思い出話



 水が揺らぐ音を聞きながらルクスはぼんやりと目の前に広がる湖を眺めた。
 生まれ育った場所は海の近くだったが、旅に出てから内陸も随分と歩いてきた。
 それでも幼い頃に慣れ親しんだものからはなかなか離れられないようで、こうして水の音を聞いていると心が落ち着いた。
 出来れば波の音と潮の香りが欲しかったが、ここから海まではかなりの距離があるので今すぐには無理な話。
 せめてもとレアスター城の船着き場まで降りてきた。
 音も香りも違うが、広がる水の流れを見ていたかった。
 1人でぼんやりとそんな時間を過ごしていると、誰かがこちらへと来る気配がした。
 相手は紋章の気配ですぐに分かる。
「何をしているんですか?」
 そうウォルカは声をかけてルクスの隣に並んだ。
「少し反省を。」
 ルクスはそう答えてウォルカの方を見る。
 いつもの赤い服ではない、シャツとズボンだけの簡単な格好。
 それを見てルクスは少しだけ顔を顰めた。
「起きても?」
「はい。ルックのおかげで、元々そんなに酷くありませんでしたから。」
「そう。」
「だから別にルクスさんが気にする事は何もないですよ。」
 昨日、ウォルカとルクスは戦闘中に1つ失敗をした。
 ウォルカは別の相手に気を向けていて、その時に他の魔物が自分を狙っている事に気付かなかった。
 ルクスはそれに気付いた瞬間、魔物に気付いていないウォルカではなく、ウォルカのすぐ傍にいて魔物には気付いていたキリルを助ける為だけに動いていた。
 その結果ウォルカはそれなりに深い怪我を負った。
 幸いにも回復魔法の使い手はルックにイシュカにシャルトと揃っていていたし、ルックがすぐに治してくれたので3人がかりになる程の事にはならなかった。
 服は酷い有様になってしまったし、ウォルカは気を失ってしまったが、それだけで済んだ。
 すぐに城へと戻って眠っていればすぐに回復をして、一応は3日間くらい安静にしている事と釘を刺されたくらい。
 失敗したな、とその時の事を思い出してウォルカは思う。
 ごく稀に組まれるルクスとキリルとシャルトがいるメンバーは、安心感があり過ぎて気が抜けてしまっていたらしい。
 どう考えても自分の失敗で、怪我も自分の責任。
 決してルクスが気に病むような事ではない。
 それなのにルクスは1人ここで立って反省していると言った。
 キリルの姿はない。
 尋ねれば、今ここにいてくれたら甘えてしまう、と言ってルクスは苦笑した。
「………、反省しながら昔の事を思い出していた。」
「昔の事?」
 ルクスはウォルカへと頷き、そうして湖の方へと視線を戻して眩しそうに目を細めた。
「今思えば、彼らはボク達の兄みたいな存在だったんだろう。そんな人がいた。」
「ボク達ってルクスさんとキリルの?」
「うん。物好きな海賊が2人。よく怒られたから、きっと今回の事も酷く怒られたと思う。」
 海賊と親しかったという事にも驚いたが、ルクスとキリルを叱る誰かがいるという事にも驚いた。
 ウォルカが知っている限りでは、2人に面と向かって釘を打てるのはシャルトくらいしかいない。
 普通では考えられないくらい長く生きている2人の雰囲気が、そうとは知らなくても何となく言葉を躊躇わせてしまう。
 そんな2人しか知らないウォルカに、今のルクスの言葉は驚きだった。
「昔は…、今もかな、ボクもキリル君もどこかずれていたみたいで。厄介事に自分達から首を突っ込んでくれた、本当に物好きだったよ。」
 言っている事は随分と酷いような気がする。
 けれど声も表情も優しかった。
 キリル以外に向けてルクスがこんな顔をするのを、ウォルカは初めて見たような気がする。
 親しみや信頼といった感情が珍しくもハッキリと分かる様子のまま、ルクスは言葉を続けた。
「色々と言われたけど、最後の忠告にこう言われた。ちゃんと友達を作れ、と。」
 予想外の言葉にウォルカが目を丸くする。
 それはそうだろうとルクスは笑った。
 ルクスもキリルもかなりの年齢を重ねたというのに、まさかそんな事を言われた挙句にそれが最後の忠告になるなんて思いもしなかった。
 けれど大切な事でもあった。
 その言葉を聞く頃には、ルクスは紋章によって、キリルは受け継いだ血によって、変わらぬ姿のまま取り残されていくのを嫌という程に実感していた。
 親しい人達の姿が変わるだけでなくいなくなっていく。
 それが積み重なっていく中での救いは1番大切な人が同じ時間を歩んでいてくれる事だった。
 だったらもう、それだけでいい。
 お互いさえいれば世界はもうそれだけでいい。
 ルクスもキリルもそんなふうに思いながら、それでも捨てきれない何かを確かめるように彼らに会いに行き、まるで子供のように怒られた。
 今でもハッキリと覚えているのは、きっと何度も繰り返し思い出しているからだろう。
「顔を上げて前を見ろ。変わらない物は何もないのだから目を逸らすな。これから先の出会いも別れもボク達なら無意味なものにはしないだろう。今までボク達が大切な誰かと出会ってきたようにこの先もそれは続く。だから2人きりで世界を終わらせるような、そんなつまらない事だけは絶対にするな。」
 辛かった時に聞かされた忠告は突き刺さるような言葉だった。
 最後のこの忠告が1番厳しかった。
 それから暫く後に、ずっと一緒にいるように思っていた彼らは片方が欠け、更にもう少し時間が経てば2人ともいなくなった。
 悲しくて泣きながら世界を2人きりにしようとしたが、彼らの忠告はいつだって無視をする事は出来ず、結局最後までそうだった。
