夏恋歌



 この時、綱吉は軽く死ぬ気の状態だった。
 目の前に立つのは並盛を牛耳っている雲雀恭弥。
 今日は意地でも頷かせたいお願い事があった。
 だから夏休みだというのに学校に来て、部活動で来ている生徒と少しの先生しかいない学校の廊下を当然のように歩いていた雲雀の前に綱吉は立ち塞がった。
 怪訝そうな目を向ける雲雀に、綱吉は1度深呼吸をして、そして睨むように雲雀と目を合わせる。
「雲雀さん!」
「なに?」
 淡々とした返事に、明日何があるかなんてさっぱり興味がなさそうなその様子に、一瞬怯みそうになる。
 けれど何とか、何でもありません、と出そうになった言葉を飲み込み、本来言いたかった言葉を叫んだ。
「明日の花火大会、オレと一緒に行ってください!!」
 静かな廊下に綱吉の声が響く。
 雲雀がきょとりと目を丸くした。
 先程の何も分かっていない様子の返事から、こんな反応は想定済みだ、と綱吉は雲雀を睨みつける。
 明日は花火大会のお祭りがある。
 きっと雲雀の頭の中は、祭りの屋台から金を回収しに行く事と群れて悪さをしている人達を排除する事くらいしか頭になかっただろう。
 綱吉の事なんて頭になかったと思う。
 それは何となく分かっている。
 でもこれでも恋人同士だ。
 男同士だけど特別に想い合う事を決めた相手だ。
 雲雀の性格は分かっているので、たった1度でいい。
 たった1度だけ、大人しく大勢の人が集まっている祭りの中に行き、一緒に花火を見て楽しむ。
 そんな普通の恋人同士のような事がしてみたい。
 普通のデートが、してみたかった。
 だから絶対に何が何でも約束を取り付ける。
 そんな気持ちから自然と綱吉の視線は強いものになる。
 今日ならどんな条件を出されても頷いてやろう。
 ボンゴレリングもグローブに変化する手袋も持ってきた。
 いつものように、真剣勝負で綱吉が気絶する前に雲雀に1発入れれば言う事を聞く、と言われても今日は躊躇わず頷く。
 それより辛い、例えば雲雀を完全にダウンさせるだとしても、死ぬ気でやってやる。
 ただのデートの誘いをするのに何でこんな命がけなんだ、というごく普通の疑問は、デートに誘う対象が雲雀と思えば綺麗に消えていった。
 半ば臨戦体制のまま綱吉はじっと雲雀の返事を待った。
 雲雀は少しだけ考える素振りをした後に。
「いいよ。」
 短くそう言って頷いた。
「………、え?」
 絶対に、戦え、と言われると思っていた綱吉は、予想外の返事に頭が追い付かなかった。
 驚きに目を丸くする綱吉に、雲雀は呆れたように息をつく。
「キミが誘ったんだろう。何か不満?」
「い、いいえ!何もないです、不満なんて、一切全く!!」
「そう。明日は6時頃でいい?」
「はい!」
「じゃあ、また明日。」
 背を向ける雲雀を綱吉は呆然と見送る。
 けれど聞かなければいけない事を思い出して、慌てて叫んだ。
「あ、あの!待ち合わせ場所は何処にしますか!?」
「迎えに行く。」
 簡潔な返事は、やっぱり予想外のもの。
 あまりにも自分に都合がよくて、これ夢じゃないよな、と雲雀の後ろ姿を見送りながら綱吉は思い切り頬を抓った。
 痛みは間違いなく本物だった。



