ひっそり飲み会



 随分夜も更けた時間の事だった。
「よう。」
 そう言ってシーナがルックの部屋を訪れたのは。
 しかも短い挨拶のような言葉と共に軽く上げられた右手には酒の瓶らしき物体。
 素直に扉を開いた事をルックは心底後悔した。
「………、なに。」
 隠す事なく本気で嫌そうな表情をシーナに向ける。
 特に意識したわけではないが、感情を隠そうとしなければ自然とこうなった。
 これでシーナが大人しく引いてくれればいいのだけれど。
 残念ながらシーナはそんな可愛い性格ではない。
 もしそうだったら最初から夜遅くにルックの部屋を訪れるなんて無謀な事はしていない。
 きつく睨みつけた視線は、一切気にしていないという笑顔でかわされた。
「お前もまだ起きていたんだな。」
 シーナは普段着でルックも同じ。
 お互いにまだ寝るつもりではないという事がよく分かる姿だ。
「だから何。」
「見れば分かるだろう、付き合えって。」
「お互いに未成年の筈だけど。」
「気にする性格じゃないだろう。」
「めんどう。」
「その方がお前らしいって。でも残念。軍主命令だ。」
 思わず口を閉じた。
 シーナが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
 協調性など一切見せないルックは、唯一軍主命令にだけは素直に従う。
 軍に所属している身であれば当然であるし、何より軍主であるウォルカは無駄に軍主命令という言葉を口にするような性格ではない。
 そう信じていたのだが、何だか酷く裏切られたような気分になった。
「職権乱用じゃないか。」
「それはウォルカに言うべきだろうが。とにかく行くぞ。引き摺られたいって言うならそうするけど?」
「………、まったく。」
 諦めてルックは部屋に戻る。
 読みかけの本に栞を挿んでしまいたかっただけなのでシーナは何も言わない。
 生憎と酒の席に似合いそうな物など何もないので手ぶら。
 だが強制的に呼び出されたのだ、もてなされる事はあっても文句を言われる筋合いはない。
「それで何処?」
「勿論ウォルカの部屋。」
「………、平気なの?」
 ルックの頭を過ぎったのはウォルカの過保護な付き人だ。
「何回かやったけど意外と平気。もしかしたら黙認されているのかもな。」
「何回かって…、軍主のくせに何を暇してるんだか…。」
 ウォルカは確かここ数日ずっと各地を回っていて本拠地に返ってきたのは久し振りの筈。
 それならこんな事をしていないで休めばいいのに。
 そう思ったが、口には出さなかった。
 ウォルカを守って大切にしている人は多くいるのだから、軍主という理由だけで何も自分まで気を遣う必要はない。
 だからこの軍が機能さえすれば何でもいいのだ。
 誰かに聞かれたわけでもないのに、ふと浮かんできた言葉に、気付けば酷く言い訳じみた言葉を並べ立てていた。
 突然隣を歩くルックの機嫌が急降下したので、シーナが心の中だけで驚くが、当然理由など分かるわけもない。
 妙な空気のままウォルカの部屋に行けば、ウォルカはとても不思議そうな表情で2人を迎えた。
 2人の何だか妙な雰囲気も理由の1つ。
 だがもう1つウォルカにはとても不思議な事があっての表情だった。
「あれ、ルック。どうしたの?」
 1人で酒を飲んでいたウォルカは、ルックを見て首を傾げる。
 更にルックの機嫌は降下した。
「人を軍主命令で呼び出しておいてその言い草、流石にボクも切れるよ。」
「軍主命令?ルックを呼び出してなんかいないよ?」
「………、は?」
「さーて、3人揃った事だし、再開するか。」
 何事もなかったように席に着こうとするシーナの腕をルックは乱暴に引っ張った。
 背後から感じるのは殺気だった。
 シーナが笑って誤魔化そうとしたが、逆効果にしかならない。
「よくも無駄な嘘なんて付いてくれたねキミは…っ!」
「別にいいだろ、こんなちょっとした他愛のない嘘くらい笑って許せよ!」
「だいたい嘘をついてまでボクを呼ぶ意味ないじゃない!」
「ウォルカが喜ぶだろうが!」
 苛立ったルックに、シーナがさも当然と言ったように叫ぶ。
 酒を飲みながら、もう遅い時間なんだけど静かにしてくれないかな、と思っても口を出さずに傍観していたウォルカは、突然話を振られて目を丸くした。
 でもすぐににこりと笑う。
「そうだね、嬉しいよ。」
 その笑顔に勢いが削がれる。
 ルックは息をついてシーナから手を離し、扉に向かった。
 軍主命令が嘘ならここにいる理由なんて1つもない。
 だから帰ろうとしたルックの腕を今度はシーナが掴む。
「まぁ、ほら、諦めろって。」
「冗談じゃない。どう考えてもこんな無駄な時間。」
「そう言うなって。ウォルカもなんか言えよ。」
「………、ねぇ、ルック。」
「………、なに。」
「軍主命令って言ったから来てくれたんだよね?」
 シーナの腕をひり払おうとしていたルックの動きが止まる。
 振り返ってみればウォルカはとても楽しそうな笑顔だった。
