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件名: 国家と人間

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生涯豊かに生きられる社会」を提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀社会を実現しましょう。

 

国家と人間

農業が始まった約5000年前のエジプト、メソポタミア、インダス、黄河、そして揚子江おそらくその他の地域でも人間の社会は劇的に変化しました。日本においては約2000年前の縄文時代から弥生時代への過渡期の頃です。食料の生産によって人口が急激に増加しましたが同時に社会の質的な変化が生じました。それ以前の狩猟、採集時代には社会は平等な民主社会でしたが農業の始まりによって急速に階級社会へと変化しました。数年前に佐賀県の吉野ヶ里遺跡を訪問しましたが、そこは人間の居住地であると同時に要塞でもありました。環濠と柵に囲まれた敷地に高床式の倉庫、物見のための高い塔など邪馬台国の記述を髣髴とさせます。農業と共に戦争が始まり人間の歴史は階級社会へと進化した事は考古学的に明確に証明されています。即ち首のない遺体や全身に傷を負った遺体は文明時代になって初めて出現した事がそれを証明しています。この過程は世界中で例外なく起こっており、紛れも無く歴史法則であると言えるでしょう。

 

原始農耕社会が平等な社会であった事は北アメリカの原住民社会の直接観察によって知られました。ちょうど西洋は絶対主義王制の確立期にあたり西洋人には王のいない国家とは想像もできなかったと思います。北アメリカ原住民の社会がスイスはジュネーブ出身のJ.J.ルソーに人間の自然状態なる思想の素材を与えました。ルソーの思索から支配者と被支配者からなる人間の社会において支配者の支配権は御用学者の説く王権神授などではなく人民が社会の維持管理のために契約として支配者に与えたものであるという社会契約論が生まれました。従って支配者がその契約に違反したら当然それを交代させる権利即ち革命権が人民にあるわけです。社会契約論は今では常識ですね。正に18世紀末の米国の独立革命の時期におよそ文字の読める家庭にはどこにもあったと伝えられるトマス・ペインの書名Common Senseの通りです。

 

古代中国においては支配者に支配権を与えるのは天であると考えられました。支配者が腐敗すれば天が見放して支配者が交代することを中国では昔から革命と呼びました。中国では支配者の事を天子と呼び天子が天に報告する場が天壇です。日本の天皇は聖徳大使の頃に中国に倣ってつけた称号です。古事記、日本書紀では天皇は高天原の神の子孫であるとしているのも権力の源泉を天に求めている点で中国の思想と同根だと思います。

 

同じ革命という言葉でも古代中国と近代西洋では全く意味が異なります。中国の革命は支配者の交代であり、近代西洋の革命は人民による支配者の打倒です。近代社会に始めて出現した国王のいない国アメリカ合衆国の独立(1979)に数年遅れて始まったフランス革命は社会的混乱と血で血を洗う権力闘争の末にナポレオン・ボナパルトの帝政に収束し、続いてヨーロッパの全土における戦争に発展しました。王権神授説に基づく絶対王政の打破に多大な犠牲が払われましたがこれが中世から近代への偉大な歴史の発展であった事はナポレオン法典などの業績を見ると明らかです。

 

近代民主主義の本質は南北戦争の激戦地ゲチスバーグにおけるA.リンカーンの有名な演説の結語人民の、人民による、人民のための政治に簡潔に表されています。

 

それでは米国は本当に民主主義の国かと言えばそうとも言い切れません。先日韓国の朴大統領が米国議会で演説して歴史認識の重要性を強調したそうです。それは日本にあてこすったもののようですが、じつは米国も日本に劣らず帝国主義国家です。最初の13州は独立革命で英国から独立しましたが後の西部への膨張は米国原住民の排除、スペイン、メキシコから戦争による領土の奪取、フィリピンやプエルトリコの武力による領有、ハワイ王国の乗っ取りなど貪欲と陰険に満ちた歴史です。朴クネ大統領は知らずに米国議会で米国をあてこすったと言われても仕方が無いと思います。おそらく歴史をあまりご存知ないのかも知れません。

