なんでもない日常



 友達が突然、自分は将来マフィアのボスになる、なんて言い出したらどうするだろうか。
 目の前の問題が解けなくて、集中力が途切れた頭の中でいきなりそんな言葉が浮かんできた。
 考えているふりをして手を止める。
 綱吉がいるのは放課後の教室。
 部活動で残っている人は多くいるが、この教室には綱吉と、課題に付き合ってくれる獄寺だけが残っていて、外から運動部の声は聞こえてくるのに2人だけになったような不思議な気分だった。
 始めたばかりの時は残っているクラスメートの声で煩くて、外は明るかった。
 気付けば静かで外は少し暗い。
 時間は随分経ったみたいだが、課題はそんなに進んでいない。
 物心がついてからずっと、無事に高校生になれた今でも、綱吉は勉強も運動も苦手だ。
 ダメツナというあだ名はいつからついていたか。
 馬鹿にされているあだ名は勿論好きではないが的を射ていると思う。
 何をしてもダメだという自覚はある。
 だからこのまま何となく、本当に何となく、ダメはダメなりに生きていくんだろうなと思っていた。
 それなのに自分の将来は中学生の時に突然現れた赤ん坊に決められた。
 それがマフィアのボスだった。
「10代目?」
「え?」
 声をかけられて、全く解く気もないのにただ眺めていた問題から、机を挟んで向かい側にいる獄寺へと目を向ける。
 目が合えば獄寺は不思議そうに首を傾げた。
 ぱっと見た印象では、獄寺はガラの悪い近寄りたくないタイプの人間だ。
 けれど不思議そうに首を傾げてこちらを窺うその様子は、綱吉にはなんだか可愛く見えた。
 毒されているな、と思う。
「分からない所がありましたが?ずっと手が止まっていましたので。」
「ああ…、うん。分からない。」
「えっと、ここはですね…。」
 手を止めた問題を獄寺が説明する。
 きっと物凄く丁寧に教えてくれているのだろう、彼はいつでもそうだ。
 でも理解出来ないのは、完全に綱吉が聞き流しているから。
 今でこそこうして普通に高校に通って、出された宿題が分からなくて友達に泣き付いて教えてもらって、今は部活動に励んでいる友達が戻ってきたら3人で一緒に寄り道をしながら家に帰る、そんな他愛のない毎日を過ごしている。
 でもそれも長くは続かない。
 他愛のない日々を過ごせる残り時間は、ほんの数年だ。
 綱吉の将来はマフィアの世界に君臨するボンゴレファミリーの10代目ボス。
 そう決定している。
 もし友達が、将来マフィアのボスになる、なんて言い出したら、お前頭は大丈夫か、と綱吉ならば言うだろう。
 何かの冗談でしかない。
 本来なら現実味のないこの話は、綱吉にとって数年後には現実になる未来。
 自分で選んだ未来だ。
「………、10代目?」
 再び獄寺が不思議そうに声をかけた。
「なに?」
「分かり辛かったですか?」
「うん、 分かんない。」
「それでは…。」
「というより、聞く気がない。」
「………、10代目ー…。」
 ペンを持って真剣な顔をして問題に向かった直後に勢いを削がれ、獄寺はとても情けない顔で綱吉を見た。
 かっこいいのに台無しだ、ファンの女の子が泣いてしまう。
 自分のせいなのに綱吉は他人事のように思う。
 こんないい加減な言葉に怒らないで泣きそうな顔をする彼が、未来のボスの右腕であるのも、本当に何の冗談か。
「獄寺君、もう1回。」
「え?」
「聞く気はないけど、もう1回。」
 綱吉は頬杖をついて目を閉じる。
 意図が分からなくて獄寺は少し戸惑ったようだったが、それでも素直に説明をした。
 先程と同じ問題を、少しだけ言葉を加えて、もう1回。
 聞く気はないと言ったのに律儀だ。
 少しだけ綱吉は口元に笑みを浮かべる。
 外から人の声が聞こえる。
 何を言っているのかは分からないが、とにかく賑やかな声だ。
 それと日常的な騒音も聞こえる。
 そうして1番近くに獄寺の声。
