日本新生とはガクモンなり
市吉 修
平成13年(2001)秋
経済とは消費なり
消費とは生産なり
生産とは創造なり
創造とは学問なり
学問とは楽問なり
日本新生とはガクモンなり
日本新生とはガクモンなり
前書き
日本新生とは何か、如何にして実現するのかという問いは日本人が誰しも今真剣に問うている問題だと思う。本書はその問いに対する私なりの答えを探求する試みであり、昨年世に問うた「ガクモンのススメ」の実践版となるものである。
目次
第一章
日本新生の歴史的課題
第二章
二十一世紀の日本と世界への道
第三章
インターネット衛星通信網でC&C人間網を開拓しよう
第四章
C&C人間網で地域社会を復活しよう
第五章
二十一世紀企業に脱皮しよう
第六章
ガクモンの新世紀
第七章
日本新生の実現
第一章 日本新生の歴史的課題
政府の目標に「日本新生」が掲げられてから一年余になる。この間かなりの成果はあったと思うが依然として低迷する景気、下がらない失業率と不良債権、財政赤字は改善の兆しも見えず「日暮れて道遠し」の感をぬぐい難い。ここでは先ず日本新生とは何かという事を歴史的観点から考え、その実現への道について考えてみよう。
現在の閉塞状態
政府が日本新生という目標を掲げる理由は現在が行き詰まり状態にあるという認識があるからであろう。確かに失業率は5%にも上り350万人もの人々が職探しに苦労している。学校を出ても就職できない若者が多数いる。中国、インドを始めとするアジア諸国が8%程度の成長を続け、アメリカ合衆国でも3%程度の経済成長を続けてきた二十世紀最後の十年間に我が国の経済成長は停止してしまったかの感がある。欧米諸国が財政赤字を顕著に減らして来た間に一人我が国の財政赤字は景気刺激政策の繰り返しの果てに今や国家予算の10年分をも越える七百兆円もの規模に膨らんでしまった。土地バブルの崩壊の結果として重くのしかかる不良債権の処理を強行すれば更に百万人もの失業を生むと予想されている。かって我が国が高度成長を達して世界経済の中で大国となった1980年代には米国が現在の我が国と同様に経済成長の停滞、膨大な財政赤字と不良債権問題に苦悩していた。レーガン政権の最悪時には米国の失業率は13%にも達したが我が国のそれは高々3%程度に収まり「日本の奇跡」とか「ニ十一世紀は日本の時代」とか言われたものである。二十一世紀に入った現在の状況はその頃の予想とは大きく異なる。この閉塞状態から如何に抜け出て新世紀に発展して行くかが本書の主題なのである。
世界の中の日本としての視点
二十世紀後半の経済史の顕著な特長は日本に続くアジア諸国の高度経済成長であろう。大阪万博が開催された1970年に筆者は米国の大学に留学中であった。万博に関するテレビの特派員報告を学生会館の大型テレビで見たのであるが、その報告の中で出た「アジアで初めて出現しつつある豊かな社会」なる句を昨日の事の様に思い出す。その頃のアジアと言えばかってマルクスが「アジア的貧困、アジア的停滞」と呼んだ通りの貧困と停滞の状態にあるように見えた。同じ留学生仲間でもインドからの学生が最も多かったが彼らの多くは卒業後帰国しないで米国で就職し、やがて米国の市民権を獲得する事を計画していた。インドに帰っても適職が無く将来の展望が開けなかったからである。次ぎに多かったのは中国人の留学生であったが、大半は台湾もしくは香港からの留学生であり大陸からの留学生は皆無であった。そして彼等もインド人留学生と同様の計画を持ち良く勉学していた。私は予定された一年の留学期間が終わり帰国して直ぐに大阪万博を見に行き、先の特派員報告の趣旨を実感したのであった。
あの頃の日本は高度成長期の真っ只中にあり人々は年々向上する生活水準の期待に明るい展望を持っていたのに対して、ベトナム戦争の泥沼に足を取られていた米国は深刻な国論の分裂、人種問題、財政赤字、技術力の相対的低下による経済の停滞に苦悩し、文化大革命後の混乱が続いていた中国やベトナム戦争の余波を受けて混迷する東南アジア諸国はマルクスが評したようなアジア的貧困の中に停滞していたのである。米国やアジアに止まらずヨーロッパ先進諸国も英国病と評された英国を始めとして高い失業率と低い成長率の下で経済は停滞していたのである。約三十年後の現在は当時とはほぼ正反対の状況にあるかの様であるが、これを歴史的に見ればどういう事になるであろうか。
当時の状況がそのまま持続したらどうなったかを考えて見よう。あの高度成長が今まで続いたとしたら我が国は恒常的な人手不足が続き、多数の外国人労働者の流入は様々な社会問題を引き起こしていたかも知れない。また土地神話が持続して土地の価格は上昇を続けマイホームは庶民にとってますます高嶺の花となり、工業用地を求めて山は削られ海は埋め立てられ、工場から出る煤煙による大気汚染は今より悪化していたであろう。集中豪雨的と評された我が国の輸出があのまま続いたとしたら世界市場に大きな歪みをもたらし、失業を輸出しているとして世界中から非難されて我が国は国際的な孤立を深めていたであろう。こう考えると「日本の奇跡」が続いていたとしたら二十一世紀の現在かって十九世紀に英国がそう呼ばれたように日本は「世界の工場」なっていたかも知れないが、同時に我が国は環境破壊が進み外国人問題を抱えて国際的に孤立してしまい、現在よりも遥かに深刻な閉塞状況に苦悩していたであろうと思われる。
このように考えれば現在の状況は例え一種の閉塞状態にあるとしても最悪の状態にあるとは言えないと思う。そして我が国において失われた10年間と呼ばれる1990年代はむしろ二十一世紀に向けた産業構造の調整の期間であったと言えるのではなかろうか。
人類社会の歴史としての視点
いわゆる失われた10年の間に世界史的にも大きな変動があった。第二次世界大戦後の世界は米国を中心とする資本主義陣営とソ連邦を核とする共産主義陣営の対立、即ち冷戦の時代であったがそれは約10年前に終焉した。ソ連邦は国家的にも複数の国々に分裂し、東西ドイツは平和裡に祖国統一を達成した。更にその影響はユーゴスラビア連邦の分裂と悲惨な内戦を引き起こしその影響は今だに困難な問題として残っている。
それらの変化をもたらした根本的な原動力は何だったのであろうか。私はその主たる原因として情報通信網の発展、特に衛星放送とインターネットの影響が大きいと思う。ソ連の崩壊とドイツの統一を実現したのは共産圏の人々が衛星放送やパソコン通信を通じて外国の情報に接し自国の情報閉鎖状態を打破した事、それによって自国の体制の虚偽と矛盾を認識した事が根本的な原因であったのである。ペレストロイカ、即ち情報公開政策を進めるゴルバチョフに対してソ連軍部が起こしたクーデタはたった三日でつぶれて首謀者は無様な醜態をさらした。ソ連邦の崩壊という歴史的な大事件は誠にあっけなかった。如何に大木であっても幹が腐ってしまえばちょっとした風でも簡単に倒れてしまうのである。ソ連の崩壊と冷戦の終結という歴史的な大変動を生じた原動力は交通通信網の発達による人と情報の流れであった。明らかにインターネットや衛星通信、超音速旅客機や宅急便はそれ以前の世界とは異なる段階に歴史を進めつつあると思われる。
現代の特長
交通通信網の発展によって世界は一つの共同体になった。近代以前の世界は殆ど交流の無い多くの小世界から成っていた。中世のヨーロッパにおいて猛威を振るった黒死病は広大な地域の人口を殆ど半減する程のものであったがそれでも大洋や砂漠で隔てられたアジアにまで伝播する事は無かった。ところがコロンブスのアメリカ発見に伴い新大陸の風土病であった梅毒は数年の間にヨーロッパ、引いてはアジアの果てにある日本にまで広まった。現代ではアフリカの風土病であったエイズが一旦広がり出すとほんの数年の間に世界中に広まり過去20間に実に4千万人もの人々が罹病しその半数が既に死亡しているのである。その他ラッサ熱や狂牛病等予想もしなかった難病の出現を思えば人類の滅亡も決してあり得ない事ではないと空恐ろしい感じもする。好むと好まざるとに係わらず世界は既に一つの運命共同体に成ってしまっているのである。
ところが世界が一つになるのに伴って最も身近な地域共同体が崩壊してしまった。あまり目立たないがこれは一つの歴史的大変動であったと思う。つい半世紀前には我が国の人口の7割が農業に従事し最大の輸出品は絹糸であったのである。九州の宮崎から東京に行くには寝台特急で三日三晩かかった。東京から大阪に電話をするのに半日かかったのである。交通通信網がそのような発達段階にあった時代には地方経済の比重は今よりも遥かに高く人々は地域社会の中で生活していた。ところが高度経済成長に伴って大都市への産業と人口の集中が生じ今や我が国の総人口の三分の一が首都圏で生活している。私の村でも約20人の同級生の内今でも郷里で生活しているのは二人に過ぎない。この半世紀に凄まじいばかりの産業と人口分布の変化が生じたのである。西洋には「都市は人を自由にする」という諺がある。確かに都会に出て来れば田舎で縛られていた数々の伝統から人は自由になる。たいていアパートの隣人は見知らぬ人であり殆ど付き合いは無い。自由ではあるが反面孤独である。病気や困った時に頼れる人もいない。大都市においてはあまりに多くの新住民が入ってきたために、地方の農山村においてはあまりに多くの若者が出て行ったために地域社会が崩壊してしまった。地方の農山漁村においては急激な高齢化が進行し、このままでは近い将来我が国の原風景が消失してしまう恐れがある。農山村が無くなると我が国の山や森林も荒廃し、集中豪雨のたびに山は崩れ谷は埋まる。人の手が入って初めて自然は人間が生活できる場所になるのであり、原生林では原始的な生活しか成り立たない。農業の始まりとともに世代を重ねて営々と作られてきた田畑や里山こそ人間がそこで生活できる自然なのである。今や農山漁村の衰退と伴にわが国の歴史的な文明そのものが消滅の危機に瀕しているのである。地方の過疎とは反対に大都市においては過密に起因する問題が深刻である。自動車道路の騒音や大気汚染は地域住民の健康に深刻な影響を与え、バブル崩壊後もまだまだ地価は高く一生働いて獲得できるマイホームは高々100平米程度の窮屈なものである。しかも住宅は職場に遠く毎日の通勤は相変わらず満員電車に詰め込まれた「痛勤」である。更には毎日の如く人身事故等による鉄道の遅れ、殺人や強盗などの凶悪犯罪が報じられる。今や我が国の土地神話と同様に安全神話も崩壊してしまった。学校におけるいじめや登校拒否、家庭における幼児や老人の虐待、会社においてはリストラや倒産の恐怖など心の休まる時が無い。あらゆる面で深刻な問題がある。
それらの問題の根本的な原因は個の喪失と地域社会の崩壊であると思う。大都市への人口集中が続いた戦後の約半世紀に多くの人に地域社会の場を提供したのは会社であった。即ち終身雇用体制の下では会社は単に仕事の場であるばかりでなく社宅や社内預金制度、住宅資金の貸し付け制度や観光地の宿泊施設等の福利厚生設備を提供する一つの生活共同体でもあった。今では珍しくなったが以前は年に数回は課内旅行や文体活動のスキー旅行などが盛んだったものである。人々は仕事も生活も会社に頼るあまりに社会人というより会社人になってしまった。
ところが世界が一つになるとMega Competitionと言われる国際的な大競争にさらされて我が国の企業は従業員の終身雇用と福利厚生を守る事が難しくなってきた。また多くの企業が破産している。こうして今や会社も当てにならない。個人は自らの他には頼れるものが無くなってしまった。あたかも天涯孤独の身になったようで実に心細い。毎年三万人もの数に上る自殺者は現在の我が国の問題を深く告発しているのである。現代社会における多くの問題は会社社会の中での個の喪失と人が共に生活できる地域社会の崩壊に起因するものであると思われる。
生活社会の復活の道
それでは如何にして個人と社会の回復を実現できるであろうか。その鍵は高度に発達した情報通信網の活用にあると思う。インターネットや衛星通信を通じて人は単に世界中の人々と通信できるだけではない。今やインターネットは重要な事業の場となっている。いわゆる電子商取引は市場を大きく変えつつある。更には事業に止まらず考えや趣味を同じくする人々が情報を交換する場をも提供している。世界を一つにするインターネットは今や一つの世界になっているのである。
インターネットの中には無数の社会がある。あるものは地域社会であるが多くは分野社会である。即ち仕事や趣味、思想を共有する人々のつながりである。今では個人がインターネットを通じて多種多様の社会に参加したりあるいは自己の考えを発信する事ができる。ここに個の自立と生活社会の復活の道があると思う。歴史時代において人は通常生まれによって国、階級、部族、一族、荘園、領、村、町の民となった。終身雇用制の下では人は一旦就職した会社に属して働き、定年退職後も会社の年金を元に生活した。人は生きるためには何らかの組織に属する他は無く、時には自己の信条に反する事でも組織の指示にしたがって実行せざるを得なかった。人間疎外状態では自己欺瞞は一つの生き方であった。自己に忠実に生きるには釈迦の様に王子の身分を捨て、西行の様に出家して流浪の中に生きる苦難の道を取る他は無かった。所属する組織を替わる事は大変な努力を要した。ところがインターネットはそのような障壁を破壊する力を秘めていると思う。
インターネットの本質は世界中の人々を直結する解放性にある。インターネットを通じて世界で四千万を越えるHome Pageに接続し、ありとあらゆる分野の情報を入手する事ができる。それだけでは無い。人はインターネットにHome Pageを開き世界に向けて発信することができる。Eメールを用いて同時に多数の人々に発信する事ができる。単にEメールのあて先リストを作成するだけでインターネット上に一つの連絡集団を結成することができるのである。Eメールに添付してあらゆる種類の情報を交換する事ができる。こうして人々はインターネットの上にあらゆる団体を組織できる。人は複数の団体に参加する事ができるし、団体の結成と解散も容易に実行できる。後の章において詳述するようにインターネットは衛星通信と組み合わせれば教育と仕事に強力な手段を提供する。
インターネットは一対一の蓄積型データ通信には最適であるが広い地域に分散した多数の参加者間で行う会議やセミナー、大量データの配布、不特定多数の視聴者向けの放送には不向きである。ところがそれは衛星通信や無線通信に最適の通信形態である。そこでインターネットと衛星通信を組み合わせれば最適の通信放送システムが実現できる。即ちインターネットの開放性と衛星通信の広域性、同報性を兼ね備えた汎用的な通信放送網が容易に実現可能である。それを用いて日本全国アジア一円の広大な地域で多数の参加者が遠隔会議、セミナー、大量データの配布、自主放送行う事ができるのである。国境をも越え人々は通信網学園(Network Academy)、同好会、同志会、企業等を構築して学び、働き、楽しむ事ができるのである。現在は通信に止まらず交通においても宅急便によって一日の内に日本全国に物を送る事ができるし航空機に乗って世界のどこにでも数時間内に行く事ができる。
こうして人は特定の組織に依らなくても必要に応じて通信網上に目的を共有する人々と実行団を組織して目的の実現のための活動を行う事ができる。目的を達成したら実行団は解散する。人々が通信網を活用して在宅で仕事をするようになれば自ずと地域社会が復活するであろう。現在の発達した交通通信網は人々に自立と生活社会の確立のための強力な手段を提供しているのである。
日本新生とはガクモンなり
しかしながら手段を使いこなし有用なものにするのは畢竟一人一人の個人である。あらゆる事業の基礎は知識と技術にあり一言で言えば学問にあるのである。前著でのべたように学問の本質は人と人との対話と問う事を楽しむガクモンにある。個々の人間が自立して初めて社会が成り立つのである。日本新生とはガクモンなり。以下の章においてその具体的な方法を提案して読者の参考に供したい。
第二章 二十一世紀の日本と世界への道
西暦2010年頃の日本はどういう国になっているであろうか。
現在中国とインドを始めとするアジア諸国の経済成長により物の大量生産や労働集約的な産業の世界的な重点移行が進んでいる。経済成長に伴ってアジア諸国の技術水準の向上も目覚しく幾つかの先端分野では我が国を凌駕しつつある。現在の動向を元に今後のありうる筋道を探求してみよう。
最悪シナリオ
日本はアジア諸国と同じ様な生産を行っていたのではアジアの小国に転落してしまう。国土が狭く地下資源に乏しい日本が海外に売るべき価値の創造ができなくなれば当然買う金も無くなるので江戸時代の鎖国と似た状況になる。生活水準は低下し最悪の場合には天明の飢饉の再来をみる事にもなり兼ねない。現在の飽食状態では想像も困難であろうがこれは現にアフリカ諸国やアフガニスタン、イラク、北朝鮮等で起こっている事である。
現在国家予算の十年分を越える700兆円もの財政赤字を抱えながら、日本が国家破産を免れているのは国際収支がまだ黒字であるからである。国際収支が赤字と化せばやがて日本は円価値の下落、物価の上昇、消費の低迷、不景気、財政赤字の増大という悪循環の果てに本当に破産してしまう。
尤も日本が後進国の地位に落ちれば相対的に平均賃金も下がり他国に対するコスト競争力は高まるので上述の最悪シナリオの事態は起こらないかもしれないが、実質はアジアの東端に位置する一弱小国への縮小均衡であり、それはなお最悪シナリオと呼ぶべき事態であろう。
あるべきシナリオ
日本は国内に限らずアジアを始めとする世界の最適な所で最適な生産を行い、世界市場の中で競争力を高めて経済成長を持続して行く。そのためには世界の人々の生活に有用な価値を創造する付加価値創造力の絶えざる向上が本質的である。
インターネットの活用によって新たな事業分野の開拓と市場の創造が最短化される。あらゆる分野の市場調査、事業計画、技術開発、製品設計、製造検査、システム運用、保守点検等事業のすべての段階がNET化される。生産活動の各段階の自動化とNetwork化を推進する事により生産性を向上し技術及び価格競争力を維持、強化して行く事ができる。事業の流れを新規事業の開拓と実用段階に分類すれば実用段階における大量生産は世界市場の中の最適な場所で行い、日本国内においては有益な事業概念の創造、その実現のための技術開発と新規事業の開拓に主力を注ぐ国際分業を進めて行く事が必要である。
企業形態も大きく変わる必要がある。インターネット社会における企業とは企業内通信網即ちイントラネットでつながっている範囲の専門家集団であり、市場とは世界通信網即ちインターネットでつながる範囲の世界と等価になる。企業内においては従来のピラミッド型階層組織を廃止して組織を簡素化する事により生産活動の費用構造から余分なオーバーヘッドを解消して海外企業に対するコスト競争力を強化する事ができる。企業外においては開放かつ平等な構造のインターネットで直に結ばれる事により従来の企業系列が崩れて各企業は世界市場の上で最適の相手と提携して事業を展開して行く。従来の大企業の中の異なる部門であった営業、技術、製造、検査部が分離独立して相互にNetwork上で連携、計画、分担、協力して事業を遂行する。条件次第では競合他社とも提携して事業を展開して行くのが普通の姿になる。その過程の行き着く究極には一人一社の形態にも至ると思われる。その段階では企業の形態は現行の会社方式よりも組合方式が主となっているかも知れない。現にフランチャイズ方式のセブンイレブンが親会社のスーパーマーケットのイトーヨーカドーよりも大きな売上げを上げるまでに至っているのがその一例である。
Internet上で現在ナスダックが果たしているように投資家と起業家が直結され社会的に必要な事業が短期間に事業化される。必要な分野の技術を有する企業が通信網で直接連携して事業を行い、システム設計から製造、運用開始までの過程が最短化されるであろう。
通信網と交通網の発展に伴う企業の変革と共に人々の働き方も大きく変わって来る。即ち人々はNetworkを活用する事により時と所を選ばず仕事をする事ができる様になる。日本全国、世界全体のどこでも好きなところで仕事をする事ができるのである。こうして東京一極集中と地方の過疎、高齢化の問題が解決され、よりバランスの取れた国土の発展が可能となる。いわゆるSOHO(Small‐Office−Home−Office),即ち在宅もしくは近所の仕事場での勤務が重要な仕事の形態となって来る。
