「NY かわら版」

2008年10月04日

加山雄三に聞く

BOUT NO.20

〜加山ファミリーその1〜

本紙発行人がNYで出会った人達とストリートファイト”対談”

 08年8月某日、ニュージャージー州某所。雑踏ひしめくマンハッタンから車でわずか1時間もかからない閑静な高級住宅地。多忙な日本でのスケジュールから離れ、昨夜JFKに到着したばかりの加山雄三さんにお会いするため別邸にお邪魔した。かつてメディアは一度も入れた事がないという加山さんの邸宅はそのスターのイメージからでてくる絢爛たる豪邸というより、白を基調としたこの上ない上品な理想の隠れ家といった感じ。
先日アポロシアターでのコンサートの記憶も新しい和田アキ子さんもよくお見えになると
か。家族が揃う貴重なオフの日。マネージャーさん抜き、完全なプライベートな空間で4時間にもわたりお話をしていただいた。

NJの別邸に家族でくつろぐ

完全プライベートに密着

司会)時差の方は大丈夫ですか?

慣れてるから、全然。今(飛行機の)サービスも変わったじゃない。自分の好きな時に好きな物食べられるし、和食の方もうまくなったしね。今のサービスは最高じゃない。

美恵子)私たち家族は飛行機長いの平気なんです。中途半端に目が覚めなくて。ロスやハワイだと逆に寝る間もなく着いちゃうでしょ。だからこれくらい(NY−東京間)長いとハイ、お休みなさいって感じで。

司会)ご家族皆さんで日本・アメリカ間を行ったり来たりの生活ですが、そんなに苦痛じゃない感じですね。

全然。時差うんぬんというより、日本にいたとしても子供たちの面倒で死にそうなスケジュールを(普段から)この子(真悠子)は、こなしてるから。子供は朝、はっやいからねえ。

夜遅くまで手つながれて。それでも彼女はどんな事があっても5時半には起きる。よく世の中、お母さんが手抜きしてるって聞くけど、この子はね、例えば亭主がどんなに夜遅くても、朝は5時半起床。

司会)加山さんもお子さんがまだ子供のころは一緒に起きられていましたか。

俺はね、えみが中学に行ってからもう起きなくなった(笑)。それまでは、どんなに朝早くても一緒に朝ご飯をね。

美恵子)朝ご飯だけはぜったい一緒に食べてたんです。

それが年とともにだんだん疲れが顔に出てきたから、もう、遅くまで寝ていようと決めたんだけど。この人(奥さま)の場合、それがず−−と永遠に続いてるわけだ。やっぱり、その背中を見てるから彼女(真悠子)も、頑張ってるんじゃないかな。

美恵子)でも、それは当たり前だと思ってるんです。親だったら当然でしょ。それをわかってくれているので、子供たちは思いやりをもってくれていると思うんです。

司会)加山さんは、今回こっちでもお孫さんに会いたかったんじゃないですか。

でも、日本では毎週うちに連れてきては置いていっちゃって、そのまま(真悠子は)仕事行っちゃうから。われわれが孫の面倒をみる。2階が保育園で、1階が老人ホームだ(笑)。

司会)ここの別邸には、定期的にいらしているんですか。

美恵子)私は夏、冬それぞれ2,3ヵ月いて、主人はその間、日本から通ってもらってます(笑)。で、残りの8ヵ月くらいは、日本にいて成城で妻をやっています。(主人は)毎回忙しくて、こちらに1週間ほどしか滞在できないんですけど、今年の冬は2週間くらいは滞在してほしくてね。

それはなぜでしょう?タヒチに行くんですね。タヒチに行くために、スケジュールを合わせてくださいって(笑)。タヒチはね、結婚した直後に「最高だから、俺が必ず連れて行ってあげるよ」って言って、で、38年間まだ一度も連れて行ってない(笑)。(今回は)ハネムーンならぬフルムーンで行こうよって。

司会)38年越しのタヒチ、すてきですね。

美恵子)ツライものがありますよー。だって当時は水着、全然平気だったのにねえ。

タヒチったって、誰も見てないんだから。

司会)2人っきりですか?お孫さんは・・・。

美恵子)まさか!来るな、来るなって言います(笑)。

だって(日本にいると)いきなり電話で(真悠子が)「今日行くからさ」って。誰が?って聞いたら「決まってんじゃん」って(笑)。

美恵子)で、リュック背負った孫がピンポーンって。

司会)(笑)。お孫さんおいくつですか?

