小さく前進



 ぱたぱたと走って行く子供の姿を見つけて、シーナは足を止めた。
 赤い色の服が遠目でも目につく子供は、この解放軍の軍主イシュカ。
 そんなに急いで何処に行くのだろうかと思って見ていれば、イシュカが足を止めるのはすぐだった。
 本拠地のホールに到着すれば走るのをやめて。
 そこに置かれた大きな石版の前でイシュカは足を止めた。
 石版を見上げてからきょろきょろと辺りを見回す。
 目的は石版ではなく、どうやらいつも石板の前に突っ立っているルックだったらしい。
 珍しくルックの姿はそこにはない。
 無人の石板の前で困ったようにイシュカは辺りを見回し、やがてそれが無意味だと気付いたのか残念そうに肩を落とした。
 ルックの行動範囲は結構知られている。
 殆どは石版の前、そうではなかったら自室か図書館、もしくは食事時なら食堂。
 大抵はそこで見つかるのだが、その何処にもいなかった場合は居場所の見当が全くつかないので、見つけ出す事が凄く難しくなる。
 今は食事時ではないので食堂の可能性は薄い。
 もうイシュカは自室や図書館には行ったのだろうか。
 あまりにも残念そうな後ろ姿に、とりあえず声をかけて暇だから一緒に探すのを手伝おうか、とシーナは思って傍に寄ろうとした。
 けれど風が不自然に通り過ぎた事に気付いて足を止める。
 こういう風はルックの転移魔法による影響である事が多い。
 思った通り、通り過ぎた風が散ればイシュカの隣にルックが姿を現した。
「ルック!」
 戻ってきたルックにイシュカはぱっと表情を明るくしてルックを見上げた。
 向けられる笑顔にルックは苦笑する。
 随分優しい表情だ。
 そんな事を少し離れた場所で2人を見ているシーナは思った。
 3年前はあんな表情を見せただろうかと思い出してみたが、どうも記憶にない。
 人って成長するんだな、と変な部分で感動しているシーナに気付かず、どうしたの、とルックが笑っているイシュカに尋ねた。
「何か用があるから来たんだろう?」
「うん。あのね、シュウさんが次の作戦はこんな感じだよって、これをルックに。」
 持っていた数枚の紙をイシュカはルックに渡す。
 仮にも軍主にこんな事をさせていいのだろうかと若干疑問に想いながら受け取る。
 枚数は少ないがぎっしりと書き込まれている。
 これを全部覚えろというのは別に難しくないが、本当にぎっしりと書き込まれているので少し目が痛い。
「確かに預かった。」
「それとね。」
「まだあるの?」
「ごめんなさい…。」
「謝らなくていいから言いなよ。」
「うん。明日、外に出たいから一緒に来てもらいたいなって。」
「明日ね。分かった、ここにいるよ。」
「ありがとう!」
 別にイシュカがお礼を言う必要はない。
 軍主はイシュカで、ルックはそれに付き従う立場にある。
 けれどそんな事は無関係とばかりに嬉しそうに笑うイシュカを、ルックは何となく無言で眺めた。
 じっと向けられる視線に、流石に居心地が悪くなったイシュカは不思議そうに首を傾げる。
「ルック?」
 困惑した様子で名前を呼べば、ルックは無言のままぽんっとイシュカの頭の上に手を置いた。
 きょとりとイシュカは目を丸くする。
 ルックはやっぱり何も言わないまま、少し乱暴にイシュカの頭を撫でた。
 どう見てもやり慣れていない事をしているような手つき。
 イシュカの髪もくしゃくしゃになってしまった。
 けれど、頭を撫でられたという事は何だか分からないが褒められた、と受け取ったイシュカはとても嬉しそうににこりと笑う。
 その笑顔にルックも満足したように手を離した。
「用件はそれだけ?」
「うん。」
「そう。」
 素っ気ない返事だけを残してルックは風を呼ぶ。
 その瞬間に、何気なくイシュカから視線を外したルックは、シーナがこちらを見ていた事に気付いた。
 シーナは驚いたような困惑したような、でも微笑ましそうに見ているような、何だか色々と入り混じってよく分からない顔をしていた。
 そんなシーナと目が合って、ルックは酷く気まずそうに目を逸らす。
 そうしてすぐに風と一緒に消えた。
