差出人: OsI [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]

送信日時: 20141019日日曜日 23:35

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件名: 日本とスイスの通商条約1864年、スイス連邦に学ぶ

 

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日本とスイスの通商条約

先週は横浜開港資料館に行きました。横浜港大桟橋のすぐ近くにあります。目的はス

イスと日本の通商条約展を見る事でした。1864年に結ばれたスイスと日本の通商条約

は明治維新の三年前であり、交渉相手は徳川幕府でした。幕末の混乱期で攘夷の嵐が

吹き荒れ、外国人が襲われ、殺される事件も頻発する時代でした。今回の展示は交渉

団の一人ブレンワルドの日記を中心に構成されていますが、当時の写真も数多く日本

人にとっても貴重な歴史資料の展示でした。1864(文久三年)26日に10ヶ月の粘り

強い交渉が実を結びスイスは日本の8番目の通商条約相手国になりました。それ以

降、今日まで日本とスイスはずっと貿易を続けています。第二次世界大戦中もスイス

は永世中立国なので日本との通商が途絶える事はありませんでした。ブレンワルドが

1865年に設立したシイベル・ブレンワルド商会は今日のDKSHジャパンに到るまで一世

紀以上ずっと日本で営業を続けています。

歴史に「もし」は無意味だと言いますが、日本がスイス連邦からもっと学べば歴史は

うんと違ったものになり得たと思います。当時の幕藩体制はスイス連邦に国の形態も

似ていましたから。日本が東洋の永世中立国となっていたならば、軍国主義のための

国民の搾取と貧困や司馬遼太郎のいう「集団発狂」や二度の世界大戦による世界の破

滅も無かったかもしれません。日本がスイス連邦のようになれなかった原因はとどの

つまり国民の政治意識のレベルの違いでしょう。スイス連邦を支える基盤はLands

Gemeindeと呼ばれる直接民主制であるのに対して当時の日本は二世紀近く続いた士農

工商の身分制度の下で直接民主制の概念が有りませんでしたから。直接民主制の基盤

が育つには日本国は大きすぎたのだと思います。当時の世界は帝国主義の最盛期だっ

たので遅ればせに開国した日本が先輩国に輪をかけた帝国主義的になり、国号まで

「大日本帝国」にしたのも無理からぬ事であったのかも知れません。

歴史に法則はあるかと言えば勿論あると思いますが、自然科学の法則とは自ずと違い

があります。それは観察者たる人間が研究対象の一部に他ならないからです。従って

社会の法則とは人間が変える事ができる点に特長があると思います。

スイス連邦は永世中立、EUにも加盟せず、Euroも導入せず独自のスイスフランを使い

続けています。この我が道を行く国が返って多くの国際機関の本部がおかれて世界の

中で重きをなしています。私達は6年前にスイスに行きましたが物価が高いと感じま

した。国民の生活水準も高いと思います。九州くらいの大きさで国土の大半が山とい

う国が高い生活水準を保ち国際的に尊敬されているのは見上げたものです。

スイス連邦の基盤を成す直接民主制と永世中立は明治期の日本にありませんでした

が、21世紀の今日には十分あるのではないでしょうか。日本国憲法の平和主義は素直

に解釈すれば永世中立であるべきでしょう。またインターネット時代の今日、直接民

主制の物理的条件は疾うに実現しています。足りないのは人間の頭ではないでしょう

か。世界の何処にもその日の内に飛んで行ける今日、直接国際民間交流は世界的な直

接民主制の基盤も既に有るという事だと思います。

今週は23/24に韓国の釜山で日韓合同衛星通信学会に参加する予定です。外交評論家

は日韓関係は冷えきっていると評しますが、我々国民の間では関係無いですね。毎年

興味深い研究発表がなされ、大いに議論して直接交流を深めています。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi

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