ドカベンとぼく

腹がへっては芝居ができぬ

ドカベンとはドカタ・ベントウの略。

土方の人が仕事場に持ってくる、普通の弁当箱の二倍以上もある弁当箱のことだ。

これを毎日、高校へ持っていったのと、大食いだという評判だったので、たちまち”ドカベン

”の愛称をちょうだいした。

 とにかく高校時代はよく食べた。

 朝飯をたべて、午前十時ごろ、日吉の校舎の裏にある「赤屋根」という中華ソバ屋でラーメ

ンを一杯、昼めしはもちろんドカベン。それもオカズは別の箱に入れて持って行ったから、米

のメシだけがぎっしりつまったヤツだ。

 学校が終わったあと、帰り途に日吉の町で天丼とかソバとかを一杯たべる。家へ帰ると、こ

んどは正規の晩飯となる。

 一日五食。それでも、その合間には、なんとなく腹がものたりない感じがしたものだ。

 大学も、同じ仲間がいっしょに上がったので、相変わらず”ドカベン”。女子学生に「ドカ

ベン、ノートみせてよ」なんていわれても、なれっこになっていたので、べつに恥ずかしいと

もなんとも思わなかった。

 ひどいのになると「お前、ドカベンというのは知ってるが、本当の名前はなんていうんだ」

などときく友だちもいた。

 大学の友人と毎年、冬になると志賀高原の石の湯というスキー場へ出かけたが、そこで、ど

んぶり四杯食べたり、お茶わんに十三杯食べたのが記録だ。

 大学のボディー・ビル・クラブのヤツに

「たいして大きい身体じゃないのに、よく食うな。お前、大グソたれるだろう」

といわれて

「うん、そういえば、ツヤツヤしたヤツが、毎日よく出るよ」

と、真顔で答えたりした。

 高校に入るまでは、それほどの大食いではなかったが、それでも、中学生のころ、自分で釣

ってきたアジをおかずにして、茶わんに十一杯食べた記憶があるから、素質は十分あったよう

だ。

こうメシばかり食べる話をすると、さぞかし米のメシが大好物なのだろうと思われるかもしれ

ないが、決してそうじゃない。

 外国旅行へ出かけて、米飯がなくても、ぜんぜん不自由を感じないで、パンやスパゲティだ

けが何日つづいても平気だ。その時、その場所で食べられるものを食べる。本当に空腹を感じ

たら食べる。いわば自然にまかせた食事が、ぼくの主義だ。食べたくないものを、食べたくな

い時にムリに食べることはしない。

食後のラーメンもぼくの楽しみの一つだ
撮影の合間の楽しみは、なんといっても食うこと(「戦国野郎」撮影中) たまにはスッキリとして洋食を食べるときだってある
 東宝へ入社した直後、精神的にも肉体的にも生活環境がガラリと変わるから、というわけ

