差出人:   Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>

送信日時:             2020223日日曜日 16:52

宛先:     

件名:      RE: しつけを忘れて身を正そう

 

森さん、

 

こういう事件が恐ろしいのは自分も状況によっては似たような犯行を犯しかも知れないと思われる

事です。この父親は「しつけ」のつもりで始めた事がこのような残酷な犯罪に激化してしまったの

でしょう。

 

私もこの男を死刑にしても飽き足らない気持ちですが、それだけでは枝葉末節であり根本的な原因

を除去しない限り問題は解決しないと思います。

 

児童虐待の原因は自民党的家族主義だと私は思います。それは家族主権であり個人の基本的人権が

抜け落ちています。それは拡大解釈すれば戦前の日本の家族国家観と天皇主権論やナチス・ドイツ

の北方民族優秀(!?)論、英米が唱えた黄禍論などに広がります。他方子育てにおいては神聖なる親

権となり、きまじめな親ほど「しつけ」に悩む事になります。

 

児童虐待に止まらずあらゆる犯罪、ひいては国家による戦争犯罪の原因は何でしょうか。それは個

人の基本的人権の無視と飽くなき自己の利益の追求、自己主張だと思います。

 

日本国憲法はそれ以前の価値観の歪を正して基本的人権の尊重を土台に据えました。そこから児童

虐待問題の解決法を考えると

 

(1)          乳飲み子でも基本的人権を尊重さるべきであり、仮令親でもそれを犯す事は許されない。

(2)          如何なる子も社会の一員であり、「健康で文化的な生活」を保障される。

(3)          児童は教育を受ける権利を有する。逆に日本国は教育を授ける義務を有する。

(4)          義務教育は無償で提供される。

 

基本的人権は親にとっても一つの解放だと思います。

(1)          子の扶養義務を親だけで担う事が出来なければ社会が助ける。

(2)          特に障害を負って生まれた子の生育には「健康で文化的な生活」を送る事ができるよう社会が

一生に渡って支援を行う。

(3)          親の死亡や障害によって子の扶養義務を果たす事ができない場合はその義務は全面的に社会が

担う。

 

日本国を良く知り、それを活用しかつ支える気持ちがあれば安心して子を生み、育てる事ができる

のではないでしょうか。

 

日本は昔から里子や養子など他人の子供を引き取って育てる文化がありました。上杉謙信は結婚し

なかったので小田原北条氏から男子を引き取り、養子にしました。豊臣秀吉は将軍になるための方

便として足利義昭に養子にしてくれと頼んだし、数年前NHK大河ドラマの主人公となった篤姫も実

は島津斉彬の養女でした。これらは伝統的な家族主義に出る行動であり、明治の文豪夏目漱石もそ

の矛盾に苦しみました。

 

基本的人権に基づく民主社会の里子、養子は家族本位ではなく個人本位のものですが、米国などに

比べて今の日本はそれが非常に少ないのは日本の民主主義の基盤の弱さを示しているのではないで

しょうか。

 

私達は双子の孫育て支援で札幌に来て三年目に入りましたがこれも一つの社会貢献です。孫達の母

は会社役員として普通以上に仕事をしています。母の出張中も孫達はさして寂しそうにもしません

がママが帰ってくると忽ち「お爺ちゃん、ばいばい」となった事もありました。

孫育て支援は喜びであるばかりでなく人間の発達について学ぶ事が無数にあります。

 

例え血縁でなくても地縁でも子育ての支援が行われるならば児童虐待問題は随分少なくなると思い

ます。夕方私が孫達を保育園に迎えに行くと他家の子供もにこにこして寄ってきます。皆可愛いで

すよ。

 

児童虐待の報道を聞く度に思うのは地域社会の地縁の空疎な事です。これは現代人の孤独として万人

の問題ではないでしょうか。定年退職後しばらくの間盛んに行われた同窓会なども70歳を越えるととん

と行われなくなりました。社会との関わりが薄れると年を重ねる程深まる孤独として自分に跳ね返っ

てきます。地域の子育て支援は人が社会とかかわる絶好の機会だと思います。

 

市吉 修

From: etsuromori@jasmine.ocn.ne.jp [mailto:etsuromori@jasmine.ocn.ne.jp] 

Sent: Sunday, February 23, 2020 1:27 AM

To: 'Osamu Ichiyoshi'; '市吉修'

CcSubject: RE: しつけを忘れて身を正そう

 

市吉さん

森です。われわれ一般人は犬猫に石をなげて怖がらせたり、まして殺すことなど可哀そうで出来

ません。野田市の父親はストレス解消であれ理由は何であれ、寒がる子供に死ぬまで冷水を浴

びせるなど普通の人間にはとてもできないことを最後までやってのけています。亡くなった子は止

めてちょうだいと哀願したでしょう。普通の人間の感情を持っていないわけで、やまゆり園事件で

19人を殺した犯人同様に今後同様の被害を与える機会が無くなるよう父親を死刑に処すべきで

す。そしてあの世で子供に詫びさせるべきです。

森 悦郎

From: Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp> 

Sent: Saturday, February 22, 2020 3:15 PM

To:

 

Subject: しつけを忘れて身を正そう

 

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児童虐待死事件の裁判

[2/22 Yahoo Japanの記事より]

去年1月、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(当時10)が自宅の浴室で死亡しているのが

見つかった事件では、父親の勇一郎被告(42)が冷水のシャワーを顔に浴びせ続ける暴行を加えて

死亡させたとして傷害致死などの罪に問われています。

 