仕事のやり方が変わると共に生活の型も変わって来る。一人一社形態には至らずとも多くの人々がSOHO方式で働くようになれば今や殆ど消滅してしまっている地域社会が復活してくる。現在我が国が抱えている多くの問題、例えば学校におけるいじめ、学級崩壊、登校拒否、家庭内暴力、幼児虐待、空き巣狙い、強盗殺人等の凶悪犯罪の増加等の問題は地域社会の復活によって有効に解消されて行く事が期待される。
人々の仕事と生活の変化と共に国家や地方自治体のあり方も変わって来る。通信及び放送網を活用した地域社会の発展とともに地方分権が進展する。地方分権が進めば国家の仕事は外交、防衛、立法、司法および国家的大規模事業に限られ、それ以外の日常生活及び産業に密着した行政は地方自治体の果たす役割が大きくなる。同時に地方行政への住民参加の機会が増える。交通通信網の発展によって地方だけでなく国の政治においても国民の直接参加の機会が増えて来る。インターネットの開放性と衛星通信の広域同報性は人為的な国や地方自治体の境界を無意味にする。こうしてかって歴史以前の時代において普遍的に見られた直接民主制が可能となってくる。今や高度に発達した交通通信網によって地球全体が原始時代の村にも等しい大きさに収縮したために原始民主制度が復活するのは当然の過程なのである。このような形の地方分権と直接民主制が進めば世界の各地で生じている多くの地域紛争は意味を失って解消して行くものと期待される。このように日本は平和主義に基礎をおく日本国憲法に加えてその具体的な実践のための新たなモデルを世界に提供する事ができるであろう。
あるべきシナリオの実現の基礎
上述のあるべきシナリオを実現するためにはコンピュータを駆使した通信網と交通網の発展が必要不可欠であるが、更にその根源的な基礎は何かと問えばそれは学問である。今後その活動中心となるのは研究学園であろう。ここで研究学園と呼ぶのは現行の大学、研究所、専門学校、要するに研究と教育に関わる一切の機関を含むが、重要な差異は社会に対して開かれた機構である事である。例えば従来の大学は入学試験の関門を突破しなくては入学が許可されない閉鎖的な組織であるが研究学園は社会に対して開かれた組織である事がその基本的な定義である。それは入るも出るも自由な学問研究のための公園に喩えられる。後の章で述べるようにその代表的な事業形態がインターネット衛星通信網学園(Internet Satellite Network Academy,ISNA)である。ISNAはインターネットと衛星通信放送網を結ぶ事により日本全国、アジア一円の広大な地域の人々に現行のいかなる大学よりも多数の学課を提供できる。人々は在宅のままでもISNAの提供する多数の学課から必要なものを選択して受講する事ができる。毎回の講義資料はインターネットもしくは衛星通信放送網を通じて定期的に配達される。またインターネット衛星通信放送網のつながる広大な地域のどこからでも実時間のセミナーに参加する事ができる。更にはISNAのPortalに接続して電子図書館から必要な書物をインターネットもしくは衛星通信放送を通じて安価に入手する事ができる。特にデータ量が大きな資料は衛星通信放送網の予約配達を活用すれば安価に入手できる。衛星通信放送網の広域性は極めて特殊な分野の研究者にも相互に連絡を取って研究を行う事を可能にしその為の場を提供する。
インターネット衛星通信網学園(ISNA)の活用によって人々が生涯学習と資格取得あるいは相互啓発の機会を容易に得られるようになれば教育のしくみも大きく変わる。教育の機会均等を保証するために国家と地方自治体は小中学9年間の義務教育を充実する責任があるのは当然であるが、義務教育を卒業したら多くの人々は働きながらISNAを通じて必要と趣味に応じて学課を選択し、生涯学習を続けて行く事が期待される。人々は今よりも主体的に学習と研究を続け、家計と国家及び地方自治体は教育費の重圧から開放される。更には仕事に必要な能力と資格を取得する道が容易に利用できるので人は生涯現役で働く事が可能となる。その結果GNPに大きな割合を占める個人消費が拡大し国民経済の成長が持続して国と地方自治体の財政状態が好転する。国や地方自治体の高等教育における役割は小さくなる代わりに基礎教育の充実と直ぐには成果が出ないが長期的な観点から極めて重要な基礎研究及び文化活動の環境基盤整備及び有用かつ公平な資格認定機関としての役割はますます大きくなる。
通信網学園(Network Academy)の発展は既存の大学、専門学校その他の研究教育機関の役割の低下を意味するものではない。反対に既存の研究教育機関の役割はますます重くなる。即ち現状の通学方式においては物理的制約のために定員を制限しまた学生は大学の近くに住む必要があるので学費の他に下宿代等の生活費に高い費用がかかる。現行の制度は研究教育の教授者にも受講者にも空間的、時間的及び経済的な負担が重いのであるが通信網学園を活用すればそのような物理的な制約は殆ど解消される。研究教育の提供者及び利用者もISNAを通じて活動の場を日本全国、世界全体に拡大する事ができるのである。従来の国立大学は国家予算によって保持されると同時に研究主題の選択の上でも予算的にも制限された環境で運営されて来たが、今後は国家の保護を離れて自立する事が求められている。その自立の道は従来の象牙の塔から出て広く一般に学問研究の場を提供しまたその成果を社会に還元する事である。そのための有力な手段がNetwork Academyなのである。
しかしながら教育研究のすべてが通信網を通じた遠隔方式で実行できるわけではない。実験、実習、実技等の直接的な指導を必要とする部分については現在放送大学で行っている様に定期的な集合教育をも併用する必要がある。従って研究学園は地方に多数の拠点を持つ必要がある。例えば現行の地方大学や高専、高校が従来の研究教育事業に加えてNetwork Academyの地方拠点としての事業をも担う事が考えられる。研究学園の地方拠点はその地域における学問の中心として機能する。二十一世紀において大学を始めとする各種研究教育機関はNetwork Academyを通じて事業の場を日本全国、世界全体に拡大すると同時に所在地域の学問研究、情報交換及び起業の中心として益々重要な役割を果たして行く事が期待される。
西暦2010年頃の日本と世界
約二十年前わが国が高度成長の只中にあった頃には「二十一世紀は日本の世紀」と言われたものである。その意味が十九世紀にイギリスが呼ばれたように「世界の工場」となる事であったとしたらその予言は見事に外れた。今「世界の工場」になりつつあるのは日本ではなくて中国である。平均賃金は低いが技術水準は高く世界最大の人口と広大な国土を有する中国に世界の有力企業は市場と生産基地を求めて膨大な投資を継続している。中国は今や世界の工場になりつつある。おそらく西暦2010年には世界最大の経済大国になっているであろう。
それでは日本は何になるべきであろうか。中国が「世界の工場」となるならば日本は「世界の工房」になるべきであろう。工房とは作品の創造が行われる芸術家等の仕事場である。工房の目的は従来とは異なるものを創造することであり工場の目的は与えられた設計図に基づいて同じものを量産する事である。日本で開発したものを中国で量産して世界市場で販売するという姿を日本は目指すべきだと思う。
しかしながら前述の如く中国を始めとするアジア諸国の科学技術水準は近年目覚しい向上を遂げており幾つかの分野では我が国を凌駕しつつある。各種の統計によると我が国の学生の学力は新興アジア諸国に比べて著しく低下しており人生に対する態度においても消極的な姿勢が目立っている。加えて少子化傾向が続いており人口の高齢化が急激に進行している。今のままでは世界の工房どころか工場としても競争力を保てなくなる恐れがある。上述のあるべきシナリオを実現するためには根本的な日本社会の変革が必要不可欠である。その粗筋は上に述べた所であるがここではその結果として約十年後の日本がどんな国になっているかを考えてみよう。
硬直的な階層組織から柔軟な水平組織へ
十年後の我が国の目だった特長は社会構造が全般的に著しく平坦になっている事であろう。前著で論じたように交通通信網が未発達な段階では縦割り階層組織が最も効率的であったが今日のように高度に発展している段階では却って非効率である。現在多くの先端企業においては裁量労働と年俸制が導入されつつある。即ち納期内に与えられた仕事を達成できるならば仕事をする時と所は社員の自由裁量に任せる方式である。拘束時間が無いので賃率即ち時間あたりの賃金も定義できない。そこで通常年俸制が併用される。この方式では在宅もしくは近所の作業所で仕事をするSOHOが活用できる。この方法を推進すれば究極的には一人一社に行き着くと思う。なぜならSOHOで働く社員に兼業を禁ずる現行の就業規則を完全に守らせる事は実際上不可能であるからである。
大企業の構造は大きく変わる。従来の大企業は本社と支社、分野別の営業部門と事業部門、研究開発部門と製造部門等に分れ、それぞれが更に多くの地方拠点や海外拠点を有する縦割り構造であった。各部門の内部はピラミッド型の階層で組織され特定の部門に配属された新入社員は一生かかってその階層を一段ずつ上る事に努力した。部門が異なると人事的にも技術的にも交流が乏しく最近の急激な市場の変化について行くのがますます困難になってきた。そこで大企業の多くは事業分野もしくは地域別の複数の企業に分社化を進めている。分社化の目的は方針決定の過程を短縮して激変する市場の変化を先取りすることである。しかし分社化は一面では縦割り構造の徹底であり問題もある。特に不採算部門の切り捨てとして分社化された企業は開発投資の余力が無いため将来の成長の芽を摘んでしまいますます衰退の途を辿る事にもなりかねない。
本当の構造改革は分社化そのものではなくピラミッド型階層組織の廃止である。如何に分社化しても従来の階層組織のままでは市場の変化に対応できない。これからの企業はあらゆる分野の専門家を直結する平坦な組織でなくてはならない。もちろん各人がばらばらでは事業は不可能である。必要に応じて関連技術を有する専門家が協力して事業を起こし、完遂するための組織、即ち実行団が必要である。実行団とは仕事の為に結成され、仕事の完了と共にに解散する仕事のための組織である。その詳細については後の章で詳しく述べるがそれは現在高度に発達した情報処理とインターネット技術を活用して初めて可能になる二十一世紀企業のあり方なのである。
実行団の本質は明確に定義された事業目的と内容に賛同する団員が責任を分担する事業のための組織である事である。従来はその成員は通常同じ会社の社員であったが二十一世紀の市場においてはそれでは全く不足になる。これからは世界中の人材を結集して最高の実行団を結成して事業を行うのでなくては競争力を保つ事が困難になる。実行団員は通信網の上に会員だけの共同作業場を設けてそこで情報の共有と交換、会議、日程管理を行って事業を遂行する。営業活動、引き合い情報の開示と応札の呼びかけ、実行団の結成、提案書の作成、応札、契約、事業の遂行、報酬の支払い、事業の完了に伴う実行団の解散の全段階において情報通信網が主要な仕事の場として活用される。事業の遂行で達成された成果は電子図書形式で網内の電子図書館に半永久的に保存されて次世代の用に供される。こうして二十一世紀の企業とは会社組織よりも通信網でつながった事業家の集団となるであろう。世界の工場としての中国は二十一世紀にも長らく従来の縦割り階層組織が主要な企業形態として続くであろうが世界の工房としての日本は事業家集団として新たな形態の企業が勃興するであろう。
官から民の政治へ
現在政府は省庁の統廃合に引き続いて特殊法人の民営化を進めようとしている。年来外務省や警察の不祥事が続き政府に対する国民の信頼は地に落ちている。小泉首相の人気は高いが先月の参院選挙の投票率は50%そこそこで前回をも下回り、国民が現在の政治体制に信頼を置いていない事が示された。日本の政治組織は上述の大企業よりも遥かに縦割り且つピラミッド型の階層組織である。典型的な終身雇用制の官僚組織であり政府に職を得たら一生無事に勤め上げて後は恩給で暮らす事が大半の役人の関心事である。キャリヤ制度により最初から幹部コースは一般のコースとは異なる道を昇進する。ピラミッド型組織では当然生じる幹部クラスの余剰人員は所属する官庁の規制分野の大企業に極めて有利な条件で再就職、いわゆる天下りをする。数ある特殊法人はいわゆる親方日の丸で放漫な事業を続けても毎年国庫から補助を受けて破綻する事が無い。このように保証された地位を利用して多くの子会社を作って利益を挙げ前述の天下り役人に職場を提供している。この様な官業による民業の圧迫は我が国の産業の活力を削ぐと同時に膨大な財政赤字の発生の元凶となっている。民主社会は民の選挙で選ばれる政治家が官僚組織を指導して民のための政治を行う建前になっているがそれが機能不全に陥っているため毎回の選挙で示されるように有権者の半数はその権利を行使していない。これは民主主義の危機であると思う。
このような状況が長らく続いているのは何故であろうか。その根本的な原因は制度が不透明で情報の流れが詰まっている事だと思う。選挙の時にも各候補者が何を考えているのか分らない。選挙広報は単に標語の羅列で意味不明である。勢いイメージ選挙となり有名人を多く立てる事になる。選挙ですらこうであるから田中真紀子外相が外務省を伏魔殿と称したように官庁の中は情報的に全く不透明である。更にキャリヤ制度のように硬直化した人事制度は有能な人材が能力を発揮する機会を閉ざしている。採用試験で一生のコースが決められるというのは組織を硬直化させる悪しき制度である。歴史を振り返ってみれば「あらゆる組織は硬直化する。硬直化した組織は腐敗する」という法則が成り立つようである。何故であろうか。それは組織というものは多かれ少なかれ縦割りの階層組織にならざるを得ないからである。それが組織の法則だとすれば組織の活性化のためには「硬直化した組織は廃止するより他に新生の道は無い」。いわゆるScrap−and−Buildを徹底しなくては世の発展は無い。私はそのような組織を実行団と称して後の章で詳述している。従来の方法では古い組織を廃止して別の新たな組織を開始する事は人事制度、文書の保管制度、事業の継続性の確保等の点で極めて困難であったが情報処理技術と通信網が高度に発達している現在は遥かに容易になっている。
二十一世紀に消えるべき職業は職業政治家であろう。職業政治家は食うために政治を行うので時流に従って発言と行動を変え定見が無い。落選が死ぬより怖いので有権者に迎合せざるを得ないのである。二十一世紀には電子政府の発展によって政治は職業政治家ではなくて一般の国民や市民が行うものとなる。種々の職業についている民はそれぞれの分野の実際の問題を把握しているので問題解決の目途も立て易い。職業によって自立しているので自ら信ずる所に従って行動する事ができる。使命を終えたら官の地位から降りて元の民に戻れば良いのである。それはまさに米国の初代大統領に選ばれたG.ワシントンが示した道であった。G.ワシントンは独立戦争に当たり大陸議会から独立軍の最高司令官に任命された。市民から成る独立軍を率いて困難な状況の中でイギリス軍と戦いアメリカを独立に導いた。遂に独立革命が達成されると早々に軍を辞して自分の農園に帰った。自分は一介の農夫であるというのが彼の信念であった。G.ワシントンの歴史的な功績は軍事よりもこの行動にこそあると思う。それによって初めて軍事的な征服者が新たな王朝を開くという文明の始まり以来限りなく繰り返されてきた歴史とは全く異なる新たな社会への道が示されたのである。
米国以外の国においては長い歴史的伝統を断ち切る事は遥かに困難であった。特に我が国の近代化は島国の長い歴史の重みを荷って矛盾に満ちたものであった。王政復古の大号令によって開始された明治維新は大日本帝国の成立で完成されたと見る事ができよう。明治の急激な近代化の内に多くの前近代的な思想や制度が残存した。大日本帝国が第二次世界大戦で崩壊して初めて我が国の本格的な近代化が完成したと思う。戦後我が国は基本的人権、民主主義、平和主義を三本柱とする日本国として再出発し世界史にも例を見ない技術革新と経済成長を遂げ今日の豊かな国となった。
現在政府はe‐Japan計画の重要課題として電子政府化を推進している。電子政府化の最大の利点は政治の透明化と簡素化であると思う。三年後には電子政府化は一応完成する予定であるがその事によって単に便利になるだけでなく民の声を政治に活かす事が容易になり今より直接的な民主政治が可能になっているであろう。生活に密着した行政は地方自治で行い国政は外交、防衛、立法、司法、国家的基盤事業に集中しているであろう。地方分権は税制の改革とSOHOの普及を主とした産業の地方展開によって財政的にも支持され都市の過密と地方の過疎問題が同時に解決され、今より遥かに均衡のとれた産業の発展が進展しているであろう。地方の人口が増え、地域社会が復活して地方色豊かな国になる。政治の透明性が高まると同時に直接民主制が進展する。国政においては十年後に議員内閣制が続いているにしても現在のような権力の獲得を目的とする職業政治家ではなく志を同じくする民間人の団体としての政党が主力となっているであろう。外交においては国際交流に劣らず直接国民による民際交流が盛んになっているであろう。一見バラバラのようでも情報交換が密で透明性の高い我が国は一朝事ある時はいかなる全体国家にも増して迅速に一致団結するであろう。防衛においては自衛隊は今より遥かに平坦で透明な組織になり自然災害をも含めた有事の際は世界的にも最強の機動力を発揮するであろう。専守防衛の技術開発を進め如何なるミサイル攻撃に対しても安全な体制を確立しているであろう。立法、司法、国家事業においても今より遥かに国民による直接参加が進んでいるに違いない。民提案による立法や陪審員による裁判が普通になるであろう。通信網学園を活用して生涯学習を続けて種々の資格をとる道が容易に利用できるので現在よりも遥かに多くの医師や法律家、公認会計士等の高度な専門家が活動する。選挙を通じて任命された代表による国会や地方議会の他にインターネット衛星通信および無線放送を用いて何万人もの人々が参加する国民会議や市民会議等の草の根民主主義が目覚しく発展しているであろう。
個人の自立
以上述べた変化の根源を一言で言えば個人の自立である。従来日本人は集団的な習性が強く独立心に乏しいと言われている。国際学会等で参加人数は多いのに余りに発言が少ないので日本人は他の知識を盗むばかりで応分の寄与をしていないと非難される程である。教育水準は高いが独創性に乏しいとの批判も良く聞くところである。
しかしながら決してそれは日本人の民族性ではない。日本人は本来独立心に富み独創性の豊かな民族である。我が国の戦国時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に代表される戦国大名や茶道を大成した千利休だけでなく今は名も伝わらない無数の農民や職人、商人が世界史にも稀な独立心と独創性を発揮した時代であった。
日本において最も多くの独創が行われ国力が飛躍的に発展したのは上述の戦国時代に加えて封建時代から近代への大転換を遂げた明治時代と未曾有の破壊が行われた第二次世界大戦後の焦土からの復興の時代であったと思う。いずれも長らく続き硬直化して機能低下した古い制度が破壊され新たな勢力が勃興する混乱の多い時代であった。そして我々は今そのような時代の真っ只中にいるのである。構造改革に伴う痛みは明治や昭和に先人が味わったのと同様に苦しいものではあるが産業が遥かに高度に発達した今は新たな事業機会を活用する道も大きく開けている。その根本の道はNetwork Academy,即ちC&C人間網学問楽園を活用して不断に自己の能力を高めると共にインターネットを始めとする情報交換網を活用して仕事をする個人の自立と事業家集団としての新たな企業形態の発展、官から民への政治制度の変革、平坦で柔軟な実行団組織の普遍化等を特長とする新たな社会の創造なのである。