 他愛のない日常の出来事。
 マフィアのボスになどなったら、こんな時間は2度と訪れないのだろうか。
 普通の友達に将来の相談なんか出来ない、出来る友達は近い未来には一緒に同じ道を歩む人だけ。
 だから弱音はあまり言葉にしたくない。
 けれどふとした瞬間に不安は簡単に心に落ちる。
 穏やかな時間はいつまで続く。
 こうして傍にいてくれる人はいつまで傍にいてくれる。
 変わる事のない毎日は続かないけど、変わった先でもいつまでこうやって。
「以上です、10代目。」
「もう1回。」
「………、10代目。」
「もう1回、お願い、獄寺君。」
「10代目。」
「………、うん。」
 そっと綱吉は目を開く。
 じっと獄寺は真剣な目を向けていた。
 射抜くような視線をただ受け止めていれば、獄寺は椅子から少し腰を浮かせた。
 その分だけ顔が近付いて、綱吉は再び目を閉じる。
 獄寺は綱吉が初めて得た友達だった。
 あの頃のお互いを友達というのは少しおかしいかもしれないが、それでも思い返してみればそうだったと綱吉は思う。
 友達だった獄寺は、綱吉が少しずつボスという自覚を持てば、彼を部下として見る機会も増えてきた。
 そうして中学生から高校生になる間くらいに、綱吉は獄寺に告白をした。
 お互いの関係は色々変わっていった。
 それでも最初の頃と変わらずに、こうして何気ない時間を一緒に過ごす。
 そんな変わらない何かが、これからの未来で、どれだけ手元に残ってくれるのか。
「10代目…。」
 何となく集中力が途切れた合間に襲ってきた不安だったけれど。
 間近に聞こえた声に、少しだけどうでもよくなった。
 声も気配も近いのに、じれったい程にそれ以上動かない獄寺を、綱吉はただ黙って目を閉じて待った。
 がらり、と。
 教室の扉が開いたのはちょうどその時だった。
「ツナ、獄寺、おまた…、せ……。」
 教室に入ってきた山本が目を丸くするのと、後ろに下がる勢いが付きすぎて椅子ごと獄寺がひっくり返ったのは、ほぼ同時だった。
 物凄い音を立てる中で、ふと綱吉は問題に目を向ける。
 聞き流していたつもりだったが、2回も聞けば結構頭に入ってきたようだ。
 躓いていた所が簡単に解けてほっとした。
「いやー…、その、もしかしてタイミング悪かったって奴か?」
「そうでもないよ。山本が来なくても結果はそんなに変わらなかったと思うから。」
 山本が来て我に返ってひっくり返ったけれど。
 山本が来なくても我に返ってひっくり返っていたと思う。
 友達で部下で、そして色々と残念な事に恋人でもある獄寺は、綱吉が大切で大切にし過ぎて、いつもこんな感じなのだから。
「あ、山本。今日の宿題どう?半分くらい解けたから、そこまでなら見るなら今だよ。」
「………、お前も随分慣れたもんだな…。」
 山本が何とも言えない微妙な笑みを浮かべた。
 獄寺に同情してなのか、綱吉に同情してなのか、それは分からない。
 彼はそれ以上何も言わず、答えが写せる、という誘いにただ素直に乗った。
 そんな山本にペンをくるくる回しながら綱吉は深くため息をつく。
「意外とそうでもないし、慣れたくもないんだけどね。」
 将来はマフィアの頂点に立つボンゴレファミリーのボス。
 そしてそんな自分の恋人は友達で部下で男性の、目の前でひっくり返っている獄寺隼人。
 本当に冗談としか思えない現状は、それでも結局は自分の選んだ道。
 そんな微妙な顔で笑いたいのはこっちの方だ。
 綱吉はそう思いながら、獄寺が復活するまでの何気なく長い時間を、山本と2人で今更真面目に課題と向き合う事にした。





□ END □

 2010.02.01
 大切過ぎて何をするのにも命懸けな獄寺と、自分から行く勇気はないので気長に待っているツナ、が一応基本形





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