「じゃあ、軍主命令だよ、ルック。ここに座って一緒に飲もう。」
 もしかしたら随分と酔っているのかもしれない。
 だって改めて部屋を見れば酒の瓶がごろごろと転がっていた。
 だからこんなに楽しそうに、普段のウォルカとは思えない事を言い出すのだ。
 そしてこの酒の量にシーナも付き合ったのかと考えれば、酔っぱらいの2人にまともに付き合うだけ面倒だと思った。
 適当に付き合って適当に帰ろう。
 今度こそ諦めたルックはウォルカの向かい側に座る。
 シーナも席に着けば、とても機嫌のよさそうなウォルカが2人に酒を注いだ。
 やっぱり2人は少し酔っている様子だが、話している事はとても他愛のない事で、騒いだりしないだけましだった。
 ルックは折角なので酒に付き合いながら時折相槌を打つ。
 酒は美味いが少し強い。
 転がっている酒の瓶はラベルに統一性がなく、その全てが強い酒ではないのだろうが、それにしてもこれだけの量を飲んで更に強い酒を飲むなんて少し信じられない。
「………、平気なの?」
 思わずそんな気持ちが言葉になった。
「何が?」
「これ。随分な量になっているみたいだけど、強いわけ?」
「オレは強いよ。」
「ボクも強いよ。条件揃えば弱いけど。」
「は?」
「いやさ、ウォルカって本当に強いんだけど、疲れている時とかに飲むと妙に酔うって言うからさ。」
「酔ったボクが見てみたいとか言うから、今まさに久し振りの帰還で疲れているから飲んでみてるわけ。」
「バカじゃないの。」
 素直なルックの突っ込みはとてもまともだった。
 楽しそうに笑っているウォルカとシーナがおかしいのであって、やっぱり酔っているのだろう。
「帰っていい?」
「ダメだよ、来たばっかりじゃない。」
「キミは寝ろ。」
 疲れている時に何をバカな事をしているのか。
 いくら特別に軍主を気にする事はしないと思っていても、多少付き合いのある相手が無茶をしているのを目の当たりにすれば、どうしたってこんな言葉が出てくる。
 それにウォルカがきょとりと目を丸くして、それからとても嬉しそうに笑った。
 少し幼い表情での満面の笑みに思わず言葉を詰まらせる。
 シーナも物凄く珍しい物を見たような顔をした。
「心配してくれているんだ。」
「………、してないよ。」
 目を逸らして言い返すのがルックの精一杯。
 それだけ今のウォルカの笑顔は心臓に悪い。
 何故だか分からないがそう感じた。
「嬉しいな、ルックに気にかけてもらえるのって。」
「かけてないって。」
「もっと飲もうよ。ルックも酔えばいい。」
「自覚あるなら寝なって。」
「うん、ルックが心配してくれるから、もう少し起きてる。」
「あのね…。」
 ルックの呆れ声にウォルカの小さな笑い声が重なる。
 そうしてウォルカは力が抜けたようにへたりと机に突っ伏した。
 特に意味はなかったのだが、頬が少し火照っていて、だから机の冷たさが気持ち良くて目を細めた。
「気持ちがいいな、ルックの心配してもらえるの。」
「………、帰る。」
 付き合っていられない、とばかりにルックは席を立ち上がった。
 何だか酷く苛立った。
 そして同時にこれ以上ここにいられないとも思った。
 理由なんて分からないがどうでもよく、ただ咄嗟に浮かんだ衝動に素直に従った。
 ルック、とシーナが呼び止める。
 けれどその声に強さはなく、一応声はかけたが止まるとは思っていないのだろう。
 シーナは遠慮なくルックに踏み込む数少ない存在だが、だからこそよく理解していると思う。
 それに甘えて振り返らずに扉を開く。
 けれど今度はウォルカの声で名前を呼ばれた。
 不覚にも足を止めてしまった自分に思わずルックは舌打ちをする。
「もう帰るの?」
「キミはもう寝なよ、酔っぱらいが。」
「………、名前。」
「は?」
「キミの声で名前を呼んでくれたら、もっと気持ちがよさそうだな。帰る前に呼んでみてよ。」
 途端に込み上げてきた衝動があったが、それは酷く気持ち悪く思えてルックは何も言わずに部屋を出て少し乱暴に扉を閉めた。
 大きな音にシーナが少し顔を顰める。
 足音が遠ざかった後にウォルカの方を窺えば、目を閉じていて眠ってしまったようだ。
 先程の言葉は完全に酔った勢い。
 でもだからこそ間違いなくウォルカの本心だろう。
 酔って意識が正常だったらウォルカは間違いなくあんな事は言わないし、たったこれだけの事で動揺したルックも、もしかしたら多少酔っていたのかもしれない。
 ウォルカとルックが心の中に抱えながらも目を逸らしているお互いへの感情。
 気付いてしまった自分は応援すればいいのか思い止まらせる為に頑張ればいいのか。
 そんな事を考えながらシーナは残った酒を一気に飲み込んだ。





□ END □

 2010.02.01
 シーナはきっと自分から厄介事に首突っ込んで後悔して最後まで付き合ってくれると思います





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