差出人: Mori Etsuro <etsuromori@jasmine.ocn.ne.jp> 送信日時: 2016年3月28日月曜日 17:51 宛先: 件名: RE: 超高齢化社会 ; 家族の限界、一人でも生きられる社会 市吉さん、今日は。 私の長男は小学校の教師ですが、数年前に同じような男の子がおり、早速家庭訪問し虐待されていると判断し 施設に入居させたといっておりました。見違えるように明るくなったそうです。中学校の先生も虐待があることは分 かっていたはずで、適切な行動により自殺を防ぐことはできたと思います。 本日のNTVで、ある消防署の隠し撮り画像を紹介しましたが、消防士たちが毎日5時間半もピンポンに興じ、しか も金を賭けていたそうです。これは匿名の通報がNTVにあり取材して事実と確認したわけです。消防署長は「賭け たお金は食費の補助に使用した」と言っていましたが、勤務時間中に公務員がピンポンとは呆れたものです。 これをもって日本全国の消防署が勤務時間中にピンポンをしていることを証明するものではありませんが、児童 相談所の職員といい、お粗末な憲法草案を書いた高校生並みの知能の役人(というと高校生に失礼)といい、今 必要なのは家庭や学校の道徳教育ではなく、責任感と緊張感のない役人に対する道徳教育でしょう。 birth controlという言葉を発明し、ヒトラーの断種法を賛美したサンガー女史のように「健康者にはもっと子供を産ま せ、非健康者にはあまり子供を産ませない」といった憲法草案を作るようなとんでもない役人がでてくるかもしれませ ん。 森 悦郎 From: 小西 眞裕 [mailto:konishiusa@yahoo.co.jp] Sent: Monday, March 28, 2016 8:40 AM To: Subject: Re: 超高齢化社会 ; 家族の限界、一人でも生きられる社会 市吉さん まったく同感です。戦後の道徳教育の崩壊で、基本道徳が忘れられ、今こそ家庭の教育こそ最も重要でそこから 社会、国家が構成されます。 小西眞裕 ----- Original Message ----- From: OsIPortable <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp> To: Date: 2016/3/27, Sun 22:13 Subject: RE: 超高齢化社会 ; 家族の限界、一人でも生きられる社会 転送歓迎 配信無用の方はお手数ですが返信願います。 本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信 または全員へ返信により意見交換をお願いします。二十一世紀世界研究会とは「人が全国どこでも働き、生涯豊か に生きられる世界」を提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀世界を実現しましょう。 家族の限界 最近神奈川で中学生の男の子の自殺事件がありました。両親に虐待され、家に自分の居場所が無いと友達に悩み を打ち明けていたそうです。今まで何度か児童相談所に相談したが例によって児童相談所は「保護の緊急性は感 じられなかっ た」とかで悲劇を防止する事はできませんでした。失敗の原因としていつものように役所の人員不足が 言い訳にされますが本当にそうでしょうか。不足しているのは人員よりむしろ人間についての哲学だと思います。 この父親はTVの取材に対して「児童相談所は子供の事を考えているとは感じられなかった」と言っていましたが この男の無責任な性格と同時に役所についての一辺の真実も語っているかも知れないなと感じました。 自民党の憲法草案に見る家族観 (1)家族は社会の基礎である。 (2)家族は互いに助け合わなくてはならない。 以上は高校生程度の頭脳の持ち主の作文ではないでしょうか。こんなものが憲法になったら一体家族のいない人 は社会の一員ではないのかと疑問が湧きます。上述の悲惨な事件について自民党の先生方はなんと答えるので しょうか。 日本国は何万人もの「天皇の赤子」を見捨てた 大日本帝国とそれに続く日本国は戦時中に「天皇の赤子」と称した同胞の子供を完全に見捨てました。