 こんなに簡単に話が進むと、本当にデートのようで耐えられなかった。
 予定では戦って何とか勝ってボロボロになりながら一緒に出かけ、人込みを見て暴れそうになる雲雀を負けたんだから約束は守ってくださいと言って諫めて、何となく殺伐とした雰囲気の中花火を見る。
 綱吉は本気でこうなると思っていた。
 普通のデートが理想だし、それがしたくて雲雀を誘った。
 でも雲雀が一緒に来てくれるだけで奇跡と思っているので、この際一緒に出かけられるだけでも普通のデートだと綱吉は自分の言い聞かせていた。
 それなのに、今のところここまでの流れは、とても穏やかで普通だ。
 何だか急に恥ずかしくなって、綱吉はベッドにうつ伏せで倒れて頭を抱える。
「このまま後1時間とか…、耐えられない…っ!」
 やたら心臓の音が早く大きく聞こえる。
 ぎゅっと目を閉じて部屋にそっと響く時計の音を聞いた。
 時間の経過がとても遅く感じて余計に辛くなった。
「ツっ君ー。」
 そんな時に下から聞こえてきた母親の声に、綱吉はそっと顔を上げた。
 やけに弾んだ声だが、何かいい事があったのだろうか。
「ツっ君、降りて来てー。」
 よく分からないが、このまま部屋にいて頭を抱えていても恥ずかしさと緊張に耐え切れなくなるだけ。
 気晴らしになるならお使いでも何でも引き受けようと思い、はーい、と返事をして下に降りた。
 リビングにいた奈々は大きな箱を広げていた。
 手には白っぽい大きな布を抱えている。
「母さん?」
「今日はお友達と花火大会って言っていたわよね。いい物を見つけたわよ。ほら、浴衣。」
 そう言って満面の笑みで広げられた白い布に、綱吉は思わずがくりと肩を落とした。
 白い布には青やピンクの朝顔が咲いている。
 可愛らしいその浴衣は、確実に奈々の物だろう。
 父親はこんな物が似合う人ではないし、綱吉も男なので女物の浴衣なんて持っていない。
 別に奈々が浴衣を持っている事は何もおかしくないが、何故それを満面の笑みで息子に広げて見せるのか。
 お母さんもこれを着て花火大会に行くの、と言ってくれたら救われる。
 だがどう考えてもそんな雰囲気ではなかった。
「少し前の物だけどちゃんと着られるわよ。ちゃんと着付けてあげるから、こっちにいらっしゃい。」
「あのね、母さん!」
「どうしたの?」
「娘がいるならまだしも、母さんの子供は息子だけなんだから、そんな自分の浴衣を嬉しそうに引っ張り出さないでよ!!」
「あら、大丈夫よ。ツっ君なら似合うと思うわよ。」
「似合ってたまるか!!」
 だからあんたの子供は息子だと言っているだろうが、と叫ぼうとした綱吉は、口を開いたまま硬直した。
 背後から感じる、日本の一般家庭にはあまりにもそぐわない、確かな殺気。
 そろりと振り返れば、リボーンが真っ直ぐに綱吉へ銃口を向けていた。
「何でお前は帰ってきて早々に本気の殺気をオレに向けるんだよ!?」
「お前が無駄にママンを困らせているからだろうが。」
「無駄か!?これ正当な文句じゃなくて無駄な口答えなのか!?」
「ママンの好意だ。息子なら文句を言わずに礼を言うべきだろう。」
「とか何とか言って、お前はただ絶対に楽しんでいるだけだろう!?」
 女物の浴衣を着た男が雲雀と一緒に花火大会に行く。
 第三者としてその光景を見れば、何も見なかったと自分に言い聞かせて全力で目を逸らすか、それとも面白い見世物だと見物するか、反応としてはそのどちらかくらいになるだろう。
 綱吉だったら全力で目を逸らす事を選ぶが、リボーンなら見世物を楽しむくらいの度胸は余裕である。
 案の定リボーンは口元に笑みを浮かべて綱吉の叫び声に答えた。
 分かっていた事だったが、あまりにも予想通り過ぎて泣きたくなった。
 けれど泣いている場合ではない、とにかく逃げなければいけない。
 第三者としてすら直視出来ない現状に自ら飛び込む趣味はない。
 気を取り直して顔を上げたが、綱吉が動くよりもリボーンがビアンキを呼ぶ方が早かった。
 奈々にリボーンにビアンキ。
 逃げられる気がしなかった。
「諦めろ、ツナ。これも一種の修行だ。」
「こんな何も成長しなさそうな修行があってたまるか!!」
「度胸だけは身に付くぞ。」
「本当に度胸だけだよ!っていうか、ちょっと、これマジで!?マジでオレはそれを着るの!?」
 逃げられる気はしなかったし、逃げ場もなかった。
 呆気なく捕まって服を引っぺがされて浴衣を被らされる。
 楽しそうに着付けをする奈々を見ていると、彼女もただ面白がっているだけなんじゃないかと疑いたくなってきた。
 服を奪われた所で抵抗する意思もなくなり、見ているだけなら本当に可愛い浴衣を着せられながら、さてこれについて雲雀さんに何て言い訳をしよう、と遠い目をしながら綱吉は考えた。
 奈々とビアンキは綱吉が大人しくなったのをいい事に、何処にそんな物があったのか帯の色や小物などをどうするかで楽しそうにしている。
