差出人: O-ichi [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]

送信日時: 平成 20330日日曜日 20:59

宛先:

件名: 二十一世紀企業研究会

 

配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信または全員へ返信により意見交換をお願いします。

二十一世紀企業研究会とは「人が全国どこでも学び、生涯現役で働ける企業」を提案し研究する会です。研究しながら二十一世紀企業を始めましょう。

 

A Proposal to China; Synch TDMA for SINOSAT

という論文を自主問学会に入力しましたのでご興味のある方はご覧下さい。SINOSAT衛星は広大な中国をすっぽりカバーしています。本提案のシステムを用いれば直径2.4mのアンテナで中国の何処からでも直接全国放送が可能です。

来週STFの団体が中国の西安に行き、現地の科学技術者との交流会を行います。私もそれに参加して現地でプレゼンと意見交換を行う予定です。

中国における応用として私が最も期待しているのは遠隔教育です。数週間前のNHK番組で上海から大学生が中国西部の田舎に行き、学校の先生をするドキュメンタリーが放送されました。私が受けた衝撃は生徒の学習の熱心さと経済的貧困のため進学できない悩みの大きさでした。姉を大学に進学させるために弟が危険を顧みず炭鉱で働く決心をする場面がありましたが、映画ではなく現実の話なのでそれは一入印象に残りました。

 

学校教育は誰のためのものか

中国の進学熱は日本以上で子供を進学させるために親は財産を売ったり、出稼ぎに出たり、極貧にある優秀な生徒を村が共同で借金して大学に進学させたりする状況を以前NHKで見ました。反面進学熱の弊害も大きいようです。親が子供に勉強をやかましく言い、子供は親の期待に応えようと涙ぐましい努力をし、それでも受験勉強が

うまく行かないことに悩み、最悪の場合自殺する場合すらあります。片や大学は出たけれど専門を活かせる就職口が無いという問題も続いています。

中国の進学熱の原因は一人っ子政策による親の子供に対する過度の期待と貧困から脱却したいという本人と家族の切なる願いのようです。人並み以上に出世したいとか、せめて人並みの職につきたいとかいった競争意識もあると思います。

この点は多かれ少なかれ日本も同じです。先週茨城と岡山で24歳の青年と18歳の少年による無差別殺人事件がありました。同時期に起きたこれらの事件には「殺す相手は誰でも良かった」という自暴自棄と大学進学の夢がかなわなかったという挫折が共通しています。以前NHKで見た30歳のホームレスの男は「進学を断念した時夢を捨てた」と語っていました。

そもそも学校教育は誰のためにあるのでしょうか。前述の茨城県で八人を死傷させた青年は就職に失敗後は家でゲームばかりやって家族と話すことも無かったそうです。家族と意思の疎通があればこの事件は防げたであろうという有識者の言は論理的には正しいにしても現実的には的外れだと思います。思春期は子供が親から独立しようとする時期であり、親子の会話は極端に少なくなるものです。本来ならば学校の友達や先生の方が親よりも話し易いはずだと思います。かの青年は高校弓道部で全国大会にまで行き、少年はクラスで三位以内の優秀な生徒だったそうですが家の都合で進学できなかったことが大きな挫折感となったのではないかと推察されます。大学に進学できないことがどうしてそんなに大きな挫折になってしまうのでしょうか。それは高校があまりにも大学進学に偏った教育をしているからではないかと思います。多くの学校で教師も親も受験競争のための英才教育に血道を上げているのが現実だと思います。受験科目に集中させるために必須であるにも関わらず特定の科目(世界史や漢文、地学など)を教えないなどというのは普通教育の名に値しません。これでは生徒が学校に不適応になるのがむしろ自然であり、受験教育から落伍した生徒が自暴自棄になるのも無理ないと思います。昔公立学校の先生が自分の子供を塾に車で送り迎えしている話を聞いて呆れたものですが、過度の受験偏重のために生ずる学校教育の歪は実に深刻なものがあります。

受験による学校教育の歪の是正の為には最高学府たる大学の改革が必要であると事あるごとに説いていますが、大学関係者からは大概無視されます。考えて見るとそれも道理で従来の学校教育にどっぷり浸かってしかもその中で成功して来た人にはその問題点は見えないのも当然だと思います。

日本の大学の改革のためには日本の高校生が大挙して米国の大学に進学すれば良いのではないでしょうか。私たちも子供の一人を米国の大学に進学させましたが、西部の田舎町の大学では子供を日本の大学にやるのと費用は殆ど変わりませんでした。ドル安の今は米国の大学にやる方がむしろ安いでしょうし、教育水準も高く、外国での生活は貴重な経験にもなると思います。

