最初で最後



 本当はこんなものは最後まで隠し通してしまおうと思っていたのだけれど。
 それでも、戦いの終わりが明確になってきて、同時に共に戦った1人の少年との別れを感じれば。
 隠し通そうと想っていた気持ちは、驚くほど簡単に言葉になっていた。

「ルック、ボクはキミが好きだよ。」

 仲間達の名前が刻まれる石版の前に立ち、その名前をゆっくりと何かを確かめるように上から順番に最後の名前まで辿っていき。
 またゆっくりと石版の名前を下から上へと眺めていた軍主であるウォルカは、唐突にそんな事を言い出した。
 視線は石版に向いたまま。
 下から辿った名前は1番上にある自分の名前のところまで辿り着いたのだろうか、石版の上の方を見上げている。
 そのままで告げられた言葉。
「………、は?」
 今はウォルカが石版の前に立っているので、部屋の壁に腕を組んで寄りかかり何をするわけでもなくすぐ傍にある窓から外を眺めていたルックは、少し間をあけてからウォルカを見た。
 最初は独り言かと思った。
 けれど静かに告げられた言葉は、確かにルックの名を呼んでいた。
 だからルックへと向けた言葉なんだと理解すれば、ルックが返した返事はそんな一言だった。
 戸惑いと不機嫌さが入り混じった声に、その反応は予想通りだったのか、ウォルカが小さく笑う。
 そうしてようやく石版からルックへと視線を移した。
「キミが好きだよ、ルック。」
 今度は真っ直ぐにルックを見て、ウォルカは言葉を繰り返す。
 深い海のような青色の瞳に見据えられて告げられれば、今の言葉を聞き間違えで片付ける事は出来ない。
 好きだ、と確かにそう言った。
 1度目は、ウォルカは石版の名前をルックは窓の外を見ていたから、お互いの表情なんて分からないけれど。
 その次に告げられた時は、微かに笑みを浮かべていたものの、ウォルカの表情は真剣だった。
「………、何のつもり?」
 嘘や冗談の類ではないのは間違いなく。
 共に戦った戦友への友愛を告げている雰囲気でもない。
 こんな言葉を真面目な顔をして嫌がらせの為に伝える性格でもない。
 そう考えてみれば、今ウォルカが告げた言葉の意味は1つだと分かるけれど、だからと言ってはいそうですかと簡単に受け入れるなんて出来るわけもない。
 暫く黙ったまま真っ直ぐに向けられる青い瞳を見返して、やがて耐えられなくなったように窓の方へと視線を向けてから、ルックは短くそう言った。
 好きだと告げてきたその意味を受け入れる事など出来るわけもなく。
 だからといって否定の言葉は出てこなくて、これが今ルックが出来る精一杯だった。
 その心情にウォルカが気付いたのか気付いていないのかは分からないが。
 窓の方を向いてしまったルックを、ウォルカは暫くじっと見ていたが、やがてまた石版の方へと目を向ける。
「言っておこうと思って。」
「好きだって?」
「うん。」
「何のつもり?」
 窓の外を見たままのルックが繰り返し聞けば、石版を見上げたままのウォルカは困ったように笑った。
 石版の名前は全て埋まっている。
 欠けたはずの名前も、今は元に戻っている。
 最後の戦いまで、残された時間は本当に少しだけ。
「ルックとこうしていられるのも、もう少しだけだなって思った。」
 確かにこの戦いが終われば会う事なんてないだろう。
 お互いに戦争が終わった後の事など話した事も聞いた事もないが、それだけは何となく分かっていた。
「帰るんでしょう、あの塔に。」
「この戦いが終わればボクの役目も終わるからね。その後まで付き合う気はないよ。」
「やっぱり。」
「………、キミはどうするわけ?」
 ぽつりと聞いてみれば、驚いた様子でウォルカはルックを見た。
 ルックはまだ窓の外を眺めたままだけれど、それでも視界の端でウォルカの動きは見えた。
 特に会話の流れは不自然ではなかった。
