LD「エレキの若大将」パンフレットから

シリーズの第6作
「エレキの若大将」は
昭和40年12月19日公開、併映は「怪獣大戦争」、配給収入4億700万円、観客動員数328万人を記録しました。

パンフレットの特集記事は
寺内タケシさんのインタビュ−「我らが若大将」、「加山雄三 ロングインタビュ−E」、そして田波靖男さんの若大将・外伝D「若大将のアラウンド・ザ・ワールド」。

それらの一部を、原文のまま掲載いたしました。
お楽しみください。

我らが若大将
寺内タケシさん インタビュー

”ハード・スケジュール”

自分が役者やるんだって、台本くるまで知らなかったもん。「なんだこりゃ、アラ、嘘だろー」みたいな話。冗談みたいだよね。だけど台本できちゃってるから、やるほかない。演技なんてやったことないのにさ。いざやってみたら難しいんだね。はっきり覚えているのは、落っこちる場面。十二回やったんだよ。十二回落っこちて、蕎麦だらけになっちゃって、「なんでこんなことやんなきゃいけないんだ」って頭にきたよ、もう(笑)。

”映画のリアリティ”

岩内監督から「エレキギターの音楽映画を作りたいんんだけど、どうしたらいいんだろう」って聞かれて、「BGMは全部エレキギターで固めたほうがいいよ」なんて言って、いろいろ試したね。
でも最初の内はスタッフみんな、エレキギターがどういうもんだか判んないんだ。
それで、昼休みに撮影所の噴水の前に楽器持ってきて、演奏会やったんだよ。喜んでなぁ、みんな。ノリまくってパーティみたくなっちゃって、撮影が遅れたりしたけどね。
日光にロケに行ったときも、演奏会をやったら日光の人たち喜んじゃって、撮影に全面的に協力してくれるわけ。
そうやって監督と話し合いながら場面を作っていったんで、嘘がない。よくあるじゃない、テレビでも映画でも、エレキギターのジャックがついてないのに、音が鳴ってる場面。ああいうのはこの映画に関しては、無いはずだよ。
演奏シーンも格好を指導したんだ。
もちろん加山さんは弾けるからいいんだけど、その他の役者さんには、ブルージーンズの演奏を見せて、その動きを覚えてもらったんだ。
こうなると、やっぱり全部本物でなきゃいけないってことで、テスコっていうメーカーからアンプ借りたり、ヤマハに「ブルージーンズ・モデル」っていうギターを撮影に間に合わせて作ってもらったり、けっこうそういう部分で、手間とカネかかってんだ。僕はだいぶ借りを作ったよ。あのおかげで(笑)。

タイトルバックもずいぶん意見を出したね。僕は演奏者側から、「こんなカットがあったら、エレキギターを弾いてる人とかファンが喜ぶと思うよ」なんて言ったら、採用になっちゃったんだよ。それがあのタイトルバック。

”いたずら”

撮影現場では、いたずらばかりやってたんだ。思い出に残るのは、中禅寺湖畔で馬に乗る場面。あの馬が利口なんだよね。カチンコが鳴ると、歩き出して、「オッケー」って言うと止まるんだよ。えらい馬だよ。それで「ハイ、本番」ってとき横にいて、馬のケツつねってやったんだ。そしたらワーッと暴れて、大混乱になっちゃって。ろくなことやってなかったな。
スクリプターはタケシの鉢巻きを、結び目の位置から柄まで記録してて、絶対間違えない。もし間違えたら、次のシーンがつながらなくなっちゃうからね。でもそれが面白くてさ、わざといろいろな結び方を変えちゃうの(笑)。すごいんだよ。絶対に覚えてて、本番の前に直しに来るんだもん。こっちがいたずらしてるの知ってて、向こうも意地になってんだよ。あのスクリプターと会いたいね、ぜひ。

