いたずらとぼく

ロケットも飛び出すわが”研究室”

 ぼくの家に「タマヤ」という名前のミミズクがいた。

 ミミズクのくせに「オネンネしなさい」というとゴロリと横になり、「あっちむきな

さい」というと首をあっちへむける、ヘンなミミズクだ。

 おふくろが、銀座の夜店で買ってきて、たいへんかわいがっていた。

 当時、あつらえの洋服一着が二十円だったのに、この「タマヤ」は金七十円也だったという。

 ぼくがまだ小学校へ行く前の四、五歳のころ、おやじとおふくろが、ある日そろって温泉へ

出かけていった。

 あとに残されたぼくは、たぶん退屈していたのと、持ち前の好奇心からだろう、鳥かごには

いって、じっとしている「タマヤ」をからかいはじめた。

 口でいろいろ悪態をついているうちはよかったが、とうとうしまいには手がとどかないもの

だから、竹竿を持ち出して

「こいつ、なんとかいえ」

 とばかりに、竿でかごをつついたらしい。ガクンと大きな音がして鳥かごが地面に、まっ逆

さまに落っこちてしまった。

 いくら鳥でも、かごに入ったまま落ちては、たまらない。頭を強く打って脳しんとうをおこ

し、そのまま息を引きとってしまった。

 さあ、たいへんと、子供心にも重大な罪を犯したと思ったのだろう。二、三日たって、両親

が帰って来て玄関に着くやいなや、ぼくは玄関の板の間にきちんと座って両手をついて深々と

頭をさげたそうだ。(こんなことは生まれてこの方、一度もしたことがない)

