日本再生私案

                                                                                                              市吉 修

                                                                                                              2007/01/10

日本の直面する問題

地方の過疎高齢化と東京一極集中、国と地方自治体の財政破綻、少子高齢化、食料とエネルギー自給率の危険域低下、地球的大競争と地域紛争など内外に難問山積である。これらは従来の社会の構造に起因する構造的問題であり、通常の方法では解決不可能であると思う。即ちその解決には社会の歴史的な進化とも呼ぶべき根本的な構造改革を行う必要があろう。

 

財政破綻の現状

国と地方を合わせた借金は約800兆円でありそれはGDPの約2倍に相当する。国の一般財政は約80兆円であるがその内正味の収入は約50兆円である。残りの約30兆円は国債発行による収入であるが、国債の返還費用が同じく約30兆円に上る。何の事はない、借金を返す為に借金をしている状態であり、財政の実態は既に破産している事を率直に認めなくてはならない。

毎年の借金は累積して行くのでこのままでは国家収入のすべてを借金の返済に充てなくてはならない事態に立ち至る日もそう遠くはないと危惧される。

 

財政破綻問題の解決案

今の状態はもはや続けていけないのは明らかである。そこで一つの解決方法を提案する。

(1)国債発行を零とする。

(2)国債は毎年20兆円ずつ返す。

(3)国の正味の一般会計は現行の約50兆円から30兆円に圧縮する。

これは国の補助金や社会保障費、防衛予算を約半減するという荒療治になる。また地方自治体も同様の施策が必要となるので国民の生活に深刻な影響が出るのは避けられない。                                                                     

 

戦争直後に比べれば何でもない

第二次世界大戦中に国は国民に戦時国債を半ば強制的に買わせた。そのお金で国はアジア諸国に戦場を広げ、国内は大空襲と原爆による惨禍を招き、焦土と化した祖国の国民には新円切り替えによる貨幣価値の1/100もの切り下げで国民に対する負債を反古にした。戦争で財産や親族を失った人々は焼け跡の中で深い悲しみと、やり場の無い怒りと、その日からの生活の不安に絶望的に立ち尽くしていた。当時の惨状に比べたら飽食の時代と言われる今日、一般予算の半減など何でもない。

 

国民の手にもどるお金の使い道

日本の国債の買い手は日本国民であるから国債の償還はお金が政府から国民の手に戻ることである。従ってそれをうまく使って新たな産業を興す事が日本再生の基本となる。

 

食料とエネルギーの自給

経済学の比較優位論によると各国が得意な製品を生産すれば、貿易によって世界全体が豊かになるとのことであるが果たしてそうであろうか。日本は工業に特化して食糧は輸入すれば食料輸出国も豊かになるというのは単純すぎると思う。日本が食料を輸入すると食料輸出国の食料相場が高くなってその国の国民の家計を圧迫してしまう。日本国内の農地や山を荒れさせて食料や燃料を大量に輸入する事によって、外国の貧困者をより困窮させ、熱帯雨林や寒帯林の違法伐採により地球的な環境破壊を進展させているのは大いなる矛盾ではなかろうか。私は仕事で長年海外に住んだり出張したりしたが日本ほど自然に恵まれたところは無いと感ずる。この自然の恵みを生かして食料とエネルギーの自給をしなくてはならないと思う。

 

独創力が必要

日本の財政赤字は世界の主要国の中で突出している。GDP比で米国の倍にも上る。問題が独特であるからその解決には独創的な発想が必要不可欠となる。

 