第三章 インターネット衛星通信システムでC&C人間網を開拓しよう
始めに
現在インターネットを活用して様々な新規事業が始まっています。米国は過去十年もの長期的な経済成長を続けましたが、その原動力はインターネット起業によるNew Economyであると言われています。翻って我が国の状況をみるとバブルの破裂以来政府の刺激政策にも関わらず景気の回復はまだ弱いものです。企業倒産は多数の中小企業ばかりでなく大手金融企業や総合建設会社、百貨店等に及び、リストラと就職難、高い失業率のために本格的な消費の回復は見られず、自立的な景気の回復は困難な状況にあります。国と地方自治体には666兆円にも及ぶ債務残高があり、国家破産とも言われる硬直化した財政の下では官主導の経済回復は困難です。国際市場における大競争のために今や製造ばかりでなく開発拠点まで海外に移りつつあり、国内の就職難は特に若年労働者の修業機会の喪失をもたらし、我が国の産業基盤を危うくしています。急激な人口の老齢化に伴う健康保険と年金保険の収支の悪化等のために国民は前途に希望が持てず、低下を続ける出生率は我が国の前途に深刻な問題を突きつけています。登校拒否、学級崩壊、いじめ、青少年の凶悪犯罪の増加等の学校教育の問題や家庭内暴力、児童虐待はこのような社会不安の顕れだと思います。
政府は「日本新生」の目標を掲げその実現の手段として情報技術(IT)基盤の整備を推進しています。向こう5年間にFTTHによって家庭にいながら30Mから100Mbpsもの高速インターネットを「極めて安価に」使用できるようにする事により「米国を凌ぐ」IT社会を実現すると謳っていますが、本当に実現可能でしょうか。その基盤整備にかかる費用を一体誰が負担するのでしょう。また毎日朝から夕まで会社に通勤している勤め人が夜帰宅してから再びPC画面を見てKeyboardをたたきたいと思うでしょうか。米国を凌ぐというのはその実米国の猿まねをしているに過ぎません。このような「追いつき、追い越せ」的発想はそろそろおさらばして本当に地に足の着いた開発を実行して行く事なしには我が国に21世紀への道は拓けません。政府のIT計画は従来の公共事業による景気刺激政策と大差なく結局は国民の借財を更に増やすだけの結果に終わりかねません。
本論文で私が提案するのはインターネットと衛星通信技術を活用すれば極めて安価に、米国をも凌ぐC&C人間網の開拓が可能な事です。我が国には既に十分な衛星通信の容量と全国の隅々まで張り回らされた有線通信網、有線電話数を上回る数の携帯通信網が確立しています。これらを有機的に組み合わせれば極めて安価に、極めて有効な情報通信網の実現が可能であり、その活用によって我が国は21世紀に更に高度な経済発展を続けて行くだけでなく、世界平和と人類の福祉に貢献できる事を示します。
(本論文は約一年前に書いたのであるが当時まで約十年間も高い成長を続けてきた米国経済も今はITバブルの破裂と更に今年9月11日のNew Yorkでの破壊活動の結果成長が止り世界は同時不況の様相を呈している。現代は正に激変の時代である。)
衛星通信と地上系インターネットの相互補完関係
インターネットの特長
インターネットは全世界を対象として定義されたDNSとIPを使用して世界中のコンピュータ通信網を通じて任意の二点間の通信を行うのに最適である。基本的な通信形式はデータが蓄積されているHP(Home Page)に利用者が接続して必要なデータを取得する引き出し型(Pull)の使用である。また通信されるデータはページ単位の少量通信である。ページ単位の通信はHyper-linkを活用する事により多種多様の情報を柔軟につなぎ合わせるのに極めて有効である。またIPは大量のデータの転送には適さない通信方式であるのでファイル転送にはFTPが用いられる。最近は特定のグループ例えば予め契約している加入者等に定期的に情報を送信する押し出し型(Push)の通信もある。その際個別に記事を送付するよりも効率的に通信網を活用するための同報手段としてMulticast方式が研究されてはいるが一般には普及していない。Chatのように多数の会員の間で会議形式で通信を行う機能もあるが技術的には単に複数の二点間通信を並列に実行しているに過ぎない。従って参加者が多くなり又地理的に隔たっている場合には全体として通信にかかる費用は大きなものになる。簡単に言えばインターネットは任意の二点間で少量の情報を通信するのには向いているが多点間で大量の情報を通信するのには不向きである。
衛星通信の特長
衛星通信は広大な地域に分布した多数の点の間で大量の情報を通信するのに最適である。静止衛星一個で世界の1/3の範囲を一気に覆う事ができる。衛星通信の広域性と同報性を活用する事業として衛星放送が提供されており現在世界中では一億を越える加入者がある。地上の放送に比べて周波数帯域が広くディジタル技術の活用によって遥かに多数のTV及び音声放送チャネルが提供されている。
このように衛星通信と地上系のインターネットは最適の補完関係にあり、両者を組み合わせれば有用な事業が提供できる。
従来の衛星インターネットの問題点
従来衛星放送システムを用いてDirectPCやPerfectPC等と呼ばれるデータ配信業が提供されている。データの配信は衛星通信で行いデータの検索と選択は地上のインターネットで行うのである。しかしながらいずれの事業もあまり成功しているとは言い難い。その原因としては衛星通信は確かに高速であるが通信が輻輳して来ると利用者当たりのデータ速度は低下して地上のインターネットと大差無くなる事である。この点を改善するため定期購入契約に基づくグループ利用者に対する映像配信事業等が提供されているが、現状では利用者は企業、団体に限られ一般の個人市場は殆ど未開拓である。
提案事業とそのシステムの構成
上述の従来システムの難点を改善して膨大な個人市場に有効な事業を提供する事のできるシステムを提案する。
[1]衛星インターネットデータ配信システム
構成
本提案のデータ配信システムの構成を下図に示す。
動作
加入者端末は衛星通信を通じて配達される放送およびデータ通信信号を受信する事ができる。データはデータセンターと衛星地球局から通信衛星を介して広域に送信される。加入者端末は地上のインターネットもしくは通信衛星と衛星地球局を通じてデータセンターに接続して、データの検索と選択を行う事ができる。データセンターは種々の情報を蓄積する電子図書館としての機能に加えて一般のインターネット網に接続して広汎な情報源に接する機能を提供する。即ち本提案の事業は電子図書館及びデータ配達事業であると同時に一面においては一つのISP事業に他ならない。
ここまでは従来の事業と大差無いのであるが本提案の特長は次に述べるデータの配達方法にある。利用者はインターネットもしくは衛星通信を通じてデータセンターのHPに接続して利用できる情報を検索する。欲しい情報があればデータ要求信号をデータセンターに送信する。例えばHP画面の所定の場所をクリックする。要求求信号には要求者のIDに合わせてその情報が配信されるまでの納期を指定する。その種類としては即時、三十分以内、一時間以内、六時間以内、一日以内、三日以内、一週間以内、定期配信等の等級がある。要求信号に含まれる許容時間が即時でなければデータセンターは先ず要求された情報に先約があるかどうかを点検する。もし先約がなければ要求に含まれる時間内の適当な空き時区を選択して予約を入れる。もし先約があればそのデータのための予約信号を通信衛星を介して要求者に返す。予約信号の内容は要求者ID,予約番号(グループアドレス)、配信時刻、データにかけられる暗号形式と解読のための鍵等を含んでいる。予約信号を受けて解読した加入者端末は自局の衛星受信装置に与えられたグループアドレスと配信予定時刻及び暗号解読のための鍵を設定して受信待機状態に入る。同時にインターネットまたは衛星を通じてデータセンターに予約確認信号を返す。データセンターが上の予約確認信号を受け付けると取り引きが成立する。
予定の時刻に上記グループアドレスをつけたデータがデータセンターから衛星を介して放送され上記加入者端末は指定された時刻に自局に割り当てられたグループアドレスを含んだデータの受信、暗号解読、メモリへの蓄積を行う。
本システムの効果
本方式では下図に示す様に既存の直接衛星放送受信装置を併用する事ができるので、加入者端末は容易にかつ安価に実現できる。既に我が国だけでも三百万にも上る加入者端末に簡単な機能を追加するだけで全国的なデータ配達システムを一挙に構築する事ができるのである。上述の如く予約方式により通信衛星を介して只一回の送信により直接多数の利用者にデータ配信ができる。またインターネットのように多数のデータグラムに分割する必要がないので大量の情報を高い伝送効率で配達できる。このように本システムはインターネットの汎用性と衛星通信の広域性、同報性および高速性を完全に活用する事ができるので広汎な地域に分布している極めて多数の人々に多種かつ大量の情報を極めて安価に配達する事ができるのである。
[2]衛星通信会議システム
提案システムの構成を下図に示す。
会員
会議に参加資格のある会員は予め登録され、特定の会議のテーマ、予定時間及び使用される暗号鍵等を前以って受信し衛星通信装置を設定して準備を完了している。
議長
上図に示すように議長は必ずしも会議センターにいる必要は無く地上通信網を介して会議センターに接続して議長動作を行う事が可能である。
議長は時間になると会議センターに接続して会議の開催を衛星通信を通じて宣言する。参加者は会議の開催宣言を聞くとインターネットもしくは衛星通信を介して会議センター経由で議長に出席通知信号を送信する。議長は必要に応じて参加者リストを衛星通信で放送し会議の成立を宣言して会議を始める。会議は発言権を与えられた参加者の発言が議長装置を介して衛星を通じて放送される。但し議長は常に発言権を保留し必要ならばいつでも自らの発言を放送する事ができる。議長は参加者の発言を求める時には発言受付状態を設定し発言受付信号を放送する。発言受付信号を受信すると加入者端末はその旨表示する。その時発言したい参加者は発言要求信号を地上または衛星通信網を通じて会議センターに送付する。発言要求信号は要求者IDを含む。議長は発言要求者の中から一人を選びその指示に従い議長装置は発言権付与信号を作成して衛星通信を通じて放送する。発言権を付与された加入者の端末はその信号を受けると発言許可状態を表示する。例えば緑のランプ等。発言許可状態を表示された加入者は発言信号を会議センターに送付する。発言信号は加入者IDを含み、会議センターは発言権を付与された加入者からの信号である事を確認した上でその発言内容を含む放送信号を作成して衛星を介して放送する。発言者の発言は本人が終了ボタンを押すと発言終了信号が会議センターで検出されて発言受付状態に移行する。あるいは議長が発言を強制的に終了させる事もできる。発言受付状態になると会議センターは発言受付信号を放送する。
以上の動作を繰り返して会議が進められる。
会議終了予定時間が来れば議長は議長発言権を行使して会議の閉会を宣言し衛星を通じて放送する。そして会議センターは衛星回線を切断する。
上の説明は議長が居る場合の動作を述べたが議長の存在は必ずしも必要ではなく議長機能は会議センターにおいて自動化する事も可能である。
【効果】
第一の効果は極めて簡便な構成により広汎な地域で利用可能な会議システムを実現する事が可能な事である。 その理由は、本提案の方式では会議を聞くのは既存の直接衛星放送受信装置を使用する事ができ、参加者からの発言権要求や発言信号の伝送は現行のインターネット網をそのまま用いて容易且つ安価に実現できるからである。第二の効果は現行の如何なる会議システムをも凌ぐ大規模な会議の実現が可能な事である。その理由は衛星通信の広域性と同報性により参加者の数には制限が無いからである。第三の効果は発言内容は音声に限らず文書や図、映像も可能であり共同作業、教育セミナー、地域情報システム、視聴者参加の放送等多様な用途に応用できる事である。
本提案の有効性は現行のインターネットを用いる会議と比較すると明確になる。日本全国に分散した多数の参加者がインターネット網で会議を行うにはMulticastが必要である。しかしながらインターネットを構成するすべてのパケット交換機、即ちRouterがMulticast機能を備えるには多額の設備投資が必要であり現実には殆ど不可能に近い。ところがインターネットと衛星通信放送を組み合わせれば極めて容易に実現可能なのである。
[3]衛星通信網学園
本提案のシステム構成を下図に示す。
【動作の説明】
上図の構成において学園センターは前述のデータ配達システムと会議システムを組み合わせた機能を有する。
それに加えて衛星通信学園センターは遠くにいる講師がインターネット等の通信網を通じて教材を送信、蓄積したり、学生からの答案、論文、質問を受け付けたり、あるいは学生に対する連絡事項を掲載したり意見交換をするための掲示板等を備えた専用のMailbox,即ち講座センターを提供する。学園センターは講師が講義内容を図、絵、画像、文章、及び音声等の手段で作成するための教材作成手段を提供し、講師から送信されて来る講義内容を前記講座センターのMailboxに蓄積し、予定の時間割に従って前記衛星地球局に送信し、通信衛星を介して放送する。上記放送内容は前記加入者の衛星通信端末で受信され内部のメモリに蓄積され、加入者が利用するときに上記メモリから読み出されて講義を再生して加入者の学習の用に供される。上述の如く一時蓄積方式で加入者が自由な時間に学習する方式に加えて、講師と加入者が同時に前述の衛星通信会議システムを用いてセミナーを行う事も可能である。
マルチメディア技術の活用
現在行われている放送大学はTV一チャネルを利用している。本格的な教育にはとても不足であるが利用できる周波数資源は限られており、これ以上のチャネル割り当ては期待できない。ところが講義の内容をよく吟味すれば現行のTV帯域を用いて何倍もの講義を放送する事ができる事が判明する。現在の信号処理技術を用いれば画像圧縮、音声圧縮により必要な帯域幅を大幅に低減する事ができる。例えば音声は8kbps程度、動画は300kbps程度までの低減が可能である。高品質の音声も128kbps程度あればCD並みの音質が実現できる。また通常の講義においては常時動画が必要とは限らない。講師の音声は常に聞こえる必要があるが、講師が黒板に書くものは基本的には静止画で十分である。また音楽においては高品質の音が不可欠であるがそれにしても常時必要なわけではない。講義の内容によって千差万別であるが平均すれば64kbpsから128kbps程度あれば十分である。仮に平均100kbpsのデータ速度で一時間の講義を行うものとすると全体のデータ量は約30MBとなる。これを5Mbpsのチャネルを用いて蓄積方式で配達するには約60秒かかる。それにかかる費用は現行でも100円程度であるが受信者が100人いれば一人頭では1円そこそこの費用で済む。直接衛星放送用で深夜帯には使われていないチャネルを活用すれば約5時間の夜間に5MHzチャネルあたり300時間分もの学習教材を配達できる。他方マルティメディアセミナー方式では現行のTVに用いられている5MHzの帯域幅を使用して同時に20から100もの講義を実施する事が可能である。仮に平均50講座を同時に実施するとすれば一日には1,000時間もの講義を実現する事ができる。我が国にはCSだけでも4衛星があり、更にBSが加わって今や我が国の衛星通信放送チャネル容量は正に膨大である。
【効果】
第1の効果は極めて簡便な構成により広汎な地域で場所と時間を問わない学習システムを実現する事が可能な事である。本方式は既存の直接衛星放送受信装置と地上通信網を併用する事ができるので装置は容易にかつ安価に実現でき、蓄積方式により時間的自由度の大きい学習が実行できるからである。また講師も学生も自宅にいながら講義に参加するので早朝から深夜までの講義もしくはセミナーもさして困難なく実行する事ができる。
第二の効果は現行の如何なる教育機関をも凌ぐ大規模な学園の実現が可能な事である。その理由は前述の如く毎日何千という学習教材を提供できるからである。
第三の効果は瞬時形式のセミナーが容易に実現可能な事である。その理由は衛星通信の同報性を活用して全参加者が講師の話を聞き或いは議論する放送もしくは会議が容易に実行できるからである。また極めて多数の参加者がセミナーに参加できる。
第四の効果は社会的に大きな改善をもたらす事ができる事である。その理由は既存の教育機関は設備の上から定員に限りがあるので落とすための入学試験が必要でありそのために学校教育に様々な歪みが生じているが、本提案の通信学園には定員が無く学びたいという熱意がある人はだれでも入学できるからである。場所的にも時間的にも自由に学習ができるので教育にかかる費用を大幅に低減できる。また必要に応じて同時形式のセミナーも容易に実現できる。更に直接指導が必要な場合には現在放送大学でなされているスクーリングを併用すればよい。
応用分野
以上述べたシステムを活用して如何なる事業が実現できるかを概観しよう。
[1]インターネット衛星通信データ配達事業
本システムの特長
(1) 多数の利用者に同時に大量の情報配達が可能
(2) インターネットを通じて利用者による情報検索と選択購入が可能
(3) 種々のデータ配達方法が利用可能
−即時配達
−定期購読
−指定時間内の配達
(1時間から一周間程度の範囲で任意に選択可能)
事業分野
上の特長を活かして多種多様な応用が可能である。例えば
− 新聞、各種機関紙、同人誌等の定期配達
− 企業、団体の全国支店、フランチャイズ店、地方拠点への定期的な一斉通知
− SOHO,自営業者、研究者への専門性の高い情報の配達、例えば
Matlab等の数値解析ソフトウェア、CAD/CAMソフト、ランダウ、リフシッツの理論物理学教程第一巻:力学、J.C.Maxwellの電磁気学教科書、1905年のアインシュタインの相対性理論論文、NEC半導体のデータブック、アフガニスタンの歴史、万葉集とその研究書一式、インターネットのYellow Page,全国生活共同組合のリスト、全国農協Yellow Page, 有機農業農家の共同通信、全天の星のカタログ、世界の歴史全26巻、日本の歴史全20巻、死海の書の全巻コピー、ブリタニカ大百科事典、塙保己一の群書類従、宮崎安貞の農業全書、放送大学の講義( 毎日1,000科目程度提供 ),日本鳥類学会秋季大会論文集等々、無限にあり。
[2]衛星通信会議システムの応用
特長
(1) 日本全国、世界全体に分布した多数の利用者間で会議やセミナーが可能。
(2) 理論的に参加者の収容数は制限無し
応用分野
− 企業、団体向けの全国拠点間の営業会議
− 株主総会
− 放送大学の講義
− 全国過疎地の生徒に対する遠隔授業
− 県人会、同窓会、各種同好会の大会
− 地域交流ネット
− 非常災害時の連絡網
− 政党の全国大会
− 宗教団体の全国礼拝式
− 視聴者の直接参加ができるによる広域放送
− 選挙立候補者の公約発表
− 選挙立候補者の政策闘論
− 遠隔議会
− 学会や展示会、Forum等への遠隔参加
− インターネット放送、その他無限にあり。
[3]衛星通信学園の応用
登校拒否学童への学習システムの提供
文部省によると我が国には13万人を越える登校拒否の学童生徒がいる。登校拒否が何年も続き、自室に閉じこもったまま、家族とも口を聞かない閉じこもりの人々も多数に上る。本人はもとより家族の苦労は並大抵のものではない。基礎教育の機会を逸した多数の青年の存在は社会的にも大きな損失である。本システムを活用すれば登校拒否の学童生徒に受け入れられる形で就学の機会を提供できる事が期待される。
生涯学習システムの提供
