季節が変わる度に1通の手紙が届いていた。
離れている間の些細な事を全て伝えようとしてくれているように、それこそ封筒が破れるんじゃないかと心配する程、たくさんの言葉が書かれた手紙。
季節が変わる最初の月の最初の日に。
赤月帝国に戻ったキリルから、群島諸国にいるルクスへと、手紙が届いた。
「帰ろうと思うんだ、赤月に。」
異界から戻ってきたキリルは、それから暫くオベルに滞在した後に、ルクスへとそう告げた。
戦いも何もなく、ただ毎日を穏やかに一緒に過ごす。
その毎日はとても心地よかったけれど、それが限られた日数での事だとはお互いに理解していた。
近いうちに終わる事が終わった、ただそれだけ。
それでもキリルは躊躇うように視線を落としてそう告げて。
ルクスはそんなキリルを見ながら、そう、と短い返事を返すのが精一杯だった。
「ルクスは、これからもオベルにいるの?」
きっとルクスがオベルから離れるとキリルは思っていないのだろう。
質問というよりは確認の言葉。
例えばその時ルクスは首を横に振り、一緒に行きたい、と言う事は出来た。
ルクスの出身が群島諸国でも、罰の紋章の事があっても、ここにいなければいけないという制約を付けられた事はない。
逆に頷きながらも、一緒にいてほしい、と言う事も出来た。
群島諸国でのキリルとその従者2人分の居場所くらいはルクスがリノに頼めればどうにでもなっただろう。
それでもそのどちらの言葉も告げる事はせずに。
ただ小さく頷いた。
「じゃあ、手紙を書いてもいいかな?」
多分ルクスの所在がハッキリした事に対してだろう、キリルは安心したように笑った。
笑っていたけれど、それはどこか寂しそうにも見えた。
それにルクスもほんの少し寂しさを感じた。
出会ってから今まで、あまりにも一緒にいるのが当たり前になっていて、いつか別れる時がくると分かっていても、それを今目の前で告げられても、どこか実感が湧かなかったけれど。
キリルの様子と、手紙という手段と。
ああもうこうして何気なく話す事すら出来なくなるのか、とそう思えば、まだ少し実感が薄いものの寂しいとそう思った。
「………、いいよ。返事は、出してもいい?」
「あ…、うん!今は住所ってよく分からないんだけど、戻ったらちゃんと送るから。」
「うん…、待ってる。」
手紙を書くという約束と、もう1度絶対に会いにくるから待っていてと言うキリルに待っているという約束を交わして。
赤月に戻るキリルを見送ったのが、大体2年前。
それからは約束のとおりに届けられる手紙が楽しみで。
きっといつか群島諸国に来てくれるキリルを何年でも何十年でも待ち続けようと思った。
けれど3年目になった最初の季節に、手紙はルクスの手元に届かなかった。
「手紙ですか?いいえ…、ルクス様宛の物はございませんでしたが…。」
呼び止めた女性の申し訳なさそうな返事に、そう、とルクスは短く返した。
そのまま無言で立ち去る。
女性は機嫌を損ねてしまったのだろうかと、ルクスの様子にただ困惑した。
別に機嫌は損ねていないし、手紙が届いていないのは彼女のせいではないし、答えてくれてありがたく思っている。
言葉の少ない人だが、それでも普段なら礼の1つくらいは言っただろう。
けれど今はそこまで頭が回らない。
頭にあるのはたった1つの事だけ。
届かなかった手紙の事だけだ。
俯きながら廊下を歩いていたルクスは、ふと足を止めて、空を見上げた。
また絶対に会いに来るから、と手を振った人が帰った場所は、ちょうどこの方角のずっとずっと先にある。
「………、キリル君…。」
この空のずっと先で、大切な人はどうしているだろうか。
前の手紙はいつも通りだった。
いつも通りの、たくさんの言葉と、たくさんの気持ち。
読んでいれば隣でキリルが話をしてくれているんじゃないかと思う程に、言葉と気持ちが込められていた。
でも今回はそれが届かない。
何日か遅れるのは仕方がないと思う。
赤月帝国と群島諸国は特別に交流があるわけではないし、何より遠い。
けれど半月ほど過ぎれば、ゆっくりと不安が大きくなってきた。
もう手紙を書く事など煩わしくなってしまったのだろうか。
何度も振り払っているのに頭から消えてくれない言葉が浮かぶ。
本当は毎日でも送りたいんだけど、それだとルクスが読むのも返事を書くのも大変だから、それは我慢しないとね。
