差出人: OsIPortable <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp> 送信日時: 2016年2月7日日曜日 21:42 宛先: 件名: RE: 超高齢化社会 ; 死を知りてぞ生を知る 森さん、 貴重な情報をありがとうございます。 私の母はものを食べなくなってから一週間くらいで亡くなりました。 死者は生者が記憶している限り何らかの形で生きていると言えます。世界史にも稀な日本の高度経済成長を実現 した原動力は戦争の生き残り世代でした。最後の帝国主義戦争の悲惨と国民を戦争に駆り立てた軍国主義の浅は かさを骨身に沁みて知った世代です。戦後の公的選挙の投票率はいつも80%以上でした。日本の高度成長を実現 したのは同時に日本の民主主義を確立した世代です。 今日本のフィギュアスケートは世界最高であり、中でも先日の羽生選手の2回もの300点越えの演技は完璧でした 。羽生選手の超人的な努力を支えたのは東日本大震災で死んだ故郷の人々に対する思いだったのではないでしょ うか。 死者が記憶されるのはほんの数世代の間です。大抵の人は三世代以上遡る事はできません。中には家に系図 があって先祖は古代の貴族だという人もいますがあやしいものです。応仁の乱の頃京の都にはやった落書きに 「このころ都にはやるもの、夜討ち、朝駆け、系図買い」というのがありました。徳川家康の先祖は徳阿彌という旅の 坊さんでしたので今川からの独立宣言として松平から徳川に改名しました。 人間は先祖を辿ると皆共通の祖先に行き着き、遺伝子の数は高々2万ですので15代を経ると特定の個人の影響 は消滅してしまいます。人間は全体として先祖と子孫を共有すると言ってよいでしょう。 完全に忘れられても消えないものは人の行いです。私たちが毎日食べるものも誰かが最初に食べてみたものです 。この意味では死者も生者も共に生きていると言えるのではないかと思います。 人は生まれて生きて死す 死すとも人の行いは残る 良き行いを生きて残さむ 死して身は消ゆ、世代を経て 名も消ゆるとも行いは残る 良き行いを生きて残さむ 人はこの世に良き行いを 残さばあらず、心残りは 今あるものは過去の発明なり あり得るものの実現は今の発明なり あり得ざるものの実現は未来の発明なり +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ + 市吉 修 + 二十一世紀を楽しく生きよう会 + HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/ +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ -----Original Message----- Subject: RE: 超高齢化社会 ; 死を知りてぞ生を知る 一吉さん 森です。ご無沙汰しています。 先週横浜で宮崎の鳥料理の店で夕食をとりました。もちろん美味でしたが、驚いたの は一番最後に出てきたお茶でした。店の子に聞けば宮崎の玄米茶だそうで、これは普 段飲んでいる一保堂の玄米茶と全く別物でした。昔タイのチェンマイに旅行した時に 飲んだ地元のお茶に似た味でした。現在のペットボトル入りのお茶はどれも同じ味で 飽きましたが、宮崎玄米茶は爆発的に売れると思います、チェンマイ以外の場所な ら。 啄木の短歌の英訳で著名なロジャー・パルバース氏(Roger Pulvers)によれば、日本 の民主主義は1890年の第1回帝国議会で生まれ、1911年1月24日の幸徳秋水等の処刑に より終わり、あとは昭和20年の終戦まで坂道を転がり落ちたと述べています。私は小 学校卒業の時、担任の先生から「君たちもいずれ老いて死ぬ。どうせ死ぬなら意義あ る人生を送ってもらいたい」という送別の言葉を頂きました。生徒の質問に答えて 「君たちは田中正造のように生きなさい」と先生は述べられました。もう60年も前の ことですが、まだこれだけは覚えております。先生の教えを少しも実践しなかったと 先生に申し訳なく思っています。1901年、田中正造が足尾鉱毒の件で明治天皇に直訴 を試みたときの直訴状は幸徳秋水が書いた文を田中正造が加筆修正したものだそうで す。 お父上は100歳になられようとしている由ですが、100歳でも適度な運動と睡眠により 成長ホルモンは分泌します。私の母は95歳で亡くなりましたが亡くなる前日の夕食に 好物の茶わん蒸しを出し、口元まで持っていっても口を開けようとせず、お茶も飲も うとせず、機嫌が悪いのかと思いましたが、そうではなく代謝を行う機能がなくなっ ていたので食欲がなかったことに翌日気が付きました。成長ホルモンが分泌されれ ば、あるいは外部から投与されれば110歳でも120歳でも元気に生きられるはずです。 