現在我が国の失業率は5%を越え、三百万人もの人々が職探しに苦労している。国家破産と言われるほどに硬直化した財政では最早官主導による有功需要の創造は困難である。世界市場における大競争時代に生き残るために製造ばかりでなく開発拠点まで海外に移りつつある今日、企業リストラによって失業した人々が加わる事によって厳しさを加える雇用情勢は容易に好転しそうにない。他方特定の分野では極端な人手不足が生じている。例えば国策として推進されるIT分野の専門家、急激な老齢化に伴い必要となる介護の専門家、農林漁業やその他の地場産業における後継者難、農家の嫁ききん等は国家の存亡にも関わる問題となっている。今や財政問題の解決は待った無しの状況にあり、数年後には国立大学も独立法人又は民営化される。もとより私立大学は少子化時代の生き残りのために社会人のための公開教育、大学院留学、起業支援等の制度を設けている。日本の大学ばかりでなく海外の大学もMBAの資格取得コース等を提供しているが、仕事あるいは職探しをしながら長期間夜間大学に通うのは誠に困難である。
上の状況を考察すれば現在欠けているのは仕事でもなく、生徒でもなく、教師でもなく、学問芸術でもなく、正にそれらを有機的に結び付ける相互通信網である事が判明する。本提案システムは正にその様な結び機能を提供する事により、真に日本新生には寄与し得る事業である。
インターネット衛星通信システムによる地球村の実現
以上のシステムは既に世界で一億もの利用者がある直接衛星放送(DSB)の活用を基として説明して来たが、最近注目すべきものとして移動体衛星通信システムがある。最も歴史の長いINMARSATは第四世代において三年後には2Mbps/432kbps以上の高速双方向インターネット通信の提供を開始する予定である。端末はNotebookPC程度の携帯端末である。我が国においては既にNSTARシステムによって64/4.8kbpsの通信が主として沿岸航路の船舶向けに提供されている。その他アジアではACeS,中近東アフリカではThurayaシステムが携帯端末で可能な移動体衛星通信事業を開始している。他方現在世界で50万台もの端末が稼動しているVSATシステムにも本提案のシステムは容易に応用可能である。例えばインテルサットが最高5Mbpsの高速IP接続を提供しているが西暦2004年からは更に最高速度を56Mbpsにも引き上げた事業を開始する予定である。今までの所VSATの市場は企業や公的機関に限られているが本提案のシステムの応用によって更に個人向けに市場が拡大する事が期待される。
それらの移動体衛星通信やVSATの特長は一個の衛星で地球の1/3を覆う程の広域性と地上の通信網が全く未発達な地域に容易にインターネット衛星通信事業を提供する事ができる事である。現状の衛星でもインターネット衛星放送、会議、データ配達事業はそのまま実現可能である。従って衛星通信網学園も同様に実現できる。
あとがき
以上インターネット衛星通信システムの提案を行いましたが最後にC&C人間網、すなわちC&C Human Networkについて一言述べます。二十世紀後半に我が国の情報通信網の飛躍的発展を実現したのはNECの故小林名誉会長が提唱したComputer and Communication,即ちC&Cの思想であったと思います。コンピュータと通信機器の製造業としてはそれで十分だったのですが、最近の世界市場の変化と共にそれだけでは不十分になってしまいました。今や製造は中国、ソフトウェアはインドを中心とするアジア諸国に拠点が移りつつあります。世界市場の大競争を生き抜くために更には製品の開発設計まで海外に移りつつあるのが現状です。長引く国内の雇用不安の根はそのように深い所にあり一朝一夕には改善しないでしょう。それではそのような市場環境の下で日本企業は如何なる思想を指針にして事業展開していけば良いのでしょうか。C&Cの重要性は今後も増えこそすれ減るものではありませんが、私は更に人間網、即ちHuman Networkを付け加える事を提案します。C&Cとは詰まるところ、人と人を結びつける事です。人間は「じんかん」と読めば世間とか社会とかいった意味にもなります。今後の技術開発においてはC&Cよりもまず人間を念頭におくべきではないでしょうか。例えば人口の急激な高齢化に備えて、目がかすみ、耳が遠くなっても読書、外出、車の運転、会話、音楽鑑賞ができる電子感覚システム、車に乗れば眠っていても安全に目的地に行ける真の「自」動車システム、卵を割らずに持ち運べるほどの繊細な感覚を持ち、患者にやさしい看護、介護ロボット、階段でも坂道でも自由に移動可能な車椅子、調和のとれた住居と仕事場を実現するHome Office,高齢化や交通事故、あるいは病気のため手足の自由を失った人が行動の自由を取り戻す事のできる運動、感覚および自己表現システム、住みよい地域を実現する住民参加の地域放送通信システム、直接民主主義を可能にする広域会議システム等々、数え出したら無数の開発分野があります。それらは正しく我が国が得意とするC&Cを軸とした光学、通信、電子素子、情報システム技術の応用分野です。労働集約的な設計製造はアジア諸国を中心とした国際分業を利用しつつ、自らは更にその先を見て新規事業の開拓を行うわけです。そのためには絶えざる自己研鑚によって視野を広め、教養を深め、技術力を高めて行く事が必要不可欠です。衛星通信網学園はそのような生涯学習のための有力な手段を提供します。国際分業の中で人類の福祉に寄与する事の可能なC&C人間網を開発して行く事こそ我が国が二十一世の世界に貢献して更に発展を続けていくための基礎であり、改めてインターネット衛星通信システムの開発を提案いたします。
−完−
第四章 C&C人間網で地域社会を復活しよう
はじめに
最近の中高校生による凶悪犯罪や二十歳そこそこの未熟な親による幼児虐待の多発、官僚や政治家の汚職、毎日の如く報じられる強盗殺人事件を聞く度に今の世の中は狂っているのではないかと不安にかられる。学校でのいじめを苦にした生徒の自殺や登校拒否、自室への引きこもり等の実態は社会的にも深刻な問題であると思う。
考えるにそれらの問題の原因の一つは家庭と地域社会の崩壊にあるのではあるまいか。家庭における父親不在は単に家庭だけでなく地域社会の崩壊をもたらし、学校に適応できない子供等には寄るべき場所が無くなってしまっているのである。既に30年前の高度成長時代に急激な核家族化の影響が心配されていた。結婚相手の条件として「家つき、Carつき、ハバ抜き」等という流行語ができた位である。今や核家族を通りこして欠家族になってしまった感があるが同時に近所つきあいも消失して地域が崩壊してしまったのである。
経済の高度成長時代に父親が朝から晩まで会社にいて休日には家でゴロ寝あるいは会社の延長で付き合いゴルフに出かける等といった会社中心の生活が一般的になり、家庭における父親不在が今や一種の弊習ともなってしまったのである。当人はいわゆる定年離婚等の形で我が身に突きつけられるまではその現実になかなか気づかない。会社ではインターネットで世界中の出来事を知っている会社人は自分が住んでいる地域の事は殆ど知らない。家族の生活時間がすれ違い、また家庭での会話も少ない。卓袱台を囲んだ家族団欒とは今や殆ど死語に近いのではあるまいか。本来最も近い所が最も遠い所に変わってしまっているのである。その中で寄る辺を無くした子供は苦しんでいるのである。
二十一世紀に人間が健康で文化的な生活を楽しむ事ができる世の中を実現して行くためには家庭と地域の復活が急務であろう。本書で述べる様にインターネットと衛星通信の利用によって人々が自立性を高めてもっと家庭や地域で仕事をするようになれば、自ずと地域社会が復活して来る事が期待される。我が国はC&C事業の開拓によって世界を結ぶと共に最も身近な地域社会の活性化に大きな貢献をなし得るのである。以下にその具体的な方法を検討しよう。
C&C地域網の実現方法
[1] Internetを用いた地域通信網
地域情報
現在各社のインターネット玄関(Portal)を覗いて見ると世界中のニュースは満載されているが地域の情報は極めて少ない。例えば自宅の近所の小学校の運動会や学芸会、バザー等の行事や地域の文化祭、農協祭りや、相模川の清掃キャンペーン等はどこのIT玄関にも載っていない。もしもその様な身近な情報が利用できればインターネットの利用はもっと拡大すると思われる。現住所の地域だけでなく、遠く離れた故郷や姉妹都市、旅行予定の地域の状況を知り、またE-mail等で連絡を取る事により世界はうんと身近になるであろう。具体的なイメージとしてはインターネット事業者、即ちISPのPortal(Biglobe等)に接続してそこから日本−神奈川県−横浜市−都筑区−池辺町という具合に目的とする地域の玄関口に到達して、中に入れば掲示板を見たり、書いたりする事ができるのである。
地域放送
上述の玄関を通って「放送」の間に入ると、インターネットのPush方式で地域放送を視聴する事ができる。内容としては地域で開催中の音楽、美術、演芸等の他に地方議会の実況放送、地方自治体の予算や事業内容の解説、地域の学校で行われている弁論大会の生放送や絵画展、季節の行事、音楽会の紹介など地域に密着した情報が放送される。
地域会議
C&Cの特長を活かせば上の「放送」に加えて「会議」も可能となる。現在でもインターネットを通じて会話(Chat)を楽しんでいる人は多いが、ここで提案するのは平等公開の原則に基づき万人に開かれた形の会話であり、地方自治体等の公的な組織が主宰して行うのである。例えば地方議会の議員や首長の選挙に出馬した候補者の政見発表や質疑討論、自治会の集会、小中学校のPTA総会、地域の大学で行われている学会への参加等を実行する事ができる。
在宅授業
病気やけが、登校拒否等の理由で学校の授業を受けられない学童が在宅のまま教室の授業に参加する事も上の地域放送や会議システムを活用すれば実行できる。教室の先生や生徒の音声と黒板に書かれた図を送信するには高々100kbps程度の通信速度で十分であり現在の技術で容易に実現可能である。
分散と集中システム
上述の事業を効果的に実現するには分散と集中を組み合わせたシステム構成が必要である。そこでに少数の本部と多数の支部から成るシステム構成を提案する。例えば全国に設置されている接続点、アクセスポイントに支部を設置しそれらと星状に接続する網の中央に本部を設置するのである。利用者は電話網等を介して最寄りの支部に接続する。支部にはよく利用される情報がCache蓄積されており最小の通信費用で利用者に提供されるだけでなく、上述の地域独特の情報通信放送機能が提供される。地域放送と会議および在宅授業の玄関はその地方にできるだけ近い所に設置するのが良い。なぜならそれらはPush型の事業であり通信容量の上からも時間遅延の上からもできるだけ端末に近い所に設置するのが好都合であるからである。より広い世界や特殊な専門分野の情報を得るためには利用者は支部を介して本部に接続し本部玄関をくぐって目的の間に入って行けばよい。こうして地理的にも分野的にも広汎な範囲の多種多様な情報を最小の通信費用で利用者に提供する事ができるのである。
本提案の本質は本部Portalと支部Portalの二階層の網構成によってインターネット通信網、即ちパケット通信網と公衆回線接続網、例えば電話網との統合を行う所にある。本部Portalと支部Portalを結ぶPortal間Backbone通信網は一般のインターネットとも接続するパケット交換網である。他方末端の接続網は電話/FAX等の回線交換網である。本提案では支部PortalもしくはAccess Pointにおいてパケット交換網と回線交換網の変換が行われるのである。これは今後通信網のすべてがIP化されるという技術評論家諸氏の合唱とは多少方向が異なるのであるがその効果は次に述べるように大きなものがある。
本提案の最大の効果は利用者端末の簡単さにある。従来インターネットの端末としては通常PCが用いられて来た。以前に比べて相当安価になって来たとは言え、まだまだ高価でありしかも使用法が難しくIT政策推進の大きな阻害要因になっている。いわゆるDigital Divideと呼ばれる情報格差が社会問題となっているのである。最近めざましい成長を遂げている携帯移動通信端末を用いたMobile Internetはこの点を大いに改善してはいるが本質的には有線の無線による置き換えであり、無線の宿命である周波数帯域幅の不足と盗聴の容易さは常に大問題となっている。この点有線網は原理的に周波数帯域はいくらでも増大できしかも盗聴に強い特長がある。従って本格的なIT社会の実現には従来社会の通信基盤を形成してきた電話網の有効活用が必要不可欠であろう。電話とFAXは社会の通信基盤として本質的な役割を果たしているが、その最大の特長は端末の安価な事と使用法の容易な事であろう。特にテレビ電話は今後のインターネット端末に最適であると思う。何よりテレビ電話は現在インターネットで苦労して開発もしくは試験営業中のテレビや音声放送のようなBit Streamingには自然に適合するし、また本提案の支部Portalにおいて会議機能も容易に実現できる。本提案のシステムは安価でかつ使用がた易い電話を端末として地域かつ広域なインターネット便益を容易に提供できるのである。
[2]無線を用いた地域通信網
通信基盤が未発達な地域には無線通信網によって容易に通信網基盤の構築を行う事ができる。多くの発展途上国には先ず携帯移動通信網が導入されて短期に通信基盤の整備が進行している。無線の特長を活かせば容易に上述のインターネット、放送、会議等の機能を提供する事ができる。無線の特質を利用して有線網よりも遥かに簡単に放送と会議を実現する事ができるのである。
[3]衛星を用いた地域通信網
日本全国あるいは九州、北海道あるいはアジア地域とかいった広大な地域に地域通信網を構築するには衛星通信が最適である。原理的にはインターネットでも実現は可能であるが広大な地域に分布した多数の人に放送と会議を含む通信を提供するのは通信費用と遅延時間の上からは困難になる。なぜならばインターネットは宛先の数に応じて多数のパケットを送信しなくてはならず、途中で複数のルータを経由する度に遅延時間が積み重なるのに対して衛星通信では衛星が見える広大な地域に居るすべての利用者に同じ内容の情報を一挙に配達する事ができるからである。帰り回線についても同様である。静止衛星を用いる場合には約250msの伝播遅延はあるがそれに加わる不定な分散遅延は無く、高品質な通信が実現可能である。
[4] 衛星及び地上波のディジタル放送
衛星放送は既にSkyPerfecTVやBS Digitalのようにディジタル化され多チャネル化、品質向上の上で大いに効果を発揮しているが、我が国において2003年から開始予定の地上波放送のディジタル化は衛星放送に勝るとも劣らない可能性を秘めている。その特長としては
(1) 衛星に比べて遥かに多数の地域別の放送事業に好適である。
(2) 受信端末が小型軽量である。
(3) 移動中の自動車等でも受信可能である。
これに比べて衛星放送は地上波放送ではカバーできない広大な地域に一挙に放送を提供する事ができる点に特長がある。無線基地局からカバーできる地域の範囲は携帯移動通信、地上波ディジタル放送、衛星通信の順に大きくなるが、それぞれの特長を活かして多種多様な応用が可能である。
具体的なシステム構成
以上述べたシステムの基本構成を第一図に示す。また従来のインターネットの構成を第二図、本提案のシステムの利用者端末の画面を第三図、本提案の発展形態のシステム構成を第四図に示す。
【構成の説明】
第一図において1は中央Portal、2はAccess Point即ち通信網接続点、3は加入者端末である。4は地方Portalである。加入者は加入者端末3を用いてLAN/WAN等のインターネット網、電話網等の公衆回線接続網(PSTN)、携帯移動通信網等を介して接続点2に接続しそこから地方Portal4に接続してインターネット事業の便益を受ける。地方Portal4が提供する情報サービスはその地域関連のものに加えて中央Portal1からPortal間Backbone通信網を通じて送られてくる人気の高い広域情報を蓄積したCache情報の提供及び一般のインターネットへの接続を行うISP事業を含む。Portal間backbone通信網としてはインターネット、専用通信網(VPN),Frame Relay等の地上網や衛星通信網を使用する。
【動作の説明】
提案システムにおいて加入者は接続点2を通じて先ずその地域の地方Portalに接続する。その時加入者の画面に表示されるサービス例を第三図に示す。地方Portalの提供する便益は次の項目を含む。
(1) 地域関連情報
第三図の「地域記事1,2」
(2) 中央Portalから送られて来る世界記事を蓄積しているCache情報
第三図の「世界記事c」
(3)地域関連放送
第三図の「地域放送」、ここをClickすれば更にその下にある幾つかの種類別Hyperlinkが表示それ加入者は求めるチャネルを選んで地域放送を視聴する事ができる。
(4)地域会議
第三図の「地域会議」、ここをClickすれば更にその下に幾つかの種類別Hyperlinkが表示され加入者は求めるチャネルを選んで地域会議に参加する事ができる。
(5)中央Portalへの接続
第三図の「中央へ」、このHyperlinkをClickすると中央Portalに接続されて上の画面に変わる。
(6)一般のインターネットへの接続
第三図の[URL],このHyperlinkに所望接続先のInternet Addressを書き込んでClickすると一般インターネット上のHome Pageに接続される。
中央Portalの提供する情報サービスを第三図に従って説明する。
a.当システムが提供する情報サービス
第三図の「全国記事a,b,世界記事c」
b.一般のインターネットへの接続
第三図の[URL],このHyperlinkに所望接続先のInternet Addressを書き込んでClickすると一般インターネット上のHome Pageに接続される。
c.地方Portalへの接続
第三図の「地方へ」、このHyperlinkをClickするとその下にある各地方のHyperlinkのListが表示される。目的とする地方のHyperlinkを選択してその地方Portalに接続される。
d.広域放送、
加入者が中央Portal画面の「広域放送」をClickすると現在放送中のチャネルの一覧がHyperlinkの列として表示される。その中から選んで加入者は全国規模の広域放送を視聴する事ができる。
e.広域会議
加入者が中央Portal画面の「広域会議」をClickすると現在進行中の会議チャネルの一覧がHyperlinkの列として表示される。その中から選んで加入者は全国規模の広域会議に参加する事ができる。
上から分かる様に本提案の特長は中央Portalに加えて幾つかの地方Portalを設ける事により特定の地域関連の細かな情報から全国規模の広域情報まで多種多様の情報便益を提供できる事である。中でも特長としては従来殆ど未発達の放送と会議の実現にある。以下その動作を説明する。
第一図のシステム構成において加入者はPC等の加入者端末3を用いて電話網で接続点2に回線接続を確立する事により地方Portal4とインターネット接続を実現する。地方Portal4は中央Portal1とインターネット、VPN,Frame Relay等の地上通信網を用いたPortal間Backbone通信網を構成し、中央Portalから送られて来る人気コンテンツを蓄積して地域の加入者に提供するCache機能を提供する。更に直接にもしくは中央Portalを介して一般のインターネットへの接続機能をも提供する。ここまでは従来のインターネットと同様の動作であるが本システムの特長は次の独特の情報機能にある。
地方Portal4は以上の機能に加えてその地域関連の情報を加入者に提供する。即ちその地域の加入者に身近な情報を簡便に提供すると同時に地域の外には要求されない限り情報を伝送しない事により全体としてインターネット網の通信量を低減する事ができる。但し必要ならば第三図で説明したように中央Portalの画面を経由して任意の地域Portalに接続する事もできるし、一般のインターネットとの通信も提供されるのでインターネットとしての汎用性を損なう事は無い。