防衛費の問題

戦争を放棄した日本になぜ戦車が必要であろうか。今回レバノンで証明されたことであるが自信満々でレバノンに侵攻したイスラエル軍の戦車はヒズボラの対戦車ミサイルに大敗した。国土の大半が山岳地帯で農地は田んぼが多く市街地の道路の幅が狭い日本では戦車の有効性は限られる。また日本国内で戦車が必要になる状況は一体どんな事態であろうか。現実的に検討すれば日本の防衛には戦車は不要だと思う。大砲にしてもまた然り。また自衛隊の組織も例えば大尉、中尉、少尉を一尉、二尉、三尉と言い換えるなど昔の軍隊組織に準じているようであるが戦争を放棄した我が国の防衛隊に、しかも今日のIT時代にはそんなに沢山の階層組織は不要である。せいぜい三段階で十分であろう。例えば士、長、司令である。戦車や大砲よりも兵士が持ち運べる対戦車や航空機ロケット砲の方が日本の防衛にはより有効だと思う。四方を海に囲まれた我が国は海上及び航空宇宙防衛網も必要である。 しかし最も確実で安上がりなのは後述するように国際民間交流による外国との友好関係の維持、発展である。非常時には補給と通信が最も必要であり、移動体衛星通信やヘリコプターが威力を発揮する。簡易住宅の建設、仮設風呂や衛生設備の迅速提供、堤防の決壊を防止する土木技術が重要である。既成概念に囚われず現実的な防衛対策を実質予算の一割以下、即ち三兆円以下の予算で整備する事を提案する。

 

食料とエネルギーの補給

現在BrazilとUSAがそれぞれサトウキビとトウモロコシを原料にして世界のエタノール生産のトップを走っているが、そのため砂糖と食料が値上がりしているのは本末転倒であろう。食料以外のものからエタノールを作る技術が求められる。私の故郷ではから芋のでんぷん工場にカスが炭鉱のボタ山のように山積みされ豚のえさなどにも使われていたものであるが、もしでんぷんカスから燃料が取れたら有望である。また日本の山には立ち枯れた木々が白々として傾いているがそれらをマキや炭にしてエネルギーの自給に役立てる道もあろう。持ち運びも可能な竈でマキや炭を効率的に燃やす技術の開発が望まれる。

 

地方鉄道線の廃止問題

先月家内と鹿島で行われた衛星通信研究会に行ったのであるが我々が乗った鹿島鉄道は今年廃止されるそうである。結構利用客はあったのに残念である。ローカル線の廃線は全国的な現象であるがその原因は乗客が少ないからであり、なぜ人が乗らないかといえば駅から先の交通手段が無いからである。そこで自転車の持ち込みを許すとか、路線バスとの接続を良くするとか、乗り合いタクシーシステムを整備するなどの方策によりローカル線の振興は不可能なことではないと思う。折りたためば電車の網棚にも載せられるほどの折りたたみ式自転車も市販されているので利用者はそれを併用すれば鉄道で日本全国どこにでも行くことができる。昨今問題になっている自動車の飲酒運転による事故の心配も無い。事業者も利用者も工夫が必要である。ローカル線沿線の住民が自分では乗らないくせに廃止となるとその反対運動に走り回る姿は日本の矛盾の縮図ではないだろうか。

 

首相や、最高裁判事、特殊法人の理事、役員の給料を下げろ

財政が破綻しているのに単に民間のトップとの釣合から年間何千万円もの報酬を得ているのは宜しくないと思う。上限を1500万円に設定して下はむしろ上げるくらいにしてより平等な給与体系を提案する。 こういうと公的部門に人材が集まらないと異を唱える人がいるがお金が欲しい人は公務員や政治家にならなくても宜しい。また政治には金がかかるのだという人がいるが後述の直接衛星LANを用いれば政治家が極めて安価に国民と対話できる通信網が提供される。昨年教育改革と銘打ったタウンミーティングでは政府が教育関係者に動員かけ、特定の人間にやらせ質問をさせ、しかも一回2,000万円もの公金を費消した例があったそうであるが、後述の直接衛星LANを用いれば全国民が自宅から参加することができる国民会議でその1/100の費用でもっと実のある議論を行うことができる。

財政破綻を宣告された夕張市が置かれている状況は実は全国が置かれているのと同じである。市の再建案では市職員の人数と給料の削減と共に住民にはより重い負担を求めているが、その結果お金のある住民は町を逃げ出し、ますます財政状況が悪化する自家撞着に陥っている。