美恵子)もうすぐ8歳。で下が5歳。

孫は、かわいいのはかわいいけど大変すぎてね。だってずーーとゲームでしょ。俺にも一緒にやってくれって、ずーっとだよ。最近はWii(ウィー)って、体使ってやるやつ。それがまた(孫は)強いんだ。

美恵子)その孫と一緒になってやるゲームで、負けるのが嫌なのよね。ムキになっちゃって。

真悠子)ボーリングもやるんですよ。そのWiiで。やりすぎて肩が痛いって(笑)。

肩を痛めたのはボーリングじゃないも!野球だよ。(ムキになって)

司会)えっと、相手は8歳のお孫さんですよね(笑)。

美恵子、真悠子、えみ)(同時に)5歳の方!

だって、ものすごく強いんだよ。上(の子)も下(の子)も!どうしてお前たちそんなに強いのって。みんなして俺をね。だから覚えるのは、子供の方が早いんだよね。

司会)でも、加山さんご自身もゲームでは有名で、いろいろなレコード持ってらっしゃいますよね。ほかにもWiiには、テニスとかゴルフとかありますけど、負けないのもありますか?

全部負けてるよ。

司会)(笑)。

でも、いざとなったら俺は勝てると思うよ、本当はね。で、こっちが勝ちそうになると、もうケンカになるからさ。多分レベル的には、今はすでに俺の方が上なんだと思うんだよ。

司会)えっと、もう一度お聞きしますが、相手は8歳のお孫さんですよね。

美恵子、真悠子、えみ)(また同時に)(だから)5歳の方!

でもね、その一方で海なんかにもボートで連れて行ったりするよ。それは普通ではなかなか体験できないよな。あとは一緒に絵も描く。俺がアトリエで油絵描いてる時に横で一生懸命描いてるよ。「よく描けてるな」って、やっぱりね、褒めると子供は自分でやる気を起こしてくれるね。自信を持たせるというのは、子供にはとってもいい事なんだよ。

司会)お孫さんだけでなく、お子さんにも加山さんがいつも言っていた事ってありますか。

子供のころからね、物は大切にって事はいつも教えています。無駄遣いするなってこともね。だから節目事、たとえば誕生日とかクリスマス、お正月には必ず自分たちでカードを作らせるんですよ。それをみんなで交換する。こういうのはお金じゃないんだよ。お金に替えられないんだよ。プレゼントっていうのは、愛をプレゼントするんだよってね。だから紙切れ1つなんだけど、それを大事にとっておいてね。家族みんなの記録的なものにもなってる。

美恵子)それがね、今は孫も作るようになって母の日にくれたのよね。

そうやって、みんな作っていくわけだよ。これも伝統だな(笑)。

司会)では、父として、お子さんたちに期待する事ってありますか。

期待する事なんか何もないよ。特に女性の場合は、ちゃんとした伴侶がいて充実した家庭なり、充実した人生が歩めるようにしてくれれば、それだけでいいんだから。人に迷惑をかけないような人生であれば、親として言う事ないですよ。ただね、せがれたちには、やっぱり有名人になるってことを選んだとしたなら、だったらブレイクしなきゃ駄目だとは思うよね。成功するためには、どれだけの努力が必要か。そんな話をした事はあるよ。世に出た以上は、やっぱりメジャーになってもらいたいとは思うね。

司会)なるほど。それでは、加山さんご自身にとってアメリカとは何でしょうか。

こだわりの地だね。それはやっぱり、音楽へのあこがれから始まって、この地で生まれた音楽に囲まれながら、現在に至るというかね。その音楽というものを、今自分の仕事にできて、その仕事を通じてアメリカにおける変化っていうか、進化を感じていきたい。あとは、はっきりしているところが好きなんだよ。アメリカっていうところは、すごいところはすごい、やばいところはやばい、はっきりしている。周りに合わせて、どうのこうのっていうのは性に合わないから。

司会)加山さんには、合っているわけですね。

そう。あとはやっぱり日本と違って、ここは(自分の事を)知らない人ばっかりだから、今は普通の人になれるっていうのが一番うれしいね。学生時代に戻った気になれる。マンハッタンは日本人も多いけど、ここだと知らない人がほとんどだから、顔出して短パンで歩ける。うん、やっぱり学生気分のまんまだね。

