RE: 選挙に思う

osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp

To: 2021/10/27 16:09

 

森さん、

貴重な情報をありがとうございます。

 

お爺様の受難の原因は今から思うと滑稽なくらい馬鹿馬鹿しい(その本はドイツ語だったと推察)事と密

告社会の恐ろしさを再認識しました。

 

鹿児島の知覧町で食堂を営み、知覧基地の特攻隊員からお母さんと慕われた鳥浜トメさんも同様に密告

により、警察に引っ張られて拷問を受けたそうです。鳥浜トメさんは戦争が終わって進駐してきた米軍

の兵士達からもmamaと慕われたそうです。人間として勝れた人だったと思います。何しろ自宅に泥棒

に入った孤児を引き取り育て上げた人ですから。娘さんの話によると一時は30人もの大家族で誰が実子

か養子か分からない程だったそうです。戦後鳥浜家の人々が池袋に開いた居酒屋「薩摩おごじょ」は

元特攻隊員たちの憩いと相互連絡の場として長く機能しました。この店は今も池袋駅前で営業しています。

 

戦争中は外国語を禁止して野球のball, strikeもわろし、よし等と言わせていた当時とやたらカタカナ語

を使って米国の物まねに終始する現在日本の風潮は表向きは反対で根は一つだと思います。哲学の貧困

です。残念ながら仏陀やJ.J.ルソーのような思想家は日本では出ませんでしたね。しかし今の世界は一

つであり、国にこだわる必要はありません。I.NewtonJ.J.ルソーも私達の先人です。比喩的にではな

く生物学的にもそうです。大自然を知る事が人間の偏見を打ち砕く確かな道ですね。J.J.ルソーの言葉は

「自然に帰れ」でした。

 

市吉

 

------ Original Message ------

差出人: "Mori Etsuro"

To:

送信済み: 水曜日, 2021/10/27 00:17

件名: RE: 選挙に思う

 

市吉さん

 

国民主権は憲法の前文と第1条に明記されていますが、この基礎となるルソーの「社会契約論」は1762

年に発表され(中江兆民が1882年に和訳)、これが1776年にアメリカのバージニア憲法に具体化され、

1889年のフランス革命の基盤になり、世界の変革の原動力となりました。日本国憲法が1947年に発効

するまでに(「社会契約論」の発表から)185年かかっています。

 

中学、高校の日本史の学習は、時間切れで日本国憲法の成立まで行くことはありませんでした。富国強

兵政策により、日本は日清・日露の戦争に勝ち、国民は大国意識を持ち大陸における権益の拡大を求め

るようになり、昭和恐慌で農村は窮乏し都会は失業者があふれ、国民は政党への不信感と軍国主義へ傾

斜して行きました。

 

治安維持法は1925年(普通選挙法の成立と同じ年)に施行され、無政府主義者、共産主義者及びこれら

に同情的な意見を持つものは懲役または禁固80年以下の刑に処するというもので、小林多喜二は特別高

等警察に逮捕され、拷問により死亡しています(1933年)。大日本帝国憲法は言論の自由を保障してお

り、「法律ノ範囲内ニ於テ有ス」という但し書きがついています。私の祖父も戦前、戦中に村長をしてお

りましたが、村人の密告により特高警察に逮捕され、両脚の骨を折られて釈放されたそうです。私が物

心つくころには亡くなっていましたが、祖母によれば、「食糧の増産に役立つ肥料の研究に関する外国書

の翻訳を持っていた」のが逮捕の原因だったそうで、多分ハーバー・ボッシュ法に関する書籍だったと

推測します。

 

安倍元首相の憲法改正案には憲法21条の言論と出版、集会結社の自由を保障するという条項を「ただし

政府の判断により、自由を制限できる」という但し書きをいれるという案が入っており、この改正案が

実現すれば政府にとって不都合なことを書けば警察に引っ張られるという戦前の治安維持法のような時

代になる可能性もあり、升永英俊弁護士(青色ダイオード訴訟で勝った)などが政府に対し、その改正

案の取り下げを要求していました。安倍政権は基本的にそのような戦前回帰をもくろんだ政権だったと

言えます。時代錯誤も甚だしいと思いますが。

 

森 悦郎