 

遠隔教育による学問立国

私も40年前受験教育にどっぷり浸かって競争意識ばかり強い野心の塊と化して九州の旧帝国大学に入学し、在学中にサンケイスカラシップを貰って一年間の米国留学を果たすなど山間僻地の電気も来なかったあばら家の出身者の快挙として村の話題にもなったものですが、40年後の今年還暦に達して会社を定年退職した今これまでの人生を振り返ると結局大した出世もしなかったと言わざるをえません。

ただその些細な経験からは学問と教育について何がしかの参考になる事は言えるのではないかと思います。

まず「受験のため」とか「出世のため」とかの動機でがんばった勉学はそれなりに基礎的な知識の獲得という意味では貴重なものですが、それだけでは長続きがしません。入学試験を突破してしまうと目標が無くなり、勉学意欲を喪失して無気力になりました。所謂五月危機ですが、私の場合は大学在学の間ずっとそれが続いたという気がします。

あるとき大学生協の本屋でソ連の物理学者のランダウの本を立ち読みしていたら、遠隔地の学生からの手紙に対してランダウが与えた答えの中に「物理学の研究を続けるには情熱が必要です。何者も研究の情熱に取って代わることはできません。私はあなたの二倍も年をとっていますが物理学研究の情熱は些かも無くしていません。」という一節があり、深く教えられるところがありました。

会社に就職して仕事に追われて学問と疎遠になると逆に勉学意欲が出てきました。滅多に恋人に合えないと余計に恋しくなるようなものです。

九州大学では前述のランダウと弟子のリフシッッが共著で書いた教科書で解析力学を習いましたが、それはランダウの物理学教程全13巻の一つです。ランダウは物理学を学びたいという学生には先ず物理学教程を勉強すること、準備が出来たと思ったらランダウの研究室に来て試験を受けることを薦めていました。試験に合格したら研究所に採用すると言うのです。何人の学生が合格したかは知りませんが、もし合格したとしたら既に一角の物理学者と言える人であった事は確かです。

ランダウの教えは学問だったと思います。働きながら学ぶ、目標を立てて努力する、生活の中で学問研究を続けることをランダウは教えていたのだと感じています。

私もランダウに習って学問の振興に微力を尽くしたいと考えています。私は通信情報工学を専攻しましたが、全体の9割までは講義であり、実験は1割そこそこの時間比でした。しかも私は実験が大の苦手でした。

それでも会社に入って通信機器の設計に携わって仕事ができたのですから、学問の本は基礎概念と理論体系であり、遠隔教育でも十分可能であると思います。専門分野によっては実験や実習が不可欠で時間比も大きいと思いますが、それでも半分以上の時間は理論だと思います。即ち遠隔教育で広汎な分野の教育が可能だと思います。自分の頭で考える他に道が無い点ではむしろ好適ではないでしょうか。実習や実験が必要なら、放送大学がやっているSchoolingのように拠点に集合して短期集中教育をやれば良いと思います。

臨床医学のように実習が必要不可欠な学問は大学の上に医学校制度を作れば、基礎課程は遠隔教育で働きながら学び、所要の条件を満たしたところで医学校に入って朝から晩まで臨床医学を専門に学べる制度を作れば、今日の医者不足の解消に役立つばかりでなく、金がかかりすぎるため従来医学の道を断念していた多くの若者に道を開く事になると期待されます。

遠隔教育については日本には長い伝統があります。明日3/31からNHK第二の語学番組ががらりと様変わりします。私はNHK第二で英、独、漢、露、西、韓語の学習を長年続けていますが、毎年四月と十月は学校の新学期の雰囲気を味わっています。また時々ラジオやテレビで高校講座や、放送大学の講義を聴講しますが何ともおもしろいですね。毎月のNHKの外国語テキストは350円ですが、辞書を片手に徹底的に学習したとしたら私は今頃稀に見る多言語能力者になっていたことでしょう。そのうちの一つだけでも徹底してやれば大変な苦労ですが得るものも大です。

今回西安では完全同期TDMA方式の衛星放送にとどまらず、日本の放送大学やNHK第二放送による遠隔教育システムも紹介したいと思います。

何より学問とは学校教育よりも遥かに大きなものであり、自分で考えるという意味では遠隔教育は返って学問の正道であることを強く訴えたいと思います。

その学問の本質は二千年も前に孔子が次のように教えています。

友の遠方より来る、また楽しからずや

学びて時に習う、また楽しからずや

 

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