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トップページへ(クリック) ボロ酔い編集雑記5 12月2日(木)・・・近況報告を含めていくつか 10/15(金)・・・新刊『なぜ人はひとを「ケア」するのか』(岩波書店)編集者からのメッセージ 9/3(金)・・・8月の備忘録と9月の予定 8/8(日)・・・東京新聞BOOKナビ(14) 8/1(日)・・・7月の備忘録/8月の主な予定 6/29(火)・・・6月後半の備忘録/東京新聞BOOKナビ転載
9月3日(金) ●8月の備忘録 (8/1)村上春樹論(第2部)執筆のための準備と、『ねじまき鳥クロニクル』論の執筆を続ける。何をどう準備し、何をどう執筆しようとしているかは、もう少したってからお知らせしたい。 (8/2)神奈川の某知的障害者施設に取材。テーマは性的逸脱事例について。発達心理学会より依頼されている論文の執筆のため。こうしたケースと、どう対応しているかという対応策を、少しためていってみたい。(K少年刑務所に、どんな取り組みをしているか、「人間と発達の会」の講演会に講演者として現役教官に来ていただけないかどうか、ダメ元で打診中) (8/6)東京女子大の堀越栄子教授に取材。テーマはケアラー連盟発足の経緯と、現状、課題について。「ケアラー」とは「家族その他による無償の介護者」の事を指し、有償のケアワーカー(介護労働者)とは区別している。身体障害、精神障害、高齢者介護、知的障害など、領域を分けずに、ケアラー(介護者)の支援体制と法制度を作ろうという試みを、ケアラー連盟がはじめたので、その取材。 (8/8)元同僚に、取材のために時間をとってもらう。こちらのテーマは「特別支援教育」について。依頼をいただいたのは『そだちの科学』。 (8/11)お盆に向け、この日、帰省する。横手駅に到着の後、高校依頼の親友(悪友)の病気見舞い。心より無事を祈る。13日墓参りをし、14日に戻る。14日、朝より降り始めた大雨が心配だったが、かろうじてかわすことができた。なんと、東京駅に着くと、「秋田新幹線が大雨のために、現在不通中」というアナウンスが流れている。行きも、1日遅くして12日にしていると、台風に直撃されて2時間遅れ、3時間遅れだった。ツキに恵まれていると言うか守られているというか。ありがたいことである。 (8/15)『健康保険』用の原稿(ケアラーについて)、を書き始める。これから31日まで、春樹論をいったん中断し、4本の原稿を仕上げなくてはならない。 (8/21)午前中、千葉で開かれた「東金事件を考える会」に出席する。4月に主任弁護人が交代しており、弁護方針にも若干の方向転換が見られた。問題は、いつ公判が始まるか。年内に開始するかどうかと、とのこと。夕方、柏に向かい、元同僚と「夏の会」。 (8/23)色々考え、ブログを立ち上げることにする。ブログにすることで、ホームページ以上に短期間で更新しなくてはならないことが、一番の理由(眼を離しているうちに、すっかりナマケモノになってしまっているので)。追い込まれると、ほかのことをやって逃げたくなる悪い癖が、二番目の理由だろう。多分。 (8/26)ふるさとの会にて事例検討会議。 (8/27)千葉県内の某特別支援学校にて講演会。テーマは「知的障害と刑事事件」。終了後、懇親会。お疲れ様。 (8/30)東京新聞BOOKナビの原稿の仕上げて、送付す。 (8/31)発達心理学会の原稿、送付。「そだちの科学」もう一息。最後の詰め、思いがけず、時間が掛かっている。 *今年の夏は、この113年で1番の暑さだというが、そんな中、前半は春樹論の準備と執筆に追われ、帰省をはさんで、後半は注文原稿の取材と執筆に全エネルギーを注いだ夏だった。何しろオクサンは、フランス縦断旅行にお出かけされ、帰国すると、まもなく奥入瀬から恐山へと青森縦断までなさっており、こちらは一人部屋にこもって過ごす日々。途中で焦燥感を感じなかったわけではないが、9月1日、仕上がった時の開放感は格別だった。 *9月はケア論のゲラ校正、連載原稿執筆に加え、中断していた春樹論の続行と飢餓陣営の本格準備、「人間と発達の会」主催の講演会準備が主要な仕事となる。9月もまた、残暑ではなく、夏真っ盛りの日が続くとのこと。体に気をつけて、たくさん仕事をして、おいしいビールを飲もう(残念ながら、随分、飲めなくなってしまっている。もう「ボロ酔い」なんてできない。ついついブレーキをかけている。「のんだくれ」を廃業し、「蕎麦食い」にでもなろうか。それくらい飲めなくなった)。 8月8日(日) ●東京新聞BOOKナビ(14) 私は人生の3分の2を「昭和」と共に過ごした。忘れられないのは我が家の本箱の隅に、なぜか「丸山真男」が置かれていたことである。やがて長じ、父親との「蜜月期」が終わった時、私にとっての丸山の名前は「敵の味方は敵」ともいうべき様相を帯びていった。ところが今回、テーマを「昭和」と決めた時、どうしたことか真っ先に手が伸びたのが中野雄『丸山眞男 人生の対話』(文春新書・八五〇円+税)だった。 中野氏は丸山に学び、卒業したのちもその下に通いながら、多くの言葉を書き留めてきた。丸山が学生に求めたのは「具体的な事柄を抽象的思考に置き換え、それを習慣化させる」こと、卒業後も「独学で学び続ける癖を叩き込む」ことだったという。当然ながら「独学での学び」とは抽象性の高い、クリエイティブな思考作業をいう。 戦後間もない時期のインテリ青年たちがなぜ丸山に惹かれたか、少しだけだが理解できた。本書から浮かび上がるのは「生活」や「大衆」を削ぎ落とし、知識人として純粋培養された丸山の姿である。その純度の高さが、当時の若きインテリたちを魅了したのではなかったろうか。 一方の保坂正康『田中角栄の昭和』(朝日新書・九〇〇円+税)。田中角栄は「コンピュータ付きブルドーザ」と称された。こちらにとっての「考える」とは、徹頭徹尾、人間関係や金銭の損得をどう私益に転じさせるか、その思考作業を意味した。それが人生のすべてであった。いわば「田中角栄」とは高度成長期の大衆が、じつはかくありたいと憧れた「生活者の原像」であったとも受け取ることができる。その田中が一兵卒として先の大戦にどう臨んだか、著者は絶妙な入り方をしている。この問題は、田中を「無作為の国体破壊者」と呼んでいる所にも通じていく。 丸山が戦前の日本軍国主義をどう分析したかはすでに名高い。じつは大小の「田中角栄」的存在こそが、そこでの分析対象だったのかもしれない、というあらぬ連想が湧いた次第である。 8月1日(日) ●7月の備忘録 (7/2)「ケア論」最終章書き終え、送付す。 最後まで「完璧」に仕上げることを課していたのだが、さすがに、この章はへばってしまった。ゲラで徹底的に手直しをすればよい、という甘いささやきとの闘いだった。ともあれ書き終える。 (7/4)千葉・淑徳大学にて講演会。 テーマは「2020年の福祉と介護のために、今できること」。社会福祉学部の主催だったので、聴衆は「若い人」だとばかり思い込んでいたが、壇上に上がると年配の方が過半だった。「看取り」のテーマなど話していいのか、と一瞬たじろいだ。すでにパワーポイントを作って示していたことでもあり、そのまま最後まで押しきった。工夫する余地はもっとあったとは思うが、ともあれいい勉強になった。 (7/9)いつものメンバーといつもの飲み会。 元同僚2名と、いつもの居酒屋。一人とは鎌倉行きの下準備のために早めに集合する。もう一人は高尾山の登山遠足のあと駆けつける。ヘトヘトのはずなのに、いつもながらいいガッツでジョッキを開けていく。よく飲んだ。 帰宅すると岩波書店の担当編集者のYさんより、拙稿に対する感想を述べたメールが入っている。これからさらなる作業と細かなつめがあるが、一読し、ひとまずは肩の荷が下りた。 (7/15)雑誌『健康保険』原稿締め切り日。 小樽市の「成年後見制度」の取り組みの2回目。原稿に対し、法的手続きの照会など細かい校閲を要する内容で、インタビューをそのまままとめるだけでは十分ではなかった。レポートとして正確を期するのはもちろんだが、何を伝えたいのかというこちらのコンセプトが、そのことで曖昧にならないよう、そこが最も留意されたところだ。 