地域Portal4の特長は単なるインターネット動作に限らず、地域の放送と会議機能を提供する所にある。第一図において加入者は電話網等の有線網で地域Portalに接続しているので地域放送はインターネット放送形式で実行される。即ち地域Portal4はある放送チャネルを要求してきたすべての加入者に対してPush方式でその放送信号を送出する。例えば宛先Listを付けて放送内容をパケット形式で接続点2に渡し、接続点2は指定されたすべての宛先に放送内容部分をCopyして転送する。
地域Portalの提供する会議機能は上記放送機能と加入者3から地域Portal4への通信機能を組み合わせると簡単に実現できる。加入者から発信される信号は宛先の地方Portal4と選択された会議チャネルで指定される宛先アドレスと、予め地域Portal4によって自端末に割り当てられた発信元アドレスを含む。地方Portal4は予め特定の加入者を議長として登録し議長には常に発言権を与え、他の加入者は議長によって発言権を与えられている間だけ発言できる機能が備えられている。
地域Portal4に一般のインターネット経由で接続して「地域放送」もしくは「地域会議」を選択した加入者に対してはその地域Portalと選択されたチャネルで決まるAddressと要求者のAddressを用いて通常のIP方式で通信を行う事によりその地域の外にいる加入者も地域放送を視聴しまた地域会議に参加する事ができる。
広域放送と広域会議
広域放送及び広域会議は加入者が中央Portal1に接続して「広域放送」、「広域会議」関連のHyperlinkを選択する事によって始められる。この際選択されたチャネルのAddressは中央Portalと選択された放送もしくは会議チャネルで決まる中央Portal側のAddressとその要求信号が送られてきた地方Portalのaddressが用いられあたかも通常の二点間の通信であるかの様にPortal間backbone通信網の上で通信が行われる。地方Portalはその広域放送もしくは会議に参加している地域内の会員のリストをもっており、それに従って広域放送及び会議信号を分配する。加入者と地方Portal間の通信状態は定期的に応答信号の交換により確認され、もし利用者が放送もしくは会議から離脱すれば接続は自動的に切断される。同様の動作が地方Portalと中央Portal間でも行われ特定の広域放送、広域会議の参加者がいない地域Portalと中央Portal間の通信は行われない。こうして本システムにおいては地域の中でも外でも必要最小限の通信が行われ通信網の混雑を避ける事ができる。
一般のインターネットから広域放送、広域会議に参加する場合の動作は地域放送、地域会議の場合と同様の方法によって実行される。
【提案方式の発展形態】
第四図に示す網構成と動作を説明する。5は移動通信網の無線基地局であり、6は通信衛星である。7は地域のディジタル放送局である。即ち第四図のシステム構成は末端接続網とAccess Pointに携帯移動通信網と地上波ディジタル放送網を用い、Portal間Backbone通信網に衛星通信を用いる場合に相当する。
末端接続網に携帯移動通信を用いる事により次の効果が得られる。
・PCよりも遥かに安価な端末でインターネット情報の便益が得られる。
・携帯移動通信の特長を活かして加入者はいつでも何処でもインターネットに接続できる。
・無線の特長を活かして放送と会議を極めて容易に実行できる。
・移動通信として同じ端末が多様な用途に使用できる。
Portal間Backbone網に衛星通信を用いる事により次の効果が得られる。
・広域に分布した多数の地方Portalと中央Portal間に簡単に幹線通信網を構築できる。
・特に中央Portalから地方Portalに分配蓄積するCache情報の同期を確立するのが極めて容易に達成される。
地上波ディジタル放送網の使用
我が国においては2003年から地上のディジタル放送を開始し2010年にはすべての放送をディジタル化する予定である。
末端通信網として網から加入者には地域放送システムを用い、反対方向には移動通信網もしくは電話網を用いれば有効な双方向通信網が構成できる。この構成の利点は文字通り放送が極めて容易であり、従って会議もまた容易に実現できる事である。
地上のディジタル放送を使用する事により次の効果が得られる。
・衛星通信に比べると一つの放送局がカバーする範囲は遥かに狭い。従って特定の地域に特有の情報事業を行うのに好適であるばかりでなく、周波数再利用によってシステム全体としての通信容量は極めて大きいのが特長である。
・携帯移動通信のCell(典型的には数Km以内)よりも遥かに広い地域を一挙にカバーできる。尤も携帯移動通信では幾つかのCellをまとめてひとつの地域として扱うので数十kmの地域を構成する事ができるが地上ディジタル放送を用いれば一挙にその何倍も広い地域をカバーする事ができる。概ね一つの放送局でカバーできる範囲は数十kmから数百kmの範囲に渡り事業を提供できる地域の範囲の選択の幅が大きいのである。
・複数の放送局を結んで広い地域に同一の番組を放送したり会議を行う事も容易である。
・車や列車で移動中にも受信が可能である。
・特にディジタル化によって音声だけでなく、Fax,TV等の画像を放送する事ができる。
[無線を用いる同報通信の方法]
上述の如く無線を用いれば放送と会議が容易に実現できる。例えば一般公衆向け放送の場合は従来のラジオ放送のように只一方向に流し放しにすれば良い。特定の団体向けの同報を実現する為にはすべての会員に共通のGroup Addressを割り当て、放送信号はパケット形式にして当Group Addressを付して送信する。受信機は予め設定された対象となるGroup Addressが付与されたパケットのみを選択受信する。不正な受信を防ぐために放送信号は当団体の会員の受信機が予め設定されている暗号解読鍵に対応した暗号化をかけて送信される。音声放送の場合はこれで十分であるが、重要なデータの同報の場合には各受信者から受信確認信号を返送する。確認信号が返ってこない会員に対してはその会員のMailboxにデータを蓄積し、後に会員が自分のMailboxに接続して取り出す事ができる。
【提案システムの効果】
第一の効果は少数の中央Portalと多数の地方Portalから成るシステム構成によって加入者に極めて多種多様な情報便益を簡便に提供し得る事である。その理由は
(1) 日本全国世界全体に関する情報は中央Portalで提供し、地域の身近な情報便益は地方Portalが提供できるからである。
(2) 特に地方Portalは地域関連情報を通常のIP方式で加入者に提供できるばかりでなく放送形式で分配する事、及び放送と通信を組み合わせて会議形式の便益を容易に提供する事ができる。
(3) 地方Portalと中央Portalを結ぶPortal間Backbone通信網と個々の地方Portalが提供する地域通信網を結ぶ事によって広域通信、放送、会議もまた容易に提供できる。
特定の団体の成員にインターネット網を通じて同報を行う事はIP Multicastと呼ばれているが一般の広域インターネット網を通ずるMulticastはパケット交換機即ちRouterの機能が複雑になるため本各的な実用化には至っていない。ところがその需要をよく吟味すればインターネット放送を最も必要とするのは身近な地域の情報であると考えられる。他方従来の公衆放送はインターネットと同様に全国規模の広域放送であったため身近な地域の情報は利用しにくい。また現在盛んになりつつある広域通信網を介したインターネット放送は途中の経路の混雑に起因する変動遅延、Buffer Overflow等による信号の損失等のために充分な品質を確保するのは困難である。本システムの放送は地方Portal4が直接末端通信網を通じて行うものであり従来の広域インターネット放送とは異なり十分な品質を容易に確保できる。
本提案のシステムによれば地域会議を容易に提供できる。従来インターネットの使い方は利用者が特定のHPに接続してそこに蓄積されているデータを選択取得するPull,即ち引き出し形式の利用方法であり基本的に一方向の通信であった。Chatやインターネット教育の様に参加者が音声で会話を行う双方向の応用もあるが従来方法では実用的な参加者の数はせいぜい数人止まりである。本発明で行われる会議は地方Portalによって特定の地域で行われるものであり、前述の如く多数の参加者間でも極めて容易に実行できる。
他方本提案の構成によれば放送と会議は地域に限らず広域にも実行可能である。地方Portalと中央Portalを結ぶPortal間Backbone通信網によって地方Portalを結ぶ事によって容易に広域放送及び会議も実行可能である。例えば広域放送や広域会議はそれぞれに中央Portalによって団体宛先が定義されており、Portal間backbone通信網の上ではそれぞれの団体宛先(Group Address)はあたかも個人宛ての宛先と同様に扱われる。各地方Portalは受け取ったパケットの団体宛先の会員がその地域にいれば前述の方法で地域内に放送する。逆にその地域から発信されたパケットの宛先が広域放送もしくは広域会議であれば中央Portalに送信し、中央Portalからすべての関連地方Portalに分配される。
第二の効果は末端通信網として電話網、携帯移動、地域ディジタル放送網等の多様な通信網が使用され、利用者に最適な便益が提供できる事である。
例えばPCを用いなくても携帯移動通信端末もしくはラジオと電話を用いて本発明のシステムが提供するインターネット接続、放送、会議等の便益を受けられるのである。中でも電話/FAXを用いた事業はPCの様な専門知識を必要とせず、多数の利用者が極めて容易にかつ安価に利用できる特長がある。
現在携帯移動通信網や衛星放送を用いたインターネット事業がMobile InternetとかT-modeとか呼ばれて提供されているが何れも単にインターネット網への接続手段として用いられ、本提案で提供される様な放送、会議は提供されていない。更には各々別個のシステムであり、相互に接続される事もない。
それに対して本提案のシステムは末端網は公衆回線接続網、地上もしくは衛星放送網、携帯移動通信網と多様であるが、地方Portal4もしくは中央Portal1における情報提供部は同一であり、種々の異なる通信放送網が容易に統合される。例えば家庭や職場では電話FAX網、ISDN,ADSL網、衛星放送網を用いて、戸外ではラジオ、携帯移動通信網を通じて同じ放送を受信し、また同じ会議に参加できるのである。
第三の効果は社会的に大きな改善をもたらす事ができる事である。その理由は本システムによって多数の利用者がインターネットによって容易に世界の情報源に接するだけでなく身近な地域の情報に接し、またみずからHome Pageを設定して情報発信できるだけでなく、より直接的に地域もしくは広域の会議に参加する事により世界と地域がより身近なものになって社会の改善に役立つと期待されるからである。例えば本システムによる社会的効果としては在宅教育が挙げられる。病気やけが、登校拒否等の理由によって学校の授業に参加できない生徒も在宅のままで地域の学校の授業に参加できる。我が国には登校拒否児童の数は13万人にも上り、大きな社会問題に成っているが本システムによって大きな改善の可能性がある。
現在世界各地で起きている地域紛争、凶悪犯罪、幼児虐待等の原因は社会の崩壊であり、本発明のシステムを普及活用すれば広域及び地域社会の復活によって多くの社会問題が解決されると考えられるからである。
【図面の簡単な説明】
【図1】は本提案のインターネット情報提供システムの基本構成を示す。
【図2】は従来のインターネットシステムの構成を示す。
【図3】は本提案のシステムで提供される機能を画面で示す。
[図4]は本提案のシステムで末端接続網に携帯移動通信網と無線放送網を、Portal間Backbone通信に衛星通信をも用いる発展形態のシステム構成を示す。
【符号の説明】
1は中央Portal、2は通信網接続点(Access Point)、3は加入者端末、4は地方Portalである。5は携帯移動通信網の基地局、6は衛星通信網、7は地域放送局である。
まとめ
前述の如く本提案のインターネット網はPCを用いた通常のパケット通信網だけでなく、回線交換網をも統合する事によって電話/FAXもしくはテレビ電話を用いて誰でも容易に利用が可能である。前述の如く情報通信市場の全地球化が進展する中で最も後れているのは最も身近な地域社会に他ならない。それは生活の場であり現在は大方無視されているがそこにおける情報通信の需要は実は非常に大きいと思われる。特に子供から老人まで容易に使いこなせる電話を端末として用いる事によりインターネットの応用分野は大きく広がる事が期待される。例えばテレビ電話を用いて地域放送、地域会議、在宅学習、在宅医療、在宅介護、留守宅監視、在宅買い物、地域の御用聞き等多種多様な応用が考えられる。
明確な市場としては在宅授業がある。我が国には文部省発表だけでも13万人の登校拒否の学童がいる。対策としてインターネット学校や落ち零れ生徒のための特殊学校等が設けられてはいるが、PC端末が高価で操作が難しいとか通学距離が遠いとかの理由で実行は非常に困難である。やはり在宅のままでも地域の学校の授業に同時間で参加するのが最も効果的であろう。登校拒否児童の問題は何も我が国に限られたものではない。世界中では何百万という登校拒否の学童がいる。病気やけがで登校できない学童を含めれば更に多くの潜在利用者がある。この分野だけでも市場は充分に大きい。
上に提案したインターネット網を用いれば無線の特質を活かして通常の通信だけでなく放送と会議形式の情報システムを容易に構築できる。前述の例では支部Portalと加入者間を結ぶ回線としては有線網、例えばADSL,ISDNもしくは電話FAX網を用いたのであるが、それは何も有線網に限る事は無い。携帯移動通信網や地上波のディジタル放送網をも同様に用いる事ができる。そして無線の特質を活かして放送と会議を容易に実現できるのである。そのためには無線の個々の利用者別のアドレスに加えて一群の加入者に共通に割り当てられるグループ番号を定義すれば良い。ここで通信に使われるシステムは主として移動通信網のセルの半径、即ち無線基地局からの通信可能な範囲は通常高々数kmであるが固定通信として用いる場合には端末のアンテナの指向性を高める事によりその範囲を数倍に拡大する事ができる。
支部Portalを地上波ディジタル放送網に接続すれば携帯移動通信網よりも更に広大な地域に放送と会議機能を提供する事ができる。この場合は公共放送として誰でも受信可能でなくては成らず、上述のグループアドレスは不要であろう。但し会議のためには放送に加えて帰り通信回線が必要でありそれは電話網あるいは携帯移動通信網を通じて本提案の支部Portalに接続される。支部Portalにおいて放送網に帰還される事により公共会議が実行されるのである。
最も広大な地域に分布する多数の利用者を一挙に結ぶには衛星通信が最適である。我が国だけでも既にSkyPerfecTVには300万の加入者がある。他方既に約10年の歴史を刻むBSには1400万の加入者があり、昨年始まったDigital放送への加入者も今後増加するものと期待される。世界では一億以上の加入者が直接衛星放送を視聴しており既に潜在市場は充分大きい。加えて、Iridium,Nstar, Thuraya,ACeS,iPSTAR(タイ),Inmarsat-4,Intelsat等が多数のSpotbeamを有する大出力高感度衛星を用いてポケット携帯、Notebook PC型携帯通信端末、或いはVSAT等種々の形態のIP事業を推進中である。今でも通信放送容量は既に充分ある。我が国のCSのトランスポンダ一個を用いれば100kbpsの伝送速度で300もの放送もしくは会議チャネルが提供可能である。例えばすべての県が全国に向けて地域放送をする事ができる。加えて現在TV一チャネルを用いて提供されている放送大学を何百倍にも拡張して本格的な総合大学とする事ができる。衛星一個を丸々使えば更にその約30倍の通信容量があるり常時一万もの会議やセミナー、番組の放送が可能なのである。更に我が国で利用可能な衛星は十機にも上る。この膨大な通信容量を活用すればありとあらゆる分野の情報交換システムの実現が可能となる。後継者がいなくて最早滅びつつある特殊な伝統技術や芸能を継承したり、極めて専門的な分野の研究者や愛好者が世界的な規模で学会や同好会を組織する事が容易に実現できる。特に現在殆ど未利用の会議機能を活用して放送と通信を融合した利用者本位の様々な応用が可能となる。例えば国や地方自治体、あるいは国際的な段階で人民本位の直接交流が可能となると思う。そうなれば人類史において民主制が発祥した古代ギリシアで達成されたような文明の一大飛躍が達成されるかも知れない。
あとがき
インターネット時代には製品開発とコスト競争はし烈である。市場調査からシステム開発製造、販売保守の全過程がCALS等によって高度に発達した二十一世紀の市場において企業の競争力は基本的には顧客に提供する事業の内容、便益、使用価値そのもので決まる。先進国において物質的には満ち足りた今、人々が求めるのは精神的な充実、人間味のある地域あるいは広域共同体の発展に移りつつあると思う。発展途上国において求められるのは先ず通信基盤の確立、個対個の通信機能に加えて急激な近代化の波に洗われる伝統的な地域共同体の調和的発展ための多対多通信機能だと思う。本提案の事業はそのような市場の要求に応えるものであり日本新生の一環として読者各位に提案致します。
完
第五章 二十一世紀企業に脱皮しよう
世紀の変わり目の現在、過去を振り返って見れば大体10年位前に我が国の企業は世界市場において一つの頂点にあったと言えるのではないかと思う。当時の日本は多くの分野で技術優位性を誇り、海外では「日本式経営」と題するセミナーが人気を集め「二十一世紀は日本の世紀」とまで言われたものである。その21世紀に至った今、我が国の企業にはその頃の勢いは見られない。今や多くの分野で日本の技術優位性はゆらいでいる。バブルがはじけて以来の長期不況と、リストラという名の人減らしによる失業の増大、学生の就職難等のために日本人は迷い、焦り、元気を失っている。国と地方自治体は合わせて七百兆円もの借財を背負い、我が国の財政は既に国家破産に近いといわれる程の苦境に陥っている。成長産業と言われるIT分野でも我が国を代表する日立、東芝、富士通、NEC等の巨大企業が大きな赤字を出し、大幅なリストラを余儀なくされている。また膨大な財政赤字を抱える国家や地方自治体は待った無しの構造改革を迫られている。小泉内閣は「改革無くして成長無し」の基本認識の下で「聖域無き構造改革」を断行しようと努力している。しかしながら私見によれば目に見える変革はまだ起きていない。市場の大変革に対応するにはもっと根本的な社会変革が必要だと思う。ここでは我が国の企業の来し方行く末を展望し、如何なる21世紀の企業に脱皮していくべきか考えてみよう。
事業部制度からの脱皮
私が入社した1973年は所謂高度成長期に当たっていた。日本企業は急激な成長に対処するため多くの企業で事業部制度を採用していた。事業部制度の一例としてはNECの小林社長が唱えたマトリクス経営が有名である。即ち縦軸を事業分野別の事業部、例えば通信事業部とかコンピュータ事業部とかとすると横軸は顧客別の営業、例えばNTTとか官庁とか民需営業とかで表される。両軸の交点において事業が行われるのであるが、その際プロフィトセンタは事業部にあるとした。即ち事業は事業部が実行し営業は市場に対して事業部を代理する代理営業制度である。事業責任を荷う事業部長に大きな権限を持たせる事により現場に近い所で経営決定ができ迅速な事業展開が可能になる。事業部制度は当時の市場環境には適した制度であり殆どの企業が採用していたのである。
