差出人: O-ichi [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]

送信日時: 平成 22110日日曜日 3:46

宛先: '

件名: 二十一世紀企業研究会

 

配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信または全員へ返信により意見交換をお願いします。

二十一世紀企業研究会とは「人が全国どこでも学び、生涯現役で働ける企業」を提案し研究する会です。研究しながら二十一世紀企業を始めましょう

 

人と共同体

人間という言葉は人の本質を言い当てた言葉だと思います。人は生まれてから家族、親族、地域、学校、企業、政府などの社会の中で生きていく動物です。これは所属する共同体が無くなった場合、例えば戦争孤児や路上生活者の境遇になれば誰しも身に沁みて感ずる事だと思います。昔インドで発見された狼に育てられた幼児二人は行動は狼そのもので終に人間としての成長はできませんでした。

 

共同体の崩壊

が今日の多くの問題の原因だという気がします。特に深刻なのは家族の崩壊です。幼児虐待は子供の成長に決定的な傷を残します。どんな逆境にあっても家庭がしっかりしていれば子供はすくすく成長します。裕福でも家庭内不和があれば子供の心に深い傷が残ります。また親が子供にかける期待が重過ぎると子供の成長を阻害することがあります。英婦人を殺害した容疑で逮捕された市橋青年は両親とも医者の家の出身で取り調べに対して「医者にはなれませんでした」と述べたそうです。親の役割はせいぜい子供に成長できる環境を整えてやる事でありその中で伸びていくのは子供本人です。親がかまいすぎるとその意図とは反対に「角を矯めて牛を殺す」結果になりかねません。

 

強制と共生

共同体とは共に生きる場だと思います。生きることの本質は楽しむことではないでしょうか。共に生きるとは共に楽しむことであり、そのために各地に祭りなどの共同行事があるのだと思います。人が楽しむにはその活動が自主的でなくてはなりません。行事への参加が強制されると楽しくないどころか苦痛になってしまいます。共同体が強制的になれば人に苦痛を与えます。一旦入ったら抜けられない秘密結社や反社会的団体がその例です。子供が勉強嫌いになるのは勉強を強制するからではないでしょうか。勉強ではなく勉学の習慣を習得すれば人は生涯学問を楽しんで成長すると思い

ます。自主的な活動であれば苦労もまた楽しいものです。

 

強制的な共同体は崩壊する

のだと思います。むかし田舎から都市に出てくる時には一種の開放感がありました。人が観光旅行に行くのも日常の義務からの開放を求めてのことでしょう。過去の共同体、例えば家之子郎党からなる武士の一族、幕府や藩、封建的身分制社会、そして部分的には今日の家族に至るまで強制的な共同体は崩壊すると思います。それは人が自主的な動物であることから当然の帰結だと思います。

 

今日の基盤的な共同体は国家

だと思います。なぜなら国民が守らなくてはならない法律を定めるのは国会だからです。そしてその法律の合法性の根拠は国会が国民によって選ばれた代表で構成されることです。これが国民主権の原理です。国家とは法律の及ぶ範囲であり、主権は法律を定めるものに属する。この意味で主権者は奈良時代には天皇、平安時代には貴族、鎌倉時代以降は武士、明治以降は一部の国民、第二次世界大戦以降に初めてすべての国民が名目的には国の主権者になりました。これは貴重な歴史的遺産であり民主主義の実を将来ますます現していく事が国民の使命であると考えています。

 

二十一世紀の共同体

以上のことから持続可能な共同体は自主的な人間の社会だと思います。今日ではインターネットのHPやMLによって関心を共有する人が容易に団体を形成することができます。その場は国内に限らず世界全体です。HPやMLで形成されるグループが共同事業を行えばそれは二十一世紀的な一つの共同体だと思います。二十一世紀の共同体は地域、分野、身分や人種を問わず形成されその活動は今日でも最も基本的な共同体である国家の限界を超えて人間社会を発展させる原動力になりうると考えています。

**********************************************

*  市吉 修   

*  二十一世紀を楽しく生きよう会

* URL; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

**********************************************