 

前回の記紀1300年記念バスツアーをきっかけに古事記を読み直していますが高天原は原始民主制の社会を如実に表していると思います。そこでは重要事項は八百万の神が一同に会し論議して決めています。天照大女神は高天原では支配者でもありませんが自分の孫が中つ国すなわち下界を支配するよう八百万の神会議をリードしているのは権力者への変質過程を見る気がします。古事記は民主的な原始農耕社会から権力構造の階級社会への変化を良く物語っています。

 

支配関係に基づく権力構造の国家が国際社会において帝国主義時代を経た事は歴史の必然だと思います。それは1880年から1945年までの時期です。日本は1867年の明治維新で辛うじて帝国主義時代に間にあったのですが、そのために日本国民はそれ以前の封建時代もまさる辛酸を舐めました。明治政府は軍国主義的投資のため常に国民に重税をかけました。以前報告した秩父困民党事件の原因は実は明治政府自体にありました。租税が払えない農民の土地は差し押さえて競売に付しそれは大地主の手に入る。競売は租税の実に27倍の国庫収入になったそうです(遠山茂樹 日本近代史1。その土地は小作地となり小作の成果は何と50%以上が地主に取られる。農村の自作農が小作農に転落し、土地が大地主に集中したも、日本の大半の農民を極度の貧困に叩き込んだのも実は日本の政府だったわけです。秩父の農民は自由民権思想によってそれを見破り革命に立ち上がりました。明治政府がそれを残酷に弾圧し矮小化に努めたのも理解できます。また明治憲法発布により成立した大日本帝国は国会開設において選挙権は税金10円以上を納めた男子、被選挙権は税金20円以上を納めた男子に制限しました。これはまさに大日本帝国の階級構造を絵に描いたように明確に表していたと思います。帝国主義国家の矛盾を国民の目からそらすために大日本帝国が有効に使用したのが天皇制と教育です。古事記、日本書記の神話を史実と断定し子供は天皇の赤子であると教えました。これが全くの欺瞞であった事は前回報告したように国内の空襲で生じた多数の戦争孤児や満州や中国に遺棄された戦争孤児の救済を行わなかった大日本帝国ばかりでなく今日の日本国においてもなお事実であります。国が始めた戦争のために子供の行く末を案じつつ死んでいった我らが同胞に日本国は一体どんな顔向けができるでしょうか。

 

今日の民主主義体制は二度の世界大戦の悲惨な歴史の上に確立された貴重な歴史遺産です。日本国憲法は基本的人権、民主主義、平和主義の三本柱を明確に規定した世界でも最先端の内容のものです。私たちはその理想をまだ半分も実現していません。いまどき憲法改正を説く人を私は全く理解できません。憲法を改正するにはまず憲法を十分理解する事が必要です。日本国憲法を米国の押し付け憲法と呼ぶ人はそこに書名している吉田茂、幣原喜重郎、和田博雄、斉藤隆夫その他の政治家とこの憲法を審議して採択した最後の帝国議会およびそれを発布した昭和天皇を愚弄するものです。

 

以上の考察から私が訴えたいことは

 

[1] 国内民主主義の発展 

 我々日本人の原型の高天原に示される平等な直接民主主義が今日のインターネットを駆使すれば実施可能です。日本はスイスやサンマリノ共和国が行っている直接民主制を世界の大国に先駆けて本格実現していく可能性があるのではないでしょうか。

 

[2] 国際民主主義の発展

 国際問題は国だけに任せず直接民間交流によって解決というより解消して行くことが可能だと思います。

高度に発展した今日の情報通信網と交通網を駆使して国際人民会議International Peoples Conference

を作りませんか。

 

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      市吉 修       Osamu Ichiyoshi

二十一世紀を楽しく生きよう会  Human Network for Better 21 Century 

 http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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