 それでもルックがウォルカの今後を聞いてくるなんて思いもしなかったのだろう、驚いたままでいたウォルカは、驚いた、と素直に言った。
「他の誰に聞かれる事はあっても、ルックに聞かれるは思わなかった。」
「社交辞令だよ。」
「ルックが社交辞令、ねぇ…。」
「喧嘩売ってる?別に言いたくなきゃ言わなきゃいいよ。特に聞きたいわけでもないから。」
「自分で話題を振ったんだから、最後まで付き合おうよ。」
 ずっと石版の前に立ったままのウォルカが、ようやくその位置から動いた。
 ルックの近くまで歩み寄ると、今度は窓の前に立ってルックと同じように外を眺めた。
 外は薄暗かった。
 暗い、とウォルカが呟いた。
 ウォルカがこの部屋に来た時は、まだ今よりもう少し明るかった。
 空の色は青色にほんの少しオレンジを混ぜた不思議な色をしていた。
 けれど今は真っ暗というわけではないが薄暗く、星は見えないが月は見える。
 随分居座っていたからね、と素っ気無くルックが言った。
 それから当て付けのように深々とため息をつく。
「で、聞いてほしいわけ?」
「聞いてほしいかほしくないかと聞かれれば、後者かな。」
「何それ。」
「考えている事はあるけど、でも何もかも、戦いが終わってからにしようと思って。」
 薄暗い外を見たままウォルカは淡々と言った。
 湖に囲まれたこの本拠地で、さらに石版のあるこの部屋の位置では、窓の外から見えるのは湖ばかり。
 昼間の天気のいい時ならまた景色も変わってくるのだけれど、夜に近いこの時間では薄暗い空とそれ以上に重い色をした水面くらいしか見えない。
 眺めていても特に楽しい景色ではない。
 さっきまでずっと眺めていたルックだって楽しくて見ていたわけでもない。
 けれどその暗いだけの景色を眺めながら。
「戦いに勝って、生きていたら、その時に言葉にしようと思う。」
 静かにそう言ったウォルカが、何処を見ているのか、何を想っているのか、分からなかった。
 ただ戦争が終わった後の言葉なら、きっと自分は聞く事はないんだろう、とルックは思った。
 戦争が終わった直後とはいかなくとも、戦いが終わった後ここに長居をする気はない。
 多分こんな他愛のない会話をするのもこれが最後だろう。
 そう考えればまたルックはため息をついた。
「それじゃあ、負けたら今のが遺言になるんだ。」
「負けた場合は遺言を聞いたルックも生きているか怪しいんだけど。」
「ボク1人くらいならいくらでも逃げようがあるよ。」
「確かに。別にいいけどね、負けるつもりなんて欠片もないし。」
「………、そうだね、キミは軍主だ。」
「うん、そう。ボクは負けを考える事も最後まで倒れる事もしない。だから本当に、戦いが終われば会えなくなるだろうルックに、ただ言いたかっただけの言葉だよ。」
 そう言うとウォルカは外の景色から視線を外し、ルックの方を向く。
 手を伸ばしたので何をするのかと思えば、組んでいるルックの腕をやんわりと解きはじめた。
 強引に力任せにやっているわけではないので、振り払おうと思えばルックの力でも出来た。
 でもそれはしないで黙って見ていれば、ウォルカはそっとルックの両手を握った。
 ただ手が握りたかったらしく、それ以上の行動はない。
 左手に握られている右手はただ暖かさばかりを感じたが、逆に左手は冷たい包帯の感触ばかりが強い。
 いつもは両手共に手袋なのに、今日は紋章を隠す為に右手に包帯が巻かれているだけなんだと気付き、珍しいと思った。
 慣れない体温だった。
 ウォルカが、ルックの手って結構冷たいね、と呟く。
 それから少しだけ手に力を込めた。
「ルック、ボクはキミの事が、本当に好きで、特別だ。」
 この部屋に2人の話し声以外の音がない為か、静かな声なのにウォルカの声はどうしても強く聞こえる。
 3度繰り返された好意を告げる言葉。
 意味など、特別などと言われれば、流石に理解するしかない。
 それに対して肯定か否定か、どちらを返せばいいのか分からないまま、それでもルックは何か言葉を返そうと口を開いたが。