原稿送付後、会社に行き、担当編集者のYさんと1時間ほど打ち合わせ。それから現代文庫の編集者、Sさんと合流し、暑気払いへ。『十七歳の自閉症裁判』、見本を落手する(ご覧のとおり、岩波現代文庫の装丁が変わっている)。 (7/17)人間と発達を考える会。 テキストは、入所更生施設「かりいほ」でこの3月に取り組んだ研究事業報告書。レポーターによるまとめの後、自由討議へ。石川施設長にも参加していただいたが、彼の取り組みの話が始まると、メンバーみな、身を乗り出して聞き及んでいる。それほど圧巻の印象を受けたようだった。11月に、石川施設長を中心とした講演会を考えている(詳細は決まり次第お知らせしたい)。 (7/22)ふるさとの会、事例検討会議。 終末期のケア、看取りは、これからふるさとの会が取り組んでいこうとしているテーマ。どこから「終末期」とみなすのか。ディスカンファレンスのあり方。認知症独居者の、医療同意や意思確認などの「成年後見人」の問題など、まだ共通了解されていないさまざま課題が、取り組みを進めるにつれて出てくるはず。このテーマに関してはこちらも伴走することになる。 10月11日、ふるさとの会が主宰するシンポジウムがある。詳細はまだ。 [講演]高橋紘次氏 [パネリスト] 粟田主一氏(東京都健康長寿医療センター自立促進と介護予防研究チーム研究部長) 佐藤幹夫(フリージャーナリスト) 園田眞理子氏(明治大学理工学部建築学科 教授) 布川日佐史氏(静岡大学人文学部教授) [コーディネーター]水田恵氏(ふるさとの会代表) (7/24〜25)鎌倉・三崎夏の旅。 メンバーは5名(翌日1名合流)。鎌倉駅11時集合。バスで覚園寺へ。何度か鎌倉へは足を運んでいたが、「中世」がそっくりそのまま残っているというこの寺へは、初めて訪れるという迂闊さだった。寺僧の案内とともに1時間ほど拝観。大きな寺だった。昼食は門前の蕎麦屋で蕎麦をいただく。 蕎麦屋の親父さんに裏道を教えてもらい、杉本観音へまで歩く。長い石段を登り、本堂へ。鎌倉の最古仏地であり、国宝の本尊は秘仏。拝観の後、竹の寺、報国寺へ。例によってお茶をいただく。暑かった。へばった。すっかりコンジョウナシの人間ができあがっている。予定ではバス、電車を乗り継いで三崎へ、というものだったが、「歩けない、吐きそう」と駄々をこねた。その甲斐あってタクシーで直行することに。 目的のもう一つは三崎のマグロ。前回と同じ宿を取ったのに、夕食がレベルダウンしている。感動がまったくなかった。へばっていたためかビールも思ったほど飲めない。9時には就寝してしまった。翌朝、朝市にて大量の冷凍マグロの買い物をする。かぶと、目玉、のど、赤身など。京浜急行で金沢文庫に行き、文庫博物館を見た後、称名寺へ。お昼を食べて帰る。 (7/26)東京新聞締め切り 取り上げた著作は中野雄『丸山眞男 人生の対話』。保坂正康『田中角栄の昭和』。丸山眞男の純粋培養された知識人ぶり。「田中角栄」という人物による集金ネットワークの作り方。改めて興味を引かれた。 (7/28)Sさん、Kさんに取材。 テーマは「性的逸脱行動」。二人の取り組みの基本的な姿勢は、先に取材をさせてもらった「かりいほ」の石川施設長のそれとまったく同じであり、非常に興味深い内容だった。 ●8月の予定 ・8月15日『健康保険』締め切り。 ・8月30日「東京新聞」締め切り。 ・8月31日『そだちの科学』締め切り(「特別支援教育」について) ・8月31日『日本発達心理学会20周年記念出版』締め切り(「性的逸脱行動について」) ・・・30,31日に集中しているが、なんとか。その他にも ・飢餓陣営の次号全体のコンセプト作り。取材インタビューのテープ起こしと整理。橋爪大三郎さんへのマルクスインタビューの準備など。(目玉企画は他にもありますが、もう少し時期を経て公表したい)。 ・村上春樹論第2部の執筆と準備。(こちらもエンジンを全開にもっていかないと。全体のテーマや方向性はほぼ定まりつつあるが、参照しなければならない文献が山のように待っている)。 