が鈍っていたのが追加金融緩和で是正されデフレ脱却に有効である。アベノミクスによる株価の上昇の結果200兆円の富が創造された。年金積み立て金も株式投資の比率を上げて資産を増やすべきである。

私は自信満々の表情でしゃべる専門家の言う事が全く理解できません。デフレとは物価の下落であると定義しているようですが、私には見当はずれとしか思えません。DeflationとはGDPの縮小であり、物価は下落しながらGDPは拡大するというのが本当の経済成長ではないでしょうか。彼ら経済専門家から見たら100shopとは物価を下落させてけしからん店かも知れませんが私は大いに重宝しています。100円の腕時計を2個持っていますが水晶時計なので時間は正確です。技術者の私には日々の開発および生産技術の工夫により物価が下がるのは当たり前の事です。またどんな物でもひととおり需要が満たされれば、その後は買い替え需要になり市場は縮小しますので物価の下落は自然の流れです。物価が下落しつつGDPが拡大するのは消費が増えると共に新たな市場が創造されるからです。安倍氏はアベノミクスにより賃金が23年ぶりに増加したと誇らしげに主張されますがそれは名目賃金であって今日のNHK討論で示されたデータではインフレ率で割った実質賃金はずっと下がり続けています。実質賃金が下がれば消費が冷え込むのは当たり前ではないでしょうか。

景気回復のために物価を上げる努力をするなどは愚の骨頂としか思えません。物価の安定こそ日本銀行の使命だと思います。株価の上昇によって創造される富とは幻想であって株価の下落によって忽ち消えてしまいます。真実の富を生み出す生産性の向上は生産者の創意工夫によって、新市場の創造は世の中の問題の発見と新たな解決法の発明によって実現されます。同じ経済でも外から統計ばかり見ている経済の専門家と産業の真っ只中で生産と開発に従事している労働者や技術者とは物の見方が全く違うなと感じています。

 

ノーマン・カズンズ 笑いと治癒力

という本を読みました。医者に末期癌と宣言されたノーマン・カズンズ氏は病院を出て自宅で難病を克服しました。癌とはつい10年前までは死の宣告に近く、本人に知らせるべきか否かの告知が大問題でしたが、今は告知が当たり前になって来ました。また近年医者と患者の関係は昔と大きく変わってきました。昔は医者が医療の全権を握り患者は「すべてお任せします」というのが普通でしたが、それでは癌の治癒率が低く、抗がん剤の副作用で患者の人生はだいなしになっていました。代替治療といわれるキノコや海草、漢方治療、インターフェロン投与などは今ではその効果が認められ徐々に正規の治療法になって来ました。それと同時に治療において主体は患者本人であって医者は患者を支える医療チームのリーダであるに過ぎない。また医療チームでも医者と看護士、事務方はそれぞれ仕事を分担している平等の関係にあるというのが現代の医学の基本的な思想だろうと思います。これは医者にとって不当に重い責任からの開放であり、返って仕事がやりやすいだろうと思います。患者にとってもsecond opinion, third opinionを求めて最良の治療を受ける機会が増えると思います。

 

政治屋

政治を政治屋に任せると如何なる不幸が生じるかは過去の世界大戦や現在の各地の紛争に現れています。政治屋が如何に物事の一面しか、しかも意図的に見ないかは時に漫画的になります。国連の安全保障理事会でイスラエル代表が分厚い聖書を振りかざしてパレスチナはもともとイスラエル領なのだと主張していましたがこの男は当の聖書を全く読んでいないのではないかと思います。旧約聖書によればユダヤ人の祖先とされるアブラハム、サラ夫妻は元はアブラム、サライという明らかにアラブ人であり、当時のウルというチグリス・ユーフラテス河沿いの街から当初その大河を遡って今のシリアに至りそこから南下してパレスチナに移住して来たと書いてあります。サラが死んだ時アブラハムは妻の埋葬のため初めて土地を買ったが、その売り手はヒッ

タイト人でした。真に政治屋の主張の一面性、荒唐無稽な事は笑えますね。その政治屋に騙される国民はもっと笑える存在です。笑いなら良いけれども政治の誤謬が生ずる人間性の抹殺と破壊には恐ろしいものがあります。国連決議に反してパレスチナの占領を続けるイスラエルにはオリンピック競技会その他の国際行事に参加する資格は無いのではないでしょうか。

 

専門家の誤謬の本質

一部の政治屋を除けば実は専門家の誤謬は本質的だと思います。それは観測者の客観性が不完全だからです。自然科学は厳密に客観的で確定的という観念が正しくないことは極微の世界での不確定性原理で明らかになりました。観測系が観測対象と相互作用をするために完全に客観的な観測は不可能なのです。経済学者は人間社会の内部におるために完全に客観的な観測が不可能です。政治屋もたとい誠実な人でも同様です。人は常に世界のほんの一部しか見えないという事ですね。私には赤に見えるものが他の人には緑に見える事がありえます。従って真実に到る大道は人と人との対話以外には無いという事になります。学問、学会、セミナー、交流会、等々すべて人は他の人と情報交換して初めて一人の主観を越えた客観的視点に到る事ができます。それでもそれが完全に真実と言い切る事はできません。なぜなら共通の誤謬(common mistake)が有り得るからです。

 

このように考えると

[1] 専門家を盲信せず

[2] 自ら調べ、考え

[3] 他の人と交流し

[4] 共通の概念を確立し、

[5] しかもその概念を盲信すべからず

という結論になります。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi

* 二十一世紀を楽しく生きよう会

* Human Network for Better 21 Century

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