「お帰りなさいませ」

「あら、坊や、どうしちゃったの」

「どうもすみません」

「変ねえ」

「実はタマヤを殺してしまいました」

「ええっ!」

 おふくろはびっくり仰天したが、ぼくが、あまりにも神妙でおとなしいので、とうとう怒る

気にもなれなかったという。

 高校三年のころ、ロケットに凝ったことがる。

 ロケットの好きな友だち三人で、自宅の一角にある二畳の自称”研究室”にこもって、日本

紙を円筒にし、先に木製のヘッドをつけ、円筒の中に火薬をつめる。噴射口はジェラルミンの

管だが、この太さがむつかしい。大きすぎると推力不足で打ち上げ不成功に終わるし、反対に

細いと中で爆発を起こす。

 ところで二畳の研究室からは、しょっちゅう爆発音や工作音が響いてくる。

 おふくろときたら、ドカーン、ボワーンといった爆発音に極度に弱く、とうとう研究の自主

独立を主張するぼくと、日常生活の平穏をねがう母との間で、大げんかが行われた。

 それならだれにも迷惑をかけないところで実験をつづけてやろうと、友人のひとりが関西の

人間なので、そいつの家へ夏休みを利用して出かけて行った。その家たるや、片側が川、反

対側野原。まわりに家がなく、まったく絶好のロケット試射場だった。ぼくらはだれにも気

がねなく”研究”に没頭することができ、とうとう二段式ロケットまで開発した。

 これは一本の火薬が燃えつきると、導火線に燃えうつり、もう一段先のロケットに点火、そ

の噴射で、最初のロケットが切り離されるという、アメリカやソ連も顔負けの仕掛けで、この

実験がみごと成功して、二段目のロケットが火をふいたときには、思わず踊り上がって拍手か

っさいした。

 テープ・レコーダーの”いたずら”も、さんざ

んやった。ぼくがはじめてレコーダーを与えられ

たのは、まだ日本にレコーダーなどはほとんど普

及していないころで、アメリカ製のワイヤー・レ

コーダーというやつだった。これは文字通り、テ

プではなく、細いピアノ線のようなワイヤに録

音するもので、いまのテープのように往復二回

楽屋で休んでいるときでも、いたずらを考える
も録音できないし、逆回転させると、そのまま音が逆に再生された。これはおやじが、どこか

らか買ってきてくれたものである。

 ぼくは、その後に手に入れたテープ・レコーダーなども合わせて、いろいろな試みをやって

みた。

 まず”ひとりオーケストラ”。これは、最初ギターで、ある曲を録音、つぎに、その上に重ねて

ウクレレの伴奏を吹き込む。さらにピアノ、ドラム、ベース、スチール・ギターと、いくらでも重

ねていって、ついに、数種類の一大合奏ができ上がる。

 これはアメリカのレス・ポールという人が、すでに本格的な装置でやっていることだ。

 それから”ギターの曲弾き”。録音の回転速度を変えて実現する曲弾きだ。たとえば、テープの

回転をふつうの半分ぐらいに遅くして、ギターを普通に演奏、録音する。こんどはそれを再生する

ときは、ふつうの速度で回すと、ギター演奏は二倍の速さに聞こえる計算になる。事実、この方法

で再生した、ぼくの「ジプシー・ダンス」のギター演奏は、だれにも負けない高度のテクニックに

なった。

 ところが、このインチキ・テープを、ロカビリアンのうちではギターのテクニックのナンバー・

ワンといわれる寺内タケシ君が聞いて、すっかり感心してしまった。彼はぼくと撮影所で会ったと

き、いきなり

「いやあ、加山さんはギターうまいですね」

「そんなことないですよ。下手くそな方で・・・」

「いやいや、あなたの”ジプシー・ダンス”はすごい。ぼくはあんなに早く指が動きませんよ」

 当たり前である。モーターの回転で二倍に早くなっているんだから・・・。

 だまっているのも気がとがめたので「実はテープの回転を半分にしたんです」とタネ明かし

したら「いやあ、参ったなあ」と彼氏、頭をかいていた。

 それから、さまざまな擬音の製作。

 たとえば、ピアノをゆっくり低い音の方からひとつずつ、ポン、ポン、ポンとたたいていっ

て、半音ずつ上げていき、同時に間隔も早くしていく。これを逆回転させると夏の夕方にあの

「カナカナカナ・・・」と鳴くヒグラシの声になる。

 おやじに聞かせて、その製造法も説明したら

「お前は一体、なにをやっているんだ」

 と、呆れたような、感心したような声を出していた。

 電気掃除器の噴射口から出る空気を、マイクにぶつけて、音をとり、回転をうんと遅くして

再生すると原子爆弾の爆発音になる。

 それからバケツを棒でガンガンたたいて鳴らした音をゆっくり逆回転させると、これは爆弾

が破裂した音になる。

 そのほか二酸化マンガンと塩素酸カリをフラスコの中で化合させると酸素が出来る。それを

別のフラスコの中に集めてストローをさし込んで、ちゅうちゅう吸ったら、呼吸しなくても平

気なんじゃないかと試してみたり。

「炭焼きと同じ方法で本当の炭を作ってみよう」と、松の枝を切ってならべ、まわりを泥で密

閉して焼き、そこから発生したガスに火をつけて「木炭ガスはよく燃える」と感心したり。

 ゴムの化学合成をやっているうちに、アルコールに引火して、あやうく実験室から火事を出

しそうになったり。

 こうした愚にもつかない遊びや実験をやれたのも、生来の”科学する心”と凝り性のほかに、

両親の経済的”しつけ”と、茅ヶ崎というぼくの育っ環境が大きな力をもっているようだ。

 とくにおやじの経済的しつけはきびしく、欲しいものなど、ほとんど買ってもらえなかった。

だから、たまにレコーダーが手に入ったりウクレレを買ってもらったりすると、まるで宝物

が手に入ったように有頂天になった。そして持ち前の凝り性を発揮して、その物を徹底的に使

い、研究してしまうのだ。

 その点、いまの人たちは、少しやることが多すぎるのではないだろうか。欲しいもの、飛び

つきたいものが、ごろごろあり、事実、手にも入りやすいから、どうしても目移りするし、飽

きっぽくもなる。

 しかし一つの物、一つの事をトコトンまで追求していった方が、ぼくはなんだかためになる

ような気がする。

 もうひとつ茅ヶ崎という、およそ娯楽施設のなにもない土地に育った利点も見逃せない。こ

れが東京のド真ん中だったらパチンコあり、映画館あり、バーありで、遊ぶのにこと欠かない

だろうから、自分の部屋に閉じこもってテープ・レコーダーを二日間も三日間も、ぶっつづけ

で、いじくり回すことなんかバカバカしくて出来ないだろう。

 しかし、ぼくはバカバカしいようなことをいつまでもやっていたことが、あとで大きなプラ

スになったように思う。ぼくは、いつもなにかに夢中になっていなくてはいられない。

 この項 終わり

08年05月01日新設