――譲、美鶴…許してくれ。お前達に隠し事をしていく父さんを――


花、燃ゆる 番外編 −遠い、遠い記憶−


すこし隙間の空いた雨戸から薄明かりが差し込む。
「まだ、ちょっと早いか…」
いつもよりも早く起きてしまったため、時間をもてあましてしまった。
私は最近、十三歳の冬に亡くなった父の夢を以前よりもよく見る。ここに幕末にくる以前は命日が近くなると見ていたくらいだったのに。
(武市さんに父さんの面影が重なるからかな)
父の顔が鮮明にありありと目に浮んで、感傷的になる。
雨戸を開けて、円に腰かけた。
幕末で初めて迎える冬は寒かったが、嫌ではない。手をこすり合わせ息を吹きかけて暖める。
「――きれい」
霜の降りた庭に、紅い椿の花が咲いている。
「父さんが好きだった花だなぁ」
懐かしい父親の記憶が甦る。


父の名前は柏木秀明。広告代理店に勤めるサラリーマンだった。母の名前は千鶴と言う。私は母との記憶は殆どない。身体が弱く、私を産んですぐに亡くなったと兄から聞いた。だから父や兄から聞いた話や少ししか残されていない写真でしか見たことがない。品のある感じの人だった気がする。

父、秀明は優しくて、長身で細身でかっこいい、自慢のお父さんだった。幼稚園や小学校の時の父親参観や授業参観が楽しみで仕方なかったくらい。
亡くなった母の代わりに、苦手な家事をこなし、仕事をし、行事などはできるだけ来てくれていた。
「母親がいない寂しさを子ども達に味合わせはしないから」
亡くなる直前、病床に就いた母の手を握りながら父はそう誓ったらしい。
どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、父は私たちとの時間をとってくれた、遊んでくれた。だから私は寂しい思いをせずにすんだのだと思う。今、父に会って一言いえるならありがとうといいたい。

いつも笑顔の父の表情に一度だけ暗い影が落ちたときがあった。私が中学校に入学する前、兄妹で家族の写真を見ていた時だ。母について色々尋ねると父は言葉を濁して、
「いつかお前達に母さんのことを話さなければいけないな」といって、自嘲気味に笑うのだ。その表情は子ども心にも寂しそうに写った。
それから父は決してそのような顔を見せることはなかった。

元気だった父も無理がたたったのか、兄が十八歳、私が十三歳の冬に過労で倒れた。その後も容態は回復せず悪くなる一方だった。
亡くなる直前、父がかすれたくぐもった声で言う言葉を一生懸命聞き取ったのを私は思い出す。
「譲、美鶴…許してくれ。お前達に隠し事をしていく父さんを――」
あとにも言葉が続いていたが、小さすぎて聞き取れなかった。それよりなにより、あったかかった大きな手が冷たくなっていくことが何よりもショックでその時は考える余裕がなかったのだと思う。

改めて思い返すと、涙が溢れてくる。
「父さん…あなたの隠し事は何だったのですか?それには母さんが関係してるんですか?」
隣から戸が開く音がして、続いて静かな足音が聞こえてくる。
涙を吹いて、富子さんのもとへ向かう。
「私は元気にやってますよ、父さん」
笑顔でそっと紅い椿に語りかけた。



あとがき(2007 8/7)
今回は美鶴の回想を書きました。
今度は柏木兄妹の両親の話を更新したいと思ってます。
番外編は本編に大きく関わってきますので、二つあわせてよろしくお願いいたします。
明智

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