時の流れ

osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp

To: 2021/09/18 16:14 54

 

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二十一世紀人世 研究会は人が全国どこでも学び、働き、生涯元気に生活できる世界を研究する会です。

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しょう。

 

一昨日4ヶ月ぶりに神奈川の自宅にもどりました。

橋本駅から足車を走らせて住宅街を抜けると林の間から蝉の声が聞こえました。札幌では絶えて聞かな

い声です。自宅に戻ると庭は人の背丈を遥かに越える草がびっしり生えていました。特に畑はまるで栽

培しているかのように大きさのそろったアカザかサトウキビ畑のように密生していました。アカザは老

人の杖になるようにその茎は丈夫ですし、その葉はホウレンソウよりも高い栄養価があり、縄文時代に

は常食されていたようです。その食文化が途絶えて以降も歴史上何回もの飢饉を人類はアカザを食べて

乗り越えて来たのでしょう。基本的に畑に生える草はスベリヒユなど食用になるものが多いですね。今

は雑草とされるものも見方を変えると貴重な作物になります。

 

時間の流れ

世の中に時間ほど不思議なものは無いのではないでしょうか。五月に札幌に行った時と4ヶ月後に帰っ

て来た時の庭の違い、長く経ったようでもまだ4歳の孫達と古希を越えた私達の違い、その違いの根源

は時の流れです。時は休みなく一方的に流れる事が世界の秩序の根源です。それに対して空間はあらゆ

る方向に広がっています。世界は時間と空間の中にあり人はその中に生きています。

 

時間と空間

時間と空間は独立であり空間は宇宙全体で決まる絶対空間と宇宙のどこでも一様に流れる絶対時間から

なる。これがNewton力学の思想です。直観的に明瞭で通常はこの考えで十分です。

 

世界と人間

人間にとって意味があるのは人が観察、或いは思考できる世界です。そこには考える主観と観察される

客観があります。主と客が完全に分離できる場合は客観的に形式論理的な記述が可能ですが、時には分

離困難な場合もあります。観察されようがされまいが世界は存在するという素朴な実在論が科学の基盤

ですが、科学的な記述の上では観察が重要になります。

 

静止座標系と運動座標系

今静止座標K系の時間 tと空間の点を(x,y,z)で表し、K系に対してt = 0x軸方向に速度vで動き始め

る運動座標系K'の時間をt', 空間を(x',y',z')で表します。より正確に言えばK系とK'系にいる「観察者」

が自分で観察した世界の事象をそれぞれ(t,x,y,z), (t',x',y',z')で表現すると言う事です。

 

Newton力学の時間と空間

両者の関係は

  t' = t

x' = x - v.t

y' = y

z' = z

これはガリレイ変換であり、殆ど自明ですね。

 

光速不変の原理

ところが19世紀末に光の速度は観測者の運動状態に依らず一定である事が実験的に確立されました。

これは音波が空気の振動として伝わるように光は空間に充満とするある媒体の振動として伝わるのだと

すれば理解できます。それにはエーテルという名称も与えられましたがその実験が示したのはそんな物

質は存在しない事です。光は何もない真空中を伝搬するわけです。

 

Lorentz変換

光速不変の原理を満足するにはガリレイ変換に代えて下記Lorentz変換を採用するしかありません。

  x' = β.( x - (v/c).(ct) )

ct' = β.( (ct) - (v/c).x)

y' = y

z' = z

但し

  β =( 1-(v/c)^2 )

cは真空中の光速 (c= 3x10^8 m/s)です。

 

四次元連続体

上の式をみると時間をctで表すと時間と空間が同列に扱われる事が分かります。一般に時間と空間は独

立ではなくなりましたので、合わせて世界の事物は四次元連続体として記述されます。ここで注意すべ

きは静止系における観測者にとってt,xは独立変数であり、時が空間とは独立に一方的に流れる事は伝統

的なNewtonの世界と何等変わりはありません。

 

静止系と運動系に共通する距離

二つの事象P1P2K系で観測した座標を P1= (ct1, x1, y1,z1), P2=(ct2, x2, y2, z2) とします。

両者の差を P2 - P1 = (c.(t2-t1), x2-x1, y2-y1, z2-z1)とします。

同じ事象をK'系で観測すると P2' - P1' = (c.(t2'-t1'), x2'-x1', y2-y1, z2-z1)となります。

 

K系で見たP2-P1K'系で見たP2'-P1'の大きさが共通になるのはどんな量でしょうか。

答えは 

   (x2-x1)^2 + (y2- y1)^2 + (z2-z1)^2 - {c.(t2-t1)}^2

=

(x2'-x1')^2 + (y2'- y1')^2 + (z2'-z1')^2 - {c.(t2'-t1')}^2

即ち時間成分と空間成分の二乗和ではなく差が両者に共通です。

これはLorents変換がt=t'=0x= x'=0に発生した閃光をK,K'系で観測して両方とも

  x^2 - (c.t)^2 = x'^2 - (c.t')^2 = 0

となるように導出された事からも明らかです。

 

空間を実とすると時間は虚

結局四次元連続体の座標は (i.c.t, x, y, z)と時間を虚数にする必要があります。私はここに時間と空間の

根源的な違いを感じます。空間の中に幾ら時間を求めても存在しません。何故なら時間は虚軸にあるか

らです。しかし時間と空間は無関係ではなく相互に変換可能です。人が空間内を移動する事は時間を空

間に変換している事に等しい。不動産表示では駅から徒歩5分などと空間的距離を時間で表示していま

す。

 

時の流れと記憶

時間が一方的に流れるのはどう考えたらよいのでしょうか。今仮に世界の一部で時間が逆に流れていた

としたらどうでしょうか。そこでの時間の流れを逆に定義しなおしたら全体として宇宙は一様に時が流

れる事になります。空間の一様性によりにそのようにな特別な場所は無い。時の流れの一様性と空間の

一様性、等方性には関係があると感じます。時の流れの認識は記憶に由っています。或るものを或る場

所に置くと、何らかの力で動かさない限りそこに止まります。即ち空間の記憶です。時の流れと空間の

記憶、その広がりの一様性には相通づるものを感じます。人間が特に時の流れを感じるのはその記憶能

力によるのでしょう。日本人は時の流れを特に情緒的に捉えます。古語には過去を折らわすのに「き」

と「けり」があります。前者は客観的、後者は主観的な過去を表します。私の知る限り他にこのような

システムを持つ言語は無いようです。現代語では両者とも使われず、「たり」から変化した「た」が使わ

れます。日常的にはそれで間に合うとしても日本語での自己表現に古語は欠かせません。

 

昨日は人の背をはるかに越えるアカザの森を鎌で刈り取りました。朝から晩まで身を粉にして働きまし

た。森林の様にアカザが生えると地面には他の草は生えません。植えていたジャガイモは全く消えてい

ましたが例外はニラ畑です。ニラは密生するので他の雑草は生えません。

アカザを除去するとバラが姿を現しました。見るも哀れな姿ですが、枯れてはいません。

これから陽光を浴びて大きくなるでしょう。

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+ 市吉 修 

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