で、おふくろが心配して、一日五回、約四時間おきに規則正しく食べるようにしてくれた。そ

のために、かえって太ってきて、二十貫(約75キロ)を越えてしまった。そうしたら藤本(真

澄)専務から

「ハリウッドでは、俳優の目方が何キロをオーバーしたら契約を解除してもいいという法律が

あるんだよ」

 とスゴまれ、あわてて、もとの”自然主義”の食事にもどしたこともあった。

 ベスト・コンディションは十六、七貫(約60〜63キロ)といったところで、映画、テ

レビ、録音、ステージと、いろいろ異なった種類の仕事に神経を使うには、あまり太らない方

がいいようだ。身体が太りすぎると逆に神経も鈍くなると思っている。

 現在は、まさか高校時代のように大食いはしないで、健康のために腹八分目におさえてい

る。それでも空腹になると、てきめんに演技にまで影響があらわれる。ハラがへると、メシの

ことばかり考えるから、注意力が散慢になり、ろくな芝居ができなくなるわけだ。

 谷口千吉監督などは、その辺を十分心得ていて、ぼくがヘマをやりはじめると

「おい、メシを食ってきてからにしようか」

 などと、親切に面倒をみてくれる。

 とくに朝食を抜くと、一日調子がおかしい。だいたいぼくは、ふつうの人と反対に、朝が一番

食欲旺盛で、晩になるに従って減ってくる。いまでも、朝食には、かならず、どんぶりのように

大きな茶わんで二杯食べてから会社へ出かける。遅刻しても必ず食べる。最悪の場合はおにぎり

を作ってもらい、車の中でパクつくことにしている。

 東宝へ入社してからも、ときどきクセが出て、バカ食いすることがる。

 入社後間もなく、夕方五時に撮影が終わったあと、ペコペコにお腹がへったので、撮影所の

裏のヤキトリ屋へとびこんで、ヤキトリ六十四本食べた。そうしたら、こんどはご飯が食べ

たくなり、成城の町に行ってうな重を一人前平げ、茅ヶ崎の自宅へ帰って午後九時ごろ、口直

しにお茶漬けを三杯食べた。

 ヤキトリといえば、やはり撮影所の帰りに同僚六人と、下北沢のヤキトリ屋へ入り、合計五

百本食べ、ヤキトリ屋を閉店させたことがある。このときは、ヘンな臓物ばかりで、二、三日

したら、身体中にニキビのような吹き出ものができて、かゆくてこまった。

 また「バンコックの夜」のロケで台北へ行ったとき、正式な中国料理のフルコースを全部

平げ、千葉泰樹監督に

「フルコースを全部食べたのは、日本人としてはめずらしい。うわさには聞いていたが、な

るほど大食いだ」

 と、大いにおほめにあずかった。

 食べ物の好き嫌いはほとんどない。ただチョコレートだけは子供のころから、なんとなく嫌

いで、ほとんど口にしない。甘いものはだいたい好きじゃないようだ。

 とりわけ好きなものもないが、魚の干物はよく食べる。タタミイワシなどは好物だ。

 味つけは塩辛いのはダメ。レストランなどでも、辛いものを食わされると二度と行きたくなく

なる。関西料理のような、うすい味がいい。

 ゲテモノはあまり食べたことはないが、ウミヘビやアカガエルは食べた。

 ウミヘビは、モリで刺したとき暴れ回り、おもしろくないので、岸のたき火の中にほうり込

んで、まっ黒こげにして、それでも気がすまないので、ショウユをかけて食べてやった。

 カエルは、小学校のころ、行軍の時間に、友だちが田んぼでつかまえ

「これ、あしたの弁当のおかずに」

「そんなもの食えるのか」

「うまいぞ」

 というから、翌日、その友だちのカエルとぼくのタマゴヤキとを交換して食べたのが、カエ

ルの食べはじめだった。その後は中華料理などでときどき食べる。

 魚はたいていの種類を食べた。ぼくは釣ったり捕まえたりした魚は、食べてやることによって

、成仏すると思っている。

 大学三年のとき、茅ヶ崎の沖二、五キロの烏帽子岩で、友人二人とボンベを背負ってもぐって

た。突然、海底の岩のかげから、巨大な魚の顔がユラリと現れた。いままで見たこともないよ

うな奇妙な姿に、ぼくは夢中で水面へ逃げた。

 二人の友人を呼んで話すと

「捕まえてやろうじゃないか」

 ということになり、こんどは三人で水中銃片手に、岩陰の魚に挑戦、三本のうち二本のモリ

が命中した。陸に上げてみると、なんと重さが十二キロ近くもあり、ナマズのようなマグロの

ような、気味の悪い魚だ。名前もわからなかったが、食べられるものなら食べようと、自転車

のうしろに積んで魚屋に持って行った。

「おじさん、この魚なんだ」

「ああ、こりゃ、ハタだ」

「食えるのか」

「食えるけど、たいしたことねえや」

「うまくねえのか」

「うまくねえ」

「じゃ買ってくれや。いくらだ」

「二十五円だ」

「それっばかりじゃ、稼ぎになんねえ。アジの干物と取っかえてくれや」

 家で腹を空かして待っている七、八人の友人のこと考えて、ぼくは十六枚のアジの干物を

手に入れた。そのとき、この交換はかなりいい条件だと思った。

 それから二年ほどたったある日、ぼくは東宝撮影所の帰りにのぞいた魚屋の店先に、一切れ

六十円もするハタの切り身を見つけた。一切れ六十円なら、十二キロもある大物だったら、い

ったい何切れ取れ、全部でいくらになるだろう。そんなこまかい計算をしてみなくても、アジ

の干物十六枚と交換したのは、大損害であることはたしかだ。

 わざわざ出かけて行ったわけではないが、その魚屋を通りかかったとき

「おじさん。いつかのハタ、とんでもねえ高い魚じゃねえか。うまくだましたな」

 と、抗議したら

「バレたか」

 と、魚屋のおやじはケロリとした顔だった。

 この項 終わり

08年02月21日新設