加山雄三
ロングインタビューE
ヘリコプターで競技場に降りて来る登場シーンはすごいですね。
映画の演出だからウソくさいかもしれないけれど、嘘じゃないんだから。ヘリコプターで降りてくるというと、ちょっと違和感があるかもしれないけど、アメリカなら、ありうることだね。ゴルフ場へ行くのにヘリコプターで行くヤツだっているんだから。郊外のいわゆるドライブ・インと称するレストランの駐車場にヘリコプターで降りてきて、そこでメシ食ったりもするし。自家用のヘリコプターが生活の中にあるんだよ。
だから日本では、今は違和感があるかもしれないけど、そのうち、あたり前になるかもよ。
寺内タケシさんと共演してますが、寺内さんは前からご存知だったんですか。
いや、それまで知らなくて、すごくエレキの上手なヤツがいるとかで、誰かに紹介されたんだと思うな。寺内さんと言えば、笑っちゃう話があるんだけど。
”夜空の星”をブルージーンズがレコーディングするということになって、俺がエレキで弾いたデモテープ(マイ・ジプシー・ダンスと思われます)を渡して、練習してもらうことにしたんだけど、デモテープを聴いた寺内さん、俺んとこくるなり、「あんなにすごく速いアドリブを、どうやったら弾けるんですか」って、ものすごい勢いで目ん玉ひんむいて聞くからさ「あーっ、あれ?あれは録音するときの、テープの回転を変えてゆっくりにして。一オクターブ下げたキーで半分のスピードでトットトットトットトット・・・とアドリブを弾いたんだよ。それを普通の回転で再生してみな、レッレッレッレッってなるぞ」と言ったら、あんぐり口あいて「ああそうか」って納得して。その時の寺内さんの顔はすごく印象に残ってるね(笑)。実際にエレキを弾いてもらったら、寺内さんの方が俺よりはるかに上手いんでさ「なんだ、上手いじゃないかよ」って言ったら、もうすっかり自信取り戻して。それまで自信喪失してたんだよ(笑)。
テープの音聴いてさ「ものすごいアドリブだ。こんなに早く弾けるヤツは世の中にいるんだろうか」って思ったって言うんだ。それは俺が知恵絞って、回転を半分にして弾いていたわけだから、そんなの弾けるわけないんだよ(笑)。
若大将・外伝
田波靖男

”若大将のアラウンド・ザ・ワールド”

「アルプスの若大将」の冒頭、雪のツェルマットで雄一と澄子が初めて出会うシーンがある。そこで風呂敷包みを抱えている雄一を見た澄子が「日本の方ですね」と声をかける。これはシナリオ・ハンティングをしていたとき、私がウィーンで実際に体験したエピソードである。
私が風呂敷包みを持って街を歩いていると、美しい日本人女性に声をかけられた。彼女はウィーンでピアニストの修行をしている
音楽留学生で、当時としては滅多に出会わない日本人を見かけると、つい声をかけ、日本語を話したくなるのだと言った。東洋系の人物を見たとき、風呂敷を持っていれば、中国人でもマレーシア人でもなく、まぎれもなく日本人だというのである。今から考えると信じられないほど、外国にいる日本人は少なかった。だから日本人同士が出会えば、必ず会釈を交わし、親しく声をかけ合ったものだ。
ところが今では、日本人同士だと顔を背けあっている。ちょっと寂しい話だ。
ウィーンの街で、中年の外国人紳士にエスコートされた澄子を見て、若大将が二人の仲を誤解するシーンがある。あのときの紳士は、パン・アメリカン航空の極東支配人だったジョーンズ氏の特別出演によるものである。数年前まで大相撲の千秋楽にパン・アメリカンのトロフィーを優勝力士に授与していた、日本語のうまい「ヒョーショージョー」の外国人と言えば、覚えているファンも多いことと思う。
「若大将シリーズ」の海外ロケは、すべてこのジョーンズ氏のおかげで出来たようなものである。シリーズの海外ロケは全部パン・アメリカン航空とのタイアップだった。パンナムの飛行機やダウンタウン・オフィス、機内や地上でのサービスぶりを劇中で紹介する条件で、スタッフやキャスト、カメラ、フィルム、照明器具などの機材を輸送する航空券を提供してもらったのである。
「帰ってきた若大将」ではニューヨーク・シティ・マラソンをクライマックス・シーンにした。このときのシナリオで苦労したのは、マラソンに一般参加した若大将を何着にするかだった。学生時代の若大将だったら、ちゅうちょなく優勝させるだろう。だが年令はともかく、何のトレーニングもしていない社会人の若大将を世界のトップランナーが登場するマラソンで優勝させたら、全く嘘っぽくなってしまう。そこで勝負はドラマの中での交渉相手、大統領補佐官との、仕事の成否を賭けての戦いということにした。
そして、ラストの空港のシーンは名作「カサブランカ」のパロディである。ハンフリー・ボガードを気取った青大将が、惚れた女を若大将に譲って見送るのだ。そこへかぶさるのが「カサブランカ」の主題歌でスタンダード・ナンバーとなっている「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」である。
 この名曲を使いたくて、プロデューサー渡辺晋氏に無理を言い、高額な著作権料を払ってもらった。かつてベースマンだった渡辺氏は快くオーケーしてくれた。
その渡辺氏も、若大将生みの親の藤本真澄氏も、もう今は亡い。残っているのはフィルムに焼きつけられた
このシリーズにそれぞれの立場でかかわった人々の、青春への想いである。
パンフのポスターと写真については
こちらからどうぞ

10年01月01日新規作成