6月29日(火)●6月後半の備忘録 (6/15)「ふるさとの会」緩和ケアチーム、発足の会(この『緩和ケアチームについては、私の今度の本で紹介している)。 (6/18)『健康保険』原稿送る。テーマは小樽市の成年後見制度について。 (6/19)特別支援学校教員のOさんに取材インタビュー。テーマは「性的逸脱行動」について。 (6/21)東京新聞に原稿を送付す。 (6/23)T先生よりコーディネートしていただいたメディアカンファレンス、レジュメを作成し、送る。添田馨さんより『吉本隆明 論争のクロニクル』(響文社)送付される。早速読み始めたところ、そのまま一気に読了。 「添田様 待望のご高著『吉本隆明 論争のクロニクル』拝受しました。読まなければならない本、しなければならないことが山積しているなか、一気に読んでしまいました。連載中(飢餓陣営に)、「添田馨の文学的自意識を書くのではなく、『論争』の資料に時代を語らせ、論争それ自体で「吉本隆明の思想」の軌跡を浮かび上がらせるドキュメントを書いてほしい!」と言い続けていたことを思い出しました。まさにそのとおりの本になっていました。章ごとの論点がクリアカットされ、しかし章と章の関連が有機的緊密さを増し、まさに思想的ドキュメントとしても読み物としても、すごい仕事になったと感じた次第です。時宜にもかなっています。六〇年安保が再評価されている今、その前史を含むところにも本書の意義はあります。」 (6/24)「ふるさとの会」、事例検討会。入退院を繰り返してきた人の例など、精神疾患を抱え持つ人たちが中心の検討会だった。 (6/26)飢餓陣営執筆者、木村和史さん、添田さん、水島英巳さんと東京駅で。水島さん、「現代詩手帖」で詩誌月評を担当しているということだったが、連載コラムを依頼する。添田さんには「紙について」。
(6/27)実家より、わらび、みず、笹粽など送ってもらう。 (6/28)東京永田町にて、国立精神・神経センター主催のメディアカンファレンス。むしろこちらが勉強をさせてもらった。/ケア論、最後の一段。しかしその前に明日30日、『ホームレスと社会』誌の締切日。 ●東京新聞BOOKナビ(10・27掲載分) BOOKナビ(13) 若輩にすぎない私が「老い」に関する本を出そうとして、四苦八苦している。当然の報いだが、父親の生前に「老いの心」や「父の心境」などに一顧だにしなかったことが、報いに拍車をかけているようだ。 父の没後、三〇年分の備忘録を預かった。見ると、七五歳頃より「悪口を言わない、嫌なことを早く忘れる」といった自戒が、毎年書きつけられている。最初は苦笑したが、いやいやこれは、こうやって自分の心を縛りつけておかないととんでもないことになる、と知っていた故ではなかったのかと思い至った。 竹中星郎『老いの心と臨床』(みすず書房・三三六〇円)。著者は一九八〇年代、室伏君士、小澤勲の両医師とともに、「痴呆老人を彼らを取り巻いている世界との関連でとらえようとする」臨床を生み出した老年精神科医である。生活環境と人間関係を整え、安心・安定した生活を過ごすことができれば、妄想や抑うつなどの生活障害を最小限にとどめることができる、という現在では標準となった認知症臨床の考え方は、この三医師から始まっている。 竹中氏は医師としては多作な方ではないが、著作には臨床に裏打ちされた洞察がちりばめられている。「高齢者は、最も適応する力が衰えた時期に、最も厳しい適応を要求されている」(『老年精神科の臨床』)し、「(略)老年期の大きな課題の一つは『孤独に耐える力を身につけること』」(本書)だという。つまりは、最も耐える力が衰えた時期に、最も厳しい孤独と向き合うのが老年期だということになる。 もう一冊は黒井千次『老いのかたち』(中公新書・七九八円)。こちらは作家によるエッセイ集。エラそうに書かせていただくが、「老い」に対する自意識の屈折の仕方や、覚束なくなった所作への整え方が、やはり若い。ダンディである。本当はもっと辛さを抱えておられるのだろうが、筆を抑制させ、時に老いた老いたと嘆く文章にも、人間への好奇心は旺盛だった。 |