即ち日本の 空襲で生じた何万もの戦争孤児と中国大陸に遺棄した多数の同胞の子供達です。日本の戦争孤児については 「親戚に引き取られた」、中国大陸での遺棄児童については「国交が無かった」。また戦争孤児が国に対して起こし た謝罪と補償を求める裁判に対しては「戦争孤児と国の間には雇用関係が無かった。戦争の被害は国民が等しく 受忍すべきである(!)」 小役人がひねり出す口実には形は一見まともで内容は虚偽に満ちた見事な作品があります ね。国と雇用関係があった旧軍人に対してはMcCarthurの退去を待っていましたばかりに軍人恩給法が成立し、 我が国を破滅させた責任の重い者ほど手厚く現在まで累積50兆円もの「恩給」が国庫から支出されて来ました。 将官級は年800万円、しかも孫の代まで受給権があるのだそうです! 旧軍隊では「一つ、軍人は忠節を旨とすべし」 という軍人勅諭第一条を「一つ、軍人は要領を旨とすべし」と替えた替え歌がはやっていましたが真に旧軍人は無 責任かつ要領がよかったですね。 自民党の家族観の虚偽 日本の戦災孤児に対する国家の無責任は日本人たるもの永遠に忘れてはならない恥だと思います。自民党案は 前述の空疎な二条を「日本の伝統」と称していますが本当にそうでしょうか。日本の歴史の大半の婚姻形式は万葉 集や源氏物語に残っている妻問婚だと思います。即ち家は母系で継承され男は昼間は自宅、即ち自分が生まれ た家で働き、夜は好きな女の家に通う形式でした。家の主は女であり万葉集には「母刀自」として家を恋しがる歌が 多数あります。母刀自とは愛情と同時に非常な尊敬の こもった言葉であり、邪馬台国の卑弥呼や神話における アマテラス大御神が女であったのも極く自然な事でした。私には日本の伝統としては自民党の憲法草案に記載され たものよりも古代の妻問婚の方がはるかに自然で人間性にかなっていると感じられます。 近代社会の構成単位は個人 だと思います。前述の例のように児童虐待を行う大人は実の親であろうとも既に親権を喪失していると思います。 生物学的にも社会的にも社会の構成単位は個人であり家族ではないと思います。昨年70年間連れ添った母に死 なれた私の父がもう半年も一人暮らしているのを見ると社会の単位は家ではなく個人であると感じます。人類最大 の偉人と言えばNewtonとかEinstein, Edison, Washinton, Bach等々多数いますが彼らは個人として輝いているの であり彼らの家族については大した意味は無いですね。 社会の構成単位は個人であるという社会哲学が確立して旧軍人に支給した恩給の1%でも戦争孤児に支給していた ら日本の国力は今よりはるかに強くなっていただろうと思います。 一人でも生きられる社会 とは個人がばらばらではなく社会が一人ひとりの個人を大切に育てる社会だと思います。国民は「天皇の赤子」など と真っ赤なウソをつくのではなく「社会の構成単位は個人である」という社会哲学に基づき各人の可能性を最大限 に発揮できるよう助ける社会が最強であるのは明らかです。日本の不幸のかなりの部分は時代 遅れの家族感に 起因すると感じています。親が子を自分のものと見なしたり、「家」が「人」を縛ったりする所に不幸の源泉があるので はないでしょうか。その「家」が「学校、会社、人種、国籍」などに形を変えて人間を縛る所に不幸の源泉があると感じ ています。 友交社会 私は独身の頃、人が交流できる社交の場が欲しいと感じていました。結婚後は子育てに夢中でしたが、両親の事例 を見ると長年連れ添っても人は畢竟一人であると感じています。個人が助け合う相手は即ち友ではないでしょうか。 夫婦は法律上の義務や権利よりも何より友である事が本質的だと思います。離婚や死別により個人に戻れば頼りは 自己と信頼できる友だと思います。その最大のもが社会であり国家であるのではないでしょうか。 ************************************** * 市吉 修 Osamu Ichiyoshi * 二十一世紀を楽しく生きよう会 * Human Network for Better 21 Century **************************************