 それに気付いたウォルカが小さく首を横に振った。
「返事はいらない、分かっているから。」
「………。」
「拒絶はやっぱりイヤだし、でも受け入れてもらえるなんて思っていない。本当にただ言いたかっただけだから、聞いてくれただけで十分だよ。」
 ほんの少し強く握っていた手から力を抜いて。
 一瞬名残惜しそうな顔をしながらも、手を放した。
「キミさ、自分の性別理解してる?」
「疑いようもなく。」
「じゃあボクの。」
「流石に女の子を男湯には連れて行かないよ。」
「………、いつから?」
「………、さあ?」
 少し悩んだ後にウォルカは肩を竦めた。
 誤魔化しているのではなく、本当に分からないのだろう。
「いつからかは明確には分からない。気付いたらって感じだし。強いて言えるのは、結構長いって事くらいかな。」
「じゃあ今まで連れまわされたのはその為?」
「全くそうじゃないとは言い切れないかな。それでも戦いに行くのだから、殆どは純粋にルックの魔力が頼りになるからだよ。」
「………、そう。」
「うん。だから今回もルックは少数行動に入ってもらった。」
 それは少し前に決められて伝えられた事だ。
 色々な事情があったらしくウォルカがよく連れていた顔触れとは大分違っていたが、それでも戦力的に何も問題はないだろうと思われたメンバーの1人にルックの名前が挙がっていた。
 軍主命令には逆らわないルックはその決定をただ受け入れた。
 その決定はほんの少し私情が混じった為かとも思えたが、ウォルカの性格からしてないだろうとルックは納得した。
 軍主と兵士ではなくただ個人として、そう思えるくらいの付き合いはした。
「こんな事を言われた直後で気持ち悪いとは思うけど、我慢してもらえるとありがたい。でもどうしてもと言うなら配置は変えるけど?」
「別にいいよ。今から変更なんてボクまで面倒そうだし、キミの事だからこんな局面で私情なんて挟まないだろうし。」
「信頼してもらえているようで嬉しいよ。」
 ゆっくりとウォルカが笑った。
 嬉しいと言いながら、でも何処か寂しさの混じった笑みだった。
 大切だと思った相手に好きだと告げて、その相手は何も言葉を返さなかった。
 ウォルカが遮ったのだが、何も返せなかったのは事実。
 そういった類の感情とは全く無縁と言っていいルックも、彼が静かに悲しんでいる事には気付いた。
 でもそれだけだ。
 ルックはやはり何も言えなくて。
 ウォルカも何も望まない。
 ただ、1度目を閉じて1つ息をついて、ウォルカはその気持ちの全てを押し込めた。
「長居をしてごめんね。いい加減に戻るよ。」
 そうして何事もなかったように手を振って背を向けた。
 普段と変わらない態度に、それが何故か辛く感じて、思わずルックはウォルカを呼び止めようとした。
 呼び止めても何も出来ない。
 分かっているのに、名前を呼ぼうとした。
 けれど声が出る前に、扉の所でウォルカが振り返った。
「ルック。本当にありがとう。それじゃあね。」
 綺麗な声での別れの言葉だった。
 決戦が近い今では、もうこうしてのんびり過ごす時間などないからだろう。
 戦いが終わった後、もうこうして言葉を交わす事などないからだろう。
 今までの時間と、この先の短い時間と、抱えた想いと。
 その全部を今ここで終わらせる為の別れだった。
 ルックは口を噤み、ウォルカも後は黙って立ち去った。
 気配は遠くなって、足音は消える。
 部屋が静かになって、そうしてルックは初めて実感した。

「………、ああ…、そっか。もう彼と過ごす事もないのか…。」

 心の中に落ちてきた気持は、ウォルカと同じように、ただ深く押し込めた。





□ END □

 2010.02.01
 ウォルカは黙って片想い、ルックは気付きたくないので目を瞑っている、が1の頃のうちのルク坊です





  ≪ Top ≫