司会)日本だと、出来ない事もこの近所だとできたりしますよね。

ジャクソンホール行って、ハンバーガー食うべぇとかね。自由だよ。でっかいショッピングモールも行くし、ホームデポにも行くしね。何を買うかっつったら、船の中の備品を買ったりね。あとは(船の中の)白いカーペットとかね。

司会)日本では売ってないんですか。

ないんだよ。日本ではあまり実用的ではないから、汚れの目立つものは(売ってない)。アメリカはインテリアを楽しむというかさ。船の寝室とか痛みの激しいところは、すぐにとりかえられるように掃除したり、日本では絶対やらない事もできたりする。それも、俺にとっては代え難い楽しみかな。

司会)最後に、在NYの読者にメッセージをいただけますでしょうか。

僕が、自分自身にいつも言ってる言葉は「人生の三”かん”王」という言葉です。
1つ目は、まずはあらゆるものに関心を持つという「関」。そして、感動する心を持つという「感」。そして、感謝する気持ちをなくしてはいけないという「感」。その3つは、いつも大切にしようと思っています。自分がいくつになっても、物事に関心を持っていたい。そして、それに関する本を読みたいと思う心。たとえば、引退した人でも趣味を持ち、ああこれ面白そうだなって思う事が絶対大事。いくつになってもね。そしていろいろな出来事の中でも、感動するという事。その感動する心を失ったらもう駄目だ。年齢に関係なく、感動して涙を流せるっていうのが一番大事だよ。そして、感謝する心を持たない人間は絶対に駄目。
どこの世界に生きていくにしても、人のせいにするのではなく、全部自分で受け止めるという事。受け止める事ができたら、辛い事を乗り越える力ってものが、心に授かるんだよ。
そういう行き方ができれば、それがたとえ、どこの国であれ僕は最高だと思う。特に若い人たちは、それを心にとどめておいてほしいな、と思うね。

インタビューを終えて

 日本国民のはたして何%が、加山雄三を知らないと答えるでしょうか。間違いなく、昭和が生んだ最後のスーパースターであり、今回のタイトルにも歌手と書いていいのか、俳優と書いていいのか、ギタリストであり、ピアニストであり、作詞作曲家であり、ヨットマンであり、油絵画家であり、そんな加山さんの職業欄は、やはり「加山雄三」であり、他の誰であっても、まねできない領域にいる絶対スターなのだと思います。で、実際お会いした加山さんはどうだったかというと、それはもう、優雅などっしりとしたオーラがハンパじゃなく、かっこいいーとしか表現できませんでした。それでいて気さくで優しく、4年前に一度したインタビューを鮮明に覚えていて下さいました。あぁ、こんなおっさんになりてぇなぁ。でも無理だなこりゃ。それが本音です。
 そして奥さま。お綺麗で、お話止まんなくて、それでいて天下のスーパースターを長年支えてこられました。「加山雄三」の妻を務めるという事は、きらびやかな生活だけでなく、誰にも言えない苦労もあったはずだと思います。加山さんがこの世で唯一頭の上がらない女性、それが奥さまだという事に、妙に納得してしまいました。
 今回はゆっくりしていって下さいね、という奥さまのお言葉を真に受けて、あつかましく4時間もおじゃましてしまいました。2週にわたり掲載したところで、そのすべてを再現できるとは思いませんが、加山ファミリー特集は、次回も続きます。次週は2人の娘さん、長女・梓真悠子さん、次女・池端えみさんを中心にお話を伺います。娘さんだけではなく、その場にいらっしゃらなかった2人の息子さんの話も出て、かなり深いところまで突っ込んだお話を伺いました。ご期待下さい!

加山雄三(かやまゆうぞう)

 職業:俳優・シンガーソングライター・作曲家・タレント・ギタリスト・ピアニスト・画家
 1960年東宝に入社「男対男」でデビュー。61年から「若大将シリーズ」が大ヒットする。同年作者協会新人賞、翌年NHK映画祭最優秀新人賞受賞。一方、歌手としても「大学の若大将/夜の太陽」でデビュー。その後も弾厚作のペンネームで作詞作曲をし、「君といつまでも」や「お嫁においで」など大ヒットを飛ばす。他にも画家として個展の開催、作品集発売など、幅広く活躍している。2005年にはカーネギーホールでコンサートをするなど、ニューヨークに縁がある。

11年02月03日新設