しかしながら前述の如く日本企業の強さは約10年前に一つの峠を越え、以後幾多の困難に直面する事になった。その原因は市場の変化に対して企業の変革が遅れた事である。市場の変化の基本的な要因はインターネットを始めとするコンピュータ通信網と宅急便や航空網に代表される交通網の発展である。世界が地球村の大きさに収縮してしまった結果、情報は光の速さで世界中を駆け巡る。物流の発達と共に生産は国境を越えて世界中の最適立地点に広がる。失われた10年と言われる我が国のバブル崩壊後の経済停滞の間に今や世界の工場と言われるまでに到った中国は毎年10%もの経済成長を遂げその勢いは今も続いている。またITの核となるソフトウェア生産においてはインドの台頭が著しい。他方においては製造専門企業の台頭に見られる様に生産システムそのものの構造的な変革が世界規模で進展しているのである。このように市場が世界を舞台に地理的にも構造的にも大きな変化を遂げている中で高度成長期には最適であった事業部制度を変革しきれなかった我が国の大企業は多くの問題に直面しているのである。
現在多くの大企業で構造改革として分社化を進めている。会社がいくつかの事業分野毎に分社化され本社は持ち株会社としてグループ企業を統括する。例によってどの大企業も似たりよったりの改革を行っているが果たしてそれが二十一世紀の企業として適当な企業形態であろうか。事業部制度の縦割り構造は組織の硬直化の元凶であり開発力の衰退の一因である事は前著で詳述したところであるが、現在行われている分社化は縦割りの徹底ではなかろうか。従ってその弊害もまた甚だしくはならないであろうか。
事業部制度のもう一つの欠陥として前著で論じたのは開発部を製造部と同様のライン組織にする事による開発力の低下であった。即ち本来スタフ組織であるべき開発部にも無理にライン組織をあてはめ、開発に本質的な柔軟性を損なうのである。その詳細は前著に譲るが開発と製造は極めて密接な関係にありながら極めて異質の仕事である。その違いを次表に示す。
|
開発部 |
製造部 |
目的 |
事業概念の創造 |
製品の製造 |
入力 |
営業からの市場情報 自らの調査研究 |
設計文書と図面 検査手順書 |
出力 |
事業提案書 システム仕様書 事業化決定または受注したら システム設計書 |
製品、産物、サービス 運用説明書 現地据え付けと試験 保守、アフターサービス |
研究課題 |
研究すべき課題の探究 事業可能性の検討 設計技術力の向上 |
生産効率の向上 納期短縮 適正な設備投資 |
組織の要件 |
臨機応変の柔軟性 |
継続性 |
組織の形態 |
課題中心のスタフ組織 |
作業中心のライン組織 |
このように開発部を性質の異なる製造部向きのライン組織にしている従来の事業部は激しい市場の変化に追随して行く事が困難なのである。否市場に追随するのでは既に負けである。未だ見えない需要を感知してそれに応えるシステムを短期間に開発する柔軟性無しには激変する市場の中で生き残るのは難しい。この意味で営業と事業部の密接な共同作業が必要不可欠である。
ところが前著で述べたように営業と事業部を分離している事業部制度はこの点で更なる問題を抱えている。代理営業では営業員は顧客に対して事業部への取次ぎ機能しか果たせず顧客の要求に対して迅速に対応する事が困難である。営業と事業部のマトリクスそのものに由来する本質的な欠陥を抱えているのである。その制度においては販売、受注と売上金の回収は営業の仕事であり事業の実行は事業部の仕事である。これは同じ会社としては当然の分業であるが、利益を上げている事業部においては自分たちが稼いだ金を会社に取り上げられ、別の不採算事業部に注ぎ込まれているとの不満を生じやすい。本来密接不離の関係にあるべき営業と事業部の間にはとかく相互の不満が生じやすい。例えば、
営業 |
事業部 |
当社の製品には有力な玉がない。事業部は市場における当社の競争力の低下に十分注意を払っていない。 |
営業は技術知識が無さ過ぎる。自社の製品の特長をうまく顧客に売り込んでいない。 |
市場に於いて価格競争が厳しい。今一段の原価低減を。 |
原価を下げるには量産効果が出るよう、量をまとめて発注してもらいたい。 |
市場は大型案件が減り、個別の案件は小型なものが増えつつある。この市場の変化に対応すべきである。 |
小型の仕事が次々に入っても人手がないので対応できない。 |
将来有望な引き合いがあるのに非協力的である。 |
営業は事業部の実情に疎すぎる。こちらは多忙でそれどころではない。 |
より納期短縮を。 |
こっちばかり責めないで適正な在庫を持て。 |
営業と事業部が別の組織になっているため市場の情報は事業部長とか開発部長等のトップに集中する。一日に何百というEメールが来るとは部門長の半ばぼやき半ば自慢している事である。パイプが細いためにその情報の流れはたいてい途中で消失してしまう。営業から見ると事業部の応答の悪さに不満はつのる一方である。このように停滞している企業の内部には相互に対する不満が渦巻いているのである。
前著で論じた従来の組織の更に本質的な問題は複雑なピラミッド型階層組織に由来するものであった。明らかにピラミッド型階層組織は交通通信網の未発達な段階では効率的なシステムである。ところが今日のように交通通信網が高度に発達した段階では却って非効率なのである。今日のインターネットを用いれば世界中に分散したプロジェクトの関係者が大量の情報を殆ど瞬時に交換する事ができる。更に衛星通信を組み合わせれば参加者の数は殆ど無制限になる。インターネットは単に情報交換だけでなく仕事の入札、契約、部品の発注、購買、販売、支払い等の電子取引、即ちe‐commerceに広く用いられ仕事のやり方に根本的な変革をもたらしている。また宅急便を利用してたいていの物は全国到る所に翌日までには配達され、飛行機を乗り継いで地球の反対側にも1日の中に行く事ができる。このように交通通信網が高度に発達した現在は従来のピラミッド型階層組織は意思決定に手間ばかりかかって非効率なのである。意思決定の過程が複雑であると単に時間がかかるばかりでなく責任の所在が不明確で様々な腐敗が生じ易い。談合や水増し請求、公金横領など枚挙にいとまが無い。歴史を振り返ると「あらゆるピラミッド型階層組織は硬直化し腐敗する」という事は例外の無い法則として成り立つようである。事業部制度も例外ではなく今や歴史的使命を果たして新たな世紀に適合した組織に脱皮して行かなくてはならない。
二十一世紀に適した生産システム
交通通信手段が未発達な時には大きい事は強みであった。市場の情報は各地に支店をおいて広い情報網を作って集めるのが有利である。また社内において最も効率的に情報を伝達するにはピラミッド的な階層組織にするのが効果的である。営業は市場の情報収集と発信、製品販売に専任し、事業部は技術開発と製品製造に専任する方が交通と通信にかかる費用を最小にする事ができる。両者を統合するのが本社であり小林宏治氏のマトリクス経営であったと思う。大企業が有利な段階では各企業の提供する通信網やコンピュータは閉じた世界であり、相互の互換性に乏しかった。従って当時の企業戦略は自社のシステムに顧客を囲い込む事であった。営業の合い言葉は顧客を説いて他社の装置を自社の装置に置き換えてもらう事、所謂リプレースであったのである。ところが今やインターネットと交通網の発展によって事業環境は大きく変わっている。インターネットの最大の特徴は開放性であろう。世界中に存在する多種多様の通信網がInter-Netで相互につながる事により実質的に世界が一つの通信網に統合されてしまうのである。それは世界中で手紙やお金のやりとりを可能にした万国郵便条約や国際電話通信を可能にしたITU規約と同様の意義をもっていると思う。但し重要な違いはインターネットが国や通信業者ではなく利用者主体の努力により発展してきた事である。従ってインターネットの世界には国や企業による差別は存在しない。世界を舞台として情報の発信者と受信者が平等な立場で通信する事が可能なのである。今振り替えるとこの平等かつ開放的な通信網の概念は電電ファミリーとして発展してきた我が国の大企業が全く把握しきれなかったものであると思う。昔ながらの囲い込み思想で始まった日本電気のPCVAN/Biglobeや富士通のNifty-Servは瞬く間にi-modeやYahoo,楽天市場等の新興インターネット事業に追い越されてしまった。
然らば21世紀の大競争市場において生き残っていくには如何なる思想を指針として事業を展開して行けば良いのであろうか。その鍵はおそらく故小林宏治氏が提唱されたC&Cにあると思う。小さな個人用のPCが一昔前の大型コンピュータに勝る能力を有しているならばそのPCを自由に使いこなせる人間は昔の人の何倍もの仕事をなし得るわけである。さらにはそれを結んで事業網を形成すれば個々のコンピュータは何層倍にも機能を拡充し種々の仕事のための有力な手段、文字通りWork Station (WS)と成り得る。前著で詳述した様に市場調査と営業活動、研究開発、装置設計、検査、デバッグ、出荷、納入、現地試験、アフターサービスのすべての事業段階でC&Cは強力な道具となる。
C&C通信網の活用により
(1)実機の検査段階において第一号機は設計者による直接的な技術指導が必要であろうが、その他の段階はすべて基本的にはC&C通信網を通じた仕事が可能である。
(2)C&C通信網を介して意見交換、会議、共同作業を行う事によりVirtual Company化が可能となる。即ち毎日何万人という社員が通勤してくる会社や長々と続き結論の出ない会議等は不要である。いわゆるSOHOでも仕事の多くが可能となる。
(3)製造と製品の検査のためには明らかに工場が必要である。しかしながらここにおいてもC&C通信網の利用は本質的である。徹底したCAD/CAMにより設計データ(部品表)から直に部品発注収集作業が自動的に行われなくてはならない。
(4)RS Componentsのように何万という工業部品を欠品が無いよう管理しつつ在庫し、注文を受ければ即日発送する専門業者がある。いわゆるNet調達を活用する事により製造設備を大幅に簡易化して費用と納期を縮小する事ができる。
(5)アフターサービスは顧客の満足に直接関連し次の事業へとつながる重要な事業である。また保証期間を経た後では最も利益を出しうる事業である。但しそのためには装置が保守しやすい設計になってなくてはならない。保守マニュアルが完備しまた必要な部品の有無がすぐ分かり、無ければ工場に発注して遅くとも翌日には届く体制が必要である。即ち保守こそC&C通信網の効果を最も良く発揮して顧客の満足を得、かつ長期的な利益の源泉となし得る貴重な仕事である。
以上のように見てくるとC&C通信網の活用こそ21世紀の企業の鍵となる事が分かる。C&C生産システムの開発と活用によって我が国は中国やインド等の台頭するアジア諸国に対する競争力を強化する事ができるのである。故小林宏治氏が言われたように「C&Cは日本の知恵」でありその徹底活用によって我が国は世界市場の中で技術的にも価格的にも競争力を強化する事ができるであろう。
二十一世紀企業に脱皮しよう
それではC&C通信網を駆使した21世紀の企業は如何なるものかを以下に概観しよう。その特徴は
(1) 営業と事業部の一体化
(2) 事業部と製造部の分離
これらは先に概観した企業の問題の解析から直ちに出て来る考えである。即ち営業と事業部が別の組織に分かれていたのでは企業はうまく機能し得ない。本来企業の事業とは顧客に商品の概念を提案し、その意見を充分に入れて商品の概念を作り上げる所から始まる。売れるものでなくては如何に高性能の製品も商品としては意味がないからである。商品の概念創造は営業と事業部が一体となって行わなければ困難である。従って営業と事業部は組織的にも一体化するのが自然である。次に事業部と製造部即ち工場の分離という事を検討しよう。工場の機能は設計図面と検査手順書を与えられて部品収集、加工、組み立ての工程を経て出来あがったものを与えられた検査手順に従って検査し、それに合格したものを出荷する事である。本来工場はその製品が市場においてどれくらい売れるかどうかには関係が無い。工場の経営者は如何に原価を低減し納期を短縮するか、そのためには如何なる設備投資をすべきかという事が主たる関心事となる。明らかに工場の機能は営業/事業部とは大いに異なる。従って組織的にも分離するのが自然である。実際世界市場においてはソレクトロンに代表される製造専門企業が急激に成長している。また我が国においても従来大企業の事業部の下に全国展開していた工場が分離されて独立し従来の競合他社をも含む一般企業からの生産を請け負う製造専門企業として発展しつつある。こうして生産市場は大別して事業会社と生産会社から成る開放的な市場に変貌している。開発を効率的に行うには競合他社とも提携する事が普通に行われているのである。
以上述べた新しい企業の組織を現行の事業部制度と対比させて模式図として描くと次図のようになる。
ここに示す新たな企業の概念は次のようにまとめられる。
(1)企業とは社内通信網(Intranet)で結ばれた専門家集団である。
(2)企業は顧客に事業を提供する事業会社と製造、設計、工事、コンサルタント等を専門に行う専門会社に分かれる。製造会社は製造に専業し、それによって利益を上げ自らの方針で設備投資を行う。
(3)事業会社は現行の事業部制度における営業と事業部を合わせた会社とする。
(4)研究所は事業会社の一部として残し、強化する。
(5)事業会社の中に於いては固定的な事業部は設けない。専門から自ずと幾つかの分野に分かれまた市場の変化と共に新たな事業グループが形成される事はあるが、原則として事業会社員は自らの責任の取れる範囲で自由に事業を行う。
(6)事業会社の中には制度としての事業部は無い。存在するのは特定の事業を遂行するために結成されるタスクチームである。外回りの営業員が顧客の引き合いを受けると社内通信網を通じて技術担当者と共同で提案書を作成して顧客に提案する。受注活動においては必ず営業と技術担当者がチームを組んで顧客と十分打ち合わせを行う。受注したら社内Network上に実行団(Task Team)を結成して業務を遂行する。
(7)実行団は受注と共に発足しその事業の完成と共に解散する。その間は一つの小企業として機能する。即ち社内通信網上に仮想的な企業を設定し複式簿記方式で経理を行い事業の進行を管理する。会社とは各実行団の集合であり各実行団の経理を総括すればそのまま全社の経理になるのである。
(8)企業のBackboneとしての会社の役割は全社としての資金管理、業務のための基盤ネットワーク(Work-Net)の構築、標準部品や半製品等のデータベースの整備、全社的大規模事業の遂行、研究予算、設備投資等の業務を行い社員に事業遂行のために必要な基盤システムを提供する事である。
(9)社長は社会に対して会社を代表し、会社全体の事業方針を決め、一企業体としての会社の経営に責任を負う。
NECの故小林名誉会長が提唱されたのは営業と事業部のマトリクス経営であったが、ここで提案されている21世紀の企業は人と事業のマトリクスである。交通通信網の発達により営業と事業を分離する事は無意味になり反対に結合するのが容易になったのである。激変する市場に対応するには固定的ではなく柔軟な体制が必要である。組織中心の仕事ではなく仕事中心の組織でなくてはならない。それは人が組織に属するのではなく組織が人
に属する体制なのである。このような自己変革によってこそ激変する市場に存続発展し、企業は顧客に事業提供者としての継続性を保証する事ができるのである。
上のような事業会社の事業のやり方は現行とはどう変わるであろうか。営業員が自社製品の販売促進活動を行い、顧客を訪問して提案営業を行って受注を獲得し,進行中の事業の進捗状況を報告し、製品の納入と代金の回収作業を行うのは現行と本質的に変わらない。中央研究所の研究員が基礎的研究を遂行し、事業会社の技術者が新規事業や製品の開発研究、製品設計を行うのも今と同じである。今と変わるのは営業部員と開発部員が必ず共同で、できるだけ頻繁に顧客の所に行き商品の概念を売り込みまた作り上げる事である。勿論開発部員は技術研究と開発の仕事がある為そう頻繁に顧客を回る事はできないが、そこは社内C&C Networkを活用して不足を補い連絡を密にする。受注が取れたらその実行団を結成しC&C Network上に仮想企業(Virtual Company, VC)を設けて以後VCを介して相互連絡、日程管理、費用管理等を行いつつ事業を実行する。商品の具体的な設計は担当の開発部員の責任で自らやっても良いしまた内外のリソースを用いてもよし。設計が完成すれば設計図面と検査手順書を工場、製造会社に入力する。製品ができてきたらその性能を確認して運用説明書と共に顧客に納入し、仕事が完了したら決算を行ってVirtual Companyを解散する。
それでは新しい企業の中で人々はどのようなCareer Pathを通過して行くのであろうか。まず事業会社に採用された新卒はいずれかの事業所に配属される。そこで特定のプロジェクト即ちVCに入り与えられた業務を行う。適当なVCが無いときは社内VCの一つであるVirtual University (VU)に入学し能力を磨いて次の仕事に備える。現行の会社にある様な上司と部下の別は無いが経験年数による職級の別は当然ある。新卒で入社すると一年目は新入社員、二年目から担当となり、約5年で主任、約10年で主幹という肩書になる。主任までは与えられた仕事を行う義務があるが、主幹になると逆に仕事を与える義務が生じる。即ち前述の如く特定の事業を受注してVirtual Companyを起こす義務があるのである。各VCは必ずxx事業営業主幹と技術主幹とが分担主宰する。かくして故小林社長が唱えた営業と事業部のマトリクスの交わりを確実なものにするのである。尤も小さな事業であれば一人で営業と技術主幹を兼ねてもよい。仕事はC&C Networkを介して裁量労働制で行い給料は年俸制である。即ち各社員は年功と分担する仕事の内容によって決まる固定給を受けるのである。但し一つの事業を完了してVCを解散する場合には決算を行い、得られた利益の1/2は分担した仕事の重みに応じてVCの成員に還元される。会社に於ける全ての現業部門は仕事の発生と完了の度に結成と解散を繰り返すVCの集合として機能し、一見アメーバのようであるのでアメーバ経営と呼ばれる事もある。
それでは会社の役割は何であろうか。それは上述のVC形態で社員が事業を行うために必要不可欠なC&C通信網基盤と市場情報、技術情報データベースの整備、個々の主幹では不可能な大規模事業、持続的な基礎研究、技術開発の遂行、他社との提携、政府に対する企業としての関与その他予算、資金管理、人事、経理、公報等の業務を行う。固定的な事業部制度が無いアメーバ企業に於いては人事の方法もまた当然異なる。経営陣の選出は株主総会に先立ち主幹全員の記名投票で選挙する方法が考えられる。経営者たらむとする候補者は社内C&C Networkに公約を掲げて全主幹に所信を明示する。投票はC&C Network上で全主幹が記名投票で行い、公正を期す。社内投票で当選した社長は自らの経営陣を結成し、経営方針を明文化して株主総会に提出する。株主総会で承認されて正式に経営陣が発足するのである。主幹は日常的には社内C&C通信網の上で全社的な営業と技術情報の交換を行い、引き合い情報の報告、応札提案、新規事業の提案、研究開発の提案等を行う。有望な引き合いに対しては意欲と能力のある主幹が予備実行団を結成して顧客の要望に応える提案書を作成して提案営業を行う。受注と共に予備実行団を元に本格実行団即ちVCを設立し、事業を遂行し、その完了と共に決算を行いVCを解散する。新規事業や基礎技術の開発研究も同様の過程を通じて実行する。主幹はVCを主宰しまた全社的な課題を提案して社長に立候補する事もできる。会社から別れて自立する事もあるいは逆に会社に参加する事も現行の中途採用より容易に実行できるであろう。このように人と事業は頻繁に離合集散、生成消滅を繰り返すが、その活動の記録と技術的な成果はC&C情報通信網のデータベースに半永久的に記録されて次世代の用に供せられるのである。定年退職も無く、自己の能力の範囲でいつまでも働き続ける事ができるので人口が急激に高齢化する21世紀にも我が国は活力に溢れ、健全な経済成長を続ける事ができるであろう。