森 悦郎 Subject: RE: 超高齢化社会 ; 死を知りてぞ生を知る 転送歓迎 配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信 または全員へ返信により意見交換をお願いします。二十一世紀世界研究会とは「人が全国どこでも働き、生涯豊か に生きられる世界」を提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀世界を実現しましょう。 父は百歳まであと4ヶ月 ですが届くかどうか先の事は分かりません。昨年9月に93歳で母を見送りました。両親の介護をして思う事は子が 親から学ぶ事の一つは死に方ではないでしょうか。人は死を知って改めて生が分かると思います。 最近三歳の子ににらまれて頭に来たと言って一時間以上に渡って暴行を重ねて遂に死に至らしめた悲惨な事件 が報じられました。このような無残な幼児虐待には一つのパターンがありますね。幼児をつれた母と同居している男 による蛮行です。たいてい年齢は二十歳そこそこです。中東の混迷と悲惨の元凶たるISに各国から参加しているの も同じような年齢の若者です。ISの支配地域では住民の虐殺や奴隷化等信じ難い残虐行為が報じられています。 このような若者の暗愚の原因は肉親の死を知らないが故に生の尊さに無知な事ではないでしょうか。 現代は核家族化の普遍化と共に肉親の死に至る最後の日々を知る機会は少なくなっています。父母のマンション でも遠隔地の家族の意向で老人ホームに近々引っ越す予定の人がいます。その人はこのマンションに長年住まれ ていたので第二の故郷を去る心境でしょう。現在は施設や病院で死ぬ人が多いので肉親の最後の日々を知らない 家族が多いと思います。 これは家族には楽に見えて実は失っているものも大きいのではないでしょうか。人の死を知らないと自分自身の死 に対して人は過大な恐怖を持ち、生きる上で不安が大きいのではないでしょうか。まだ私が独身の頃住んでいた アパートの階下の部屋で兄が妹に親の介護を押し付けている兄妹けんかが聞こえた事があります。「お前が面倒見 ないで誰が見るんだよ」と言っていた兄はその後どうしたでしょうか。親の介護から逃げたとしたら実は失うものが大 きかっただろうと思います。 私は6歳下の妹が生まれた日に村の人達が大勢つめかけていたのを覚えています。それから何日かして人が次々 に生まれて来たらやがて通勤列車のように世界は人で混雑するのではないかという恐れを抱きました。私が小学5 年の時母方の祖父が亡くなりその恐れは解消しました。同時に自分もまたいつか死ぬのだという事が怖くなりました 。学校で級友にその恐怖を打ち明けると級友は大笑いして「ずっと先の事だよ」と言いましたが、それでも納得でき ないので母に聞くと母は「人は生きるのに飽きが来る時死ぬのだ」と教えてくれました。これは正に昨年の母の死に 当てはまります。 親の死に至る最後の日々を共に暮らすと人の死は極く自然な事である事が分かります。同時に生の貴重さも痛感さ れます。まさに死を知りてぞ生を知る。老親を施設や病院に入れている人は貴重な経験を逸しているのではない でしょうか。 原始時代には死は日常的な出来事でした。親を亡くした子は親族が育てました。人が人間になったのは遅くとも ネアンデルタール人からです。それは彼らが死者を野の花で飾って埋葬した跡が残っているからです。人間は死者 を埋葬する動物であると定義できると思います。私の知る限りそんな事をする動物は他にいませんので。死が遠くな った現在学校教育においても道徳教育の一環として死を教えるのが必要だと思います。死を知る事が生を知る事 ですし、私自身の経験でも思春期には特に死に対する恐怖も大きいと思います。 死生 死は生の終わりにはあらず 死は生の始まりにあり 死せざるものは生まれざるなり 死を悲しみて生を喜ぶべし 死は生の彼方にはあらず 死は生の傍らにあり ありがたき命を生きて尽くさば 命尽きる時満ち足りて逝かむ 死が無かりせば 生は無限に苦しからむ 終わりが無ければ 生がありて死があるごとく 死がありて生があるなり 生きるとは 無限の可能性の 一つの実現なり 無限の過去が集まりて 無限の未来に分かれ行く 今をよく生きるべし あらゆるものを あらわして生きむ 死後の世界を人は知りえず 世にある限りこの世を知るべし 人の世にあるいかに短き 世にある限りこの世を生きるべし 限りある命の重みは限りなし 命の限りよく生きるべし ************************************** * 市吉 修 Osamu Ichiyoshi * 二十一世紀を楽しく生きよう会 * Human Network for Better 21 Century **************************************