旅立ち



 キリルは邪眼を追う旅を終えた後、今度はただ世界を見る為に旅をしたいと思っていた。
 そうしてその旅には1人で出ようとも思っていた。
 アンダルクとセネカも自分と同じく役目を1つ終えた。
 話をすれば一緒に来てくれると言ってくれたが、でもいつまでも2人に甘えるのはよくない。
 2人にはそれぞれの道があるだろう。
 それにもう自分は普通の人間ではない事を、キリルは何となく理解をしていた。
 具体的に何が変わったのかと聞かれればまだ分からないが。
 例えば耳を澄ましていると人ではない別の何かの魂から伝わる音が聞こえてくるように。
 きっと今まで通りでいるのは無理なのだろうと感じた。
 だからというわけではなく最初から決めていた事だったが、1人で色々な場所を見てみようと思っていた。
 けれど時間が経てば経つだけ別の気持ちが強くなっていく。
 オベルから届く手紙を見れば我慢しているのが辛くて泣きたくなる程だ。
 旅をして色々な場所が見たい。
 でもルクスと離れているのはもう本当に辛い。
 沢山考えて、ルクスと別れてから3年目になる頃に、キリルは決心した。
 赤月を出てオベルに行き、旅は諦め、そしてルクスとずっと一緒にいる事を。



 ぱたぱたと走って来るような足音が聞こえたと思えば、ノックもなく物凄い勢いで部屋の扉が開き、部屋の主であるルクスは不思議そうな目を向けた。
 一緒にいたキリルの方が、うわっ、と短い悲鳴を上げて驚いた。
 キリルの反応が正常と言える程の勢いで扉を開いたのはフレアだった。
「フレアさん…?」
「なに?」
 無言ままフレアは2人へと睨むような視線を向ける。
 2人とも床に座り込んで荷物を袋に詰め込んでいるようだった。
 それを見て自分が聞いた話は本当だったと理解したフレアは、無言のまま2人に詰め寄ってルクスの隣に彼の方を向いて正座をした。
 不思議そうなルクスはとりあえずフレアの方を向いて同じように正座をする。
 2人を見たキリルも慌ててそれに倣った。
「ルクス。ちょうど今聞いたんだけどね。」
「うん。」
「貴方…、オベルを出るって、本当?」
 もう答えは分かっているが、それでも尋ねれば、キリルがびくりと肩を揺らした。
 けれどルクスは特に何の動揺も見せない。
 ただ、そっと笑った、ような気がした。
「本当。」
 静かな声で答える。
 フレアの強い視線は、その答えを聞くと、力なく逸らされて下を向いた。
 困ったような顔をしたキリルが何か言おうとしたが、それはルクスが首を振って止める。
「ごめん。」
 ルクスは謝った。
 けれどそれだけだった。
 続く言葉は何もなく、それはルクスの口数が少ないからではなく、本当に謝っただけだから。
 フレアに悪いと思う気持ちがあるが、出ていくという事は決定していて変わらない。
「旅に出る。」
「え…?」
「長く開けて、時々戻って来ては迷惑だから、チープーに協力してもらって無人島に家を作った。そこに行く。」
「迷惑なんかじゃないわよ!」
「でも、紋章もあるし。」
 紋章の事を持ち出されると弱い。
 宿している本人にしか分からない事が多くて、簡単に踏み込めない領域だ。
 咄嗟に言葉が出なくてフレアは口を噤んだ。
 ルクスはやっぱり笑っているような気がする。
「ここを出て旅に出る。キリル君と一緒に、ボクが行きたい。ごめんなさい。」
 彼にしては珍しく言葉が欠ける事がないまましっかりとそう言った。
 ぎゅっと唇を結んだフレアは、やがて諦めたように息をついた。
 ルクスの中でキリルの存在は大きい。
 大半を占めていると言ってもおかしくないだろう。
 だから、ここでいくらフレアが望んだって、ルクスがキリルの事を優先するのは当たり前だ。
 共に旅をしている間の2人と、再会した後の2人を見れば、簡単に分かってしまう。
「………、分かったわ。でもお願いだから時々は帰って来て顔を見せてちょうだい。それだけは約束をして。」
「うん。」
「急に来て騒いで悪かったわね。」
「あ、あの…!」
 立ちあがったフレアに、キリルも立ち上がって歩み寄る。
 けれど上手く言葉が出なかった。
 そんなキリルを見たフレアは、ぱんっ、と音がたつ勢いでキリルの両頬を両手で叩いた。
 そのまま顔を掴まれてキリルは目を丸くする。
 フレアは困り顔で笑った。
「八つ当たりよ。でもこのくらいは許して。」
「………、はい。」
「ルクスの事、お願いね。この子はすぐに無茶をするから。」
「はい。」
 しっかりと頷けばフレアはようやくいつもの笑顔を見せ部屋を出て行ったが、見送ったキリルは力が抜けたように肩を落としてルクスの隣に座り込んだ。
 いたわるように頭を撫でてくれるのが心地よくてルクスの肩に額を押し付ける。
 本当は旅に出る気はなかった。
 ルクスと一緒にここで暮らすつもりだった。
 リノも快く許可を出してくれたので、旅を諦めて新しい生活を始めるんだと、そう思っていたのだが。
 どうも旅を諦めきれていなかったらしい。
 そしてそれをルクスに気付かれた。
「………、ルクス。」
「なに?」
「本当に平気なの?」
 ルクスは群島諸国の英雄だ。
 そして再会後に知った事だが、ルクスはリノの息子でフレアの弟だった。
 公式的には一切知らせていないので王位継承権はなく、ルクスも別にそんな事は望んでいないが、それでもここはルクスがようやく出会えた家族と過ごせる場所。
 ここからルクスを連れ出すつもりはない。
 ただここに少しだけ自分の居場所がもらえれば十分。
 そう思っていたのに。
 旅に出よう、と。
 笑みを浮かべてルクスが言ってくれた事が嬉しくて、結局は自分の望みを優先してしまった。
「平気だよ。」
「でも…。」
「ボクは結構薄情な人間だ。」
「………、え?」
「家族も仲間も大切に思う。でも、キリル君がいてくれるなら、ボクはそれだけでいい。」
「ボクも…、ボクだって、ルクスがいてくれれば何処だって…!」
「ボクもキミがいてくれれば何処でもいい。だから一緒に行こう。」
 優しい言葉にオベルへ来る前の決心はあっけなく崩れた。
 何だか泣きそうになり、でも泣いては迷惑だと思って、誤魔化すようにルクスに抱き付く。
 ルクスはそんなキリルを見て、それから先程フレアが去っていった扉の方を見る。
 ここを離れて寂しいかと聞かれたら、やっぱり少しは寂しい。
 でもキリルに、たとえ無意識だったとしても、無理をさせるくらいなら簡単に手放せる。
 誰よりも何よりも優先させたいのはキリルの事。
 間違いなくそれはルクスの本心だ。
「一緒に行こうね、キリル君。」
 言葉もないまま何度も頷いたキリルを、ルクスは笑って抱きしめた。





□ END □

 2010.02.25
 旅に出たらあっちこっちでいちゃついている恥ずかしい2人組になります、今も十分恥ずかしいけど





  ≪ Top ≫