最初の手紙にそう書かれていた。
別に毎日だってルクスは構わなかったけれど、それでは向こうで新しい生活を始めるキリルが大変だと思い、季節毎になった。
キリルはそれを律儀に守って、それでも待ち切れないとばかりに季節が変わった最初の月の最初の日、いっぱいの手紙を送ってくれた。
手紙は会えない寂しさを紛らわせてくれた。
けれど同時に会いたいという気持ちを強くさせた。
一緒に過ごした時間なんて、結局そんなに長くない。
ルクスとキリルが出会って、一緒に旅をして、戦いを終えた後に少しの間オベルに滞在して。
それを全部かき集めても、こんなに想う事が不思議なくらいに短い。
人を想う強さと一緒にいた時間が比例するなら、きっとお互いへの気持ちなんて取るに足らない程度にしかならないだろう。
それでもルクスはキリルが大切で、どうしようもなく会いたくて。
会い行かない理由なんて、待っていて、と言ったキリルとの約束を守る為だけだ。
約束がなければ、もうずっと前にオベルを飛び出していたかもしれない。
そう考えてルクスは、違うか、と息をつく。
約束がなかったら、会いたいと思っても、会いに行けなかっただろう。
だって約束がなければ、キリルは再会を約束してくれなかった、もう1度会いたいと言ってくれなかったのだから。
それなのに自分勝手な我儘で一方的に会いに行くなんて、きっと出来なかっただろう。
約束があるだけマシだろう。
もう1度絶対に会いに来る。
キリルはそう言ってくれた。
でも、手紙は途切れた。
キリルに何かあったとは、不思議と思わない。
気味が悪いくらいに自分の勘が当たるという自覚のあるルクスは、キリルの安否だけは自信を持って大丈夫だと思えた。
でも途切れた理由は分からない。
手紙を書くのが嫌になったのか、そんな暇がなくなったのか、他に理由があるのか。
考えてもいまいち引っかかるものはない。
それがルクスの思考を悪い方へと引っ張って行った。
これではダメだ、とルクスは頭を振る。
気分転換に海の方へ行こうか、いっそもう何も考えないように哨戒にでも出てしまおうか、それとも無人島で蟹でも倒して頭を冷やそうか。
浮かんでくるものはあるが、どれも結局意味はないように思えた。
「あら、ルクス。ここにいたのね。」
ぼんやりとしていたが、こちらに向かってくる気配には気付いていたので、ルクスは声が聞こえたと同時に振り返った。
気配は3つ。
どれも馴染みがあり、すぐに誰か分かった。
「………、珍しい。」
ぽつりとルクスは呟く。
声をかけてきたフレアは別に珍しくとも何ともなかったが、一緒にいた2人はオベル王宮にいるのが珍しかった。
「よう、ルクス。」
「お久し振りです。」
ハーヴェイとシグルドの2人を、ルクスはじっと見た。
特に何の表情も浮かべていないが、付き合いの深い2人には不思議がっている事が十分に伝わったようだ。
「いや、ちょっと用があって来たんだけどな。」
「そう。」
「それで一応お前の顔でも見ておこうかと思ったんだが。」
「あの…、どうされたんですか?」
「何が?」
「そんな辛気臭い顔して、何が、じゃない。」
辛気臭いという程にルクスの雰囲気は重くなく、そして表情はいつも通りの無表情だ。
それでも気付いた2人にフレアはただ感心した。
過去の戦いの中でハーヴェイとシグルドは何かと感情面に不器用なルクスを助けていた。
戦いが終わってから頻繁に会う事はなくなったが、離れていた時間はあまり関係ないらしい。
思わずルクスが口を開いたが、何も言わないまま閉じた。
人を頼るのも相談するのも苦手なルクスが相談しようとすると、よくこうして言葉に迷うような素振りを見せる。
もう慣れてしまった2人はとりあえず待った。
フレアも付き合おうとしたが、誰かの呼ぶ声がしたので2人にルクスを任せてその場を後にした。
その姿を見送ってから少ししてポツリとルクスが呟く。
「………、手紙が来ない。」
「手紙?」
「キリル君の。」
「ああ、成程。」
話を聞いた2人は、離れていてもキリルの事かよ、とほんの少しだけ思った。
今まで散々ルクスとキリルの間で起きた、本当ならとても些細な、でも2人にとってはとても難しい問題に巻き込まれてきた。
だから少しだけ呆れて、でもそれ以上に当たり前かと納得した。