 そうしてそれをリボーンはとても楽しそうに眺めている。
 抵抗は本当に無意味だと実感した。
 だからせめて雲雀への言い訳を考えるが、それも上手く浮かばない。
 デートに誘った人が女物の浴衣で登場する。
 これをせめて何かのギャグか冗談にする方法はないだろうか。
 必死に悩むが、やっぱり浮かばない。
 母親に無理矢理着せられました、が無難だろうか。
 そう思いながら力ない笑みを浮かべる綱吉の目に、ふとリビングにある時計が目に入った。
 あれ、と首を傾げる。
 約束の時間は6時。
 そして今時計が指している時間も、もうすぐ6時。
「………、えぇ!?」
 何だかんだ騒いで現実逃避してる間に1時間経ってしまったらしい。
 ついでに着付けも終わっていたらしい。
 奈々とビアンキが満足そうに笑っていた。
 だが、浴衣を着付けた結果の出来なんて、今はどうでもいい。
 綱吉の頭にあるのは雲雀になんて言い訳をするかという事だけ。
 とりあえず部屋に戻って財布と携帯を取って来て、残りほんの僅かな時間で何とか考えるしかない。
「おい、ツナ。」
「リボーン、もう悪いけど全部後に…。」
 悪いけれどリボーンの相手をしている時間すら惜しいと、適当に返事をしながらリビングを出ようとすれば。
 いつの間にかリボーンの隣には雲雀がさも当然のように立っていた。
「雲雀が来たから上がってもらったぞ。」
「お前には心の準備をさせる時間を与えようとかいう慈悲はないのかよ!!」
 雲雀も浴衣を着ていた。
 紺色のシンプルな男物。
 雲雀さんはこういうのも似合うよな、とか、出来ればオレもああいうのが着たかったな、とか他愛のない事が頭に浮かんだが、けれど綱吉の頭の中の大半を占めるのは、今の自分の浴衣姿の事。
 どうしよう、何も言い訳を考えていない。
 硬直する綱吉を、雲雀はまじまじと眺める。
 そうしてふと、綱吉から目を逸らし、そうして笑った。
 確かに耐え切れないとでも言うように吹き出して肩を震わせている。
 せめてもの優しさは、笑っている事を隠そうと口元に手を当てている事だろうが、もういっそ指をさして爆笑してくれた方が良かったかもしれない。
「な…、なに、その恰好。」
「………、母親の陰謀です…。」
「あら、一緒に遊びに行くお友達?ちょうど準備も終わったし、行ってらっしゃい。」
「………、はい。」
 もうどうでもよくなって、ふらりと自分の部屋に荷物を取りに行く。
 降りれば玄関にいた雲雀が、行くよ、と普通に声をかけてくれた。
 何だかとても微妙な笑い方をされたが、浴衣姿に引かれる事はなく笑って終わらせてくれたのだから、それにはほっと安心した。
 でもやっぱり申し訳ない。
「あ、あの…、雲雀さん。」
「なに?」
「その…、色々あってオレはこんな格好ですが…、一緒に行って平気ですか?」
「着替えるの?」
「残念ながらその選択肢は選べません…。」
「だったら仕方ないじゃない。面白いし似合うから別にいよ。」
「いっそその言葉を素直に喜べたら少しは楽になれるんですけどね…。」
 ため息交じりに靴を履こうとして、可愛い柄の鼻緒が付いた下駄が置いてある事に気付く。
 これを履いて行け、という事なのだろう。
 浴衣にスニーカーも似合わないし、ここまでくれば鼻緒が花柄なんてもう些細な事だ。
「早くしなよ。」
「はい、って、うわ…っ!」
 慣れない下駄で走りだそうとして失敗する。
 躓いて倒れそうになり、思わず雲雀の腕にしがみついた。
 怒られるか呆れられるかと思えば、そのどちらの反応もない。
 そろりと見上げれば、いつも通りの無表情で雲雀は綱吉を見ていたが、ほんの少しだけ機嫌が好さそうに見えた。
 それに気付いて何となく手を離すタイミングを失う。
 しかもそのまま雲雀が歩きだすので、更に離れるタイミングを失った。
 いいのだろうか。
 こんな女物の浴衣を着た男が並盛を支配している雲雀の腕にしがみついて歩くなんていいのだろうか。
 ぐるぐると悩んでみたが。
 雲雀は何も言わないし不機嫌でもない。
 という事は、いいんだろうな、という結論にたどり着く。
 何だか悩み疲れてしまった。
 色々と考える事を放棄したくなり、けれどその前に1番の疑問を尋ねてみる事にした。
「………、雲雀さん。何で今回はこんなに簡単にオレに付き合ってくれたんですか?」
「さあね。」
 短い返事しかもらえなかったが、それでも雲雀はやっぱり機嫌が良さそうなので、もう細かいことなんて全部どうでもよくなってしまった。





□ END □

 2010.05.08
 2人に似合うと思ったからつい出来心で…、この後に雲雀が寺で賽銭入れて恋の願い事を囁くかは知らない





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