差出人: OsI [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2016年9月25日日曜日 23:56
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件名: パラリンピックから学んだ事

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 パラリンピックから学んだ事
心身の障害はその人の個性であり、残された能力を活かせばずいぶん高度なレベルの技量に到達できるという事
です。今やParalympianという言葉にはOlympianに劣らぬ尊敬の念がこもっています。車椅子マラソンが健常者の
記録をそれこそ異次元的(同じ42.195kmを1時間半対2時間)に凌駕しているのは道具の違いがありすぎるので除
外するとしても走り幅跳びや400m走など記録的にも伯仲している競技が幾つかあります。

私が特に感銘を受けた競技は水泳で片手片足はおろか両腕が無い選手が一度水に入る驚異的なスピードで泳
いでいる姿でした。また盲目の選手や知的障害のある選手の活躍にも心打たれました。盲目の選手の走り幅跳びや
百メートルからマラソンまでの走りには脱帽しました。しかも百メートルの記録は11秒で一流の健常走者に匹敵するものでした。

知的障害があるとはどういう事なのか、健常者でも凶悪犯罪を犯したり、A.Hitlerのように世界大戦を引き起こしたり
する人間は知的障害ではないのか、何よりA.Hitlerを熱狂的に支持したドイツ国民や日本は神国などという宣伝を
信じてずるずると日中戦争の泥沼に入り込んだ大日本帝国の国民は知的障害があったとは言えないのか、よく考え
て見る必要がありそうです。当時見習い戦車将校であった司馬遼太郎が後日回想してあの頃の日本は「集団発狂していたとしか思えない」と書いていますので正気と狂気とは何かよく考える必要があると思います。

私が感ずるのは知的障害のある人には悪人はいないという事です。もしそれが正しいとすると悪事とは人間の知性
のもたらすものだという事になります。知性の限界を弁えて謙虚に考える事が必要ではないでしょうか。

思考の限界
おのがじし知らざる事は考えられず
一事を思わば余事は考えられず
考えるとは考えざる事なり
思考の限界を知りて考えるべし

論理の限界
論理とは前提から結論を導く
限定的思考法なり
前提を誤ば結論も誤る
論理で証明されざる真実があり
詭弁で導かれる虚偽ぞある
論理の限界を知りて考えるべし

知性と人間性
知性とは異なる位置に身を置きて
あまねくものを究めることなり
人間性とは他人の位置に見を置きて
我が事のごと思うことなり

体幹を鍛えています
パラリンピックで片手片足の無い選手が真っ直ぐに泳いだり走ったりしているのは対幹がしっかりしているからだと
再三聞きました。そこで自分の対幹の力を見ようと腹筋の運動をして見たら昔は足首を固定しなくても腹筋運動が
できたのに今は上体が上がらなくなっているのが分かりました。そこで朝の体操に腹筋や背筋の運動も取り入れて
います。

 
障害者競技では日本は後進国だと感じました。また米国もオリンピックに比べるとパラリンピックは弱いと感じました
。強いのは中国と英国ですね。今回はNHKが多くの競技を生中継してパラリンピックのおもしろさが分かったので
今後日本も障害者競技が盛んになり障害者が自信をもって生きられる環境が整うものと期待しています。

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* 市吉 修 Osamu Ichiyoshi
* 二十一世紀を楽しく生きよう会
* Human Network for Better 21 Century
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