 

自然に帰ろう

私は故郷を出て都会に移住するまで世の中にゴミ問題があることを知らなかった。田舎ではすべての物資が自然の循環の一部になっておりゴミなるものは存在しなかった。都会ではあらゆるものがゴミになる。社会の進歩の上で都市が果たした役割は大きいが、今日のように交通、通信網が高度に発達した時代には田舎がより大きな役割を果たすことができると思う。我が国では長年の土木工事主体の公共事業により地方の道路や飛行場の整備が進み、田舎でも生活は便利になっている。団塊世代の退職者が田舎にUターンすればその分都会のゴミ問題が緩和されまた前述の食料とエネルギーの自給率も高まると期待される。

西欧封建社会の行き詰まりを打開して近代社会への道を示したJ.J.ルソーの思想は「自然に帰れ」であった。今日の我が国の行き詰まり (財政赤字がGDPの約2倍!)は当時にも似た状況だと思う。

 

直接民主制

「自然に帰れ」の一環が「直接民主制の回復」である。歴史学によると自然状態の社会では普遍的に原始民主制であった。自然採集経済では人口も少なく、生活も不安定で人々は助け合わなくては生きて行けなかったので社会は自然に民主制であった。

牧畜と農耕が始まって初めて人間をも家畜化すること、自分のために他の人間を働かせることが生産力を向上させ、強者をより強くする環境が出現したのである。戦争が利益の多い事業となり勝利者が支配者となって社会が階級に分化した。また支配領域の拡大に伴い支配者と被支配者が地理的にも分離され、そこに御用学者が支配者に都合の良い神話を多々捏造したのであると思う。その基本的構造はいまだに続いており、現代社会の問題の根本原因となっている。各地の地域紛争は国家の支配権を巡る争いであり、前世紀の二度の世界大戦は植民地を奪い合う大国間の戦争であった。

上の問題の解決のためには直接民主制の確立が必要不可欠であろう。特定の集団による国民の支配を許さない体制が確立すれば支配権を巡る国内紛争は起こり得ない。国民が狩り出されて前線に立たされる戦争は各国の直接民主制が確立すれば起こりえないことは自明であろう。更に直接的な民間交流が恒久的な国際平和の最も確実な基礎となる。

古くは万葉集の防人の時代から新しくは第二次世界大戦まで、戦争の時ほどそれに狩り出される人民は国家の支配の非情さを痛感したことは無いと思う。それでも強制召集されて戦地で戦死した方々は何々の命という名で靖国神社に祭られ遺族には年金が支給されている。他方大空襲や原爆によって財産や親族を失った人には何の保証も無い。特に悲惨なのは戦災で親を無くした戦争孤児や中国や満州に遺棄された幼児たちである。国は最も弱い者を見殺しにして強いものには軍人恩給や遺族年金の支給で補償を行った。ここに国家の本質が顕れている。即ち国家とは強者の利益が優先され、弱者の声は無視される機構なのである。多数決の原理は専制君主の権力打破には進歩的な役割を果たしたが弱者や少数者に対しては反動的な役割を果たしている。社会的強者は金力にものを言わせて報道機関を支配し、御用学者を総動員して世論を誘導することにより「民主的に」国家機構を支配することができる。

以上の考察から直接民主制の確立のためには弱者、少数者でも全国向けに発信できる通信、放送網が必要不可欠であることが判明する。自由で真実の報道が行われる放送や離島、山間僻地を含めた全国から誰でも参加できる国民会議システムが直接民主制の確立には必要不可欠である。

 

