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送信日時:           201642日土曜日 22:00
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件名:     RE: 超高齢化社会 ; 家本位の人よりも人本位の家
 
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前回家族の限界について報告しました。今回はその克服について報告します。
 
QE2での経験
確か1997年だったと思いますがInmarsat-Mという新型移動用衛星通信装置を開発してBaltimoreの学会で動態
展示をしていたらComsat社からそれを豪華客船QE2に積んで乗客や乗組員に使ってもらい市場調査をしたいと
の申し入れがありました。NY-Bermuda-NY-Southampton9日間の航海中に約300人の人々に試用してもらいま
した。その中でもよく協力してくれた初老のペアがありました。食卓を共にした事もありましたが本当に気持ちの良い
人達でした。一緒に働いたComsat社の仲間が乗客名簿を見たらあの二人は名前も住所も別々だと言っていました。
その時は多少違和感を覚えましたが、今はそういう行き方も良いだろうと感じます。
 
森重久弥と加藤美智子の日曜名作座
だと思いますが今も内容を覚えているドラマがありました。初老の男女A男とB女がある温泉に逗留しているとそこ
に両家の子供達が押しかけて来ました。A男の子供達は「お父さん、帰りましょう。その女の人はお父さんの財産
を狙っている筈です。」 B女の家族についても同様の事が言われ二人は「バカバカしい」と一笑に付しました。途中
経過は忘れましたが最後にはB女が両家の子供達に「あちらに部屋を予約しておいたから行って楽しみなさい」と
言い、両家の子供達はそこに行き「それではお近づきのしるしに」と言ってお互いにビールをついで宴会が始まりま
した。
 
従妹のけい子ちゃんの場合
けい子ちゃんは看護師でしたが早く夫を癌で亡くしました。残された子供三人を女手一つで立派に育てあげました。
大変だったと思いますが看護師仲間が助けてくれたそうです。
 
上の例は人本位の家の在り方を示していると思います。けい子ちゃんを助けてくれた看護師仲間は一種の拡大家
族であると言えるでしょう。
 
それに対して自民党が憲法改正草案に盛り込み日本の伝統と称するものは家本位の人だと思います。
(1)家庭は社会の基礎である。
(2)家族は互いに助け合わなくてはならない。
この考えは「嫁して三年、子無きは去る」という諺に通じる非人間的な思想だと思います。現代人の不幸の大半はこ
のような硬直的な家族観に出ていると思いますが皆様どうお考えでしょうか。
 
自民党案の家族が日本の伝統とは無縁の代物である事を以下に示します。古代の日本においてツマというのは夫
から見た妻ばかりでなく妻から見た夫も指す言葉でした。いわば英語のDarlingとかHoneyに当たる言葉です。また
イモとは男から見て姉妹ばかりでなく妻を指し、セ()は女から見た兄弟ばかりでなく夫を指す言葉でした。これは
古代人が近親相姦をしていたのではなく前回報告した妻問婚によって完全に説明されます。近親相婚が奇形児を
生ずる事は太古から気づかれ世界の何処でもそれを避けるための氏族や部族制度が発達しました。即ち結婚相手
は必ず氏族の外から探さなくてはなりません。韓国では金さんどうしは結婚できないので大変だと聞いた事があります
。日本では従妹同士までの結婚が禁じられています。
日本語のチチ(テテ)、ハハはその拡大系としてヂヂ、ババ、ヲヂ、ヲバとなります。ここから見えるのは日本独特の拡
大家族だと思います。人が死ねばその遺児は祖父母や叔父叔母が我が子として育てたのでしょう。自分が産んだ
子はムスコ(産す子)、ムスメ(産す女)であり兄弟姉妹が産んだ子はヲイ、メイとなります。言葉で見ると日本語は完全
に男女平等であり個人を大切にする社会を表しています。
英語ではFather, mother, uncle, auntですから兄弟姉妹は成人後は全く独立した家をなした事が伺えます。日本
の伝統社会は人本位の家であり自民党の憲法草案が示すような家本位の人からなる社会ではないと考えます。
私が一年以上も家を離れて両親の介護をしているのは「家族は互いに助け合わなくてはならない」などという義務
感からではなく親に対する自然の情と人の老い方、死に方を見極めてやろうという探究心、それによって得られる知
識や経験を将来の自分のため引いては超高齢化社会の構築に生かす目的からです。これを義務感だけでやれ
ばとっくに鬱を発して老々介護の破綻に至ったかもしれません。
 
私の人本位家族観をまとめると次のものになります。
 
人は結婚して新たな家を創造す
結婚は新たな自由と責任を生ず
己が事はみづから行い
家の事は共に行うべし
子ができたらば
共に育てて
子の事は
その子のために行うべし
家は家のためにはあらず
人のためにあるなり
 
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* 市吉 修 Osamu Ichiyoshi
* 二十一世紀を楽しく生きよう会
* Human Network for Better 21 Century
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