更にはC&C通信網の特長を活かして日本全国あるいは海外の好きな所に居を構えてなお今以上に緊密な連携を取りつつ仕事をする事も可能である。こうして東京一極集中と地方の過疎、高齢化の問題が同時に解決され、バランスの取れた国土の発展が可能となる。
このように21世紀の我が国の企業はC&C情報通信網を軸として国境を越えて世界全体に事業展開すると共に地域との関わりを深めつつ発展し続けるであろう。そこで働く我々は企業の提供する事業基盤を活用して事業を遂行する事により企業の発展に寄与すると共に、自らの夢と可能性を実現する事業家として今以上に自主的な生き方をして行くであろう。
完
第六章
ガクモンの新世紀
以上述べた事を振返り新世紀の可能性を探求しよう。
文明の悲劇
新旧の思想が激しくぶつかった明治時代に「原始女性は太陽であった。」の名文で平塚雷鳥は女性解放運動を高らかに宣言した。思うに女だけでなく男も原始時代には太陽であったのである。即ち自然採集経済においては人は自立していた。ところが文明の始まりと共に人は特定の組織に従属する事なしには生きる事ができなくなった。通常は生まれによって人は特定の社会集団に属した。生産力の低い歴史段階において社会は必然的に階級社会となった。何故なら大半の人々は朝から晩まで物の生産に追われて文字を習う余裕も無く文字を読めるほんの一部の集団によって知識の独占が行われたからである。交通通信網の未発達な段階では必然的な社会の階層構成が世襲によって数世代の間に階級社会に転化した。雷鳥は続けて「今女性は月である」と書いたが男もまた月であったのである。人は嫌でも特定の集団に属する事なしには生活できず組織の長の発する光を反射する月として生きる他は無い。こう考えると我が国の古代国家が支配者としての正当性を古代神話のなかの太陽の女神に関連づけているのは意味深長である。
階級社会において戦争は不可避である。何故なら支配関係を軸とする社会においてはイエスが説いたように頭が二つあっては国は立ち行かないからである。従ってピラミッド型の支配関係が確立して初めて国が安定する。ところがそれはそんなに長続きしない。日本神話や朱子学のような学問体系を用いて如何に支配を正当づけても長年の間にはそのような体制は必ず崩れてくる。何故であろうか。それは自立心は人間の本能でありそれに反するピラミッド型組織は不自然であるからである。建国段階においては組織を支えた人間集団も支配体制が確立してからは逆にそれに全面的に依存するようになり自立性を喪失する。代を重ねる毎にその依存度はますます強まる。自立性を失えば外見は如何に堂々たる組織も早晩崩壊せざるを得ない。個人の自立性は人間性の根幹に存在する。人間は長い原始時代を生き抜いてきた。人間の発生は約三百万年前であるのに対して文明の始まりはせいぜい五千年前である。平均寿命が30年そこそこの時代が何百万年も続いたのである。自立できない個人は自然淘汰された。こうして長い進化の過程を経て自立心は人間性の基礎になったのである。人はピラミッド型支配社会を機会ある毎に破壊してはまた構築してきた。こうして歴史は戦争と平和の時代を繰り返してきたのである。
生産力の向上と交通通信網の発展、学問の発達が高度に進んだ近代に到って初めて階級社会の矛盾を認識しそれを打破する事を目指す思想が現実のものとなってきたのである。明治の始めに福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と近代思想の原理を簡潔に表現し「学問のススメ」によって人の自立を訴えた。
二十一世紀は個の自立の時代
二十一世紀に到って初めて先人達の理想を全面的に実現する条件が整って来たと思う。人の自立とは決して孤立ではない。厳しい原始時代を人は家族と血縁地縁によって形成された氏族や部族を中心とした協力関係で生き残ってきた。文明の始まりと共に社会組織は地理的に広がると共に階級の分化が進み遂に国が成立して歴史時代に進んできたのである。農業による食糧生産力の向上によって可能となった職業の分化と専門技術の応用による生産力の飛躍的な発展によって文明が発祥したのである。文明社会においては異なる職業の人々が協力して事業を行う事を可能にする条件無しには人の自立は不可能である。前述したように今日ではインターネットの開放性と衛星通信放送の広域同報性は世界中の人々が共同の目的のために通信網の中に迅速に団体を結成して事業を遂行する事を可能にしているのである。宅急便や航空網は人や物が一日の内に世界中を移動する事を可能にしている。今や世界は原始時代の一つの村の大きさに収縮してしまった。二十一世紀に到って人は再び原始人のように自立する事が可能になって来た。職業の専門化が発生する以前には人は生活に必要なあらゆる技術を習得する必要があった。ネアンデルタール人の脳の容積が現代人よりも大きい事実は原始時代に人が如何に多くのものを学んでいたかを示していると思う。文字の発生以前に知識と経験を伝承するには正確な言葉と優秀な記憶力を必要とした。文明の発生の極めて早い段階、否その遥か前の石器時代において人の文化が驚嘆すべき水準に達していたのは残された石器、土器、洞窟壁画等を見れば明らかである。二十一世紀において人は特定の分野の専門家として他の分野の専門家と共通の目的のために臨機応変に実行団を結成して事業を行う事ができる。事業を通じて経験を積むと同時に通信網学問楽園(Network Academy)を活用して自己の専門知識や技術を広げ、高め、深める事ができるのである。こうして人は人間復興時代のレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイのように全人的に自己を実現して世の発展に寄与する事であろう。
製造業から創造業へ
前述の如く世界市場は急激に変化し今や世界の工場としての中国の台頭と電脳ソフトウェアの生産大国としてのインドの台頭が著しい。その他のアジア諸国も急速に技術競争力を強めている。その中で我が国はどういう役割を果たして行くべきであろうか。前に日本は世界の工房としての役割をはたすべきだと述べたが産業の面から見れば製造業から創造業への脱皮と言い換える事ができよう。製造業とは与えられた設計に基づき物やシステムを生産する産業であるが創造業とは製造さるべき製品の設計を創造する産業である。その本質は物ではなくその本となる知を生産する事である。物が生産される過程を考慮すると市場調査、製品の概念設計、技術開発、生産設計、製品設計、製造、検査、出荷、販売、保守となる。即ち従来の産業区分で単に製造業と呼ばれた産業の中で純粋に物を扱うのは製造以降の作業であり他は情報を扱う知的生産過程である。またその製造以降の物の生産に直接関する部分についても情報処理と通信技術が本質的な役割を果たしている。設計図面に基いた部品展開、発注、収集、組立て、検査の全段階においてコンピュータとインターネットを駆使した電子商取引とCAD/CAMシステムが主役を果たしている。更には出荷、販売、保守段階も移動通信とインターネットがますます重要な役割を果たしつつあるのである。今日では生産の順序は従来とは逆になる傾向すら見られる。例えば幾つかのPCメーカは注文を受けてから生産して三日以内に納入する体制を整えて利益を挙げている。在庫を持つ必要が無いので大幅なコスト削減が可能なのである。従来の産業が生産した物を販売する方式であったのに対して新たな方式では販売された物を生産するのである。しかも世界市場において販売と生産システムを展開すればまとまった生産が可能であり効率的である。この傾向を延長してみると将来の生産方式においては買う人が自ら設計製造する段階にまで到ると思われる。即ち新たな形態の製造業とは世界中に展開するCAD/CAMシステムを用いて顧客が自ら必要とする物を設計し生産する事ができる生産システムを提供する事業になるかも知れないのである。既にPCのメモリー容量や画面表示装置、搭載するソフトウェア等を顧客が選択して組み合わせる事により独特の製品を購入する事ができる。自動車の備品は随分昔から顧客が複数の選択肢から好みのものを選択できたのであるがこれからは住宅、冷蔵庫、自転車等あらゆる工業分野に顧客が製品を設計する方式が普及するであろう。工業分野に止まらず農業分野においても顧客が自ら欲しいものを作る事ができる遠隔農場ができるかも知れない。必要な時にはいつでもどこからでも自分の作物の出来具合を監視し、水遣り、草取りも遠隔操作でできる。そうすれば市場が小さくて採算ベースに乗らず通常は入手できない特殊な作物も顧客は自ら作る事ができるし農業はそのような生産システムを提供する事で事業が成り立つのである。
そのような段階の産業においては従来の農業や工業、あるいは一次、二次、三次産業とかいった分類は明確さを失ってくる。例えば市場調査や技術開発を行う職業は従来の区分のすべてに当てはまる場合もあればどれにも当てはまらない場合もある。今日でも多くの企業は単なる製造業ではなく多分野を総合して問題を解決するSolution事業を標榜しているが二十一世紀の産業においては生産業と創造業という分類がより的確ではないかと思う。生産業とは従来の産業と同じく物やサービスを生産する事業であるが創造業とは新たな価値を創造する事業である。もちろん従来もそれは重要であったのであるが各産業に付随したものであり独特の分類を立てる程のものではなかった。発明王エジソンが創設した研究所や二十世紀の後半に出現したThink Tankはその走りであるが二十一世紀には他のすべての分類に対立して存立し得る創造業の重要性がますます高まると思う。それは今日の遺伝学や発生学が従来の生物学の枠を越えて、化学、物理学、コンピュータ工学等多くの分野の科学技術の総合によって初めて成り立つのと同様である。生命とは各瞬間における創造過程でありそれが止んだ時が即ち死である。ましてや自然界には存在せず人間が作り上げた不自然な文明は創造力を失えば直ちに衰退に向かうのである。文明が最高段階に発展したとすれば二十一世紀に創造業が重要な産業になるのは極く自然な事であろう。
ガクモンの新世紀
激変する世界市場の中で我が国が発展し成長していくための基礎は学問である。正しく明治の文明開化の幕開けに福沢諭吉が教えた「学問のススメ」に簡潔に表現されている通りである。それは言いかえれば立身出世のための学問であった。交通通信網の未発達な段階では学問をするには大学に通う他に道が無かった。学費のほかに本代や下宿代がかかるので金持ち以外には進学は困難であった。増してや海外留学は更に困難であり多くは官費留学生として選ばれた選良に限られていた。海外留学を無事に終えて帰朝すれば官界での出世が約束されたようなものであった。官、民、軍、学その他多くの世界において大学を出なくては立身出世は極めて困難であった。言いかえれば明治以降の急速な近代化は学問の成果であると同時に世の中は学歴社会となり学閥が横行したのである。学歴社会において大学に行けなかった大多数の国民は学歴の無きが故の差別を受けて悔しい思いをしたのである。その反動で戦後は大抵の親は無理をしても子供に最高の教育機会を与え様と努力した。その結果大多数の人が大学まで進学するようになり戦前とは逆に受験地獄と言われる別の問題が甚しくなった。マスプロ教育は物の大量生産と同様に画一的にならざるを得ない。ところが学問の本質は対話であり本質的に大量生産には向かない。既存の教育制度においては教育設備、教員の数、施設の設置場所の制約のためどうしても入学定員を制限せざるを得ない。即ち一定の水準の教育を提供するにはどうしても狭き門とならざるを得ず、入学試験という関門を設けなくては成らないのである。ところがそれは行き過ぎると学問の死を意味する。なぜなら学問の本質は「問う」ところにあるのに対して試験によって測れるのは「学」だけであるからである。いわゆる学力偏重の教育にならざるを得ないのであるがその弊害を安易に是正しようとすると現在深刻な問題となっている学力低下を招来する事になる。何れにしろ受験勉強は学問に似て非なるものである。多くの人は入学試験を通過すると勉学意欲を失ってしまう。大学では単位を取るのに必要最小限の努力をし、大学を卒業して社会に出てからは仕事に直接必要な範囲の他はまるで勉学しない。また勉学しようにも仕事をしながら夜学に通うのは実際上困難である。他方において市場は激変して行く。失業率が過去数十年で最悪の状態にある今日でさえ多くの分野では人手が足りないのである。ここに明らかに我が国の教育制度、中でも生涯学習体制に不備があると考えざるを得ない。
前述の如く産業においては顧客が自ら必要とするものを設計し、それに基づく製品を入手できる利用者本位の事業段階に入りつつあるのに対して公教育分野は今だに百年前とあまり変わってはいない。それが時代に合っていない事は13万人にも上る登校拒否児童の存在を考えるだけで明白である。我々はそれらの児童にも平等な修学機会を提供しなくてはならない。これからは従来の硬直化した教育制度に代えて各人の適性に合った多様な教育制度を確立して行く必要がある。登校拒否をしている児童にも開かれた広くて多様な教育学習制度が必要である。それこそ私が本書で説明してきた通信網学問楽園、即ちNetwork Academyである。Network Academyは生徒が学習方式と学習内容を選択する事ができる柔軟な学習システムである。即ち在宅か集合形式かあるいは学校方式かの選択、学習する学科の選択は学生が行う。前述の如くインターネット衛星通信放送の柔軟性と広域同報性を活用するNetwork Academyは極めて大きな収容能力があるので落とすための入学試験は不必要である。しかし厳密に定義された学問体系は公開され学生は目指す分野に必要な関連学科を履修して学歴を積み上げて行く事ができる。在宅学習が可能なので登校拒否児童や社会人が無理無く学習を続ける事ができる。また教師も基本的に自宅から通信網を通じて教える事ができるので物理的制約が小さく他の職業との兼務も容易である。即ち十分な数の教師によって学生との対話を軸とした本来の学問が可能となるのである。
Network Academyは公教育に取って代わるものではない。それは公教育を補完するものである。病気や怪我、いじめや学校生活への不適応、家庭の事情等の理由で学校に通う事が困難になった児童は在宅学習を主としたNetwork Academyを通じて学習を続け、再び条件が整った時に学年を後れる事なく学校に復帰する事ができる。例え学校に戻る事ができない場合にも悲観する事はない。学校を出ずとも学問を身につけていれば道は開ける。現在の制度においても高校を出なくとも大検を受けてそれに合格すれば大学受験資格が得られる。大学を出なくても司法試験に合格すれば弁護士の資格が得られるのである。従ってNetwork Academyで生涯学習を続けて学問を身につけ必要に応じて認定試験を受けて資格を取得して行けば仕事に役立てる事ができる。
Network Academyの特長は生涯学習に最も有効に活かす事ができる。社会に出ると仕事や生活に追われて勉学する時間はなかなか取れないものであるが、在宅学習に適したNetwork Academyを活用すれば無理無く学習を続ける事ができる。しかも日本全国アジア一円の多数の仲間と共にセミナーに参加して意見交換をする事ができ広い視野を養うのに最適である。大勢で共用するので一人当たりの通信費用は極めて低い。必要に応じて集合研修を併用すれば実験や実技指導の必要な学科も遠隔学習教育が可能である。
Network Academyは我が国の産業の高度化に本質的な役割を果たす。創造業とは即ち個人の創造力を最も効果的に働かせて新たな価値を産み出す事業である。独創は孤立していては生まれない。同学の士との切磋琢磨が必要不可欠である。また事業を行うためには異なる分野の専門家の参加と共同作業を行う場が必要不可欠である。従来は大学、公立の研究機関、企業等の組織がそのための場を提供してきた。個人の発明家や研究者ができる事は極めて限られていた。しかしながら今日では世界を一つにするインターネットを通じて目的を共有する個々の人々が種々の形の団体を容易に結成する事ができる。前述の如く特定の事業目的に実行団を結成して仕事を行う事が可能なのである。製造専門企業が成長している現在は製造すべきものを創造する事、即ち創造業が産業の本質となる。同学の士との切磋琢磨は必要不可欠ではあるが創造は本質的に個人の中で生じる過程である。多数の人々が所属する従来の大学や企業においても個々の学問研究は一人もしくは小人数のチームによって成されて来たのである。インターネットを駆使する電子商取引と製造専門企業が発展している今日では従来の工場型の組織よりも網型のSOHOが有利になりつつあると思う。工場を必要とする工程は製造専門企業に集中する事によって生産設備の使用効率を高め、またより効果的な生産方法の開発を進める事ができる。他方製造すべきものを開発する創造業は網上SOHO型の企業によって最も効率的に事業を行う事ができる。なぜなら従来の大企業や政府組織に内在する煩雑な意思決定過程による遅延と無責任、隠れた余剰人員による膨大な無駄を一掃する事ができるからである。実行団は共通の目的のために個人の自主参加によって結成される組織である。企業や政府等の組織の後ろ盾がなく成員によって支えられる組織である。分担責任に応じた報酬分配を行う自己責任組織である。当然士気が高く事業効率が良い。さもなければそもそも成り立たない組織である。その具体的な方法は前章で論じた所であるがその本質はNetworkで結ばれた個人の創造性である。そのためには絶えざる自己研鑚が必要不可欠であるが万人に開かれた生涯学習を可能とする通信網学問楽園はそのために本質的な役割を果たす。西洋の人間復興即ちルネサンスが十三世紀から各地に設立された大学によって興ったように二十一世紀は通信網学問楽園Network Academyによるガクモンの世紀として発展して行くであろう。
第七章 日本新生の実現
以上述べてきた事をまとめて日本新生の実現性を検討しよう。
日本新生の達成基準
日本新生の達成は西暦2010年の終わりまでに次の諸問題が解決された段階であろう。
(1) 政府や地方自治体の財政赤字の解消、赤字国債、地方債の発行ゼロ
(2)年間経済成長率3%以上
(3)特殊法人の全廃、民営化
(4)直接民主制の発展、世襲政治家の比率が10%以下
(5)産業構造の変革、創造業の比率50%以上、SOHOの数1,000万以上
(6)毎年の創業数が廃業数を上回る事
(7)東京一極集中の是正、大都市圏を除く地方の人口比率が60%以上
(8)少子化の終焉、出生率が2以上、
(9)Network Academyで学ぶ人口が500万以上
産業の強化
現在世界の工場と言われる中国は生産量において日本を追い越しつつある。我が国の長期的な経済成長には世界市場において産業の競争力を強める事が極めて重要である。そのためにはどうすべきであろうか。労働集約的な製造業は平均賃金の安い中国を始めとするアジア諸国で生産するのが最も効率的であろう。また人口の比率から考えても量的にはアジア諸国での生産量が今後とも不断に増大するであろう。従って我が国の経済力の強化には我が国に適した日本的産業の開拓が必要不可欠であると思う。
日本的産業の特長は自立した事業家と業界標準化であると思う。現在では製造業と言えば直ちに工場を連想するが工場制製造業は長い人類の歴史の上からは極く最近出現した形態である。我が国の伝統においては個人の自立営業が原則であった。職人になるにはその道の達人に弟子入りして徒弟として長年の修行を積み免許皆伝を授けられると独立して一家を成す事ができた。商人になるには商家に住み込み修行の過程に応じて見習、丁稚から始まり番頭に到るとやがて暖簾分けをして独立する道が開けていた。江戸時代の士農工商の身分制度において士は幕藩に属し、支給される扶持に頼って生活する被官であったが残りの農工商は実際に富を生産し社会を支えていたのである。我が国には「すまじきものは宮仕え」という諺があるように自立性の高い伝統がある。自立は孤立しては不可能である。農村には寄り合いや常会と言われる合議制の伝統があり職人や商人には座とか講とか呼ばれる文字通りの合議制の業界があった。業界標準が確立されて異業種の職人が協力する事が容易になっていた。例えば建築業では基礎工事、大工、左官、屋根職人、畳、襖、内装など異なる専門職が協力して初めて家が建つのでありそのために畳や窓、間取り、屋根や瓦の寸法などは古くから標準化が進んでいたのである。