 中途半端な距離で他人と関わっては離れてを繰り返し。
 気付けば何人かこちらの事情を知ったうえで友人と呼べる相手と出会え、いつか別れが来ると分かりながら出会いを喜べる自分達がいた。
 そうしてその繋がりから同じ境遇のシャルトと出会え、今はこうしてウォルカやイシュカと出会えた。
「ウォルカ君。」
「はい。」
「今でもボクの世界はとても狭い。キリル君さえいれば十分だと思う、ボクの本心だ。」
 迷いなくルクスは言った。
 もしもう1度ウォルカが怪我をした時と同じ状況に居合わせても、間違いなく自分の行動は変わらないだろうとルクスは思う。
 昔から今まで何度だってキリルを選んできた。
 変わらない物は何もないと彼らは言ったし、きっと昔と全く同じ気持ちではないだろうが、この選択は必ず繰り返していく。
 けれど怪我をしたウォルカを見て何も感じなかったわけじゃない。
 焦ったし悲しくなったし反省するくらいショックだった。
「でもボクはキミを友達だと思う。信じられないだろうけど、それもボクの本心だ。」
「………。」
「だから、ごめん。」
 今更でしかない謝罪をウォルカがどう受け止めるのかルクスはじっと待つ。
 答えはすぐに出て、ウォルカは小さく声を立てて楽しそうに笑いだした。
 きょとりと首を傾げるルクスに、すみません、と笑いを含んだ声でウォルカが謝る。
「もう1度言いますがボクは気にしていません。怪我は自分の責任です。」
「でも…。」
「ボクもルクスさんとキリルを友達だと思っています。だからこそ、貴方がキリルと誰かを天秤にかける真似をしない事は分かっています。」
 言い切るウォルカをルクスは不思議な気持で見つめる。
 そういえばシャルトにも似たような事を言われ、他の友人と呼べるような人達も同じだった。
 遠い過去の仲間達を思い出す。
 彼らはどうだっただろうか。
 怒られたり呆れられたりを繰り返していたが、それでも受け入れてくれていたと思う。
 本来そんな性格ではないだろうに何故か自分達にはお節介で世話焼きだったあの海賊達も同じだった。
「ルクスさんが、キリルを選んだ後にボクの事を忘れずに気にしてくれている。結構それで十分だったりします。」
「………、毒され過ぎだと思う。」
「慣れてしまったんだから仕方ありません。」
 迷いのない姿を見ていると、無性に海の傍へ行きたくなった。
 結局いつだって彼らの言葉は正しかったのだ。
 何も知らなかった自分達は、時には忠告に反発した事もあったけれど、けれど最後にはいつも正しくて大切だった。
 今ウォルカが隣にいて笑っているのも正しかった証拠の1つ。
 彼らの言葉がなければきっとこの出会いはなかったのだから。
 悔しいけれどそれを実感する、そんな時は懐かしい場所に立ちたい気持ちになるが、間違ったって彼らが眠る海にこんな顔で行けるわけはない。
 気持ちを誤魔化すように湖を見る。
 光が反射して眩しくて水面が白く見えるが、それでよかったのかもしれない。
 ここは海ではないのだから、あの深い青色が見えないのだから、今はどんな顔をしようとも彼らに馬鹿にされる事はない。
「ボクは酷い人間なのに、何故人間関係には恵まれるのだろうか。」
「ルクスさんが素敵な人だからですよ。愛されているからです。」
「………。」
「その愛情を説教という方法で伝えようと待ち構えている人がいますから、それも覚悟していてくださいね。」
 酷く機嫌の悪い顔をしていたシャルトを思い出す。
 ルクスを慕いウォルカを親友と呼ぶ彼は、ウォルカのようにルクスを甘やかさない。
 でもこんなルクスとキリルを理解して受け入れてくれている。
 お節介なところは彼らに似ていた、彼らの方が厳しかったけれど。
「悔しいな…。」
 小さな呟きを拾えなかったようで、え、と不思議そうにウォルカが聞き返す。
 ルクスは何も言わずに首を横に振った。
 ただ少し悔しいだけだ、今でも彼らの言葉が正しく、それに助けられている自分がいる事が。
 でも当然かもしれない、だって彼らはごく当たり前の事しか言わなかったのだから。
 きっとこの悔しさとはずっと付き合っていくのだろう、忘れる事はないのだから。
「ルクスさーん、ウォルカー!覚悟して出てきてくださーい!」
 名前を呼ぶ声が聞こえてきて2人は振り返る。
 声はシャルトだが気配は3つ。
 誰かは続けて聞こえてきた声ですぐに分かった。
「シャルト、何でウォルカも呼ぶの?」
「ウォルカさんも怒るの?」
「当たり前です。安静にしていろと言われた人が何で歩き回っているんですか。ルクスさんとキリルさんとは別に怒ります。」
 キリルとイシュカの質問にシャルトがきっぱりと答える。
 ウォルカとルクスは顔を見合わせて苦笑した。
 階段から降りてくる彼らに見つからずに逃げる方法などないので、大人しくウォルカがシャルトの呼びかけに答えた。
 そうして集まった人達を見て、そのうち彼らと一緒に故郷の海に行くのもいいかもしれない、そんな事をルクスは思った。
 まずはキリルと一緒にシャルトの説教を聞いてからの話にはなるのだけれど。





□ END □

 2010.12.09/色であみだくじお題・白色=純粋とかやり直しとかそういう色らしい
 ハーヴェイとシグルドはいつまで経っても2人にとって外せない存在なのが基本設定となっています





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