21日、千葉地方裁判所で開かれた裁判員裁判の初公判で、被告は傷害致死の罪について「妻に指示

して食事を与えさせないようにしたことはなく、シャワーを顔に浴びせ続ける暴行もしていませ

ん」と述べ、起訴された内容の一部を否認しました。そのうえで、「罪については争いません」と

述べました。

 

また被告は「しつけの範囲を超えたものと深く後悔してきました。未来の心愛ちゃんを見ることが

楽しみだったが、みずから見れなくしてしまった。本当にごめんなさい」と述べました。[引用終]

 

皆様この事件についてどう思われますか。

 

この事件の直接の契機は小学校が「誰にも見せないから正直に書きなさい」とした家庭内暴力のア

ンケートを教育委員会の職員が当父親の権幕に屈して渡してしまいこの憎むべき犯罪者の怒りに火

を注いで悲惨な事件に到ったと記憶しています。また家庭内暴力の事実を把握しながら、学校、教

育委員会、児童相談所、警察の連絡不十分のため事件を未然に防ぐ事ができませんでした。またこ

の男の妹さんは虐待を心配していたのに女児の祖父母は「息子を信じたい」とかで虐待防止のため

の行動をしなかった事も大きな要因だったと思います。

 

この悲惨な事件の原因を考えると

 

自民党的家族思想の害

自民党は憲法改正案の中で「社会の単位は家族である。家族は互いに助け合わなくてはならない」

なる案を示しています。これは一見まともでその実極めて有害な思想だと私は考えています。大日

本帝国においては「日本は天皇家を本家とする家族国家であり、子供は天皇の赤子である」という

事を学校教育の基本に据え、戦争政策の推進に絶大な効果を発揮しました。戦後成立した日本国に

おいては「社会の基本は個人である」という思想に基づき、天皇の機能を象徴に限定し、貴族制度

を廃止して日本の歴史上画期的な国民主権に基づく民主国家を確立しました。

しかし自民党の憲法改正案にあるように自民党的家族観は今もなお日本に色濃く残り、数々

の不幸を引き起こしているのではないでしょうか。それは

 

(1)          他所の家の事に干渉するな

  児童相談所の係員が自宅訪問したが親が児童に逢わせてくれかなったとか、もう来ない

  で欲しいと言われたのでその後訪問しなかった等

 

(2)          親の親権を尊重すべし

これは戦前は尊属罪とかいって子供が親に対して犯した犯罪の罪を特別重くする法律で何年か

まえに封建的だという議論があったと記憶していますが今はどうなっているでしょうか。

 

社会の単位は個人であり人はすべて等しい基本的人権を有するというのが日本国憲法の基本的思想

です。親も子供も基本的人権は等しいものであり乳飲み子に対しても親は子の権利を尊重して育て

なくてはならないと言う事を忘れてはいけないと思います。

 

権利と義務は裏表一体であり親権は親が子の養育義務を果たす限りにおいて成立するものであり子

の人権を侵す親には親権は疾うに無い事を厳格に実践すべきだと思います。

 

私の偏見かも知れませんが日本の法律は警察の容疑者の取り知らべにおいて長時間の拘束、自白の

強要など諸外国に比べて「中世」と言われているそうですが、家族観においても中世が色濃く残り

多くの不幸を生みだしています。

我々国民も例えば離婚の時など親権を巡って争う例が多いですが当の子の事をどれだけ考えている

のでしょうか。

 

親もまた被害者

上の父親は「しつけの範囲を超えたものと深く後悔してきました。」と述べたそうですが、

別な事件では加害者が「しつけだった。後悔していない」などと言っている場合もありました。そ

の親には最早人間性が無いと私は考えます。何故なら私は「人間性とは他人の立場に身を置きて我

が事のように思う事なり」即ち思いやりだと考えているからです。この人間性の喪失は自民党的

(伝統的?)家族主義思想の害の一つだと私は思います。

 

社会が、とういうより社会的通念が子の養育を家庭に押し付けている事から親は余計な悩みを抱え

ています。その一例は「しつけ」です。「しつけ」に悩み所謂育児ノイローゼになって親が我が子を殺

す事件も時々ありますが、それは何重もの意味で悲惨ですね。

 

しつけを忘れて身を正そう

私は世の親に「しつけで悩むのは止めましょう。子は親を良く見ているから自分の身を正しましょ

う。しつけなんか忘れて楽しく暮らしましょう」と言いたいです。

最近の私達の孫育て支援で気づいた事をお話しします。孫達は食後の歯磨きを嫌がるので歯磨きは

大仕事でしたかが最近良い方法を発見しました。それは私が大口を開けて私の口の中を見せ、虫歯

の治療跡、特に一番奥の歯が無くなっている原因が虫歯であった事を説明する事です。ほほを押さ

え、顔をしかめて虫歯の痛さと抜歯の時の麻酔注射など話してやると二人とも大きく口を開けてく

れるので歯磨きがとてもやり易くなりました。

 

知性とは

異なる位置に身をおきて

万物を究る人間性なり

 

人間性とは

他人の立場に身をおきて

我が事の如く思う事なり

 

人は結婚して家を創造す

結婚は新たな自由と責任を生ず

己が事は自ら行い

家の事は共に行うべし

子ができたらば

共に育てて

子の事は

その子のために行うべし

家は家のためにはあらず

人のためにあるなり

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    

* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    

* Human Network for Better 21 Century      

*  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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