十八世紀に英国で始まった産業革命は機械を用いた工場制製造業の強みを発揮し英国を帝国主義時代の覇者に押し上げるとともに世界中に工場制製造業を広めた。同時に企業形態は会社が主となり人は会社の工場で雇い人として働く事が一般化した。特に我が国においては戦後終身雇用制が普及して会社員はあたかも幕藩体制の中の武士のように全面的に会社に依存する傾向が強くなった。工場制は物流が未発達な段階では最も効果的であるのは明らかである。また会社は情報処理技術や交通通信網が未発達な段階では最も効率的な企業形態である。今日の我が国においては情報処理技術、通信網、物流網が極めて高度の発達を遂げ工場制製造業の利点は薄らいでいると思う。物の大量生産には工場が最適であるが本書で再三述べたように現在大量生産はそれを専門に行う企業が成長しており、むしろ生産すべき物の概念の確立とその実現に必要不可欠な技術開発が産業の本質となっている。更には製品の設計、製造、販売、保守体制の全体を含む事業計画が産業の発展に極めて重要になっている。即ち物より知の生産を行う創造業の重要性が高まっている。物の生産システムについてもその不断の改善無しには競争力は維持し得ない。総じて産業は創造業と呼ぶべきものに変革が進んでいるのである。創造業に本質的なのは個の自立と他との協力であり上述の我が国の伝統はそのために最良の土壌を提供しているのである。
産業の創造業化
産業の知的産業化とは即ち創造業化に他ならない。なぜなら知識の保持、活用、普及とは不断の再創造過程に他ならないからである。再創造過程が止むと直ちに知識が失われるのは滅びた文明が残した文字の解読が如何に困難であるかという事実が端的に示している。知識の特性は古きものから新たなものが創造され得る事である。類人猿から人間への進化を決定づけた言葉の使用、原始から文明への歴史の発展を確実にした農業、冶金、文字の発明、書物の量産を可能にした印刷術の発明、動力機械の概念を確立した蒸気機関の発明、思考の機械化への第一歩となった計算機の発明等は世界を変え歴史を発展させた根源的な知的創造であった。
現在の大半の企業は今だに物の生産に適した構造をしている。年俸制と裁量労働制を採用している企業でもCore時間と称する時間には従業員が工場や事務所に居る事を義務づけており実質的には従来とあまり変わらない。それどころか所謂サービス残業が横行して実質的な賃下げになる傾向も見受けられる。中国に比べて我が国の賃金は高過ぎると公言する経営者もいるがそれは従来のやり方の事業を念頭においているからに他ならない。本書で述べてきた様に産業の創造業化を進めれば我が国は中国に対しても価格競争力を強める事ができるのである。そのためには労働集約的な産業は中国を始めとするアジアに移して国内では知識集約的な産業を発展させる事である。前述したように物の製造過程についても設計書の入力、部品展開と発注収集、組立て、検査、出荷のすべての過程を電子化、自動化、ネット化する事によって柔軟な生産システムを構築して価格競争力を強化する事ができるのである。
上の自動化された生産システムは製造専門企業の工場を核として結ばれた情報通信及び物流網であるが、事業の本質は市場を核とする情報通信網にある。市場は全世界に広がっているから結局事業の本質は世界的な情報通信網にある事になる。事業とは市場と技術の結合に他ならない。故小林宏治氏のマトリクス経営とは技術を担当する事業部と市場を担当する営業部の組み合わせを柔軟に行う事を目指した経営手法であった。今日では情報通信と交通網が遥に高度に進歩しマトリクス経営の利点が薄れてきたと思う。事業部制度の欠点はその階層組織にある。事業部と営業部がそれぞれピラミッド型階層組織をしている上に更に本社という屋上屋が被さり、意思決定の過程が実に煩わしい。その過程で有望な事業提案も雨散霧消して日の目を見ない結果に終わる事が余りに多い。経験によれば事業部と営業部は異なる組織であるため意見のすれ違いが多くマトリクス経営はもはや上手く機能しない。それは世の中の動きが今より遥にゆっくりしていた市場には適していたのであるがインターネットを通じて情報が光の速度で世界を駆け巡り、市場が激変する今日では余りに意思決定の過程が長すぎてしかも責任が不明確であり用を為さなくなっている。それに代わるべき企業のあり方は前の章で述べた所である。それは見方を変えれば産業の創造業化に他ならない。失われた十年に引き続き二十一世紀に入った今でも景気がなかなか上向かないのは戦後の加工貿易時代とさして変わらぬ輸出頼みの経済構造にあるからであると思う。即ち内需が不足しているのであるが従来の公共事業を中心とした安易な景気刺激方式は膨大な財政赤字を積み重ねる結果に終わり既に破綻している。内需が乏しいのは根本的には創造業が未発達なためであると思う。経済成長を実現するのは何より新たな事業の創造である。発明王トマス・A・エジソンの偉業は単なる発明に止まらず新たな産業の創造にあった。日本国内で創造される発明発見が事業化される事が経済成長の源なのである。我が国は今や世界的にも最先端の国として産業の創造業化を進め新たな事業の開拓によって世界に寄与する事により自らも経済成長を維持し、生活水準の向上を実現して行く事ができるのである。
均衡の取れた国土の発展
本書で前述したように創造業の発展は東京一極集中の是正と均衡のとれた国土の発展を進める事ができる。過去半世紀の間に産業と人口が首都圏をはじめとする大都市に集中し今や地方は過疎と高齢化が進み地場産業が衰退して、不足する財政は地方交付税によってやっと辻褄を合わせている状態である。従来の産業構造のままではこの傾向はますます進展して行くのは確実であるがそれが最終的に行きつく姿はどうであろうか。都会の過密と地方の過疎、国土の荒廃と人口の継続的な減少はかって滅びた幾多の文明の辿った道であった。
この破局を避ける道は産業の創造業化によりインターネットと衛星通信を活用して地方産業を活性化する事である。創造業は人が主であるからどこにいても仕事をする事ができる。地方の人口が増えて地場産業が成長し地方交付税があらかた不要になれば日本新生が一つ達成されたと言う事ができよう。
前述したように二十一世紀の企業とは社内通信網(イントラネット、Intranet)で結ばれた専門家集団に他ならない。今日でも大企業の社内通信網は日本全国ひいては世界全体に張り巡らされた地球的な専用通信網である。インターネット(Internet)を用いれば既存の通信網を活用して容易に専用通信網を構築する事ができる。その最も単純なやり方はEメールのあて先リストを作成してリストに登録された会員の間で情報を交換する事である。更にはmulticastを用いて会員間で会議を行う事もできる。インターネットと衛星通信を組み合わせれば日本全国世界全体に分散した多数の会員の間で大量のデータを交換したり、会議や共同作業を行ったりあるいは一般向けに放送を行ったりする事が容易に実行できるのである。膨大な記憶容量を有するデータ蓄積装置が安価に購入できる現在インターネット衛星通信網を活用して仕事に必要な多種多様なデータ、コンピュータを駆使する各種の設計システム(CAD)、種々の解析用ソフトウェア等を自宅や近所の作業拠点に揃える事は容易である。世界に張り巡らされたイントラネットを用いて専門家は所を問わず仕事をする事が既に可能になっている。いわゆるSOHO(Small Office,Home Office)で大抵の仕事は可能であるが創造業が主になるとともに仕事のやり方の主要形態となる事が予想される。そうすれば人は日本全国の最適な場所に暮らして仕事をする事ができ均衡の取れた国土の発展が可能となる。地方の人口が増えれば地場産業が成長して地方財政は均衡し地方交付税はあらかた不要になるであろう。
直接民主制
地方の自立が進めば政治の仕組みも変わって来る。最も身近な市町村が行政に果たす役割が大きくなる。地場産業が発展して地方で十分な税収が確保できれば年中行事と化している中央政府への陳情の繰り返しは不要となり、長年のばら撒き財政の結果として積み重なってきた財政赤字を削減して行く事ができる。地方政治の進展と共に直接民主制が成長する。インターネットと衛星通信によって日本全国が一つの村に縮小してしまった現在は地方の直接民主制はそのまま国政にも波及する。従来政治には地盤、看板、かばん即ちお金の三バンが必要と言われ、勢い世襲される事が多かった。現に小泉首相をはじめ大多数の政治家は親から地盤を譲られた二世政治家である。職業政治家は地盤という強みがあると共にそれに制約される弱点がある。何よりも地元への利益誘導が優先し財政赤字も省みず膨張財政を繰り返してきたのである。
インターネット衛星通信は従来の政治構造を変革する力があると思う。小泉首相が自民党総裁に選挙されたのは地方の党組織の力であった。インターネットや衛星放送の国会テレビ等を通じた情報公開が進み国民の政治問題に関する理解が深まると共に構造改革を求める力が自民党内の異端者的存在であった小泉氏を首相の座に押し上げたのである。小泉首相はインターネットを通じて毎週数百万人に定期的な報告をしている。従来の如何なる政治家にも増して国民と直接的な対話をしている事が80%もの驚異的な支持率を維持している理由であると思う。
今後インターネットと衛星通信は政治の仕組みを根本的に変革して行くと思う。日本の全国民が参加する会議も容易に実行可能である現在、従来の三バンの意義は薄れ職業政治家に伍して民政治家が活躍する基盤が整いつつあるのである。従来は事業に成功した有力者がカネをばらまいて政治に打って出る事が多かったが、インターネット衛星通信を活用する事によってこれからは金は無くとも志のある人が政治を荷う事が可能になりつつあると思う。
直接民主制は古代ギリシャの都市国家や我が国の町や村のように地理的に限られた地域で行われてきたのであるがインターネット衛星通信と交通網が高度に発達して世界が地球村の縮小した現在再び主要な政治の仕組みとなっていく事は当然であろう。特に地域の直接民主制は世界各地の紛争の解決に寄与するものと期待される。なぜならそれらの紛争の原因は近代において成立した国家主権の矛盾にあるからである。即ち国境地帯は異なる国家の主権がぶつかり合い常に紛争の種を孕んでいる。地方の自立が進み政治に果たす国家の役割が小さくなればそのような国境紛争の多くは意味を失ってくる。それは西洋の宗教改革時代の旧教徒と新教徒の悲惨な争いが今日から見ると理解しがたいものになっているのと同様に自然に解消して行くであろう。
直接民主制の発展は政府の特殊法人をあらかた不要にする。現在行われている特殊法人の見直し作業において官僚や職業政治家が「公益」を口実として組織の保存もしくは権限の拡大を目論んでいる。特殊法人の欠点は独占的な地位を利用して民業を圧迫する事である。産業が未発達で民間に技術や資金が乏しかった時代には政府による殖産興業にも一定の意味があったが、今日の高度な技術と天文学的な数字の貯蓄がありしかもインターネットを活用する電子商取引によって需要と供給、事業家と投資家、創造業と製造業が直結する時代にはすべての特殊法人には存在理由が無い。単に民業を圧迫して経済成長を阻害するだけでなく赤字を垂れ流して巨大な財政赤字の累積の原因になっているのである。今後の特殊法人のあるべき方式は明確な目的と計画の下に組織されて事業を行い目的を達成したら解散する公共実行団であろう。その典型例は米国のアポロ計画である。十年以内に人間を月に送り無事に帰還させるというケネディ大統領の宣言した目的を見事に実現した事もさりながら目的を達成するとすっぱり組織を解散したのには実に大きな感銘を受けた。これからはそれが普通の方式になり国家が行うのはアポロ計画のように民間では到底実行不可能な事業に限られるであろう。国家予算の規模は今の半分にまで縮小し財政赤字は急速に解消される事が期待される。
我が国はインターネット衛星通信網を活用して地方と国政レベルの直接民主制を推進する事により均衡のとれた社会の発展を実現すると共に世界に新たな社会のモデルを提供し生活水準の向上と世界平和に寄与して行く事ができるであろう。
Network Academyによる日本新生
教える人と習う人に時と所の制約を越える学問の場を提供するNetwork Academy は日本新生の根源であると思う。通信網学問楽園を活用した生涯学習が普及すればまず現在の受験競争による教育の歪みが解消すると共に人は生涯現役で働く事が普通になる。小中学9年間の義務教育を終えたら後は働きながら自主的な生涯教育を続ける体制が整う。その結果家計と財政は教育費の重圧から開放される。更に仕事に必要な知識と資格を取得する道が常に開けているので生涯現役で働く事が可能になり個人消費が増え経済成長が持続して財政赤字が解消する。その結果公教育と基礎的分野への研究投資が増加して学問研究がますます盛んになる。
大学や専門学校は従来の様に学生の教育だけでなく地域社会の学問の場となる。即ち通常は通信網学問楽園で主として在宅学習を行う社会人が必要に応じて集合して実験、実演、実技指導等を受ける。更には研究発表や情報交換を行い、地域の問題を議論し、新たな事業を起こす起業の拠点として発展して行く。
大学生と言えば従来は同年代の若者ばかりであるが二十一世紀の大学は年齢も背景も目的も多種多様な人々が集う学問の場となる。通信網学問楽園で所定の学歴を積んで専門教育に進む過程が整備され教育にかかる費用を大幅に削減する事ができる。例えば現在の制度で医者の資格を得るには大学の医学部に入学して六年かかって卒業し医師国家試験に合格してから数年のインターンを経てやっと一人前になる。医学部の入学金は数百万から数千万円もの大金が普通であり一人の医師を育成するには恐らく一億円もの費用がかかっている。当然医療費は高額であり高齢化に伴って健康保険制度の持続が困難になっている一つの原因であると思う。健康保険制度の維持のためには医療費の低減が必要であるがそのためには医師、看護婦、看護士、X線技師その他の専門家の育成制度の根本的な変革が必要不可欠である。専門知識の中身をよく吟味すれば基礎知識と教養の重要性が痛感される。従来の教育制度は基礎から専門まで医学部、薬学部、理学部、工学部、経済学部、文学部等の縦割り構造の学部で行われていた。卒業してからも各分野の学会はそれ自身一つの世界であり相互の連絡が少なかった。ところが科学技術の進歩を良く吟味すると異なる分野の相互作用が本質的に重要である事が分かる。例えば医学の進歩は光学顕微鏡、X線、電子顕微鏡、超音波、核磁気共鳴、細菌学、遺伝学等の進歩無しにはあり得ない。あらゆる専門分野は木に例えれば末端の枝葉であり同じ幹から分れているのである。その幹に当たるのは基礎知識や教養であり一言で言えば学問である。専門分野の発展には基礎分野の研究が必要不可欠である。それは9年間の義務教育で基礎を固め、通信網学問楽園を活用して学習し研究していくのが最も効果的であると思う。そこで通信網学園で所定の学科を履修して必要な基礎学力を身につけたら医科大学に入学して三年の専門過程を卒業し医師国家試験に合格したら医師の資格を得て開業できるようにすれば医療費の大幅な低減を実現できると思う。同様に法律家、公認会計士、技師その他あらゆる分野の専門家の育成のしくみを通信網学問楽園を核として確立すれば専門家育成費用の低減と学問の一層の普及と進歩を実現して行く事ができるのである。
個の自立と通信網学問楽園(Network Academy)
以上の変革の基本は個の自立であると思う。個が自立して初めて家庭、地域、国が成り立つのである。従来ややもすると「寄らば大樹の陰」とばかりに個が会社に頼り、地方が国にたよる傾向があったがそれは家に例えれば柱が屋根に頼るようなもので早晩倒れてしまう構造である。
個の自立の基盤は福沢諭吉が教えたように学問である。学問の本質は「問うて学ぶ」事と「問うを学ぶ」事であると思う。即ち対話と疑問である。暗黒時代と言われる西洋の中世を支配したキリスト教会の教えは「疑うな、ただ信じよ」であった。それに対して中世の暗黒を打ち砕いたデカルトの教えはあらゆるものを「疑え」であった。古代の哲学者ソクラテスは「汝の無知を知れ」と教え、孔子は「学びて思わざるは即ち暗し、思いて学ばざるは即ち危うし」と簡潔に学問の本質を明らかにしたのである。前述のキリスト教の始祖であるイエスは人々に直接神に対する祈りの方法を教えて神殿の独占的営業から利益をあげていたユダヤの祭司階級の恨みを買い遂には十字架にかけられて殺されたのである。イエスの教えは個々の人間が直接造物主たる神と対話すべきであるという事にあり本質的に人間開放の教えであると思う。もう一つの世界宗教である仏教の教えはその始祖である仏陀の行動に端的に示されている。ふとした事から人生について「疑い」を抱き、恵まれた太子の位も家族も捨てて一人ぼっちで各地の有名な師を訪ねて教えを乞い、数々の苦行を積み重ねたがなお心中の疑いは消えず、遂には決死の覚悟で何日も断食をしながらあらゆる疑問を思惟して遂に悟りを啓いたのである。そこにはあらゆるものを疑い、その疑問を解くために必死の努力をすべし、「己れを拠り所とせよ」という教えが明確に示されていると思う。古代の聖賢の教えは弟子達によって書き残され「ソクラテスの弁明」、「論語」、「新約聖書」、各種の経典や「仏教聖典」として後世の歴史に大きな影響を及ぼし現在に至っている。それらは師と弟子の対話の記録であり本質的に学問であると思う。
古代において人類の学問の本質を説く思想が現れたのに千年もの長い間学問の精神は抑圧され、階級社会の圧制が続いたのは何故であろうか。「汝の敵を愛せよ」と説くキリスト教を標榜する国々が「目には目を、歯には歯を」繰り返し戦争に満ちた歴史を刻んできたのはなぜであろうか。その理由はそれらの教えが生まれた時にはいずれも当時の世の中の小さな抑圧された人々の集団の間に発生した教えであった事を考えれば分ると思う。後にそれらの思想が普及して社会的に力を着けて来ると支配階級に採用されて遂には国教となったのであるが同時に思想の内容にも三位一体とか鎮護国家とか大儀名分論とか種々の変形や多くの迷信が加わり支配体制の正当化に利用されたのである。何故ならば文字も読めない多くの民衆にはそれらの思想の深い内容は理解困難であり御用学者や僧侶の説く所に疑う事なく従ったからである。むしろ二千年もの長い時を経てそれらの教えが本質を損なわれる事無く今日まで伝わった事の方が驚くべき事かも知れない。
本書で述べてきたようにインターネット衛星通信を核としてC&C人間網を用いた通信網学問楽園(Network Academy)を用いれば在宅学習を中心とする生涯学習システムを容易に実現する事ができる。Network Academyを活用して生涯学習を続け必要な資格を習得する事により新たな事業分野で職を得る事が可能となる。働きながら次ぎの働き口を探す事が容易になる。学問は人の自立の基でありNetwork Academyを活用した生涯学習によって生涯現役が普通になれば現在破綻に瀕している各種年金制度が黒字化する。人々が将来に自信を持てばGNPの最大の部分を占める個人消費が増えて経済成長が持続する。Network Academyが普遍化すれば失業とは即ち学習期間となり苦悩よりもむしろ楽しみとなる事すらあり得る。なぜなら学問は自己の能力を高め新たな可能性を開くに止まらず何より楽しみであるからである。実に二千年以上も前の孔子の教えの通りである。
友あり、遠方より来たる、また楽しからずや、
学びて時に習う、また楽しからずや。
読者の皆さん、孔子の教えを活かして二十一世紀を楽しく生きましょう。
(完)