 イシュカは呑気にもう誰もいない場所に手を振る。
 ルックが姿を消してようやく我に返ったシーナは、何とも言えない気持ちを抱えながらイシュカの傍に行く。
 ようやくシーナがいる事に気付いたイシュカは、誰もいない場所へ振っていた手をシーナへと向けた。
「シーナ。」
「よう。」
「どうしたの?」
「いや、お前が困っていたようだから声をかけようと思っていたんだけど、もう平気みたいだな。」
「ありがとう、もう平気。でもシーナにも用事があったからちょうどよかった。」
「明日行くって話か?」
「うん。」
「了解。………、ところでさ。」
「なに?」
 大人しく言葉の続きを待つ子供に、一瞬なんて言えばいいのか迷った。
 けれどイシュカは物凄く素直な性格をしている。
 遠回しに言っても通じないと想い、結局は直球で質問をした。
「ルックの奴、お前にはいつもあんな感じか?」
 元々ルックはイシュカに甘い部分があった。
 イシュカの人懐っこい性格はルックにも影響するんだなと感心していたが、スキンシップはどちらかと言えば嫌いらしいルックが頭を撫でたりするなんて流石に意外だ。
 それに用件を聞くだけ聞いてさっさと消えた辺り、イシュカが探している事に気付いて態々戻ってきたのだろう。
 ルックってあんな奴だっけ、とまで思ってしまう程に、いっぺんに意外な行動をたくさん見たような気がする。
 けれどイシュカにとってはそうではないらしく、シーナの質問に大きく頷いた。
「うん。最初はちょっと怖かったけど、でもルックは優しいよ。」
「ふーん…。」
「それにね、何かボクは一緒なんだって。」
「一緒?」
「ルックは優しいねって前に言ったら、誰かと星が一緒だからだよって言ってた。」
 星と言われれば真っ先に思い浮かぶのは宿星とかいうもの。
 実感出来る何かがあるわけではないが、イシュカもシーナもそんな物を背負っているらしい。
 何の意味があるかは分からないが、それは石板に刻まれている。
 シーナの背負った星は3年前と同じだった。
 イシュカが背負った星は、3年前には別の人のものだった。
 今は居場所も安否も分からない少年のものだった。
 その事を知らないイシュカはにこにこと笑いながら続ける。
「誰かはよく聞こえなかったけど、きっとボクと一緒の誰かにはもっと優しいんだろうね。ルック凄く優しい顔していたから。」
 無邪気な笑顔にシーナはついため息をついてしまった。
 きょとりとこちらを見上げたイシュカに、何でもない、と先程のルックよりは丁寧に頭を撫でてやる。
 イシュカはやっぱり嬉しそうだ。
 もしもこんな事を3年前にイシュカと同じ立場にいた少年にやったら間違いなく怒られただろう。
 けれどもしルックがそうしたのなら、ただひたすら一方的で勝手に自己完結していた2人の関係は何か変っていただろうか。
 ルックは絶対に認めず、向こうは勝手に諦めて終わらせていた、そんな関係から少しくらいは。
 そう考えたが、あまりにも馬鹿馬鹿しく意味がないのでやめた。
 だってもう3年も前の話だ。
 少年の居場所も、この3年の間でルックへの気持ちをどうしたのかも、何も分からない。
 それなのにもしもの話をしたって意味がない。
 ならばせめて現在に目を向けて。
 背負った星が一緒だからとイシュカに優しくするルックに、認めなかった感情と向き合えたんだと褒めてやるべきなのか、それとも3年もかかって他の誰かに影を重ねる事しかしないのかと呆れるべきなのか。
 そんな事をぼんやりと考えて。
 思わずイシュカの前なのにもう1度深々とため息をついてしまった。
「他の誰かに優しくするくらいなら、本人探して優しくしてやれよ、まったく…。」
 思わず声に出してしまった呟きは、イシュカには何の事だかさっぱりのようで、不思議そうに子供は首を傾げていた。





□ END □

 2010.05.16
 坊ちゃんの事がなくてもうちのルックはやたら2主には優しかったりしますけどね





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