直接衛星LANの社会的意義

はまさにそこにある。インターネットは自由な発信と受信という意味では画期的であるがゴミメールの氾濫に見られるように無責任な発信を止める事は困難である。 また基本的に蓄積型の一対一通信であり、多数の参加者による会議に必要な同報には不向きである。私が提案している完全同期TDMA直接衛星放送は全国どこからでも直接全国向けのCS放送を行う事ができる。また送信費用も安価であり従来よりも遥かに広汎な一般公衆に対して直接全国向けの放送網を提供する事ができる。しかしインターネットと違って発信局が特定され、それを全国民が監視できるので無責任な発言はできない。この直接衛星放送網をインターネットと結合すると衛星放送による同報機能を完備したインターネット、すなわち直接衛星LANが可能となる。これは前述の国民会議が可能な通信網であり、直接民主制の発展に必要不可欠な社会的基盤となる。

 

地方の産業振興と東京一極集中の是正

完全同期TDMA直接衛星放送網が実現すれば全国に多数の衛星送信局ができ、それらが通信衛星を時間割で共用して放送事業を行う。そうなると地方の地場産業が最寄の地球局を通じて直接全国市場に対して営業活動を行うことができる。また通信と交通網の発達によって全国に分散する個人事業者やSOHOが連携して事業を行う環境が整う。例えば全国の営業SOHOと技術SOHOが連携して各地で事業を行う新たな二十一世紀型の企業の出現が期待される。こうして地方の地場産業の振興、人口の地方分散が進展し地方の過疎高齢化と東京一極集中問題が是正され、より均衡の取れた国の発展が可能になるであろう。

 

学問立国の実現

直接衛星LANは離島、山間僻地を含めた全国からの国民が参加して国民会議を行う事ができるが、同じく公聴会、講演会、遠隔授業などが可能である。インターネットによる遠隔教育の特長が蓄積オンデマンド型であるのに対して直接衛星LANの特長は同時会議型である。その特長を活かして遠隔学会、研究発表会や弁論大会などを行うのに有効であるが、インターネット教育と併用すれば更に効果的であろう。

現在教育改革が論議されているが従来の教育の歪みの根本原因は大学入試に特徴的に見られる縦割り教育機構にある。入るのも難しいが途中で志望を変えるのはもっと難しい。教育にかかる費用は大きいが特に医学部を卒業するには莫大な金がかかる。莫大な教育費が我が国の少子化の一因ともなっている。牧野富太郎、野口英世、豊田佐吉、リンカーン、松下幸之助、エジソン、吉川英治、A.カーネギー、M.ファラディー等々多数の偉人は学校には行けなかったが人格と学識は超一流であった。学問と教育は似て非なるものである。自由の無い所に学問は無いが国家に統制された教育に自由は無い。教育には終りがあるが学問に終わりは無い。畢竟教育の役割は人を学問の入り口に案内することであろう。

我々は学問の精神に立ち返りインターネットや直接衛星LANを駆使して遠隔教育と生涯学問網を整備する事により日本再生が可能になると思う。現在でも放送大学は誰でも入学できる開かれた大学であるがCS放送1チャネルで300もの課程を提供している。本提案の直接衛星LANは衛星中継機あたりTV10チャネルが取れるので放送大学に当てはめると何千という課程を提供する事ができる。しかも通信衛星には通常中継器が約30台搭載されており、通信容量は無尽蔵に近い。放送大学を発展させそこから他の大学への転学や或いは卒業後に医学、法学大学院に進学して医者や弁護士の資格を取れる柔軟な教育制度を整備すれば教育費用の削減と学問精神の勃興に有効であろう。

前述のごとく財政破綻の解決には国民にかなりの痛みを伴うが上記学問網を活用して例えば義務教育終了後は人が働きながら学問ができる体制を整えれば教育費の重圧から家計は開放されて個人消費が伸びて経済成長が強まり、また少子化の一因が解消されて人口の安定化にも寄与するであろう。

 

こうして人が全国何処でも学び生涯現役で働ける二十一世紀型の産業が創造され、均衡のとれた地方と国の発展が可能になるであろう。主要国に類を見ない巨額の財政赤字を抱え、最も急速な少子高齢化問題に直面している我が国がその問題を解決てきれば、多かれ少なかれ類似の問題を抱えている諸外国の手本として我が国は先導的な役割も果たして行ける事であろう。

 

                

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