ルクスが他の事で落ち込むなんて想像が出来ないのは、きっともう仕方のない事だろう。
「お2人は手紙のやり取りをしていたんですよね。」
「そう。」
「途切れてどのくらいですか?」
「………、半月。」
そんなに騒ぐ日数だろうか、と思った。
ルクスも気まずそうに目を逸らしたので、どうやら同じ事を思っているようだ。
騒ぐ程の日数が経っていないと分かっているのに不安で仕方がない。
ルクスの様子に、ハーヴェイとシグルドはお互いを見てため息交じりに1つ頷いた。
「それで?」
「………、もう、ボクの事は…、忘れられたの、かな…。」
もしくは嫌われてしまったのか。
声に出してみればそれはとても怖くなった。
けれどハーヴェイはそんな不安に対して酷く呆れたように深くため息をつき、ついでにルクスの頭を思いっきり叩いた。
「だから!何でお前はすぐにそういう結論に向かうんだよ!」
「………、だって…。」
「そんな細かい事で不安がるな!キリルを待つって決めたんだろ!?」
確かにそう決めた。
待っていて、と言われたから、頷いた。
何ヶ月だって何年だって何十年だって待つと、そう決めたのは確かに自分だ。
でも期待をしながら待つというのは思った以上に辛かった。
何も考えずにただ待てばいいと思っていたのに。
いつ会えるだろうと期待して。
会えたら何をしようかと考えて。
そうして再び別れたら今度はどのくらい会えないのかと不安になって。
色々な感情が毎日のように心の中に落ちてきて。
「でも…、だって、寂しいんだ…。」
いつだって最後には隣でキリルが笑っていない事を寂しいと感じるばかり。
その寂しさを紛らわせてくれる手紙が届かない事は、ルクスには本当に辛かった。
静かに目を伏せるルクスは、いつもと変わらず何の感情も浮かべていない表情だけれど。
付き合いが長くなれば、そうしてこんな時にふと本心を零してくれるような仲になれば、何となく感情は見えてくる。
不安で寂しくて辛くて悲しくて。
そんな感情ばかりが見えるのに、でもルクスは自分から会いに行くとは言わない。
もうさっさと会いに行けばいいのに、とハーヴェイとシグルドは思う。
でもそれを選べないのがルクスだ。
もしこのままずっと手紙が途切れてキリルとの繋がりが切れたら、お前はそれでもここから動かずに待っているだけなのか。
問おうとして、止めた。
今のルクスには辛い質問だろうし、そこまで追い詰めずともルクスを元気付ける方法がハーヴェイとシグルドにはあったので、素直にそれをルクスへと押し付けた。
突然の事にルクスが不思議そうな顔をする。
けれど押し付けられたものが封筒で、しかもいつもキリルが送ってくれる封筒と同じ物だと気付けば、物凄い勢いで封筒を取り上げた。
普段と違って薄っぺらい封筒は、でも確かにキリルの字でルクスの名前が書いてある。
「何かの手違いでこちらに来ていたので持って来たんですよ。」
シグルドの説明などろくに耳に入っていない様子で封筒を開ける。
手紙は1枚きり、書かれていた文はとても短く、普段のキリルの手紙とは随分と違っていた。
それでも手紙を呼んだルクスは驚いたように目を丸くする。
ハーヴェイとシグルドが不思議そうにお互いを見たのと同時に、慌てた様子でフレアが駆け寄ってきてルクスを呼んだ。
たったそれだけだったのに、ルクスは弾かれたように走り出した。
何をそんなに慌てたのか勢いで手紙がルクスの手から落ちる。
拾い上げたシグルドが、多少悪いと思いながらもルクスの様子が気になって手紙を見た。
『ごめんなさい、もう本当にルクスに会いたいから、返事も聞かずに会いに行きます。だから待っていてください、お願いします。』
それを読んだ2人も思わずルクスの後を追って駆け出していた。
フレアはルクスを呼んだだけで、他に何も言っていなかったのに、3人とも少しの疑問も持たずに自分の勘を信じていた。
走った先にはキリルがいて、そうして2年越しの再会は、本当にあともう少しで叶うのだと。
□ END □
2010.02.01
このサイトではラプソディアが終わってから先の話で、これより前の話は合同サイトでやろうと思います
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